90 まっチョォオオーーーン
――カーセイの民よ、恐れるな!!
響き渡る声に誰しもが顔を上げた。突如として現れた風の壁に、彼らは震え上がった。一体何が起こっているのか。何をすべきなのか。
「……主塔様だ……」
それは幾度も聞いた声だ。目の前に男がいるわけではない。けれど、カーセイの都中に、まるで腹の底からどんと発したような、力強い声が響き渡る。よかった、と一人がぽつりと言葉を落とした。いつの間にか連鎖する。続いていく。これで、きっと。湧き上がるような熱気の中で、金の髪の少年は、ただぽつりと空を見上げていた。
「ソキウス、やったな、よかった! これでもう大丈夫だ!」
「え、あ、ああ……」
ばしりと友人に肩を叩かれて、ソキウスはやっとこさ自分が立っている場所に気づいた。喜び溢れんばかりの友人に、どうにも気持ちが追いつかない。ヘイルランドが攻めてきたのだと噂を聞いた。街中がバケツをひっくり返したような騒ぎになって、ヘイルランドが攻めてきたものの、彼らと争いになることはないと伝える副塔様からの伝令役が走り回っていた。
ただ、街の外に出るなとお達しが出て、学生達の間でも、他国から来ているもの達はどうもよそよそしくなって、それでも念の為と避難の準備をしていた先に、風の壁が立ち上がった。一体何が起こっているのか。
――魔族の、仕業なのではないか。
不安げな噂はまたたく間に駆け回った。誰が言い出したかはわからない。けれどもおそらく、自分と同じクラウディ国の人間のような気がした。同じ価値観の中で育ったのだから、なんとなくでもわかってしまう。もしかするとの不安の種は一瞬にして育ち上がり、いつの間にか、誰しもが口を揃えていた。
わかる、その気持ちはひどくわかる。けれど何でもかんでも、わからないことは魔族のせいだと叫んで恐怖をなすりつける様は見ていて嫌気がさした。そして、拡声の魔道具を使用した主塔の声が、カーセイ中に響き渡ったのはそのすぐのことだ。人々は、友人と同じように両手を打って喜んでいる。
(なんだろう、わからないけれど、なにか……)
ただ、どこかに流されていくかのようだ。これでいいのだろうか。いいんだろう。自分に何ができるわけもない。力もない。(でも、俺にも、何か) ひどく何かに焦っているような、わけもわからない感覚だった。
自分でも知らぬうちに、何かが始まって、終わっている。
ソキウスは、ただ拳を握りしめた。唇を、噛み締めていた。
***
(主塔が、戻ってきた……!?)
魔道の塔は、大勢の人たちでごった返していた。彼に伝えるべき言葉がある人は、いくらでもいる。そんな中で私が行ってもいいんだろうかとと自分にだってわからない。けれど、ヴェダーに渡してほしいと言われたから。「通して、くださーい!」 腕輪を抱きしめたままむぎゅむぎゅ人の間を通っていく、つもりが一向に前に進まない。
「すまねぇな」
いきなり道が開いた、と思うとロータスが大きな手でかき分けてくれた。なんなんだ、と苛立ったように振り向いた人は、ロータスの難しげな顔を見て、「ヒャア……」と静かな声を出して道を譲ってくれる。大変申し訳ない。
そしてたどり着いた先には、大きな男の人がいた。たとえるなら、熊だった。大きな体と無精髭で、よく日に焼けている。大勢から右に、左にと声を掛けられて、それに同時に返答するものだから、聞いているこっちの方がわけがわからなくなってくるほどだ。
やってきたはいいものの、やっぱりと二の足を踏んでいるところ、後ろから押される形で思わず前に飛び出した。「うわ、わ、わ」 髭のマッチョ熊がこっちを見ている。ぱちり、と目が合った。
遅れて体をほそほそにして通り抜けてきたイッチ達は、主塔――クウガ・シロエという男の人を見て、ま、まっチョォーーーン……と謎の効果音とともに体つきをシュッとさせた。
まっチョォオオーーーン……。
主塔が、私をじっと見下ろしたまま、ぴたりと口を閉ざすものだから、周りの人たちもそれに倣う。みんな不思議そうに私を見ていた。イッチ達の効果音だけが響いている。なんぞこれ。
「お前がエルかぁ!!!」
「おうふ……」
鼓膜が破れるかと思った。怒っているわけではない。ただ純粋に声量が大きいのだ。まるで爆風でも叩きつけられたような感覚である。
そうです……? となぜか疑問形で頷いてしまったところ、クウガはにっかり笑った。大きな口だ、と思わずぽかんと見上げてしまった。そのあとに、最初の目的を思い出した。
「あ、あの、私、ヴェダ……いや、副塔から、あなたに渡すように言われているものがあって……!」
さすがに周囲の視線を気にして副塔を呼び捨てにするわけにはいかない、と慌てて途中で言葉を止めた。私が持っていた木の腕輪をクウガの前に差し出す。大きな彼の体の前だから、少しだけ背伸びした。ぴたり、とクウガは全部の動きを止めた。そしてすぐさま、周囲を見回す。
「よっし、すまんな、ちょいと消えるぞ!」
「主塔!?」
そして勢いよく私の首根っこをひっつかんだ。足が浮いていた。
あまりの超展開に、ぽかんとしている間に、ぐるんと体が移動した。
どうやらロータスが救出してくれたようで、今度は彼の肩にまるで米俵の如く抱えられている。振り返っても横顔がギリギリだが、ロータスの表情はとりあえず険しい。いつものことである。でも一応解説するのなら、普段より眉間の間の小さな皺が一本多い。「…………お前がロータスかあ!!!」「う、っぐ……」 そして私と同じく正直攻撃に近い音量を叩きつけられていた。多分ちょっと唾が飛んでた。
「丁度いい! それじゃあ行くか!」
恐るべきことにクウガは右手と左手で私とロータス、二人の首根っこをひっつかむように、ずるずる引っ張りその場を移動した。……どこに行くのォ~~!!? とぽよぽよくっついてくるイッチ達に、正直私もまったく同じことを問いかけたい。ロータスはすでに無の表情になっていた。
なんなんだこの展開。
連れてこられた場所といえば、おなじみ世界樹の間である。さわさわと静かな風を感じて、力強く葉っぱを広げた世界樹を見上げていると、ついさっきまで、いや、ヘイルランドが攻めて来ている現状、全てが夢か何かのように思ってしまう。けれども、それをいきなり引きずり下ろして思い出させたのは、ここに連れてきた元凶であるクウガだった。
「さって!」
世界樹の根本に、彼はどっかとあぐらをかいて座り込んだ。そして太い腕で力いっぱい、自身の膝を叩く。ばちこん、と激しい音が響いた。
こうして見ると、ゲームのグラフィックのイメージから一番ずれていないのがこの人なのかもしれない、と思った。特徴が捉えやすいのだ。具体的な年齢は設定にもなかったから知らない。でも多分、四十を越えたか、どうかというところだろう。ヴェダーとは違って、どんとした安定感がある。それこそ、この人に任せたら、きっと大丈夫だと思ってしまうような。
「お前らのことは、ヴェダーから聞いてるぜ。スライムが三匹いるっつうこともわかる。俺は人よりも目がいいんだ」
あらまぁ! と一応こっそり隠れていたらしいイッチ達がぴょこんと飛び出た。
そんなそんなぁ、見られてただなんて、我らが筋肉マッチョメンのモノマネしてたことバレバレなの~~? うっそやだはずかし~~! ムキムキ、ムキムキ! と、イッチ達は互いに話し合って腹筋を割るふりをしているが話がややこしくなるのでここで翻訳は割愛する。「なんかよくわからんけど楽しそうだな!」 とガハハとクウガは笑っているが、そんな場合ではない。
「お前らが“気のいいやつら”ということは理解している。その上で、伝える話だが、正直、この国はやべぇ!!」
激しい声が叩きつけられた。そして、その“やばい”という意味を、彼はどこまで把握しているのだろう。ヘイルランドが攻めてきたこと。ヴェダーが作り出したであろう、風の壁。そして世界樹の根の力がなくなり、大地が崩れ落ちようとしていること。――結論は、全部だった。
「まずな、ヴェダーが作ったあの壁は、一日もしねえで消える。他国を動かすには、時間が足らん」
クウガは、人差し指をぴんと伸ばした。
「ヴェダーが生きてりゃ普通、三日はもつ壁だ。でもな、魔力の拡散が半端じゃねえ。近いうちに消えちまうのは目に見えている。……ヴェダーが今どうなってんのか、俺にもわからん」
後半を告げるときに、彼は静かに声を落とした。そのときだ。
――ヴェダーは、我らの結界がガッチリまもっとりますとも!
イッチにないはずの眉毛がキリッと見えた。
「えっ!?」
「どうした」
ああやってこうやって、と説明するイッチ達の言葉を、クウガにも伝える。そういやあなた、ヴェダーとの別れ際に謎の水滴を落としてたね、と記憶を遡らせた。クウガは、ほっとしたように息を落として、「改めて、礼を伝えたい。感謝する」と三匹に向かって、頭を下げた。照れたのか、イッチ達はひょええと悲鳴を上げて私よりもさらに大きなロータスの背後に全員隠れてしまったが、あとで私もしっかり礼を言わねば。
「そんじゃあ、不安が消えたとこで二点目だ。万一、ヘイルランドがまっすぐにカーセイに攻めてきて、こっちが迎え撃ったとして、大地は俺らの重みに耐えきれねえ。崩れ落ちた先はただの奈落だ。これだけは避けなきゃいかん。この目で、ソレイユの端から端までを確認してきた。すでに、一部の地域じゃ大地が崩れ落ちている場所もあった。信じられねぇことだが」
ゲームではいるはずのクウガが、塔にいなかった理由はそれなのだろう。
「無抵抗でもやられる。戦っても国が終わる。行き詰まりだ。となると、戦わずに時間を稼いで、他国にヘイルランド本体を叩いてもらうしかねえ。そのためには一日じゃ到底足りん」
つまり、どうするのか。
自然と窺うような顔つきになってしまったかもしれない。熊のような体つきのこの男の人は、にやり、と面白げに笑った。どきりとした。
「水膜球を、今から俺が作り変える。この国に悪意を持っているやつを弾くように、より強力なやつにな。強すぎる魔道具に変えちまうと、魔道具として使うことができる寿命が一気に短くなっちまうが、背に腹は代えられん。もとに戻すこともできるしな」
そういえば、ヴェダーも言っていたことだ。せめて数日の間だけでも、ヘイルランドがカーセイに近づくことをできなくさせてしまえばいいのだ。ヘイルランドの兵だけならなんとか大地は持ちこたえるはず。
結子は、カーセイと、ヘイルランドの兵が争えば大地が崩れる、と言っていた。ソレイユにある世界樹の根の力がなくなっているといっても、この国が崩れ落ちてしまうのは、今日、明日の話ではないだろう。一つの軍なら、まだ持ちこたえることができる。けれど、二つの軍が争えば、限界値を越えてしまう。
それなら、カーセイの住民達には都の中でただ耐えればいいのだ。なんとかなる。――水膜球さえ、あれば。
「魔道具の作り変えができるのは俺だけだ。一日で作り変えるのはかなりきついが、死ぬ気ですりゃなんとかなる……かもしれん」
しかしクウガの言葉は案外自信がなさげだった。なんとも気まずい空気が流れた。「……俺達に説明してねえで、さっさとした方が、いいんじゃねぇか……」 言ってしまった。ロータスが全ての空気を読んだ上で、逆に読まないことを言った。
だよねえ、とイッチ達でさえも頷いているところで、「だよなあ」となぜかクウガまで頷いている。なんでなんだ。
「まあ、つまりな、俺は今から引きこもる。死ぬほど集中する作業だからな、簡単な通信くらいならできるだろうが、部屋からは出てこれなくなる、と思っていてほしい」
それならどうぞ、こちらのことはお気にならず……と思わずそそっと後退りしようとしたときだ。「まあまあ」と、クウガは座ったまま行くんじゃないとばかりに招き猫のごとく片手を振っている。「そんな、大したことはねえ話なんだが」 絶対大したことあるだろうな、と思った。一刻の猶予もないこの状況で、あえて時間を作るほどのことである。
「エル、お前にお願いしたいことがあるんだが。なあ、ちょっくら、世界樹を切ってきてくれねえか?」
なるほど。と頷いた。そして叫んだ。「ちょっくらってレベルではない!!!!!!!」
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