80 セイロウ
街中が、まるでどんちゃん騒ぎだった。
とっぷり日が沈んでしまった中でも、空の上にはカンテラが揺れている。土サソリを撃退した興奮は未だに消えることもなく、今夜ばかりは夜通しでみんなハメを外してしまっている。どこを歩いても「あんた、あのときの子だろ!」と声をかけられる。街全体に私の声が響いていたのだ。若干の気まずさを感じる。
ちなみにソキウスは私の隣でずっと泣きながらも必死にメガホンの音量の調節を行っていた。泣いてなんかいないと鼻をずびずびにさせていた彼は、今現在は魔道の塔の自室で死んだように眠っている。色んな人が声をかけてくれて、両手にはすでに食べ物がいっぱいだ。ロータスも手伝ってくれているし、イッチ達もおいしいねぇともぐもぐのスピードもすごいのに、一向に減る気配がない。
なんだか、不思議と胸の奥がもやついた。ずっと逃げている立場だったから。言葉で表すとそうだけど、決してマイナスな感情ではなくて、本当にいいんだろうか、というもやもやした感情だ。それをロータスに伝えると、「とりあえずなんにも考えず受け取っとけばいいんじゃね」とマイペースなお返事をいただいた。なのでそうすることにした。肉がうまモシャッ! ホットドックらしきパンとソーセージに勢いよくかぶりつく。とても幸せ。
ヴェダーとはまたまともに話ができていない。彼は未だに今日の件で奔走しているだろうし、一部土サソリに乗り越えられてしまったことで崩れた水球膜の修理に明け暮れているはずだ。
「おおおーーー!! 見つけたーーーー!!」
そんな中だ。見覚えのある人に声をかけられた。まだ体にはところどころ泥がついていて、面倒くさがりなのだろうか。夜にもかかわらず、麦わら帽子をかぶっている。結子におとりにされそうになっていた馬車の御者だ。
「あんたら、覚えてるぞお! ちっこいのと、大きいの! わかるか? 俺だよ。こないだぶりだなあ……いやそうじゃねえ、あんたらは命の恩人だった、本当にありがとうよう」
「もちろん覚えてます、お元気そうでよかった」
そう、この人は私とロータスが初めてソレイユに着いたとき、あんたら、大丈夫か? と声をかけて馬車に乗せてくれたおじさんだ。私は人に会うと、どうしても鑑定してしまう癖がある。あのときおじさんの頭の上には、『とても不運な御者。おとり役かも』と説明が書かれていた。かもってどういうことだろう、と不思議に思っていたけれど、結子の言葉でぴんと来た。
だから、助けてくれと門を叩いているのはおじさんだと思ったし、顔を知っていて、親切にしてくれた人だと考えたとき、息ができなくなった。一瞬で、頭に血が上る感覚があった。でも、おじさんじゃなくても、結局私は同じ行動をしていたかもしれないし、そんなたらればはわからない。
「……本当に、死ぬかと思ったなあ。どうなることかと」
おじさんの絶望はひどく大きなものだっただろう。カーセイの都にまでたどり着けばなんとかなる。そう思っていたはずなのに扉は重たく、ぴったりと開かなかった。開けてくれと叫んで叩きつけた拳は泥に隠れている箇所以外にもずるりと皮がむけている。きっと、手のひらはひどいものになっているのだろう。私の視線に気づいて、おじさんはそっと自分の拳を隠した。
「お嬢ちゃん、エルだったよなあ。あんたがいなかったら……どう恩を返したらいいかもわからねえよ」
「お、おじさんにはもう十分に親切にしてもらいましたよ」
周囲に街もなく、海しかない怪しげな場所で拾った怪しげな二人を、カーセイまで送り届けてくれたのだから。イッチ達も暑さのあまりに茹だっていて、本当に困り果てているときだった。「うはは、あんなもん、礼のうちにも入らねえ。こっちは命がかかってたんだ」 ついさっきまで、死を覚悟していたのに、こんなふうに笑うことができる人は本当にすごいと思った。
「……聞いたぜ。結子っつう聖女は、俺を殺そうとしてたんだろ? エルの嬢ちゃん。俺はあんたに返しきれねえものをもらったよ。あんたに何かあったときは、必ず力になると誓う。俺の名前はセイロウ。商業ギルドの中じゃあ、ちょっとは名が知れてんだ」
まっすぐに突きつけられた言葉に、ぶるりと震えた。
セイロウと名乗る大きな体の、夜に麦わら帽子を被るちぐはぐな格好をしたこの男の人は、本当に、本気で私にそう言っていた。私が魔族であるからということを知らないからに違いないけれど、二十以上も年が違うであろう小さな私を相手にしても、まっすぐに、対等なものとして扱ってくれていた。
「は、はひっ……いえ、はい……」
気圧されて舌が回らなくて、妙な返答をしてしまったのに、彼はにこりと優しげな顔をしてくれて、笑い皺がよく目立った。「そいじゃあ、俺はカーセイにはよく行商にくっからよう。しばらくはこの街にいっから!」 セイロウは片手を振って背中を向けた。「カーセイのあんたらにも大大感謝だ! まあ、値引きはしねえがな!」 周囲の人達に、ありがとうよと笑いながら、くるくる回るように消えていく。人のことはいえないかもしれないけれど、中々に変わった人だったように思う。随分静かだと思ったら、ロータスは始終もらったシチューを食べてもぐもぐしていた。いつの間にもらったの。
――おまつり! おまつり!
――たのしす! たのしす!
――ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ!!!
「いやお祭りではない……」
足元のイッチ達がぴょんぴょこしている。そんなときだ。ロータスは食べ終わったシチューの皿を地面に置いて、一歩静かに前に出た。
楽しげに笑う人々の中で、一人ぽつりと赤銅色をしたローブを着ている女性がいた。女性だろう、と思ったのは小柄な体だからだ。顔は深くフードを被っているからわからない。彼女は、うつむきながら、ただただじっと私達の前に立っていた。
ほんの二、三メートルほどの距離だ。周囲のざわつきが、ひどく遠くなっていく。ひたり、と彼女は足を踏み出した。ロータスが後手で私を押し込もうとしたけれど、それを掴んで、前に出た。
「結子よね」
ぴくりと静かに彼女の肩が揺れた。街を歩いている間も、人殺しの聖女だと幾度も周囲から声が聞こえていた。だから顔を隠さなければいけないのだろう。人が彼女に近付く度にぎくりとして一瞬体が震えている。少しばかり、気の毒にはなかったけれど、本当に少しだ。でも、彼女の行動をそのまま行っていたら、セイロウのおじさんは死んでいたけれど、正しく街を守ることができたのだろうと思うと、それ以上は何も言えなかった。
「……ナバリさんは?」
問いかけても返事はない。けれど、顔が見える距離に近付くと、やっぱり彼女だった。彼女の茶色い瞳は爛々と輝いていて、力強く私を睨んでいる。「話をさせて」 はっきりと告げられた声を聞いて先の台詞を想像した。
「あんた、エル、ううん、エルドラドよね。クラウディ国、最恐魔女。――勘違いだなんて、言わせないんだから」
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