11 ロータス
鉛色の空の下で、彼は二つの剣を腰にさし、口元はいつも気むずかしげに結んでいた。不機嫌な様子で、難しい顔を作っていて、なのにそれだけでもひどく絵になる。OPの映像だ。
青年は短い黒髪をひっかいた。しかし端正な彼の顔半分には瞳を真っ直ぐに切り捨てられた傷がある。黒紫の瞳は、今は片方ばかりしか開かない。ひどく影のある男だった。そして青年の腕は一本きりだ。なのに、いつも剣は二本持っている。
それが、ロータスというキャラクターだ。
兵士あがりの叩き上げだからか、他の攻略キャラクターよりも乱雑な口調で、甘いセリフなんてほとんどない。でもふとした時に見せる暗い表情や重たいため息にどきりとして、ファンの人気的には悪くない。のだけれど、エルドラドとの対戦でロータスを連れて行ってしまうと、彼女の幻惑に惑わされて主人公の結子にタッグで挑んでくる。絶対に勝てない。
エルドラドはクラウディ国担当の悪役だ。ストーリーはいくつかのルートがあり、エルドラドを無視して他国に行くこともできるけれど、やはり初回プレイではそのまま護衛としてのロータスを連れ、エルドラドと戦うことが多くなる。おわかりいただけるだろうか。クラウディ国のルートは、初回プレイ殺しと言われていた。私もやられた。
だからロータスと言えばエルドラド、エルドラドと言えばロータス、と言ってもいいほどのイメージのキャラクターなのだけれど、初めて彼と出会ったとき、まさかこの青年がロータスだとは思わなかった。
目の前には美味しそうなスパゲッティーがある。青年は、“左手で”お皿を持って、“右手で”フォークを握っていた。吊り目だからか、ちらりと目を向けられるとぎくりとして小さくなってしまう。
「おばちゃん、水!」
がやがやした食堂で、ロータスは空になったコップを持って片手を上げた。「こっちは忙しいんだよ! 自分で勝手にいれときな!」「まじかよ。客だぞ」 そして怒鳴られた。でも苦笑するみたいに笑って、ちらりと犬歯を見せていた。ゲームで、いつも低いボイスで魔族を恨むように戦っていた青年の姿はどこにもない。ロータスは隻腕でも、隻眼でもなく、目立つような傷もない。
記憶での立ち姿よりも幼い、と感じたのは当たり前だ。ここは原作の三年前だから、まだ二十歳を超えてはいないくらいだろう。あとは体つきも違う。本編ではもっと大きな印象だった。それは筋肉の付き方の問題なのかもしれない。
でもそんなことはどうでもいい。なぜこんなことになっているのか。私の目の前にも、白いお皿が置かれていて、目の前にはもりもりとミートスパゲッティーがわけられている。ごくり、と唾を飲み込みながら首を振った。
ロータスと一緒に門をくぐり抜けて、彼の名前がロータスと知り、呆然と瞬きを繰り返しながら青年を見上げた。どうしよう、とどくどくと心臓が嫌な音を立てている。逃げなきゃ。すぐに、走って消えなきゃ。でも心の底で思う気持ちと反対に、彼に伝えるべきお礼の言葉が勝手に口から出ていたのだ。
「その、ありがとうございまぁあああ???」 なぜだか私は軽々と青年に抱えられた。米俵のごとく運ばれた。「ええええええ」 えっほえっほ、とまるでただの荷物として運ばれて、そんなばかなと叫んで座らされたのはこの食堂だったのだ。
フォークとスプーンがばってんを作っているマークの看板を通り抜けて、よっこらせと降ろされたのは窓際の席だ。窓ガラスにはがやつく店内の様子が映り込んでいる。どうやら随分人気のある食堂らしい。店員さんは今は一人きりで回りきっていない様子だ。もしかしたら厨房にももう一人くらいいるのかもしれない。
「え、えっと、あの」
「おばちゃん。スパゲッティー二皿!」
ロータスはなれた口調でメニューも見ずに注文した。店の奥では恰幅のいい女性が、「あいよ!」と大きな声を出して返事をする。びくん、と跳ね上がってしまった。それからしばらくすると叩きつけるようにお皿とスパゲッティーが二つ置かれて、どうすればいいかわからないまま、ロータスの顔を見つめた。
確かにお腹は減っていたけれど、待てくらいはちゃんとできる。食べていい、ということだと思うけど、許可もなくそんなことはできないし、そもそも彼と私は敵同士だ。この原作の過去のロータスがそんなことを知るわけがない、とわかっているけれど、原作での彼の言動を、もう一度ゆっくりと思い出した。
ロータスは『五つ葉の国の物語』の中で5人いるお相手役のうちの一人だけれど、もっとも魔族を憎んでいた。そして、いつも暗い表情をしていた。
(でも、どこにも、怪我をしていない……)
そして一番は見かけの変化だ。ちゃんと瞳が開いて、ときおり瞬きをしている仕草を見て、不思議な気分になった。彼の右手と左手をじっと見たところで、ひどく自分が失礼な思考をしていることに気がついた。彼は生きている人間なのだ。ゲームの中のキャラクターと言われてしまえば、私もそうだということになってしまう。顔を伏せて、小さな拳を膝の上でぎゅっと握った。
ここは、間違いなく過去だ。
彼の瞳と腕も、魔族にやられてしまった、と語っているシーンもあった気がする。つまり、彼はまだ傷を負うこともなく、ただの下っ端の兵士だけれど、魔族との戦いの中で、ロータスはどんどん出世をしていく。そして、王国一の騎士となるのだ。でなければ聖女を守るなどという大役を任されることはない。
彼がロータスであると気づかなかったのは、仕方のないことかもしれない。見かけもそうだけれど、青年が纏う雰囲気はゲームのものとはまったく異なっていた。たった三年で、人はこれくらい変わってしまうものなのだろうか、と思う。けれどもこれからの彼の人生を思うと、仕方のないことなのかもしれない。
ゲームでは終始暗い顔をしていたロータスは、今も不機嫌な顔をしているけれど、周囲の客にときおり声をかけられては、にかりと楽しげに笑っていた。ちゃんと年相応で、楽しげで、元気だった。それがひどく可愛らしく見えて、どきりとしたとき黒紫の瞳が睨むようにこちらを見た。と、思ったのは彼の魔族に対する感情をゲームで知っていたから、一人で勝手にびびってしまっているだけで、実際はただ目つきが悪い人というだけなのかもしれない。
「食わねえのかよ」
「え、あの……」
正直なところを言うと、許可待ちだった。食べてもいいですか、ときくにはお金すらも持っていない現状だ。あんまりにも勝手なような気がした。ロータスはため息をついて、「冷める、食えよ」「は、はひっ……!」 慌ててフォークに手を伸ばした。
ここ数日、お魚ときのこときのみやらと、似たものばかりのローテーションの日々だった。「そうそうさっさと食っときゃ……」 すっかり自分は食べ終えているロータスが顔をそむけていた一瞬の間に、私の口は限界まで膨らんで、ふくふくに頬張っていた。「…………」 ちょっと遠慮がなさすぎた。ロータスの無言が辛い。
「うんまあ……その、うまいだろ、ここ」
「お、おいひいです」
「そりゃよかった」
彼はわずかに笑った。にかりとした顔は一瞬だったのに、ひどくどきりとして、飲み込んだスパゲッティーが胸の奥に詰まってしまった。「げほっ、ごほっ、う、うぐっ」「水飲め水」 敵に手ずからお酌をいただいてしまった。敵、と言っていいのかわからないけど。
「……ふう」
お水を飲み込んで、久しぶりのまともなご飯に胃の中身が染み入っていくと、今度はだんだん冷静になってくる。
街に入ることよりも、出ていく方が楽だろう。あんなに苦労して(と、いうほどではないかもしれないけれど)入り込んだ街だけれど、やっぱり諦めて逃げ出して、元通り森の中で頑張っていくしかないかもしれない。ほっぺの中のご飯はおいしいのに、胸の中は鉛を飲み込んでいるような気分だった。静かにスパゲッティーを飲み込んだとき、「なあ」 テーブルに肘を突きながら、ロータスがこちらに問いかけた。
「は、はい……」
ビクつきながら返事をしたものの、ロータスはしばらく何も言わなかった。じっと私を見つめて、様子を窺っている。そんな節だった。ただでさえ小さな体が、どんどん小さくなる。がやつく店内の声ばかりが響いて、ひどく恐ろしい。今すぐ教会に突き出されてしまうのではないだろうかと。
「スライムは、たしかにお前がいうとおり、元通りにそこらにいたぜ。まるで何もなかったみたいだ。なあ、なんで知ってたんだ?」
彼が尋ねた言葉は意外だった、というほどのものではなかった。むしろ当たり前の疑問だ。
――――スライムは、もう元通りになったんじゃないでしょうか。早めに帰ってみてもいいかもしれません
調子に乗っていた、としか思えない。彼から逃げる際の捨て台詞である。
私のせいでわざわざ派遣されたと言っていたから、申し訳なさを感じていたし、もう会うこともないと思っていた。計画性のなさが露呈している。後悔しても遅い。
「……えっと、あの、しばらく森を……歩いていたので。最初は見かけなかったスライムが、あの頃にはときおり見るようになっていた、と、いいますか」
言い訳が苦しい。間抜けな嘘つきの称号が、ウィンドウの端でぴこぴこ光っている。ぐう、と唇を噛み締めた。光るのやめて。
「……ほお」
どう考えても彼はこっちを疑っていた。顎の下をかりかりと親指でかいて、何かを考えている仕草をしている。「まあ、いいか」 いいのだろうか。見逃してくれるのだろうか。逃げてしまった一角獣の幼体を、逃げる分には逃しとけ、知るか知るかと片手を振っていた姿を思い出した。でもどうだろう、と苦しくお皿の端を握りしめていると、「お前、行くとこあるのか?」
その質問は、親とはぐれたという私の言葉をしっかりと嘘と認識しているとわかるのだけど、諦めて静かに首を振った。
「……親は?」
「い、いません」
これは本当に嘘じゃない。エルとして村にいたときも、物心ついたときから両親というものはいなかった。だから入り口は震えた声が出ていても、最後にははっきりと彼の瞳を見ることができた。黒紫の二つの瞳が、しっかりとこちらを見ている。そうか、とロータスは瞳を静かに伏せた。それから、いきなり立ち上がった。その姿を見て、私は慌てて声をかけた。
「え、あの、えっと、お勘定……」
お金もないくせに、すでにお腹いっぱいに食べている。だから払えと言われてしまえば困るのだけれど、それでも知らないふりをすることはできなくて、でも言ってもらいたい言葉も決まっていたから、自分の中の卑怯さにもやもやした。
顔を伏せるとロータスは私の隣にきて、くしゃくしゃと勢いよく頭をなでた。「う、うわ」 慌てて自分の頭を触った。ぐしゃぐしゃになってしまった、と思ったけど、考えてみれば最初からだ。
食堂には張り紙が張られていた。
『手伝い、募集!』
「まあ、例えばだが」
ロータスは端っこがぴらぴらととれかけているその紙の端っこを壁におしつけ、指の先で文字を読み込むように動かす。私も思わず瞳を向けた。エルドラドは文字を知らなかった。読めてもカタコト程度だったけれど、この世界の文字は日本語で書かれている。だから今はすらすらと読めることに違和感があった。
乙女ゲーの世界だから、と言ってしまえばそれまでだ。製作者がそう設定したんだろう、と考えるとゲームと現実がごっちゃになってしまって、あまりよくない思考のように思ったから、すぐにそのことは忘れた。
『年齢、不問。即日、いつからでも。真面目に明るい、働き者を募集します』
忙しそうだものなあ、と周囲を見回す。私とロータスが話している間にも、どんどんお客が増えてくる。店員がお客の数に対応できていないのだ。
「……例えばだが」
ロータスは同じ言葉を繰り返した。
こんなところで働くことができたら。
お金があれば、だいたいなんとかなる。怪しいところでは働きたくないけれど、ロータスは騎士団の下っ端だと言っていた。彼が懇意にしているお店だ。そんなにおかしなところではなさそうだし、中々繁盛している。お店は二階建てで、一階部分はお食事処みたいだった。それならなんとかお願いして、うまく部屋数が余っているのならお給料を少なくしてもらってでも一部屋でも貸してもらうことができれば……と、考えたところで、日本での記憶を思い出したところで仕方がない。
もちろん、前世ではお食事処のアルバイトをしたこともあったような気がするけれど、今とこれとは別だ。私は過去の記憶はあっても、間違いなくエルドラドであり、ただの八歳の子供だ。そこを忘れてはいけない。私と、記憶での“彼女”は別人だ。
いくら年齢不問、と書かれていたとしても、こんな姿で主張しても何を言っているんだと追い返されるだけに決まっている。私の手のひらは小さすぎて、こんなの借りたところで、ただの猫の手程度である。
ロータスは、それ以上何も言わなかった。じっと厳しい瞳で張り紙を見つめている。ふと、彼の手が邪魔をして最後の一文が見えていなかったことに気がついた。首を痛いくらいに見上げて読んで見る。
『とにかく、今は猫の手でも!』
「…………」
「…………」
私とロータスは無言で見つめ合った。店の奥では、恰幅のいい女性が悲鳴をあげるように叫んでいる。ただ注文をとっているだけなのに、まるで助けてくれと主張しているみたいな声だった。
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