43 一方、その頃
柔らかい椅子の上にふんぞり返って座ってみる。ふかふかで、座り心地は中々いい。部屋の調度品は、よくわからないけど、きっとお高いものばかりなのだろう。全然、わからないけど。だって“私”は聖女だから。
丁重に扱ってくれなければ、この世界にやってきた意味もない。
家でゲームをしていて、ごろごろソファーに転がっていた。すると、すとんと落っこちてどこかに沈んだ。
深く重たい濁った水槽の中のような。波もなく空もなく、ただ沈んでいく。
――なにこれ、と。
あげた悲鳴はどこに届くわけもなく消えていく、はずだった。大声をあげても届かないから、体を小さくさせて瞳をつむった。すると、気づけば周囲で、見覚えのない人たちが私を見下ろしていた。彼らは私を聖女だという。名前を聞かれたら告げたはずが、勝手に口が「結子」と告げていた。
それはさっきまでしていたゲームの主人公の名前だ。
「結子様でございますね。さすが名が体を表す、素晴らしいご尊名でいらっしゃいます」
「いやちが、私の名前は……結子! あれ? 結子、結子、ゆ、い、こ!」
言えない。着ている服も覚えのない制服だ。いつの間にか片手に握っていた黒鞄の中を探ってみると、生徒手帳が入っていた。そこには間違いなく『結子』と名前が記されていた。名字はない。いやなんでよ。「……その小さき本は、一体?」 男の人は私の手の中を覗き込んだ。イケメンが近い。若干の距離を作って、まずは自分で確認する。ついている顔写真は確かに私だ。
なにこれ。
おかしいと混乱しつつも、こっちを見るイケメンにときめいた。世界の名と、仕組みをきいた。そしてわかった。ここは『ゲーム』の世界だ。それもついさっきまでプレイしていた乙女ゲーの。にわかには信じられない。でも、名前すらも言えない現実と見下ろした街並みとゲームと同じ空の色が、間違いなくそうだと語っている。
理解して、納得した。そして、あてがわれた部屋で、物語を待った。名前が結子しか言えないのは、デフォルトネームでプレイする派だったのかもしれない。こんなことなら、本名を入れておけばよかったな、と思っても今更だ。今はチュートリアル中なのだろう。まだまだストーリーが進まない。早く街の探索を自由にしたい。乙女ゲームは現実にすると融通がきかなくなってめんどくさい。
私は教会のお偉方に召喚された。これはゲームの通りだから知っている。まるで西洋人みたいな顔つきの人々の中には、もちろんイケメンもいた。その凝ったグラフィックにうっとり見つめて、彼が私に尽くしてくれるのだろうと思っていたら、やってくるのはこちらのおめがねには到底かなわぬ野郎どもばかりである。ファー、と口からため息が溢れた。
聖女はこの世界の財産だ。どこの国でも召喚の儀式を執り行うことはできるが、どこに現われるかわからない。だから、どこに来ようとも、独り占めせず、みんなで仲良く共有しなければいけないという取り決めがある。だから私はどこの国でも簡単に行くことができるし、お手軽に旅もできる。このゲームの醍醐味だ。
「……ステータス、確認」
ぴこり、と眼の前にステータス画面が出た。
「……つまんない」
ゲームなら、さくっと終わったチュートリアルだったはずなのに、今は長々世界についての知識を教え込まれたり、他国へ渡るためのマナーだとか、いちいち授業が長ったるい。スキルも全然増えない。ゲームでは最初の仲間がパーティーに入ったタイミングで、実績が解除されるのに、先に進まないからその解除もされない。
期間限定の聖女召喚。しなければならないことはお祈りだけ。あとは手軽にイケメンと恋して、敵を蹴散らして楽しむだけだ。名前が違うのは不便だけど、今の所デメリットはそれくらいだ。なのに。
「……こんなのおかしくない?」
ゲームだったら、次の日、と選んでポチっとしたら画面が暗くなっていい感じのBGMが流れてHPもMPも回復してストーリーを進めることができたのに。これが手動なんてやってられない。「あーもー!」 部屋の椅子にふんぞり返るのも飽きたから、今度はベッドに倒れてみた。召喚されて今がやっと二日目の昼。これがずっと続くと思うと、めんどくさくてかなわない。「もうだめ、スキップスキップ」 ベッドの設置された呼び鈴を持って、思いっきり振る。ちりちり、と音がなった。
何かございましたか? と素早く、けれどもゆったりとやってきたメイドに、叫んだ。
「偉い人、連れてきて」
「……は、え、あの」
「いいから、とにかく偉い人! だれでもいいから!」
困惑の瞳を向けるメイドの察しが悪くてたまらない。イライラしたから、感情のまま叫んでやった。
「ここって、『クラウディ国』なんでしょ!? めんどくさくってたまんないから! 敵でもなんでも、ボッコボコにしてあげる、だからイケメンつれてきて! 推しがいるって思ったからがんばれたの、さっさとロータスを連れてきてよ!」
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