お食事処、はらぺこ

12 目指せ、平穏ライフ

 

 頭の上にお皿を乗せる。いや、私個人としてはまったくそんなつもりはなく、必死に持っているつもりだ。でも店内の中ではあまりにも筋肉たちが密集していて、そうでもして主張しなければ、誰も私なんか通してくれない。


「ぐ、ぐう、ぐぬぬぬう!」


 気合とともに悲鳴を上げた。滑り込んで、女将さんに宣言する。「一番卓、焼き飯ひとつ、餃子は二人前!」 料理名が日本と同じだったことは幸いした。即戦力とまではいかないものの、なんとか騙し騙しに頑張っていける。


【お手伝いスキルを取得しました】


 いやそんなの今はいいから。

 わいわいがやがや、おじさん達の声にすぐさまアナウンスはかき消された。もう知らん。ひいひいと悲鳴を上げた。扉の前に影が見える。また新たなお客様だ。「いらっしゃあい!」 必死の声を上げて、気合のあまりにこちらから扉を開けてしまった。「ん? ああエルか。よう」 驚いたように吊り目のお兄さんが瞬いた。そして片手を軽くあげた。


 私は静かに扉を閉めた。


「いやなぜ閉める」

「すみません! 無意識ですすみません!!」


 もちろん即座に開けられた。ぜえはあしつつもぶるぶると自分の金髪ごと思いっきり頭を振る。体が心に乗っ取られていた。ロータスはよくわからん、とぼそりと呟き、頭の後ろで腕をくみつつ、大股で歩きながらも勝手に空いている席を見つけてどかりと座り込んだ。


「パンとシチューで。パンは硬いやつな」

「はーい……」


 常連である。まごうことなき常連である。この間、私と一緒のときにスパゲッティーを頼んでくれたのはこちら側(つまりお子様)に考慮してくれた結果らしい。彼はいつも同じメニューで、同じ時間に来て、カチカチのパンをシチューにひたして凄まじいスピードで食べて、すぐさま消えていく。忙しい。これが毎日だ。


 ロータスのぐしゃぐしゃの黒髪の後頭を見送りながらも、ため息をついた。いやそんなことをしている暇はない。他の客の元へ、「お待たせしました!」と叫びながらも、なぜこんなことになったのか。考えてみた。


 時は数日ばかり遡る。



 ***



『手伝い、募集!』と、書かれた張り紙を見て、そのときの私はちょっとおかしくなっていたのかもしれない。こんなところで働けたらな、という想像が一瞬現実として近づいてしまったとき、目の前がくらくらしてそれしか頭に入らなくなってしまった。


「で、でも、さすがにいきなりは! 猫くらいにはなれるかもしれないですけど!」

「知らねえよ。気になるならとりあえず聞いてみたらいいんじゃねえか」


 私があわあわしている間に、ロータスはすばやく「おばちゃん!」と呼んだ。そしたら、「なんだい!? 忙しいっていってんだろ! さっさとカウンターに金だけ置いて去って行きな!!」 そしてぼろくそに怒られていた。


 スンと表情をなくすロータスに若干の気の毒さを感じながらも、彼は負けなかった。「ちげえよ! 労働力の提供だ!」 瞬間、店員の女性は頭の三角巾をはためかせて、あまりにも素早く私達の前に立っていた。何らかのスキルを使用した可能性を疑ったが、私じゃあるまいし、普通の人であるはずだ。


 彼女はよくよくみると大きな茶色い瞳をあらん限りに見開いて、「どこだい!」 ロータスは静かに頷いた。流れで見下された視線にさすがにちょっとびくついた。


「あんた、年は」

「は、八歳です……」

「ロータスの知り合いかい」


 ロータスはしばらく考えたあとに、腕を組みながら瞳をつむって無言で頷いた。こいつ絶対だんだんどうでもよくなってきている。適当にもほどがある。「採用!!!」「そんな!!!」 ハッピーなニュースのはずが、一番私が驚いて困惑していた。ちょっとスピーディーすぎる。忙しすぎて雇う人間を選ぶ余裕すらこっちにはないんだよ! と店員である彼女は叫んで、エプロンの大きなポケットの中にいれていた布切れを勢いよく私の顔に叩きつけた。


「さっさと顔をふいて、服を着替えな! 丁寧にかまってやる余裕なんてなよ!」

「え、でも、ふ、服は!」

「娘のお古がどっかにあるだろ! 二階をあさりゃどっからかでてくるだろうよ!」

「そ、そんな」


 いきなりいいのだろうかとおろおろするしかない。しかし「さっさとしな!」と怒られて跳ね上がった。会計を済ませて出ていこうとするロータスに気づき、何か言わないと、と慌てて口を動かした。でもそれより先に、三角巾の店員さんが、「あんた、そういや名前は!」 とにかく語彙に力が入っているのは、急いでいるせいだ。多分他意はないのだろう。


「えっと、エル……」


 エルドラド。

 頭の中によぎった名前だ。村でもエルと呼ばれていた。でもそれは、私の本当の名前がエルドラドと知っていてのことで、ただのあだ名だった。魔族だと知られて、追いかけられて、崖から落ちていく光景を思い出した。ゆっくりと、空が遠くなって、ぱかりとほんの一瞬、雲が割れた。どんよりした鉛色の空から、静かに光が差し込んでいた。ひゅうひゅうと落ちて頬を叩いていたはずの風も、そのときばかりはとても静かで、まるで何か、新しく生まれたような、そんな光景だった。


 私は。

「え、エル、です!」


 もうエルドラドじゃない。エルドラドになんかならない。何度も思っていたことだけれど、こうしてはっきりと誰かに口にするのは初めてだ。なんていったって、森にはモンスターばかりで、人とまともに話すなんて久しぶりなのだから。


 言葉に出すと、本当にまるで私は別の何かに生まれ変わってしまったみたいだった。新しい何かになれた。でもそんなこと、忙しくしている店員さんも、ロータスも知るわけがなくて、私一人が興奮しているだけだ。


 その気まずさや、恥ずかしさをごまかすようにゆるんだ口元を手のひらでこすっていると、ロータスが振り返って、こちらを見ていることに気がついた。帰り際だというのに私が大きな声を出しすぎていたせいか、しっかり彼の耳に届いてしまっていたらしい。やっぱり機嫌の悪い顔をしている。と思ったら、彼はわずかに八重歯を見せて笑った。

 

「じゃあな、エル」


 またな、とも言われた。

 かららん、とドアベルの軽やかな音が聞こえる。エルとして、初めて名を呼ばれたんだと気づいたとき、どきりと自分でも驚くほどに心臓が大きな音をたてた。でも一瞬だったから、胸に手をあてて、首を傾げた。すぐさま女将さんに怒られた。ちゃっちゃと動きなとぺちりとお尻を叩かれた。



 ***



 こうして私はエルとして、このお店で働くことになった。ロータスには感謝をしているけれど、彼は『五つ葉の国の物語』の攻略キャラだ。彼に関わるということは、絶対ではないにしろヒロインである結子と出会ってしまう可能性がある。それはあまりよろしくない。とにかく原作のストーリーには関わりたくはない。これからこの大きな木に生えた葉っぱのような国達は大変なことになっていくけれど、そんなことはどうでもいい。私がなんとかすることではないと思うからだ。


 私は人類の敵、最恐魔女のエルドラドだ。それは三年後のお話だけど。エルドラドであることは忘れ、平和に生きていく。物語は、勝手に彼らがなんとかしてくれるだろう。と、思いたいけれどこの場が整えられた舞台である限り、油断は許されない。だからロータスは鬼門だ。出会いたくない。でも彼はやってくる。ここは彼の行きつけのお店なのである。


「あ、あああ、ああ~……」


 ベッドの上で頭を抱えた。エルドラドにはならない、と思っていたのに、なぜその流れになる可能性がある人間の近くにいついてしまったのか。

 不安ならばさっさとこの店から消えてしまえばいいじゃない、と言われてしまいそうだが、ロータスのことを除けば、ここは最高の職場なのである。こんな幼女でも雇ってくれる。残ったご飯をわけていただき、部屋も余っているとまさかの住居つきの契約である。しかも日雇いではなく、期間限定とは言え継続雇用。ここよりも好条件など今更見つけられる気がしない。


 固い地面やら木の枝やらに寝転がっていた日々を思い返し、ベッドの上で私はうめいた。最高。まず室内であることがとても最高。とりあえず考えてみよう。ロータスの存在は確かにネックであるけれど原作はまだまだ三年後だ。そこまでカリカリと気にする必要はないのではないだろうか、と楽観視してみた。私の目標はただ、『大人になること』。こんな子供の体を卒業して、一人で生きていけるようになること。


 三年経ったところで子供であることには変わりはないけれど、ここは日本じゃない。十一歳となれば、ある程度の自由も許されてくる。今よりずっとマシになるはずだ。


「私は、ここで平和に大人になろう」


 ごろり、とベッドの上で転がって天井を見つめた。そして決めた。それならば、絶対に魔族だとバレてはいけない。当たり前だけれども、とにかく気を引き締めねば。例えば森を闊歩していたときのようにスライムをもりもりさせたりとか、空を飛んだりとか。そういうのももちろんだめだ。「絶対に、気をつけよう」 誓った。


 コンコン、とノックの音が聞こえた。すこしばかり乱暴な叩き方に、あわわと私は慌ててベッドから飛び上がった。瞳の色は大丈夫、と手のひらで目の辺りを押しながら確認して、ドアノブに手をかける。朝の準備だろうか。ちょっとまったりしすぎてしまった。


「ごめんなさい女将さん、今いきま――――」

 たゆんっ……たゆん、たゆんっ……


 そこには三匹のスライムが、互いに積み重なりながらゆらゆらしていた。頑張って体当たりをして扉を叩いたらしい。ふるふるしながら、まるでこちらに何かを伝えているようである。いや、なんとなくわかる。わかってしまう。


 きちゃった……(ハート)


「…………彼女かッ!!!!」


 思いっきりつっこんだ。

 私の平穏ライフは、まだまだ遠いようである。

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