36 雨待ち宿
エルマとエルって、なんだか似てるね、と彼女は自分と私をちょんちょんと指先で移動させて、にかりと笑った。
少しずつ雨が激しくなる。フードもすっかりとれてびしょびしょになってしまっているけれど、今更ながらに雨合羽を被り直した。見たところ、彼女たちは不思議な服装をしていた。いや、別段変わった服、というわけではないのだけれど、旅慣れをしているように見えるのに、濡れることにひどく無防備な姿だ。ひどくなる雨の中で、私は慌てて彼女達を家に呼んだ。彼らは間違いなく命の恩人なのだから、このままさようなら、なんて私の気が治まらない。
人が家にいるのは久しぶりで、なんだか落ち着かない。そわつきながらも、もっと掃除をしていればよかったと後悔したところでもう遅い。
エル達は気にしなくていいのにと困っている様子だったけれど、私にできる限りのおもてなしをさせてもらった。すっかりびしょびしょになった彼女たちを乾かすために囲炉裏に火を起こして、二人に布を差し出す。
そうだ、飲み物を出そう、と背中を向けてもう一度エル達を見たときには、すっかり乾いている様子で、あれ、と首を傾げた。「イッチ、ありがとう」とエルが小さくお礼を言った声が聞こえたきがしたけど、私と目が合うと、彼女は大きな瞳をパチッと瞬いて誤魔化したように笑った。
渡した布も、不思議と濡れてはいなかった。でも私達は、しとしとと外の雨の音を聞きながら、少しずつ話をした。エル達は彼女が始めに言っていたように、旅人だった。私は外の国からやって来た人のことを、初めて見た。だから互いに言葉が噛み合わないことがあったけれど、できる限り、私はこの国のことを伝えた。
エル達が生まれたクラウディ国は、曇り空ばかりだけど、レイシャンと呼ばれるこの国は、一日中雨が降っている。ざあざあと桶をひっくり返したような雨だととても安心する。なぜならモンスターが出ないから。雨は神様が落としてくださる、恵みの水だ。
それは、神の存在を知る恩恵の一つなのだ。
***
「はあー……。クラウディ国は水辺だとモンスターが出ないけど、レイシャンでは雨が降っている間はモンスターが出ないんだね」
つまり、雨がやむと危険ってことかあ、とエルはあんまりにも当たり前のことを呟きながら、手の中で湯呑を両手で抱えて、少しずつお茶を飲み込んだ。と、思ったらあちち、と舌を出して、ふうふうと必死で息を吹きかけている。隣ではロータスさんがぴくりとエルに視線を落としたけれども、ゆっくりとお茶を飲み込む彼女を見てそのまま自分は片手でお茶を飲んだ。
私にとって、当たり前のことでも、国が違えば常識が違うのだなあ、と改めて感じた。私からしてみれば、雨が降っていないときに出歩くなんて考えられない。その非常識をしてしまったから、私はさきほど命を落としかけたから、もちろん堂々と言えるものではないのだけれど。
「そう、だから今はちょっと心配かな。ざあざあって音がすると安心する」
「確かに今は降ってるけど、しとしと、って感じだものね」
でも水の匂いが落ち着くね、とエルは口元を緩ませた。
――クラウディ国は雨が降らない。
その代わりに、空は曇りばかりでみんな水場を探して旅をする。水は神様が忘れた贈り物のようなものだから、動物もモンスターも争うことがない、というのは私達の国、レイシャンと同じだ。差があるとすれば、レイシャンでは常に雨という名の水が降っている。だからモンスターの危険はないけれど、時折、雨がやむときがある。そのときはとても危険なのだ。
エルに歳をきいてみたところ、十歳で、ロータスさんは二十歳とのことだった。エルさん、と呼ぶと、エルでいいと言われたからお言葉に甘えることにした。三歳程度の差だけど、年下ということもあって私もそっちの方が呼びやすかった。
二人とも想像よりも少しだけ若かったのは驚いたけれど、彼らの関係は正直よくわからない。兄妹というには似ていなさすぎるし、クラウディ国から、わざわざレイシャンへ来た目的を尋ねてみると、特にあてがあったわけではないという。
不思議な人たちだなあ、と思った。こんな辺鄙な村に他国の人が来るなんて初めてのことだったから、勝手に私がそう思っているだけかもしれないけど。
「あっちち!」
考えている間に、さらにエルが涙目でピンクの舌を出した。寒いだろうと思って温かくしたつもりだったのだけど、熱くしすぎたかもしれない、と声をかけようとすると、「エル、落ち着いて飲め」と、ロータスさんが静かに呟いていた。やっぱり不思議な関係だな、と思った。
ロータスさんはまるでエルの保護者のようにも見えるし、違うと言えば違う。親と子はありえないとして、兄妹と考えるにはあまり似ていないし、やっぱりなんだか違うような気がした。私も兄がいるから、これはなんとなくだけど。
でも私が持つ疑問をそのまま問いかけるには無粋な気がして、そのまま言葉は飲み込むことにした。自分にも淹れたお茶をゆっくりと飲み込んで、囲炉裏を囲んで座りながら私は改めてじっとエルを見つめた。なんだか、ものすごく。
――かわいい子だな、と思った。
表情が、とか、仕草が、とかいう問題ではなく、とにかく外見が整っていた。レイシャンでも太陽はあまり出ることはないから日に焼けた人は少ない。かくいう私も、兄いわく肌が白い方だと言われた。けれど、エルはそれよりも更に肌は真っ白くて、なのに不健康というわけでもなく、不思議とぴかぴかしていた。
旅をしているから服はところどころ汚れている。なのに腰よりもちょっと短い髪の毛は金髪でさらさらしていて、ぱっちりした瞳はまつげだってすごく長い。小顔で、細い彼女の指先を見ていると、将来はきっとものすごい美人になるぞ、となぜだか勝手にどきどきしてきた。
ロータスさんもロータスさんで、髪の毛はぐしゃぐしゃで、一見怖い顔つきでも鼻筋は通っている男前だ。まったく似ていない二人だけど、不思議さだけでいうのなら、とてもよく似ている。
エルのことをまるでお人形さんみたいだ、と思って、こっそり、でもじっくり見つめていると、「はー……」と彼女は僅かに赤くなった鼻をすんとならしてへらりと笑った。
「あったかくなったぁ、ありがとう」
「えっ、あ、どういたしまして……」
私の反応を見て、うへへ、とエルは口元を緩ませた。顔と言動がちょっと合っていないような気がした。「熱すぎたかなって思ってたんだけど、ごめんね」「いやいや、私の飲み方が下手くそだっただけだから、ごめん、あったかくしてくれようとしたんだよね」 その通りではあるんだけど、そのものを言われると、なんだか照れた。ロータスさんも、静かにぺこりとこちらに頭を下げていた。
まともに人と話すのは久しぶりで、こちらもどう言ったらいいかわからなくて、くすぐったいのか、恥ずかしいのかよくわからない気持ちをごまかすみたいに、ぎゅっと湯呑を握りしめた。
「あ、えっと、その、雨が! もっとひどくなるまで、ここにいた方がいいよ!」
この国に住んでいれば、空の移り変わりは肌で感じる。そうしなければ生きていけない。雨が強くなるまで、まだ数日はかかるだろう。それまで、せめて村にいた方がいい。村の周囲には小さな川を作ってあるから少しばかり雨が弱まったとしても、森の中にいるより安全だ。
当たり前なことを言ったはずなのに、エルはきょとんと不思議そうに瞬いた。ロータスさんは眉間にシワを寄せたままで、特に表情の変化はないから、何を考えているのかもともとよくわからなかった。
「雨が、ひどくなるまで? 雨宿り、とかじゃなく……?」
「アマヤドリ?」
エルはよくわからないことを言った。聞いたことがない言葉だ。
雨がやむのを待つんじゃないの? と言われたから、やんじゃったら困るでしょ、と伝えると、なるほどと彼女は頷いた。
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