世界樹を渡って

66 言っとくけどな、

 

 ロータスには幼馴染がいた。

 同じ孤児院で育って、十三年前の日、仲の良かった少年は魔族になった。真っ赤な瞳となった、たった八歳の少年は、大人達に引きずられ消えていった。魔族はみんな強力な固定スキルを持っているけれど、魔族に変わったばかりで、その能力が発現することは少ない。


 魔族は、世界を壊してしまう存在だと思われている。だから魔族である印となる、赤い瞳に変わってしまった人間を処分する。私は崖から突き落とされた。

 だから、ロータスは魔族に変わってしまった幼馴染の少年は、死んでしまったものだと思っていた。


 私はロータスの過去を知ってはいたけれど、必要以上に踏み込もうとは思わなかったし、もし特徴を聞いていたとしてもピンときたかというと確証はない。なにしろ十三年前に離れ離れとなった少年だ。それこそ、ロータスが先程私に問いかけたように、気のせいなのでは、と言葉があと一歩で口から出てしまいそうになったけど、そんな問いが無駄であることはロータスの顔を見ればわかる。


 互いに、何を、どう言えばいいかもわからない雰囲気のまま、その場はお開きとなった。ヴェダーは簡易ではあるけれど、塔の中を自由に歩き回ることができる許可証を私とロータスにくれた。宿屋はごたごたの中で引き払ってしまったことを説明すると、なんと部屋まで貸してくれるという。いたれりつくせりだ。ソキウスとは、またと言って別れて、疲れてしまったのか、話の途中ですっかり寝入ってしまったイッチ達をロータスと抱えた。たるん、たるん、と柔らかいおもちみたでこぼれてしまいそうだ。


 すやすや寝息をたてる姿に可愛いなあ、と思いつつ、借りたベッドの上にころころとみんなを転がせた。いつも私とイッチ達は同じベッドの中で寝る。部屋はいくらでも余っているから、とのことで、ロータスは隣の部屋だ。


 もう、随分夜も更けていて、早く寝なければいけない。イッチが、寝言のように、もにょもにょと、エルぅ早く寝た方がすや、寝た方がすや、寝……すや……と言葉が進んでいない。よしよしした。おっしゃる通りなのだけど、妙に目が冴えてしまって困ってしまってドアを開けて、外に出た。すると、ロータスがいた。

 私と同じように眠ることができなかったのだろうか。廊下の窓の枠に肘をついて、ぼんやりと外を見つめている。そこからは、街全体を包む水の膜がよく見えて、うっすらとではあるけれどかけられたカンテラが光って、まるで海の中にある星空のようにちり、ちりと揺らめいていた。


「……ロータス?」


 声をかけていいものか、と迷った。でも、すぐに声をかけなければいけない、と思った。あまりにも、彼が一人きりのように見えてしまった。


「おう」


 案外返事は普通だった。さっさと寝ろと言われるかと思うと、そんなこともないようで二人で静かにカンテラの空を見つめた。その辺りで、ちょっと考えてみることにした。ロータスに、何か声をかけたい。でも、何を言っていいのかわからない。


 そんなときは想像してみたらどうだろう。死んでいたと思った幼馴染が生きていた。ロータスはずっと、どんなときでも心のどこかでヴェジャと呼ばれる少年、今となっては青年となってしまった魔族のことを考えていたんだろう。そうじゃなければ、十三年も経っている相手の姿を見て、間違いないと言い切れるわけがない。

 ロータスにとって、ひどくこれは衝撃的なことであったはずだ。


「よ、よかったね!」


 言ったあとで、そんな単純なものじゃないと思った。ロータスは窓の外に向けていた視線を私に向けて、びっくりしたみたいに大きく瞳を開けた。しまった、と固まってしまった顔はへたくそで、ロータスもそれがわかったんだろう。でも、「そうだな」と頷いた。死んでいたと思っていた人が、どんな形であれ生きていたのだ。まずは喜ぶべきだろう。


「でも、あいつがヴェジャなら、三年前に魔物を操り、街を壊したやつもそうなんだろ?」

「う、うん……」


 実際、魔物を操っている魔族の姿を見てはいない。でも、直感的に間違いないと感じていた。


「一歩間違えれば、死人が出ていた。誰も死んでねえけど、そんな問題じゃねえよ。街が壊れたんだ。泣かなきゃいけねえはめになったやつはいくらでもいる」

「うん……」


 実際、本当の物語、と言って良いのかわからないけど、ゲーム本編で、ストラさん達は亡くなっていたはずだ。ロータス自身も片目と片腕をなくし、大切な人たちも場所も失って魔族を恨むようになった。ゲームでの彼は、それがヴェジャという幼馴染の手によるものだと知っていたのだろうか。すると、どう考えていたのだろう。


「……私、ロータスのストーリーって、ざっくりとしかプレイしてないんだよね。だから、深い事情はよくわかってなくて」


 ひどくそれが悔やまれる。もっとちゃんとプレイしていれば、いくらでも事前に準備することができただろうし、今のように何も見えないような、右からくるのか、左からくるのかわからない感覚にはならなかっただろう。後悔先に立たず。唸って、窓枠に手をかけると、「そんなもんする必要なんてねぇよ」と頭の上からロータスの声がした。


「先のことがわかんねえなんて、当たり前のことだ。それになにより、エルがいうゲームってのは、“乙女ゲーム”で、俺が知らねえやつと、まあ、色々しなきゃなんねえんだろ? んなもん、お前に見せたくもねえし、したくもねえ」

「う、うん……」


 色々と、というのは、ロータスもちょっと言いづらかったのだろう。彼には珍しく言葉を濁して、その部分は声を小さくさせていた。

 彼の発言をどう捉えていいかわからなくて曖昧に返事をしてしまったけれど、これは嬉しい言葉のような気がした。もしかすると、ロータスは深い意味はなく言った言葉かもしれないけど、頭の中で繰り返す。口元がにやっとした。でもそんな場合じゃないので、両手でぎゅむっとつまんだ。


 相変わらず不思議なことをしてんなという目でロータスは私を見ている。会話は続いた。


「……ヴェジャは、お前を狙ってるのか?」

「どうだろう」


 出会ってはいけない男の人だと思う。でも、本来的な目的は、そこではない気もする。これでも三年の旅をしたのだ。あの銀髪の魔族、いや、ヴェジャーシャさん、いや、くん。もういいや、ヴェジャと鉢合わせすることはなかったから、会ったのは一度きりだ。私達が街や人が集まる場所には長く滞在しないようにと気をつけた結果だったけれど、魔族が操るモンスター、つまり魔物に出会ったことはある。


 私がエルマという、レイシャンの村で私とよく似た名前の少女と一緒に退けたのは、ただのモンスターだ。魔物は、モンスターとは比較にもならないほど強かった。一人だけ、私と同じく魔族になってしまった始まりを把握しているキャラクターがいたのだ。一人、というよりも一匹と言った方がいいかもしれない。その子の街にも魔物がくることはわかっていたから、ロータスや、イッチ達と相談し、自分達から向かった。


 そのときはヴェルベクトの街のときよりも、ずっと対処することができたと思う。だから私達がしたことを知る人間はほとんどいない。だからヴェダーが教えてくれた、泡のような記憶の中になかったのだろう。魔族に変わってしまったあの子も、『ありがと、にゃあねんっ!』と八重歯を見せてそのままどこかに消えてしまった。多分、じゃあね、と言いたかったのかも。


「もしかしたらだけど、私、というよりも、魔族を集めているのかも」


 言ったあとで、どうなのかな、と思った。魔族を集めて、魔族の国につれていく。可能性としてないわけではない。ついでに街を破壊するのは、自身の恨みが混じり合っているのだろうか。

 これは考えても仕方のないことだ。考えるばかりで、夜が更けていってしまう。


「エル、さっさと寝ろ」


 やっぱり言われた。これは想像どおりだったので、へへと笑った。寝る子は育つ。俺も寝る、と言われたついでに、ロータスは、ぽんと私の頭をなでた。よくすることなので、深くまでは考えなかったけど、ロータスはそのとき、私の頭に手を置いたまま、ちょっとだけ考えた。


「言っとくけどな、俺だってお前と一緒にいたくているんだよ」


 なんのことだ、とよくわからなかったけど、とりあえず嬉しいことを言われたのはわかる。うへへとしつつ、「あざっすあざっす」とお礼を言った。私を見て苦笑したロータスは、すっかりいつもの通りだ。じゃあな、と扉の中に消えていった。


 夜風を感じつつも、一体さっきのはどういう意味だったんだろう? と考えたとき、ふと、自分の言葉を思い出した。


 ――ロータスが、私と一緒にいるんじゃないの! 私が、ロータスと一緒にいるの!

 ――私が!!! ただ、ロータスの嫁になりたくて! 一緒にいるのーーーー!!!


 ソキウスに主張した言葉である。


「あっ、う、あうっ……」


 多分ちょっと、真っ赤になった。「うっヒェーー……」 丸くなるしかない。


 もっといい感じの返答をしていれば、もっといい雰囲気になったのではとすでに後悔に苦しんで、事前準備をさせていただきたかったと唸った。

 ロータス、たまに唐突なデレがくるのはどうかと思うよ……。

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