47 魔族、討伐、対象なり

 

 手を伸ばされた。

 あっ、と驚いた。手を伸ばしたら、多分届く。金髪で、真っ青な瞳の色合いは、以前の私とひどく似ていた。ソキウスだ。すぐにわかった。だって、生まれたときから一緒にいた男の子だ。なんでこんなところにいるんだろう、とびっくりしたのは一瞬で、こっちに必死に手のひらを伸ばす彼を見て、どうしようと思った。でも、「エル!!!」 ロータスの声が聞こえた。


「ひえっ、うわっ、ひえっーーー!!」


 ぼいん、と衝撃があって、驚いて、猫みたいに体を丸めて落ちたのは、ロータスの腕の中だ。せいぜい二階から落ちた程度だし、飛行スキルだってある。でもいきなりのことだったから、すっかりかちんこちんになってしまって、頭の上ではロータスの長い溜め息が聞こえた。

 私に体当たりして、うまく勢いを和らげてくれたのはイッチ達のようで、二匹ははあはあふうふうしていた。面目ない。


「ろ、ロータス、ごめん……」


 謝ると、ばかやろう、と震えたみたいな声で怒られた。自分でできることは、自分で、と思っても、心配をかけさせちゃもともこもない。ぶるぶる頭を振って、唇を噛んだ。「ご、ごめんね……」 もう一度呟くように声を落として、ハッとした。イッチ達はあまりの衝撃にすっかりもとの姿を見せているし、私は今、思いっきり塔の中に侵入しようとしていた。不審者である。見上げると、呆然とした顔でソキウスが窓から体を乗り出している。


 二人で見つめ合って、エル、とかすかに動く彼の口元を見つめた。私を抱えたまま、不思議そうに彼を見上げていたロータスも、思い出したらしい。

 ロータスも、ソキウスには一度会ったことがある。


 ――あのとき、何もできなくてごめん。


 エルドラドの村は、魔物に滅ぼされた。だから私は、ロータスと一緒にこっそりと村に戻った。私を追い出した村の人たちだから、助けたいと考えたわけではなく、見捨てたいとも思わなかったから、足を伸ばした。ただそれだけだ。


 魔物に滅ぼされたのはないだろうか、と思ったのは私の想像で、それを確認するためだったということもある。訪れた以上、放っておくのも妙な話で、僅かな月明かりの下で、ロータスは魔物を打倒した。そのとき、ソキウスに見られてしまったのだ。


 ソキウスは私の幼馴染で、私が魔族になってしまったとき、驚いてへたり込んだ。ぱくぱくと口元を動かして、何を言えばわからないような表情で、ただただ瞳を困惑させていた。

 心に残った棘はある。けれども彼と再び出会ったとき、ごめんと告げられた言葉は、たくさんの時間を経て、少しずつ私の中で形を変えた。普段思い出すこともないけど、もし思い出してしまったとしても以前よりも棘の痛みは和らいでいるような気もした。ただ、時間が経ってしまったから、そう思うだけなのかもしれないけど。良くも悪くも、時間は進んでいく。


 胸元で、ネックレスがちかりと光っていたのは、彼が近くにいたからかもしれない。村のお祭りで買った子供だましのネックレスは、彼とおそろいだ。


 窓から顔を覗かせて、こちらを見下ろしている少年は、もちろん記憶よりも大きくなっていて、私と少し似ていた容貌だったはずなのに、ちょっと男の子らしくなった。さっき聞こえた声も、以前よりも低くて、それでもやっぱり可愛らしい雰囲気もするけれど、背も伸びたんだろう。エル、ともう一度小さく言葉を呟いて、ソキウスはまるで泣き出しそうな顔をした。なんでソキウスがここに。ここはクラウディ国じゃない。彼が生まれ育った場所ではないのに。


 そうして考えた後で、ソキウスは私が魔族であることを知っていることを思い出した。周囲では、びびったぜぇ、びくったぜぇと話し合うイッチとニィの姿が思いっきり見えている。姿を消していない。互いに話し合うスライム達は、いやイッチ丸見えじゃん!? ニィもじゃん!? と唐突に震え始めて、はわはわしている。私もはわはわしている。ロータスは一人無言のまま冷静だった。おういえい。


 魔族、討伐、対象なり。


「あ、あ、あ……」


 ぶるぶるしている間にロータスはよっこいせと私を米俵に担ぎ直した。「にに、に」 そして長い足でかっ飛ばした。「に、に、にげろーーーー!!」「落ち着け」 じたばた騒いでいるのは私一人ばかりである。

 背後では、いや、ちょ、ま、エルーーーー!!? とソキウスの叫び声が聞こえる。幼馴染よすまない。もちろん即座に手のひらを叩いて、イッチ達の姿を消した。私達はあとをつけられている可能性も考慮し、街の中をぐるぐる回って、やっとこさ宿屋にたどり着いたときには、日もとっぷり暮れていた。溜め息が出る。


「なんでソキウスがこの街にいるんだろ……」

「さあなあ。こんなこともあるんじゃねえか」


 あるんじゃねえかで済ますロータスの冷静さである。だいたいまあなんとかなるんじゃね、と彼は端的な感想を出しがちである。私が魔族であることを知られているのはまだいい。けれども、ロータスも魔族ということをソキウスは知っている。だって最後に会ったとき、思いっきり飛行スキルを使用してしまっていた。


 こんなことなら、えっちらおっちら歩いて村から逃亡すればよかったと思いつつ、ひどく格好がつかない姿だなと想像した。終わってしまったことを言ってもどうにもならないんだけど。


「うわーーー……どうしよ、塔にソキウスがいるんだよね。ただでさえどう入ったらいいかわからないのに、難易度があがっていくよ!?」

「……諦めて、別の街に行くか?」

「それも、方法の一つかも」


 先見の鏡を手に入れるのは別に絶対条件というわけじゃない。原作が進んでいる以上、聖女の動向がどうしても気になってしまうだけだ。どうしようかなあ、と再度溜め息をついて宿屋の扉を叩いて開けたとき、妙に騒がしいことに気づいた。私達以外にも宿屋を利用している旅人はちらほらいる。以前私が働いていたはらぺこ亭よりこぢんまりとしているけど、飲食のスペースだってあるのだ。お酒を飲みながら、わいわい盛り上がっている彼らの姿を瞬きしながら見つめた。


「ああ、お嬢ちゃん達!」


 そんな私達の姿を見て、宿屋の若店主のお兄さんがエプロンで手のひらをぬぐいながら慌てたようにやって来た。「あんた達の部屋、大変だったんだよ。いつ戻ってくるのかと思った」「……大変……?」 ロータスと、顔を合わせた。今は見えないけど、イッチ達にも、こっそりと目をやる。想像した。もしかして、という考えがある。ぴかぴかにしすぎた……?


「モンスターが出たんだよ! しばらく前に、魔道の塔のお偉いさんが来て、あんたらの部屋にモンスターがいるって……! いやあ、驚いた」


 最後まで言葉を言い切る前に、私とロータスは足元を滑らせてしまうくらいに、体と心の速さも追いつかず、叩きつけるかのように、勢いよく扉を開けた。


 名前は呼べない。誰が聞いているかわからないからだ。でも、どこにもいなかった。部屋はたしかにピカピカになっていたけど、それでもきちんと手加減をしていることがよくわかる。もっと綺麗にできちゃうけど、エルが困っちゃったらよくないし、この程度にしておいて、でもやっぱりもうちょっと、とぅるんとぅるん! なんてヘイヘイしながら部屋の中の掃除をしていたサンの姿が思い浮かんだ。


 店主が言うモンスターは、一体どこに消えてしまったのか。必死に冷静さを取り繕うように震える声を抑え込んで問いかけた。


「魔道の塔に連れて行かれたんじゃないか」


 店主自身も、よくわかっていない口調で、暗い空の中にもずんぐりと伸びる塔を見つめた。私達が、目指している場所だ。

 どうしよう、と部屋の中にうずくまった。荷物の留守番として、お願いねと伝えてしまったから。全員で行けばよかった。何度考えたって遅くて、握った拳を幾度もベッドに振るった。でもこんなことをしている場合じゃない。「助けに行かなきゃ」 立ち上がって、滲みそうになる涙を手の甲で拭いて、口元を噛み締めて振り返った。ロータスがなんとも言えない顔をして、イッチ達を見下ろしていた。みゅいんみゅいんしている。


 イッチとニィと二匹で、互いにぷるぷる震えつつ、いつもよりも若干面長になってへいへい体を揺らしていた。なにしてんねん。


 しかし唐突に、互いはぽよりといつものまんまるに戻って、アッだいじょうぶだいじょうぶ、とうんうん頷きぽよぽよしていた。緊張感ゼロじゃん。それからすぐに、どいんどいんと何かが扉にぶつかる音がする。まるでイッチ的なサイズの何かがこっちに転がりぶつかっているような音である。とても具体的である。扉を開けた。にゅるんと覚えのあるサイズのスライムが入り込んだ。サンである。元気に戻ってきたぜと踊っていた。平和すぎか。


「…………なぜッッッッッ!!!!!」


 誰も突っ込まないので、私が叫ぶしかないこの頃である。イッチ達は三匹で、おかえりおかえり、ただいまんぼうと踊っている。だから平和か。まあ、なんともなくてよかったなとロータスは感想を落としていた。


 本日わかった事実。イッチ達に、ピンチは訪れない。



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