2 崖から落ちた
「あはははははは!!」
真っ白な細い指を彼女は口元につけながらも豊満な胸を震わせるようにこちらを見下ろしていた。背中には立派な魔族の羽。この世界には悪魔というものはいないけれど、まるでそれを思い起こした。曇天が、彼女を中心として渦巻くように暴れている。
金髪の美しい髪をなびかせて、彼女は真っ赤な瞳を少女に向けた。少女の隣には隻眼の男がいる。見れば片腕もなく、唇を噛み締めながら端正な顔を女に向ける。
二十歳の半ばを過ぎたころだろうか。露出の激しい黒のぴったりとしたドレスは、女の美しさをさらに引き立てていた。「なあに? 聖女? こんなおこちゃまが? 私を倒すって?」 ばかね! と女は少女をあざ笑った。爛々と赤い瞳が燃えていた。
「結子、祈りの力を……!」
「はいっ……!」
茶髪の少女が両手を合わせ、黒髪の隻眼の男にうなずく。彼女はこの国にはないブレザー服を翻した。それは五つ葉の国では聖なる服とされ、聖女の証ともされていた。女――――エルドラドは様々な悪を成した。人を憎み、混乱に陥れ、その様をあざ笑った。
結子の周囲に、多くの力が集まる。大地の、空の、精霊の力が。
エルドラドは舌を打った。けれどもそれは一瞬ですぐさま真っ赤な瞳と唇を緩ませた。「本当に、バカな子」 うっとりするほどの声だ。ぱちり、とエルドラドは指をならした――――
と、いうところまでがゲームで挿入されたアニメ画像である。
私は地面に寝っ転がって、空を見上げながら思い出した。背中の羽が少し邪魔だけれども、仕方ない。崖から落ちた一瞬こそ光り輝いた空だったけれど、今では変わらず曇り空だ。
「詐欺じゃん……」
私は静かに呟いた。
だって詐欺じゃん。現在の暦と、結子と呼ばれる少女が召喚されるまでの年を逆算してみると、だいたい三年。この八歳のぷにぷにボディが、あんなボンキュッボンに育つわけない。将来有望かどうかはわからないが、少なくともぺこちゃんボディである。
「いや、やっぱり気の所為、とか」
ゲームでの悪役に転生してしまった。なんてありえない。へらへら笑っていると、視界の右側にある半透明で真っ青なウィンドウに気がついた。もちろんこんなの初めて見る。
【名称】 エルドラド(8歳)
【スキル】 幻術 Lv.1、飛行 Lv.1、掃除 Lv.3
「…………」
ゲームのエルドラドの魔族としての固有スキルは幻術だった。先程回想していたアニメののちに、結子とエルドラドの戦闘モードに移り変わるのだけれども、あれはバッドエンドとなる負け確定のイベントだ。
結子はこの五つ葉の国のどこかにランダムに召喚されるが、各国にはキーマンとなるキャラクターが存在する。お相手役とするも、他の国に行って別のキャラを攻略することも自由だが、どこの国でも中ボスとなる魔族が配置されており、エルドラドもその一人だ。
けれども、なぜ彼女が最強ではなく、最恐、と呼称されるのか。エルドラドとの戦闘では、絶対に男性キャラを連れて行ってはいけない。先程のイベントはクラウディ国のキーマンである隻眼の騎士を連れて行ったときの記憶だ。彼女はその豊満なボディと幻術を使用し、男性キャラを操り、自分の味方にしてしまう。そうなるとエルドラドを倒すことなど困難となり、お相手として攻略していたはずのキャラに攻撃されゲームオーバーとなる、いわゆるトラウマイベントだ。
エルドラドを攻略する方法はただ一つ。結子のATKをとにかく上げて、物理特化にすること。そして聖女一人がエルドラドをボコボコにして倒すという、できなくはないけれども面倒くさいし、キーマンキャラのレベル上げすら無意味と化し、プレイヤーのやる気ばかりを削る『最恐』な嫌われキャラだ。
金髪赤目のボディコンキャラで小悪魔のような可愛らしい姿から一部の層の人気はあれど、あくまでもそれは外見のみだ。しかしその外見すらも、年齢を逆算するとおかしい。なんだやっぱり私じゃない、大丈夫、とぱあっと目の前が明るくなったとき、スクロールボタンに気づいてしまった。称号欄が表示されている。
【称号】 クラウディ国、最恐魔女『予定』のちびっこ
「そんな予定を強調しなくてもォ……!」
打ちひしがれるしかない。
ンンンン、と何ともいえない苦しみを胸に、ただただ呟いた。「詐欺だ……!!」 あの原作でのボンキュッボンな豊満ボディが十一歳とかそんな馬鹿な。異世界の育ちの良さがあるとしても限界がある。ならば可能性はただ一つ。すべてはエルドラドの“幻術”が為せる技だ。子供の体では舐められると能力を駆使して、大人の体を作り上げていたのだろう。
曇天を背に、あははと笑うぺこたんボディを隠すただのキッズ。想像すると胸が痛くなってくる。
「なんでまたそんなことを……」
ざわざわと揺れる木々を見上げながら、ため息をついての言葉だったけれど、案外想像は難くなかった。とにかく、彼女は人を憎んでいた。ゲームの設定では、エルドラドの村はすでに滅んでおり、復讐先を見失ってしまった彼女は暴走していたのだ。聖女と呼ばれ、人間の代表とされる結子の存在を知れば、背中にあるコウモリ羽で飛んでいったに決まっている。
もし私が記憶を蘇らせなければ、きっと同じようになっていた。こんなぼんやりと地面に転んで、あまつさえ足を湖につっこみ、ばしゃばしゃさせている暇もなく拳を握りしめて、多くの人間を恨んだ。
(腹が立つ、気持ちはあるけれど……)
私はすでにエルであり、ニホンでの記憶はおぼろげだ。けれど、憎しみを燃やし続けることがとにかく苦しいことは知っているし、彼女の両親も死んでいる。小さな村だから全員の顔は覚えているけれど思い出すのはときおり様子を見に来てくれた隣の家の夫婦とその子供のことくらいで、必死に苛立つ気持ちを燃え上がらせようとしたあとに、生きててよかった、とふと心の中で呟いてぼんやりと空を見上げるばかりだった。
「……逃げよう」
エルは家の中をぴかぴかにすることが好きだった、可愛らしくて活発な女の子だった。だからスキルにも掃除が入っている。記憶を思い起こして考えてみると、逆に私の記憶は蘇らなかった方が賢かったのでは? と疑問をいだく程度には頭もよかった。さすが最恐魔女の予定である。
幸い、あるのは小さな傷ばかりで動けないものはない。エルは一人で暮らしていたから、森の中の知識もある。飛行スキルは特に役に立つだろう。
「私は、復讐なんてしない」
あとボディコン服は絶対着ない。
むくりと起き上がって誓った。よくよく心の中を覗いてみると、やっぱりなんでと叫びたくなる気持ちはある。でも、その気持ちを抑えるお鍋の蓋くらい持っている。
ぴょんっ、と飛び跳ねたうさぎがいた。随分小さい、と思うと子うさぎだった。ちろちろと小鳥の鳴き声が聞こえて、ざわざわ葉っぱが揺れている。村の周辺の木々とは、そう違ってはいない。それなら距離もまだ遠くはなく、いつ彼らが来てもおかしくはない。「逃げなきゃ。とにかく、遠くへ」 落ちた魔族を確認すべく、村の大人たちは、すぐさま確認にやって来るはずだ。私の小さな体を探すために、くまなく捜索を始めるだろう。だから逃げなければいけない。
「原作でのエルは、どうしただろう……」
言葉にしたのは、自分自身を落ち着かせるためだ。飛行スキルを手に入れることができたのは僥倖だった。いや、そもそもこの体は魔力の才に溢れているのだろう。普通の魔族なら崖から落ちてすでにぺしゃんことなっている。
ところで先程からちらちら見えるゲームウィンドウがとにかく邪魔で、えいえい、と片手を上下に動かし左右に動かし、やっと消えた。見覚えのある半透明な窓である。あれはゲームの主人公、結子のみが見ることができるとされるスキルと称号の表示なのでは。
確かゲームでは異世界からやってきた特別な存在のみが見ることができる不思議な窓とかいう説明があったようななかったような。……深く考えることはやめよう。
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