88 ……ご武運を
「……多分だけど、戦ったら、全員が死ぬよ。ソレイユの人も、ヘイルランドから、やってきた人たちもね」
つい先程までとは、随分雰囲気が違う。
結子の言葉を、誰しもが眉をひそめてうかがった。暗い顔つきのまま、ソファーにうずくまり自分の足元を見つつ、ぽつりと結子は呟いていた。彼女からは見えないけれど、イッチ達がどないしたん? と言いたげに結子を覗き込んでいる。
「死ぬって、なんで……」
「ヘイルランドからたくさんの兵士が来てるんでしょ……ソレイユの兵隊と、ヘイルランドの人達がぶつかり合ったら、全部が崩れ落ちる。大地が、重さに耐えきれなくなる。たくさん人が死んで……そこで、ゲームならループしてたから、それ以上のことは、わからないけど」
手も足もでない状態になる、というのは、そのことなのだろうか。けれど、結子が何を言っているのかわからない。
「崩れ落ちるって……」
「この世界の下には、どこもかしこも根が張り巡らされているけど、ソレイユの世界樹の根は、もうぼろぼろだから、重さに、耐えられないんだと思う」
ついさっきの地震を思い出した。そのとき、ひどくヴェダーが恐れたような顔をしていたことも。聖女が世界樹の力を活性化させなければ、世界が滅びる、とゲームでは言われていた。でも、どう滅びるのか、具体的な説明があったわけじゃない。いや、私がトゥルーエンドである隠しルートまでプレイしていなかったから、知らなかった。
「……ソレイユは、全ての葉の中で、一番古い。だからこそ、過去の遺物である魔道具を使用することができる。逆に言えば、一番、根がもろいとも言える」
ヴェダーは知っていたのかもしれない。つまり、もう、この国はボロボロ、ということだ。
「……それを、ヘイルランドに伝えちゃいけねぇのか」
腕を組んだまま、ずっと静かに話を聞いていたロータスが尋ねた。結子や私、ナバリさんもハッとしたような顔をした。そうだ。兵達が死ぬと聞いて、みすみす進む人はいない。けれど、「どうでしょうねぇ」とヴェダーは苦い顔つきのまま、続けた。
「重さに耐えきれないというのでしたら、少数ずつ進めばいいことです。やりようはいくらでもある。いつ崩れ落ちるかわからない国という、本来の価値から下がっていると気づき手を引いてくれればいいのですが……下手をすると、こちらの弱点をさらけ出すだけにもなりかねない」
たしかにその通りだ。このまま手をこまねいていても、ヘイルランドはやってくる。迎え撃とうにも、自爆行為だ。どうすることもできない。言葉が、出ない。
長い沈黙があった。それを破ったのはヴェダーだった。
「理解しました。なんの不安がありますか。ヘイルランドとの不仲はわかりきっていたことです。ただそれが今というだけです。――いくらでもやりようはありますとも」
***
カーセイの人々は不安の中で揺れ動いていた。体験したことのない、“地震”という現象についで、引かれたようにやってきたヘイルランドの人々。商人達すらも外に出ることができず、街の中に閉じこもっている。
カーセイは、ソレイユで生まれ育った人々以外にも、他の葉よりもずっと少なくはあるけれど、ヘイルランドから来た人たちもいる。彼らはみんな建物の中に閉じこもるようにして隠れていた。暴動を恐れているのだ。ヴェダーはもちろん、彼らと外にいる兵達がまずは無関係であること、不平等に扱うことのないことのふれを出したが、街は重苦しい空気が流れていた。ほんの少しのきっかけで、国が瓦解していく。
そしてカーセイはヘイルランドほどの兵力は携えていない。ある程度の備えはあるものの、兵力を持ちすぎてしまっては、ヘイルランドを刺激しかねなかったからだ。その代わり街の至るところに魔道具を設置しており、足りない兵力を、魔道具で補っていたというわけだ。
ヘイルランドからの使者がカーセイの門を叩いたのは、私達が話し合いをして、一日もたたずであった。携えていた手紙の中には、本来は世界全てで共有すべき聖女の存在を独占したのだと、それこそ痛烈な批判が書かれていた。
万一ソレイユがヘイルランドに取られてしまうとなると、クラウディ国もレイシャンだって黙ってはいない。四つの国は、絶妙なバランスを保っているのだ。もちろん、ナバリさんはクラウディ国にすぐさま世界樹の枝で連絡をとったものの、あの国は教会と城と二つの派閥が争い合っている。どちらが上とも言い切れない現状、決断がとにかく遅い。レイシャンの動きは、まったくもってわからない。
私とロータスは、正直なところ、ただの部外者だった。何をすることもできす、まさか争いの先頭に立つわけにもいかない。与えられた部屋で転がって、考えた。誰の味方をすべきなんだろう。
この場にいるのはソレイユだから。そんな単純な話でいいのだろうか。そもそも、味方をすると言っても、あっちは何千もの兵だ。ロータスならともかく、私一人で何ができるのかと言われてもわからない。
――扉が、叩かれた。
錫杖の音が聞こえたから、出る前に誰かということはわかった。部屋の椅子に座っていたロータスに確認をして、ごくん、と唾を飲み込む。扉を開けると、ヴェダーだった。ただ、気まずい気持ちのまま彼にかける言葉を答えあぐねた。
こんなの、なんにも考えずに手放しでソレイユの力になりたい、と言えた方が気が楽だ。でも今回は土サソリや、魔物が相手じゃない。本当の、人間が相手だ。人の命を守るのではなく、奪わなければいけないかもしれないとなると、そんなの覚悟が足りるわけがない。
入ってください、ともなんのようですか、とも言えない私を察してか、「申し訳ありません、すぐに終わりますので、こちらで結構です」とヴェダーは部屋の奥にいるロータスをちらりと見ながら伝えた。
「えっと、あの……」
「ヘイルランドはまずは直接の話し合いを望んでいるようです。私は指揮官である、スノウという男のもとへ向かいます」
「え」
ちょっと待った、と声を上げそうになった。今、この塔は実質的にヴェダーを中心として回っている。なのに、彼が直接出向く。そんなのありえるわけがない。
「本来、主塔様がいらっしゃるのでしたら、私などいなくなったところでなんの問題もありません。あちらに、主塔様がいないことを悟られるわけにはいかない。それに、どうしても私でなければいけない事情があるのですよ」
――イッチ達なら。
姿を消して、ついていくことができる。多分、お願いをするなら、してくれる。でもそれは、あまりにも。
「スライムくん達は不要ですよ。ご心配なく」
扉に手をかけて、唇を噛んだまま何も言えなくなってしまった私を見て、ヴェダーは苦笑した。そしてヴェダーの言葉を聞いて、『え、なになに? 全然着いていきますけど?』『我らにおまかせあれ?』『いけいけドンドン』とイッチ達は踊っている。さすがにこっちの事情で振り回しすぎだと葛藤していたさっきまでの私の気持ちを返してほしい。
「あなた方がこの国の住人でないことは、理解しています。この国には、他国から魔道具の知識を得に来た学生達も多くいますが、彼らともまた違う。学生達には魔道具の知識を与える代わりに、一時的にこの国の住人となるように契約を結んでいますから。もちろん、移住を希望しないのでしたら強制する契約ではありませんが」
私と同じクラウディ国の出身であるソキウスがどうやってこの国の住人になったのか、以前に少し聞いたことがある。他の葉っぱに渡る際、まずは自国に移動の申請をして、ソレイユもそれを受け入れる。基本的には卒業までの一時的な期間だけど、塔で優秀な成績を収めたのならそのまま技師として国に残ることもできる。クラウディ国にあまり未練のないソキウスは成績さえ良ければどちらも選ぶことができるから、卒業後について悩んでいる様子だった。
「ですから、私があなた方に願うことは何もありません。あなた方は、この国の住人ではないのですから。……すみません、あまり時間がありませんので、本題を。エル、これを」
ヴェダーは、いつもつけている右腕の腕輪を、そっと外した。複雑な文様が描かれていて、ゲーム内のキャラデザでも彼がつけていたものだから、見覚えがある。「これを、主塔様に渡していただけませんか? お願いは何もない、と言った口で申し訳ありませんが」 触ってみると、まるで木のような触感だった。主塔とは実際は会ったことがない。でも、まあ、渡すくらいならなんの問題もないけれど。
「あの、でも、これは魔道具なんじゃ。私より、別の人にお願いした方が……」
魔道具の種類は、それこそ多岐に亘っていて、ピンからキリまでの価値がある。街中にあふれていて、誰しもが使うことができる簡易で便利なものもあれば、それこそ使う人を選ぶものまで。少なくとも、これはヴェダーが肌身離さず持っているものだ。間違いなく、価値があるものだし、彼にとって大切なものなのだろう。
ヴェダーはわずかに口元を緩ませた。「お願いします」と、私の手と一緒に腕輪に手を置いた。そのときだ。イッチ達が、部屋の奥から飛び出した。
うおらぁ、とばかりにぐるぐる体を回しつつ、私がかけていた幻術スキルもすぽん、と自分の体に飲み込んだ。突然現れたスライム達にヴェダーはぱちりと一つ瞬いたけれど、もともといることはわかっていたから、それほど大きな驚きはなかったらしい。
三匹は私とヴェダーの間に入って、ぽよぽよし始めた。と思うと、今度は縦の団子になって、一番上に乗っているイッチが、にゅにゅ……と静かに腕を伸ばして、ヴェダーに向けた。「え、えっと、両手を出して、と言っています」 イッチ達の言葉を伝えると、ヴェダーはそれに従った。イッチの手から滑り落ちるように雫がしたたる。
ぽたん、ぽたん。器のようにしていたヴェダーの手の中に、わずかな水がこぼれ落ちた。
「ご武運を、と」
「……ええ」
拳をゆっくりと握りしめ、少しばかり、ヴェダーは嬉しげな様子だった。イッチ達なりの見送り方なのだろう。
私はヴェダーからもらった腕輪を片手に抱えて、ヴェダーの背中を見送った。イッチ達もばいばい、と両手を振っている。
――一体、これからどうなってしまうのだろう。ロータスは何も言わなかった。
ふと、随分前のことを思い出した。村から追い出されて、崖から落ちて、ぼんやり一人で空を見上げながら思ったこと。
「……ねぇ、ロータス」
「……ん?」
「私、この世界がゲームで知ってる世界だってわかって、最初にどう思ったんだろう」
聞かれたところで、彼が知るわけがない。そのとき、ロータスはいなかったのだから。わかっている。私が問いかけを求めていないことをロータスも理解しているから、「どうだろうな」と一言。それだけだ。この世界は、ゲームなんかじゃない。だって、私達はここにいる。でも、ここはたしかに知っている物語で、その中に私は生きていて、たくさんの人達がいる。
ただ一人でヘイルランドの兵のもとへヴェダーは行ってしまう。
でも、私はヘイルランドの人達も、画面の向こうで知っている。間違いなく彼らも生きていて、譲れない目的がある。
結子はただ、帰りたいと言って、その言葉を最後に、それ以上何も言うことはなかった。今は用意された部屋の中にナバリさんと二人でいるんだろう。
「どう、思ったんだろう……」
少しずつ、気持ちを巻き戻していく。今よりも、私はもっと幼くて、右も左もわからなくて、ただ馬鹿みたいに、前にばかり進んでいた。
***
しゃりしゃりと、錫杖が鳴っている。
乾いた大地をねぶるように、どこまでも風が通り過ぎ、青年の灰色のローブをはためかせた。手の中にいれられた数滴の水は、すっかり乾いてしまっていた。一人きりで彼は歩く。
(不思議なものだ)
このとき、彼が考えていたことと言えば、一人の少女のことだった。金の髪をして、未だにどこか幼い顔つきの、一人の少女のことを。
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