87 ヘイルランド
「暑すぎる」
と、苛立ちのままに声を落としたのは、二十歳を過ぎたばかりの青年だ。ソレイユには似つかわしくないほどの白い肌で、軍服のボタンをきっちりと首元まで止めている。分厚い布地の服を着ているからか、まるで女性のような線の細さだ。端正な顔半分を長い前髪で隠している。
船に乗り、海を越えた。そして陸に上がった途端どうだ。男はいらいらと前髪をかきあげた。何分、彼の国は年中雪の帳に覆われている。彼とともに海を渡った、多くの兵達を代表する言葉でもあるのだろう。辟易とした空気が流れている。
しかし彼の隣に立つ、黒い眼鏡をかけた男はへらりと笑った。
「スノウ様、そんな暑っ苦しい服着てりゃあ、そりゃそうでしょ」
スノウと呼ばれた彼はじろりと男を睨む、が、まったく気にしてない様子で黒眼鏡は自身の眼鏡の縁を楽しげに触っている。その服装はスノウと比べ、軽装だ。エルが見れば、『アロハシャツの常夏感がすごいやつ!』とコメントをするかもしれない。
スノウはこの男があまり好きではない。どちらかと言うと嫌いだ。嫌悪の対象ともいえる。なぜ、王は彼を共に連れて行くことを許可したのか。理解はしているが、納得はしていない。
「……それになんなんだ。その馬鹿な眼鏡は」
「え? いいでしょ? サングラスっていうんすよ。常夏のソレイユに行くってんですから、ヘイルランドの技師達に要望を伝えてみましたところ、特急で作ってくれやした」
「そういうことを聞いているんじゃない」
なぜそんな馬鹿のようなものをかけているかと問いかけたのだが、この男にはまるで通じていない。
「しかし、特急なのはサングラスだけではなく。世界樹の枝で文を伝える前に向かうとは、中々の不意打ちっぷりですな」
「……昨日今日の話ではない。匂わす程度のことはさせてもらった。そうでもないと、他の葉からの追及から逃げられない」
口調を苛立たせながら、スノウは首元のボタンをはぐり取るように外しつつ、ついでに上着も脱ぎ捨てた。彼の近くに備えた兵士の一人が慌てて群青色の軍服を受け止める。
「このことで、残り二つの葉に結託されては敵わないからな。――クラウディ国とレイシャン。二国が手を結ぶ前に、僕が叩き落とす」
「はっはあ」
ぱちぱち、と黒眼鏡は陽気に手のひらを叩いている。「……馬鹿にしているのか?」「ひえ、まさか! すっばらしいと思っただけでして」 素っ頓狂な声を出して、男は首を振った。
「いやいや素晴らしい、その意気です。あたしはねぇ、どうしても我慢にならんことがあるのです。“あいつ”が、この世界の中心にいるっつうことが、辛抱たまらんのですわ」
快活な言葉の裏にはにじみ出るようなほの暗さを抱えていた。もちろん、スノウにとっては男の戯言など興味もなく、すでにその耳に入ってはいない。男自身も、それに気づいてはいる。だからこれは、ただの独り言だ。
「だから、あたしは人間相手でも、なんでも協力しやす。プライドなんてくそくらえってなもんで。ぜひとも、この国を落としてくだせえ。その次はレイシャン、クラウディ国にでもなりますか? 全ての国を、手に入れやす」
そうすれば、“あいつ”を殺しやすくなるってもんで、と笑う男は、ちらりとサングラスをかけ直した。ぐしゃぐしゃの、腰まである髪の毛だ。男は黒眼鏡――サングラスを、わずかに持ち上げた。この国を直接この目でたしかめたくなったから。
“赤”い瞳を、彼はすがめた。さて、どう攻め入ってやろうか。
***
「犯人はシャングラーーー!!!」
と、頭を抱えて崩れ落ちる結子に、いやさすがにちょっとなんなのよと私とロータス含め、大勢の視線が集まる。すでにナバリさんは死んでいる。
ヘイルランドが攻め入ってきたという情報を知るやいなや、ヴェダーは多くの兵士に伝令を飛ばした。地震――という言葉はこの国にないから、まずはただの仮名になった――の、被害の確認も必要だと都中の確認に、まずは半日を費やした。
都全体は塔を中心に倒壊を防ぐ魔道具が張られているため、被害が何もないことは行幸だった。
ヘイルランドの兵達も、まだ目前で確認できる場所までは来てはいない。万一に備えて海岸に設置された魔道具が、侵入者の存在を示していたのだ。画像までも送られるすぐれものであるため、船につけられた国章でヘイルランドの軍船であることがわかった。それもすぐに攻め入る様子はないようだけれど、いつまでということもわからない。
一方的にこちらに向かってくる前に、まずは申し開きがあるはずだ。その前に現状と把握とばかりにロータス、私とヴェダー、ついでにナバリさんと結子が魔道の塔の一室に集められた。
というか正直なところは、確実に何かを知っている結子から情報を吐き出させようぜの会である。そして冒頭だった。
「犯人はシャングラーーー!!!」
誰も反応しないため、結子は二度目を叫んだ。シャングラって誰だったかなと記憶を頑張って遡らせる。「……ウェイ系なヘイルランドでの魔族役?」「そう、それ!!!」 そこで話が通じるのは私と結子だけで、周囲の方々はなんぞそれの顔である。一応姿を消したままのイッチ達ももちろんいるので、ウェイウェイ? ウェーイ? と腕をにょいにょいしていた。
「ヘイルランドが、ソレイユに攻め入ってくるイベントはたしかにあるの! シャングラが王様をそそのかして、鞭がとても良く似合うヘイルランドお相手キャラのスノウくんを連れてくるんだけど!」
情報量が多いので、ヴェダーは無の顔をしている。
結子さん、もうちょっと削ぎ落として。
「でもそれはもっと後の時期のはずっていうか。こんなに早くないから、すごく、おかしい……」
どんどん結子の声が小さくなっていく。
ヘイルランドが攻め入ってきたときいたとき、なんでと結子が言っていた理由がわかった。ちょっとおかしなニュアンスだと思ったのだ。なんでやってきたんだ、という驚きじゃなくて、もっと違う驚きというか。来ることは知っていたけれど、想定外なことだったらしい。
でもそんなルートがあっただろうか? シャングラは知っている。ヘイルランドは一番難易度が高いルートだったから、エルドラドなんて目じゃないくらいに彼を倒すには苦労した。なんせ、能力すらも不明なキャラクターで、なんの攻撃をしても通じない。倒すことが目的じゃなくて、ターン数を稼いで主人公パーティーが生き残っていることが勝利条件になるイベントも多かった。とにかく防御に割り振るしかないのだ。攻略は見ない派だったので、気づいたときは詐欺だと思った。
そんなシャングラ、大団円イベントでは聖女と手を結んで、全ての国を取り持つ架け橋の一つともなる。魔族の国にも色々あって一筋縄ではないから、彼の敵である魔族の主を倒すために、人類全てが手を結ぶのだ。敵の敵は敵ということである。格言と違うぞ。
プレイしているときは深く考えはしなかったけど、ようは魔族の国も手に入れるための足がかりになっていたから、やっぱり人々が手を結ぶきっかけは欲なのよねとむなしさを覚えていたとき、「これ、隠しルートに行ってる!!」と結子が主張していた。隠しルートとは。
「……エル、解説してください。彼女の言葉は私には難解すぎる」
なぜ私がこの場にいるのかという理由がはっきりした。結子の翻訳係である。複雑すぎる。しかしこの場で結子の主張を理解できるのは、たしかに私だけだ。
「……結子、いや聖女さんは、私よりも高性能で先々の未来を見通す力があるんですけど、いくつかのパターンがあって、どれになるかわからないといいますか。そのパターンのことをルートと言って、隠し、というのは行き着くはずの可能性がより低かったパターンに突入しているといいますか」
「……なるほど」
ナバリさんとロータスも頷いている。なんだこの状況。
集められた部屋は、本来なら賓客をもてなす際に使われる場所なのかもしれない。現実から逃げるためか、結子は豪勢なソファーにぼふぼふを繰り返し始めた。イッチ達も、お手伝いしますると突入し始めたので、多分彼女の想像以上に跳ねている。「めっちゃ跳ねるんだけどこのソファーおかしくない」 バウンドしているのはソファーではないからね……。
「結子、現実から逃げないで。隠しルートって、以前に言ってた神様ルートのこと? 五つ葉の国の物語でも、ヘイルランドが攻めてくるんだね?」
ロータス以外の事情を知らない人たちが、五つ葉の国? と小首をひねっているけれど、気にしている場合ではない。泥団子作戦ののちに、塀の上に呼び出された私に結子が語っていたことだ。全てのルートをクリアすると、新たな選択肢が生まれる。その選択肢を選ぶと、隠しルート、トゥルーエンドが始まる。結子は知らずにその選択肢を選んでいたということなのか、それとも私や、結子という異物が入り込んで、物語が狂ってしまったのか。
(覚えは、ある……)
クラウディ国でもそうだった。私という存在がいたから、物語の到来が早まった。なんにも進歩していない自分に気づいて、きつく拳を握りしめた。今度は、もっと多くの人が関わってくるのかもしれない。
「……そう。ヘイルランドが攻めて来て、もうどうしようもなくなって、主人公も、みんな手も足も出せなくなって、そうだ、そうだよ!」
自分の言葉にハッとして、結子は顔を上げて、両手を叩いた。「ループすればいいんだ! ヘイルランドが来る前に!」 隠しルートに行き着くと、聖女は記憶を引き継いで、セーブしていたポイントまで巻き戻ることができる。そのために結子はそこら中で不思議な動きをしていたのだ。
「先見の水! 持ってるでしょ、渡して、早く!」
「え、あの」
「くれるって言ったじゃん!」
言ったかな? 言ったね、と自分自身の記憶を遡らせた。返して、という彼女に思わず頷いてしまったけど、改めて考えるとなんだか躊躇してしまう。「え、う、と……」 先見の鏡から溢れた水は、瓶に溜めて部屋の中に置いていた、のは以前までの話で、昨日結子の話を聞いたあとで、そのままにしておくのは不安だったので、と背中の鞄の中に入れてきたのだ。
視線をうろつかせた私を見て、しゅぴんと結子は瞳の端を輝かせた。「ここだぁーーーー!!!」「ひええ!」 荷物の中から素早く瓶だけ引き抜かれた。そんな動きができたのかと驚く間もなく、「へいッヤーーーッ!!!」 猫を投げたときも思ったけれど、結子の肩は想像以上にとてもいい。特技が投球って乙女ゲーのヒロイン的にどうですの? と突っ込む間もなく、瓶は激しく壁に叩きつけられ、甲高い音を立てつつ本来の役目を終了させた。
綺麗に張られたクロスはびしゃびしゃになってしまって、床には水が滴っている。長い間があった。結子は投球スタイルのまま固まっている。そして恐ろしいほどの冷たさを感じた。ヴェダーだった。彼の怒りが冷気を放って私達の体温を急激に下げてきている。
「な、なんで、なんで、何も起こらないの……!!?」
「ぶっとばしてしんぜましょうか」
「ヴェダー様、お怒りは、ごもっともなことです! 申し訳ない、うちの聖女が申し訳ない!」
「ナバリ聖司祭、ただ私は彼女をぶっとばすだけですので」
「ただって言葉ですまされない内容だよヴェダー!!!」
落ち着けどうどうと私とナバリさんだけではもちろん力が足りないため、うちのロータスがヴェダーを後ろから羽交い締めにしている。散らばった水をイッチ達がうまいこと吸い取って、割れてしまった瓶の代わりに予備の瓶に詰め込んでいく。とうとう結子は使い物にならなくなってしまった。当たり前だ。彼女が傍若無人に振る舞っていたのは、ループというやり直しがあると思っていたからだ。それができないと知った今、結子はもう何もできない。
「……ヘイルランドがソレイユに攻め入った理由は一つ。もともと、彼らはこの国の大地に狙いを定めていたのですよ」
とりあえず落ち着きを取り戻したヴェダーが、自身を落ち着かせるためでもあるのだろう。彼が知っていることを語ってくれた。大地を狙っていた、という言葉をすんなり理解できない私とロータスとは違って、ナバリさんはすぐにピンと来たようだ。「私達の国の、環境の差ですね」 ヴェダーは頷く。
少しずつ、私にもわかってきた。
――曇りばかりで、太陽のない国、クラウディ。常夏の国ソレイユ、終わらない雨が続くレイシャン、凍てつく寒さとともに生きるヘイルランド。
それぞれ、葉っぱによって気候が違うと一言で言ってしまえばそうだけれど、人が圧倒的に生き辛い環境であるのはヘイルランドだ。たしかにソレイユも、近年の水不足が深刻になってきているらしいけれど、それでもソレイユには魔道具がある。最初にできた古い国だから、一番古くからの力を使うことができるのだ。
世界樹の力が少しずつなくなってきて、各国の気候がさらに顕著になってきているのは、どこも同じだ。もともと人が生きる環境とは到底いえないヘイルランドは、もっと、というところなのだろう。ゲームでは、今のタイミングだとすでに聖女は活動を始めていて、祈りで世界樹の力を活性化させている。だからおかしくなっている季節も、少しずつ元通りになり始めているはず。でも、信仰値も、レベルも低い結子は祈りを使うことができない。ヘイルランドの人々は、打つ手がなくなったのだ。
「で、でもいきなり攻めてくるだなんて」
「この国に、いつまでも彼女がいるからです」
彼女、とは結子のことだ。「聖女の召喚も、存在も全ての葉で共有すべき事項です。ソレイユのみで保有しているとなれば格好の餌食になると思ってはいました。だからこそ、包み隠さず各国に周知を行ったのですが」 いつまでも結子が居座っていたというわけだ。結子がこの国にいる条件を告げていたとき、ヴェダーが苦い顔をしていた理由がわかった。もし聖女がいることを隠していたとなっては、それこそ即座に攻め入る理由になりかねなかった。
さっき世界樹の間で言っていた、『結子一人では抱えきれないこと』とは、このことだろう。とうとう、ヘイルランドから宣戦布告が届いたのだ。聖女という世界の希望を独占しているソレイユに対しての、懲罰を。
「彼女を渡して終わるのでしたら、いくらでも渡しますが」
連れてきた猫の子のように、すっかり小さくなっていた結子がびくんと震えた。ナバリさんは結子をかばうように、そっと片手を広げる。どれだけ苦労していようとも、彼は結子を守るためにクラウディ国からやってきたのだから。そんな様子を見て、ヴェダーはかるく溜め息をつくだけだ。もちろん、そんなことをするつもりはないらしい。
「……渡したところで、実際なんの意味もないでしょう。彼らはヘイルランドよりも生きやすい土地であるソレイユと、魔道具を狙っている。こうした争いの種を取り除くために、国を閉ざし苛立ちを募らせるよりはと、他国からの難民受け入れを含め、門戸を広く掲げていましたが……まあ、来るべき未来でした」
ソレイユが、他の葉からの留学をカモンカモンと腕を広げている理由が、そんなところにもあったとは。てっきり人手不足の解消のためだと思っていた。やっぱりこの世界はゲームなんかじゃない、と改めて感じた。現実は一つの見方だけではなく、多方面から見れば別の形があるのだろう。
「あっ! でも、カーセイの都には、水膜球があるよね! あれって犯罪者を通さないんでしょ!? だったら街の中にいたら安全……なんだよね?」
そういえば、街に入ったときにロータスが(あのときは名前を知らなかったけれど)カーセイまでの道のりで、セイロウさんに説明してもらっていた。一時しのぎにしかならないけれど、それでもホッと一安心だ、と思ったとき、ヴェダーは静かに首を振った。
「……一般には、条件を公開してはいませんが、水膜球が通さないものは、“人を殺めたことがある者”のみです。全員とは言えないでしょうが、軍の中には自身の手を染めたことがないものはいくらでもいるでしょう。その者達のみで攻め入れば、なんの問題もありません。おそらく、あちらもすぐに気づくはず。魔道具の寿命を縮めることにはなりますが、悪意があるものを弾くように、より強力な膜に作り変えることはできますが……」
「じゃあ、そ、それで!」
「魔道具の作り変えを行うことができるのは、主塔様のみです。主塔様は現在もお戻りになっていない。通信連絡すらできない状態です」
それこそ、手も足も出ないという話だ。しん、と誰も何も言えなくなった。こうしている間にも、刻々と時間が過ぎていく。もちろん、ソレイユも、いつかはやってくる未来として、抵抗する備えは作っているのだろう。戦うしかないのだろうか、と一つの結論にたどり着いたとき、お腹の底が、ひどく震えるような感覚があった。なんだろう、と考えて、当たり前の感情がそこにあった。
とても、怖い。
どしん、と頭の上に何かが落ちてきたと思ったら、ロータスの手のひらだった。大きくて、ほっとした。彼は相変わらずいつもと同じような難しい顔をしていて、なんの変化もないように見えるけど、乙女ゲーム、だとか、物語、だとか、わけがわからないなりにも、理解しようとしてくれていた。イッチ達もそうだ。
気づいて、途端に体が軽くなったような感覚になったとき、ソファーにうずくまってぴくりとも動かなかった結子が、ぽつりと、とても小さな言葉を落としたのだった。
「……多分だけど、戦ったら、全員が死ぬよ。ソレイユの人も、ヘイルランドから、やってきた人たちもね」
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