15 はらぺこに来た理由

 

 お食事処、はらぺこ。

 この食堂で働かせてもらえるようになって、一週間が経過した。



「ほんと、嫌になっちゃうわ! やらかしちゃったっていうか」


 嫌よね、と椅子に座りながら赤茶色のわずかにカールした髪の毛をかきあげる美女はこのお店の一人娘さんである。その場にいるだけで、パッと周囲が明るくなる、華やかさを持つ美人さんだ。さすがゲームでの最恐魔女と言えばいいのか、キャラデザには定評を得ていたエルドラド、現エルである私も、森の中で汚れていても輝くような金髪に白い肌と将来的には期待できる容貌だけれども、彼女も中々のものだと思う。


 なのに小さなお顔のほっぺをぶすりとさせて、彼女は勢いよく両手を天井に突き出した。


「私の足よ、動けー!!!」

「馬鹿言ってないで手伝いな」

「うっぐ!」


 女将さんからの鉄拳制裁が飛んできた。「お、おうふ……」 まったく関係のない私とスライム達まで思わず頭を押さえてしまった。めちゃくちゃ痛そう。



 ***



 はらぺこ、というのはお店の名前である。安くて早くてうまい、というまるでどこぞの学生食堂のようなキャッチフレーズを思い出すお店だけれども、いつもお客様はひっきりなしにやってくる。冒険者から、街の住人、中にはロータスのような騎士団に勤める兵士までお客様は様々だ。けれどもやはり男性客が目立つのは、出されるメニューだけが原因でない。


 今現在、「チィッ!!!」と力の限り舌打ちをしながら、テーブルの上で本日のメニューである野菜を鬼のごとく切り刻んでいる彼女、ストラさんの存在である。むっつりしているだけでも可愛らしいのに、いざお客様の前となると、さながら天使の微笑みとばかりに天才的な接客を発揮させるのだけれど、彼女の片足には痛々しい包帯が巻かれている。


 やってしまった、と言っていたのは私がロータスと共にこのはらぺこにやってくる前に、ストラさんはうっかり怪我をしてしまったらしい。いつもは注文はストラさんが、厨房は女将さんが、と二人体制で頑張っていたそうなのだけれど、怪我をしてしまったのは彼女の片足だ。普段と同じ仕事は難しい、ということで、役割を反対にさせてみたものの、すぐに限界がやってきた。とにかく誰か、猫の手でも! となったときにやってきたのが私だ。


 この国の識字率はあまり高くはない。客に頼んでチラシを書いてもらったはいいものの、読める人も少なければ、募集をかける余裕もなかった。なのでやってきたのは本当に猫の手(私)だったというわけだ。毎日来るほど常連のロータスだ。そのあたりの事情も知っていたんだろう。


「あーあ……ほんとにあのとき欲なんて出さなきゃ……」


 呟くようなストラさんの言葉をきいて、私は必死で手を伸ばしてテーブルを拭きながらも、「欲、ですか?」 思わず気になって聞いてしまった。スライム達もなんぞ、と気になっている。


 ところでこのスライム三匹に、せっかくだ。私は名前をつけることにした。命名、イッチ、ニィ、サン。名前をつけよう、と宣言して考えて告げた言葉に、三匹は静かに首を横に振った。それはちょっと嫌ですねん、という言いたげな雰囲気だったので、「じゃあABC」 松竹梅ともセットで提案すると最初がいいですと静かに提案を飲み込んでくれた。エルドラドの名前を捨ててエルと名乗る私である。ネーミングセンスなんて期待しないで欲しい。


 先頭に立って、リーダーシップをとるのがイッチで、おっとり系なのがニィ。ラテン系のスライムなのか気づいたらすんらすんらと踊っているのがサンである。スライムなのによくよく見ると個性があるので見分けも付きやすい。ウィンドウ表示にも、【お掃除スライム:イッチ】というふうに、きちんと名前まで表示されるようになった。


「そう、欲。ほら、ちょっと前にスライムが森から消えちゃったっていう謎の事件があったでしょ?」

「え、あ、はい……」


 私にしか見えないスライムの動きを追っている間に、ストラさんがよくぞ聞いてくれた、とばかりにため息混じりに説明する。事件、なんて言われているの、とちょこっと胸が痛くなりつつ、憂鬱に瞳を伏せる彼女を見上げた。美人だ。


 ストラさんの代わりにお店に立つようになって一週間。未だに彼女が厨房に引っ込んでしまっているということを知らないお客さんが、「いらっしゃいませー」と私が出迎えると、「チンクシャに代わってる!!!?」と悲しみの悲鳴を上げる。ごめんね。未来なら期待が持てるから。多分ボンキュッボンだから。


「街中からスライムの水がなくなっちゃったから、私もなんとか手に入れたいなって」

「えっ……水がなくて、こ、困ったことになっちゃったんですか」


 浅はかな私の行動で、大変なことになってしまったのでは、とどくりと心臓が痛くなった。どうしよう、と胸を押さえると、ストラさんはぱちぱちと瞬いた。


「え? いえ、別に困ったとかまでじゃなかったけど。水はちゃんと井戸水があるし。重いし遠いけどね。でもスライム水っておいしいでしょ? だから他は出さないのにうちだけで出せば最高じゃないって商売人の娘の血が騒いだのよね」


 よかった、とため息をついた。しかしスライムが保有している水のことを、スライム水っていうんだ……と知らない都会の知識になぜだか震えた。エルドラドの村は小さな村だったから、村にある井戸だけで水は事足りた。それにわざわざ森まで行ってスライムを狩る余裕もなかった。


 エルドラドの村もそうだけれど、街は水辺を中心にして成り立つ。雨が降らないこの国は水がとても大切なものとされていて、村や街を作る際には、まずはその場所で水を定期的に確保できるかどうかが重要なのだ。水辺は神様が世界樹に分け与えようと両手ですくって与えた水がこぼれ落ちてできたものだから、不思議と尽きることもない。今のところは。


 だから、重たいバケツを頑張って運んで井戸から何往復かすれば、水不足の心配はない。「あのときはとにかくスライム水しか考えてなくって、どれだけ儲かるかで目の色が金色になっていたんだと思うの」 まあ茶色なんだけど、とストラさんはすっと両手で瞳を覆った。その間にイッチ達は、いつも以上に震えながら、各自店の端へと消えていった。ストラさんを恐れている。


「門番を振り切って森に向かったわ。でも本当にスライムの一匹も出なくて」

「え、お、お一人で……?」

「あの森は近場なら庭みたいなものだしね。だから私もどんどん調子に乗ってしまって深く入ってしまった。そしてモンスターに出会ったの」


 悲しげに足を擦る彼女の姿を見つめて、ぞっとした。

 きっかけは彼女自身とは言え、私の行いが彼女の怪我につながってしまった。謝っても謝りきれない、と言葉にすることもできず、唇を噛んだ。


「そして私は足が速かった。全力で逃げ切ったわ。最高だった」


 何か想像と話が違う。


「街にたどり着いたときには爽快だったわ。さすが私ねと小躍りした瞬間滑って転んでできた怪我がこれよ」


 そっと指さされた動きを見て、先程とは別の意味で、クッと唇を噛んだ。感情が飲み込めなかった。やはり私のせいと言えば私のせいなような、でもやっぱり何かちょっと違うような。「おかげで店には立てなくなるし、散々よお!」と、悲鳴をあげるストラさんの足が治るまでの間雇われたのが私というわけである。期間はだいたい二ヶ月程度だろうか。


 椅子に座りながらじたばた両足を暴れさせるものだから、「あいたあ!」と怪我をした足を床にぶつけて叫んだところで、再度女将さんからの鉄拳が飛んできたのは想像に難くない。


「真面目にしな! エルを巻き込むんじゃないよ!」


 女将さんは、実のところよくよく見るとストラさんに似ている。親子なのだから当たり前なのだけれど、彼女も大きな目がくりくりしていて可愛らしい。「あ、いや私がお話をきかせてもらっていただけで」 しかし強い。お待ちくだせえ、と伝える前に、ずんずんと消えていく。残されたのは頭に大きなたんこぶを作り机に突っ伏すストラさんである。しかし彼女はめげない。むくりと顔を上げて、にまりと笑った。


「うふふ。でもエルが来てくれてよかったわ……。私のせいで店が大変なことになっちゃって、本当にどうしようかと思ったの。最初は小さいし、大丈夫かしらと思ったけど、杞憂だったみたいだし」


 ありがとうね、と優しく口元を緩めた様が、普段とのギャップが強くて、こちらまでどきりとしてしまった。とにかく嬉しくなってしまう。


「いやあ、ほんと、猫の手でして」

「私、掃除って苦手なんだけど、エルが通ったところ、片っ端からぴかぴかになっていくのよね……。もう輝いてるっていうか」


 イッチたちが、視界の端でぴょんぴょんしている。プロのお仕事である。はは、と笑うと、「いざこざも少なくなったような気がするのよね」と不思議そうな声をストラさんは出していた。ははは。とりあえず、やっぱり曖昧に笑ってしまった。



 ***



 一週間はお店に慣れるまで時間が必要だった。ものの場所やらメニューやら、バッチリです、とまでは言い難いけれど、最初よりはずっとマシだ。お店のお客さんにも、名前を覚えてもらえるようになった。かららん、とドアベルが鳴る音がする。緊張感も、少しばかり抜けてしまっていた。だから聞こえた音に、何も考えず「いらっしゃいませ!」と笑って応対した。ロータスだった。


 ロータスはぐしゃぐしゃの頭のまま、じろっとした瞳で店内を見回している。鼻の頭に皺がよっていたけれど、不機嫌というか、もともとそういう顔なんだろう。

 しかし私の顔も、思わずと言っていいのか引きつってしまった。一日一回、この時間がやってくる。


 会いたくもない相手と、顔を合わせなければいけないのだ。

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