86 ターニングポイント

 

 猫はするりと通り過ぎるふりをして、ぴくぴく耳を動かしつつ、人間達の会話を盗み聞いた。

 土サソリが出た都の名前は、カーセイというらしい。ふうん、と尻尾を揺らしてみる。目の前には太った男が一人と長い男がもう一人。

 商売人らしく、互いの情報交換といったところか。しかしある程度の顔見知りらしく、気安い口調で話し合っている。


「土サソリなんて珍しいが……そうか、そういやこないだ大雨が降ったなあ」

「珍しいなんてもんじゃない。一匹二匹じゃねえんだ、もう都の周囲、一面に広がるくらいだったと」

「一面に!? そりゃ被害も随分だっただろう」

「それがな、一人も死んでねぇんだと」


 一人も、と太った男は大きな腹に手を当てて、体ごと驚かせた。

 にゃお、と猫のしっぽがぴろぴろする。


「そんなに『小太りめな体で』驚くなよ」

「驚くだろ。だってそんな、一人もなんて……いやお前、今俺のこと小太りって言ったか」

「言ってねえよ」

「言っただろ! このやろう! 小太りなんてちょっとマイルドな言い方しやがって! 『このデリカシー3め!』」

「そこはゼロじゃないのか!?」

「いきなりなんだよ!」


 にゃおにゃお、と猫のしっぽが動いている。すると不思議なことがおきる。互いの会話に、別の言葉が加わる。なんのこっちゃ、と首をひねる男二人を見て、猫はケタケタ笑った。おおよそ、猫らしからぬ笑い方である。このやろうこのやろうと揉め合う男達を見るのは楽しい。


「お前はいつも言うことが大きいんだ! 一人もいねぇなんて嘘にきまってら!」

「嘘じゃねえよ! 金髪の変な子供がいたらしい。見かけは可愛らしかったが、妙なことをして土サソリを撃退したとか」

「どんな」

「忘れた」

「ばっか!」


 猫がしでかさずとも、もともとそういう掛け合いをする男達だったのかもしれない。にゃあにゃあ、と猫は小さな手足をスタンプ代わりに土の上に足跡をつけて消えていく。もし男達がその瞳を見ていたら、あっと驚いていただろう。赤い瞳は、動物も人間も関係なく存在しない――魔族以外は。


「金髪の、へんにゃ子供かぁ」


 見かけは可愛らしい、ということは女の子だろうか。わからないけど。“彼女”の記憶の中にいる少女と、少しだけ重なった。この広い世界の中だ。まさか、そんなわけないにゃ、と思いつつも、そうだったら面白いのに、と考える。どうせ根無し草だ。なんの目的があるわけじゃない。気づけばしっぽがぴろぴろと動いている。


 一面ねずみ色の体だけど、お腹だけは真っ白、と思いきや、振り返ってみるとお尻の毛も真っ白である。ふりふり尻尾と一緒に揺らしつつ、ぴょんっと彼女は軽やかにジャンプした。

 ――猫ちゃん、と幼子が彼女に対して指をさす。親が振り返る頃には、とっくの昔に豆粒になって屋根の上に消えていく。


 それはまるで背中に羽が生えているような仕草のようにも見えた。




 ***




 私はその場でロータスに全部を告げた。自分一人だけで抱えるには重たすぎたし、どうせイッチ達も知っているのだ。我らのボディに興味を持たぬ銀髪許すまじと震えていた。そこはよろしい。

 ロータスといえば、噂の幼馴染がすぐ近くまで来ていたのだ。驚きもするし、困惑もするだろうと思ったのに、「そうか」と一言だったことは意外だった。でもその一言の中に、多くの感情が詰まっているののだろう。


 ――夜のカーセイに、魔族が侵入していた。


 それは、大事件なのではないだろうか。一夜明け、ヴェダーの元に向かい、告げるべきだろうと思ったのだけれど、どこにいるのだろう、と考えた。とりあえずイッチ達は土サソリ退治の弊害である塀の泥掃除に一足先に出動してもらい、ロータスもその付き添いである。デッキブラシを抱えていたロータスはそれはそれで様になっているような、そんなことはないような。


 興奮に体の中の泡をポコポコさせるイッチ達に、やりすぎないでねとハンカチを振って見送りつつ、まずは可能性が一番高い場所を探してみるとドンピシャだった。塔の中心部にある、世界樹の間にヴェダーはいた。


 モノクルの縁を指で持ち上げつつ、難しい顔をして手紙のような何かを見つめている。


「あのー……」

「……ああ、エルですか」


 声をかけて、やっと気がついたらしい。


「水膜球の修理は終わったんですか?」

「もちろんですとも。最優先事項ですからね。主塔様がいらっしゃらない分手間取りましたが、日が沈む前には終わらせましたよ。壊れたままでは命取りになりますから」


 土サソリの襲撃で、街を覆う水膜球の一部が壊れてしまったのだ。自分の眉が、少しだけ深く皺を刻んだことに気がついた。そうですか、と言葉を落としながら考える。いや、と顔を上げた。まずはヴェジャーシャ達が忍び込んでいたことについて伝えることが先決だ。


「あの、昨日の夜のことなんですけど……」


 と、ここまで伝えたとき、私の中のスキルさんがピコンッ! と音を鳴らした。先日結子との対談のため、根性で修得した察知スキルである。何かが私に近づいてくる、とわかると反応するとではまた話が別である。「見つけたわよぉーーーー!! オンラーーーーーエルドラドォーーーー!!!!」 激しい結子の叫び声が聞こえた。気合の一発。振り向いた瞬間、私の顔に何かがへばりついた。


 意外といい肩をしている結子が思いっきり振りかぶったそれは、くるくると空中でいい感じに回りつつ、奇跡的にも勢いよく私の顔面にくっついた。「こ、これは……」 温かなにゃんこのお腹……。


 ふわっとてさらさらで、ほかほかしていて、にゃごにゃごいいつつ両手を必死に伸ばしてくっついてくれている。尊み。


「いやいきなりなんなの!?」


 幸せすぎて一瞬意識が飛ぶかと思った。あぶねえあぶねえ、と猫さんを顔面から引っ剥がし抱っこすると、テイマースキルもオンにしていたためが、『おっとねぇちゃんその持ち方ナイスだぜ、アッ! イヤッ! そんなとこ触っちゃイヤッ! 猫としてのプライドがッ! こんな会ったばかりのおガキ様にお、おいらの何かわかるって……アアッ! 最高だよぉ!!』とびくびくしている。ここか。ここがええのんか。


 私がもしゃもしゃ適度に猫さんをいじりつつ、そろそろ解放してやろうかと足元に下ろすと、結子はふひひと口元に笑みを載せていた。「……嫌でしょ?」「フォ?」「嫌で、たまんないでしょ?」 謎のお言葉。


「ハッ! 私が知らないとでも思った!? ファンブックに記載されてたんだから! エルドラドの弱点は、猫だってねッ!!! だから主人公が猫さんワンドを装備していると攻撃力がいつもよりも若干上がるのよ! ゲームじゃさすがに生猫を持っていくことはできなかったけど、現実は違うわッ! ナバリに捕まえさせたからまだまだいるのよ!!」


 どこからか取り出したのか謎の猫達を結子は次々突進させる。具体的にはマタタビを私に向かってぶん投げて、なにそれ最高と飛び出すにゃんこ達の中央で腕を組んでいる。ボス感がちょっと強め。ドドドドド。


 私の周囲はいつの間にやら猫ちゃんパラダイスに成り果てた。というか、ナバリさんに何をさせているのか。今頃死んだような瞳でどこかに座り込んでいる姿が目に浮かぶ。だいたい結子のそばにつくようにしている彼だが、メンタルの上限値を突破すると真っ白に灰のようになって一人で静かに佇んでいる。実は私の鑑定スキルでHPとMPを見ることができるのだけど、ナバリさんは常にMPが枯渇気味であり、精神へのダメージを自身のMPで補っているらしい。彼の精神力は常に問われている。


 ではなく。


「オーッホッホッホ!! 嫌でしょ!? 最悪でしょ!? 街から逃げ出したくなったでしょーーー!!?? これから出会う度ににゃんこを投げつけてあげるからね!?」


 なるほど。結子の作戦的には私を追い出せないなら自発的に出ていくようにとしむける作戦とのことか。中々策士である、と見せかけてそこにあるのはただのパラダイスだった。エルドラドって猫が苦手だったねというか、そういや村にいたときは猫は見なかったので、街に出て初めて見たと言うか。


「……いや何してんのよ。なんで猫だらけの中でまったりうっとり地蔵ポーズしてんのよ」

「とても最高」

「なんでよぉーーーーー!!!?」


 先見の鏡越しに見た光景で、レベルが低いはずなのにエルドラドをぶったおしてやんぜと意気込んでいたのはこれがあったからなのかもしれない。テイマースキルの威力に改めて驚きつつ、崩れ落ちる結子を見てこめかみに若干の血管を浮き出させながら、「静かになさってください……」とヴェダーはプチッと切れる一歩手前であることに気づいた。意外と一番短気なのはヴェダーであることが最近なんとなくわかってきた。


「アアアア、ついでにソレイユにいるんだから猫型魔族のピアを仲間にしてエルドラドをボコボコにしてやろうと思ったのにィイイ」

「えっ、ピア? あっ、ごめん」

「何をいきなり謝るのよ」

「レイシャンにいたとき、ピアの人間不信になるきっかけにちょっと手出ししちゃったから、ソレイユにはいないかも……」


 ピアとはねずみ色をしたつるつるな毛が素敵な猫の魔族である。あまりないことだけれど、人間以外も魔族になることがあるのだ。ソレイユにはキーマンキャラであるヴェダーの他に、エルドラドと同じように中ボス的な存在……だけれども、さすがは一番ルートとしては簡単なソレイユなので、戦わずに仲間になる方法も存在する。


 ピアはもともとレイシャンで生まれた。けれど魔族になってしまったとき、飼い主の女の子と離れ離れになってしまったのだ。ソレイユルートはクラウディ国ルートとは違ってやり込んでいたため、過去の出来事の場所も、時間もある程度推測できた。なので、ちょっと、まあ、手を出した。でもピアは気分屋で、いたずら好きな猫であるので、覚えたばかりの人語を操り、それじゃあにゃあ、と消えてしまったのである。私も達者でなと見送った。


 レイシャンには嫌な思い出があるとソレイユに渡るはずのキャラだから、もしかすると未だにレイシャンでまったりうっとり尻尾をゆらゆらしているような。


「なんでなのよぉーーーー!!!!」


 まるで膝カックンでも後ろからされたのかと思うくらいに勢いよく結子は顔面を押さえながら崩れ落ちた。めっちゃごめん。まさかエルドラド退治の切り札にしてようとは。


 そこですでに背後でガチギレ気味なのがヴェダーである。「あなた方。ここは世界樹の間なのですよ……」 声が低いし我慢しきれていない口元がぴくぴくしている。結子さすがにちょっと黙った方がよいと思われます。というか今あなた方と言われたので静かに勢いよく口を閉じた。猫達はいつの間にか去っていった。


 うぇんうぇんとさめざめ涙する結子に向かって、ヴェダーがずんずんと進んでいく。思わず彼らの間に入るべきなのか、結子さんちょっと落ち着いてくださいなと慰めるべきなのか葛藤した。しかし敵(仮)である私に慰められてさらなる滂沱する彼女を想像する。ここは見守るべきなのだろうか……?


 多分どこかで灰になっているであろうナバリさんを探し出して連れて来た方がいいかもしれないと決意したとき、意外なことにも、静かにヴェダーは結子の前に座り込んだ。「うう、イケメン……」 勢い余ってちょっと鼻水が出ている彼女なのだがぶれない。「ありがとうございます」 そしてヴェダーは普通にお礼を言った。なんだこの会話は。


「あなたに、伝えるべきことがあります。先程、枝を通して文が届きました。あなた一人では、到底抱えきれない内容だ。ナバリ聖司祭を呼んで来てくださいませんか」

「……え……?」


 結子は顔を上げつつ、ずずっと鼻水を吸い込んだ。そのときだ。

 大きく、大地が揺れた。


「えっ、え、地震……!!?」


 ガタガタと視界が上下に揺れる。懐かしい、と感じるのは日本人的な感覚だった。この世界には、地震なんて存在しない。だから、“地震”という言葉さえもない。ヴェダーは呆然として世界樹を見上げていた。わさわさと枝と一緒に葉っぱが揺れる音が聞こえる。私は即座に頭を覆って丸くなった。


 ほんの数秒のことだったけれど、ここは塔の真ん中だ。魔道具の力を使っていびつにそびえ立っている塔だからいらぬお世話かもしれないけれど、万一がなくてよかった。と、思いつつやっぱり今すぐ外に出た方がいいかもしれない。地震に対するマニュアルなんて、この世界の人が持っているわけがない。揺れが収まったことを確認して、即座に立ち上がった。結子は私と同じく、未だに丸まっているままだ。


「ヴェダー! 外の様子も気になるし、外に行こう! 昨日の後片付けで塔の中にはほとんど人もいないよね? その人達にも伝えて、早く!」


 今、この塔には主塔がいない。本来なら存在するはずのキャラクターでリーダー的な存在で、とにかく頼りになる人なのに。外の建物の様子もそうだけれど、地震を経験したことのない人達なのだ。きっとパニックになっている。考えるほどに、悠長にしている場合じゃないと気づいていく。


 こんなときに一番に冷静に対応するはずのヴェダーは、顔面を蒼白にさせて、瞳をあらん限りに開いていた。唇が静かにわなないていた。こんな表情、ゲームでも、今でも初めてで、ただ、地面が上下に動いたから驚いた、というふうには到底見えなかった。彼は、私が知らない何かに驚いて、怯えている。


「……ヴェダー……?」


 よくないことがおきるような気がした。それこそ、たくさんの土サソリがやってくるような、それよりも、ずっとよくないことが。けたたましく扉が叩かれる音がする。ヴェダーは勢いよく右手を薙いだ。「うわ、は、わあ!」 一瞬にして世界樹の間に入る扉が消えてしまい、扉を叩いていた主は強かに地面に顔を打ち付けた。


 けれども、地面には短い草花が生い茂っていたから、大して痛くはなかったかもしれない。「う、う、うぐう」と唸っているのは、いつもの元気な門番のお兄さんである。「ではなく!」 勢いよく立ち上がった。「ヴェダー様!!! 大変です!!!」 必死の表情だった。


「た、たいへんで、大変で、大変が!」

「早く言え!」


 あまりの混乱に舌の回らないお兄さんに、いつもの余裕すらも消してヴェダーが言葉を被せる。お兄さんは、ごくんと唾を飲み込んだ。頭に乗せていた帽子はすっかりずれてしまっている。お兄さんは泡を食ったような顔のままで、幾度も言葉にならない口をぱくぱくとさせた。そして、やっとのことで声を出した。


「ヘイルランドが、大勢の兵士を連れて、攻めて来ました……!!」


 そのとき、悲鳴を上げたのは私だけではなかった。結子ですらも驚きに瞳を大きくさせていて、「なんで!」と大声を出した。


 風なんて、どこにもない。なのに、ざわざわと世界樹がまるで揺れている。世界がおかしく変わっていく。


 ――決まりきっている物事に、お前がわざわざ口にする必要などどこにもない。全ては僕達が終わらせる


 これが決まっているということなのか、どうなのか。わけもわからず、気づけばへたり込んだままに、拳を握りしめてた。(ロータスは、今……) どこにいるんだろう。イッチ達も一緒にいるはずだ。もう、塀にたどり着いているだろうか。ただ、彼らのことばかりを考えた。そうすることしか、できなかった。

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