85 そして、魔族。無茶しやがって……。
「……え?」
いきなり、目の前に男が現れた。
――ヴェジャーシャ
その人の名前だ。ロータスの幼馴染で、クラウディ国で出会った最初の魔族。そして多分、私を捕まえようとしていた人。え? どちらさん? いらっしゃらなかったですけど? 瞬間移動のスペシャリスト? とイッチ達が困惑している。そして、『お魔族でいらっしゃる!!!』と、三匹の悲鳴が重なった。何しろ、瞳の色が真っ赤なのだ。
私を見ているのに、見ていない。不思議な瞳だった。困惑していた。だから、最初にしたことは、拳を握って、まっすぐに片腕を突き出した。なぜ私がこんなことをしたかとのちのち考えてみると、多分、戦闘態勢のつもりだった。ものすごく意味がない行為だったのだけれど、それだけ混乱していたということなのかもしれない。
何が来るかとびびっていたのに、ヴェジャーシャはふい、と視線を逸らした。まるでこっちなど、何も見えていないかのようで、それはそれで拍子抜けだ。彼はぼんやりと塀の外を見つめたままで、しゃらしゃらカンテラが揺れている音ばかりが響いている。なんだこの空気は。
私のこと、見えてます? もしかして見えていない? っていうか存在する? という疑問は果敢なるサンの行動にて全てが紐解けた。
――オラオラ、こちとら歴戦のお掃除スライムやぞ。魔族なんてなんぼのもんじゃい。
おいこらちょっとやめなさい、っていうかさっきまで結子に震え上がっていたくせにどうした。内弁慶な感じなのかねと「さ、サーンッ!!」と小声で叫ぶ(至難の業)を行いながら飛び出していったサンに向かって手を伸ばすものの、滑りのよいぷるぷるなお肌はあまりにも簡単に私の指をすり抜けていく。
ぷるんぷるんっ。
ぷるるん、ぷるんっ。
あいつやっちまったな。行っちまったぜと戦地に送られた仲間を見るようなコメントをイッチとニィが残しているのはともかく、サンはヴェジャーシャと呼ばれる魔族の前で、縦にバウンドした。余すところなく豊満なぷるぷるボディを見せつけている。ぼぼんぼよんぼよん。
縦のジャンプがだいたい青年の腰元ぐらいを複数回繰り返したところで、ヴェジャーシャはちらりとサンを見た。そしてまた元通りに夜景を見始めた。ちゃんと見えてる!!! と私とイッチとニィの意見が重なった瞬間である。それ以後もサンは頑張ってジャンプしていたのだが、スルーされ続けたため、心が折れて帰還した。
――サーーーンッ!!!
――無茶しやがって……。
――この、ぷるぷるボディを触らず耐えられるものがいるだなんて……。
背後ではサンが謎の吐血をするふりをしているけれど、スライムには血は流れていない。多分出ても水である。ではなく、(いや、サンが、見えてた……!?) それはそれで大問題だ。今現在、イッチ達は幻術スキルを使用して姿を見せないようにしているのに。念の為、スキルがオフになっていないか確認してみたけれど、イッチ達のステータスは、全て幻術中、と表示されている。
「なんで……」
呆然として呟いた。言葉が返ってくることを期待したわけじゃない。それに一つ、わかったことがある。彼は、私にまったくもって興味がない。
迎えに行くと言っていたから、次に出会ったときはどう対処すべきかと思っていた。でも、こちらに興味がないとなると、逆に大きく出ることができるというものである。
「あの、あなた、ヴェジャーシャさん、ですよね?」
いきなり呼び捨てにする勇気はなかったけれど、何かちょっと違和感がある。聞こえているのか、聞こえていないのかやっぱりわからないけれど、続けた。
「ねえ、私を迎えに行くってどういうこと?」
様々な色のきらびやかなステンドクラスから光が降り注ぐ中で、彼はそう言っていた。覚えてくれているだろうか。三年も前のことだ。やっぱりなんの返事もない。大丈夫だろうか。……生きているのだろうか? だんだん不安になってきた。ちゃんと息をしていらっしゃる?
ヴェジャーシャの口が、ぱくり、と開いた。おおっ、と私+スライム三匹は固唾を呑んだ。そしてそのまま閉じた。おお……と肩を下げる。と、思ったらまた口を開けた。テンポが死ぬほど謎。
「…………そう決まって、いるからだ」
でも話してくれた。は、話した……と、イッチ達と私、全ての気持ちが重なった。あまり人と会話をしないのだろうか。妙なところで区切った話し方だ。
それより、決まっているとはどういうことなのか。ヴェダーは私のスキルを未来視だと勘違いしていたけれど、それこそ彼がそのスキルを持っているのかもしれない。きっとそうだ、と思っていたけど、結子を見て、もう一つの可能性があることに気がついた。もしかしてなのだけど、「あ、あなたも、異世界人……とか?」
おそるおそる問いかけた。ちらりと瞳の端がこちらを見ている。どんな表情をなさっているのか、とイッチ達と一緒ににょいんと体を曲げて覗くように確認してみると、眉間には変な皺ができていた。明らかに何いってんだこいつは、という顔であった。よし、さっきの言葉は忘れてくださってかまわない。自分でもさっきの問いかけは忘れることにした。何事もなくリトライ。
「あの、でも決まっているって言っても、私はあなたのもとには行かなかったけど。でももう、どうでもいいの? いいってことだよね?」
過去には興味がないということなのかもしれない。今度こそ、ヴェジャーシャは沈黙した。だめだこりゃ。いやしかし、ここで逃がすつもりはもちろんない。少し迷っていたけれど、逃してしまうよりもずっとマシだ。私はすい、と息を吸い込んだ。そのときだ。
「ヴェジャーシャ様」
一人、少年が闇の中から現れた。どこにいたというのだろう。察知スキルを使えば、少しはこちらも反応できていたかもしれない。今更だけど、慌ててスキルをオンにする。この少年は初めて見る。なのに、どこかで見たことがあるような気もした。赤髪で、矢筒を背負っている彼の瞳も暗がりの中でもよく見える。赤い色は、魔族の証拠だ。
ヴェジャーシャの仲間であることに間違いない。
彼は私の姿を見て、ちらりと視線を投げた。ヴェジャーシャよりもずっと人間味のある瞳だと思ったけれど、ヴェジャーシャの生気がなさすぎるのだ。その割には銀色の髪は夜の中でもきらきらと光り輝いていて、風の中にたなびかせている。
「見つけました。こちらに」
持っていたのは土サソリの残骸だ。魔物は死んでしまうと、少しずつその体を消していくから死骸は残らないのだけれど、今は消えている最中なのだろう。片手のハサミだけを残して赤髪の少年の手の中からぷらりとはみ出ている。
(土、サソリ……?)
彼らはそれを探すために、カーセイに侵入したのだろう。ハッとした。
土サソリは、ゲームでは自然と生み出たモンスターだと思ったけれど、あまりにも整然と列をなして、計画的にカーセイを襲撃したことは間違いなかった。つまり魔族の手によるものだと思っていたけれど、おそらくなんらかのスキルや道具を使ったのだろう。見つけたのは、ロータスが倒した一匹だ。その土サソリが、全てのサソリ達を操っていた。
――なんで、そんなこと
問いかけたところで、決まっていることだから、と言うのだろう。
まるでゲームの物語に沿うように、ゲームを形づくるように、ヴェジャーシャ達は動いている。
ついさっき、結子と対面していたときのように、胸の中がむかむかしてくる。私って、こんなに怒りっぽかったかな、となんだか変な感じだ。
「決まってるから、ヴェルベクトの街も、カーセイも、私の故郷も襲ったの? なんなのそれ!」
「ヴェジャーシャ様に答える義務はない。お前が出る幕もないことだ」
返答したのは、赤髪の少年だ。幼い顔つきのように思えたのに、案外声が低くて驚いた。もしかすると、私の想像よりも年は上なのかもしれない。少なくとも、ソキウスよりは上だろう。
「決まりきっている物事に、お前がわざわざ口にする必要などどこにもない。全ては僕達が終わらせる」
「マルク」
ヴェジャーシャは静かに少年、いや、青年に声をかけた。マルクと呼ばれた赤髪の彼は、すぐにそこで言葉を止めた。はい、と殊勝に返事をして頷く。それから目的は達成したとばかりに二人は背中を向けた。いやいや。
「ま、まだ何も聞いてないから!」
そもそも、決まっていることなんてあるわけない。たとえこの世界が五つ葉の国の物語なのだとしても、ロータスの物語はすでに本筋からそれてしまっている。いや、本筋がどうだと考えることすらも、本来はおかしい。彼の人生は一つきりなのだから。だから、息を思いっきり。
息を、吸い込んだ。そして。
「ローーーーターーーーーースッ!!!!!!!」
大声で叫んだ。もともと、彼とは合図を決めていた。
本来なら、結子との話し合いで使う予定だったものだけど、そんなの関係ない。ロータスは、私達の会話が聞こえない場所にいるけれど、大声を出すのなら話は別だ。名前を呼んだら、彼はまるで飛んでくるようなスピードで駆けつけてくれる。それこそ、一瞬の間だった。
ロータスとヴィジャーシャは幼馴染だ。そして、ロータスはずっと、彼を死んだものだと思っていた。覚悟もなく、いきなり出会ってしまうことでロータスの心情を危惧していたけど、そんなの余計なお世話というものだろう。少なくとも、今逃げられてしまうよりもずっといい。
ロータスという隠し玉がいるからこそ、私は結子とも、そしてヴィジャーシャとも余裕をぶっこいて会話をしていたという次第である。いやもちろんイッチ達がいてくれたからでもあるけど。
足元を見てみると、フォンフォンと言いながら謎に体を揺らすスライム達は、最近新たなスキルを得たらしい。秘技バリア。光速で体を揺らすことできた衝撃全てを返すソニックウェーブとなりそれを身にまとって……いやなにそれ。ニィが現在進行系でイッチのスキルを解説してくれてるけどなにそれ。なぜ私よりも役立つものをいつの間にか修得しているの。
「……エル、なにやってんだ?」
なぜそのバリアを結子に出さずにふるえていらっしゃったの? とイッチ達のほっぺ(らしき場所)をむにむに伸ばしている間に、敏捷値が高すぎるロータスである。どこからやってきたのか謎の場所から見事に片足で着地し、こっちに疑問を投げかけてくる。
えっ、ロータス空から来た? と純粋な疑問で目(らしき場所)をぷるっぷるにしているサンはとりあえず置いておくとして、「どうだったんだ」 問題があったのか、どうか、という問いかけだ。見たらわかりますとも、問題は、オオアリです――と、視線を見回してみても、誰もいない。
察知スキルにも、もちろんひっかかることもない。
「ん、ンーーーーッ???」
「なんだよ」
たしかに、イッチ達をかまってしまったからずっと視線を向けていたわけじゃない。油断していたといえばそれまでなのだけれど、それも二人が目前からいなくなるほどの時間ではなかったはずだ。どこをどう確認しても、昼間の残骸で土だらけになったレンガの上には、誰の姿もない。残っているのは、さっきまでたしかにそこにいたという足跡ばかりである。
「アッレェエ……??」
「いやだからどうしたよ」
「ものすごく、色々あった、んだけど……」
結子との会話を含めて、少なくとも、この三年の中で一番情報量が濃かったような気がする。でもその割には、雲を掴んでいるような感覚というか。あるのに、まったくないというか。
一体、ロータスにどう伝えたらいいものかと唸ってしまった。
***
そんなこんなで、私が新たな疑問やら、困惑やらを抱えていたとき、とある街の路地にて一匹、ねずみ色をした猫がぴょこりと顔を出した。一面グレーの体だけれど、お腹だけは真っ白い。尻尾は随分、かぎしっぽ。それから――真っ赤な瞳をしている。
「うんにゃ」
猫はあくびを一つして、首を振りつつ人間達の会話を耳にした。なんでも、ここから数日程度の都にて、土サソリが出たらしい。土サソリ。見たことはないけれど。
「それっておいしく食えるのかにゃ?」
その場にいた人間は、ふと周囲を見回した。どうした、と声をかけられる。「いや、今なにか、すぐ近くで声が聞こえたんだが。子供の声のような」「俺達しかいねぇぞ。何言ってんだ」
そうだよなあ、と頭をひっかく男の足元を、ねずみ色の猫が悠々と通り過ぎて行ったのだった。
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