65 鏡が見せるもの

 

 先見の鏡……何か、私が求めていたものと違うような……。

 五つ葉の国の物語は複数のルートがあるから、あくまでも提示されるのは一つのルートだけだけど、ふわっと次に行くべき場所が見えて、ああ~この場所どこだ~~なるほどカーセイの都の道具屋さんね!? 的にプレイヤーが推測しイベントを進めていく形だった。


 さっきのは先見というか、むしろ覗き見をしてしまったような罪悪感がある。結子も、まさか他人が見ているとは思わなかっただろう……。


「聖女は異世界から召喚される……と、なると先程のは異世界の言語の一つ!」


 ヴェダーがモノクルをピカッとさせた。正解に近づきつつあるけど、本題はそこではない、と自分自身気づいたらしい。けほっと咳をしてごまかして、「クラウディ国に聖女が召喚されたということは、私自身も“根”から情報を得ておりました」と教えてくれた。


「この世界の四つの葉……国は、それぞれ気候に特徴があります。ソレイユは魔道具で暑さを抑えてはいますが、以前なら同じような気候の中でも、ある程度の四季がありました。それも年々変化が乏しくなっている。合わせて、魔族の目撃例も少しずつではありますが増えています。魔族が強力なスキルを持つということへの恐怖と合わせて、魔族が世界を壊しているのではないか……と、謂われもない意識が人々の中に刷り込まれている」


 特に、クラウディは各地に教会もあって、定期的に魔族は悪であると教え込まれるから、その意識は強い。カーセイに入ってからは都全体を覆う水の膜のおかげで快適に過ごせているので忘れそうになるけれど、外に出ればカンカン照りだし、日が落ちた今は魔道具の出力を弱めているのか、じっとりと汗ばんでくる。魔道具なしでは人が生きるには難しい場所だ。気候もストーリーも一番のハードモードのヘイルランドよりもマシかもしれないけど。


「聖女は古くから、この世界を救う、世界樹の導き手だと伝えられていますから、変化を期待する国民も多いでしょう。ですが、まあ、先程の様子でおわかりかとは思いますが、あまり評判はよろしくはないようですね」

「う、ううん……」


 おっしゃる通り、結子がこのままごろごろまったりし続けていると、世界が滅んでしまう。この国を支える世界樹が崩れ落ちてしまうのだ。各国の気候が極端になっていくのは、その前兆である。だから聖女の祈りで世界樹の根を活性化させなければいけない。彼女はどう見ても廃プレイヤーなのでそのことはわかっているはずなのに。祈りスキルは、国民から得られる信仰ポイントでも変わってくるのだ。

 もちろん、彼女に結子の役割を強制するわけにはいかないので、私は口をもごつかせながら眉をうんうんすることしかできない。


「先見の鏡ってんなら、さっきのはこれから未来の話ってことか」

「えっと……そう、そうなのかな?」


 多分だけど。なにぶん、ゲームでの鏡と違うから、歯切れの悪い返答しかできない。ロータスがした私への問いかけを聞いて、ふむ、とヴェダーは顎の辺りをいじっている。


「でしたらこちら側からクラウディ国の枝に文を結びつけましょう。ソレイユの国は多くの葉からの留学や移住を受け入れていますから、噂が飛んでくるのも、もともと他の葉よりも早いのですよ。ですからあちらとしても違和感はないでしょうし、本来なら聖女が召喚されたとなれば、全ての葉で共有すべき出来事です」


 枝に文、つまり手紙を結ぶ、というのはショートカットシステムの応用、ということにゲームではなっていた。ようはメールと同じである。ステータス画面にはポストみたいな項目もあって、お相手キャラクターやサブキャラ達がたまにメールを送ってくれる。パーティは結子を含めた三人しか選択することができないから、残り二人は除外すると自分の国に勝手に戻る。そこから、『おい結子、今何してんだ』とか『お前がいなくて寂しいぜ』的なメールを送ってくれる。あとサブイベ的な依頼もあったりする。


 パーティに入れてないからって忘れないでね、あと返信したらちょびっとだけど好感度も上がるよというメールシステムは、同じパーティに入れてても何故か手紙が届くのでお前ら旅しながら至近距離で文通してんのかよと思っていた。言葉で話せよ。


『今日の晩ごはんはカレーでおいしかったですよ。でもこの空の下に君がいると思うと胸が苦しくてスプーンを動く手が鈍くなりました』とか報告されても目の前で同じものを食べてたんじゃないのというか、そこにいるのにどんだけ恋煩いしてるんだろうという若干のシステムの限界を感じる内容だったなー……と視線を遠くする。

 あれは結子じゃなくて、もとは国同士でやり取りするものだったのかもしれない。こうしてときおりゲームのシステムを匂わせるものが出てくると、なんだか不思議な気分になる。


「今のところは、と静観をするつもりでしたが、あの様子ではいくら時間をかけたところで同じでしょう。ならば傷も浅い方がいい。他の葉にまで噂が流れているとなれば、少しは本腰を入れるのではないでしょうか」


 もちろん、最終的な判断は、私ではなく主塔が行いますが、という彼は偉く見えるけど、塔の副責任者だ。ソレイユは魔道の塔を中心にして回っているから、主塔とは実質的には王様みたいなものである。


 結子には悪いけど少しだけほっとして、鈍く頷いた。彼女だって、万一レベル上げをサボってしまって神様の下僕ルートに到達してしまったら大変だろう。もとの世界にも戻れなくなる。


「……ねえ、その水、いつまで持ってるんだよ?」


 私とヴェダーが話している間、じっと待っていたソキウスが疑問を投げた。私の手の中には、大きな葉があり、未だたっぷりと水が溜まっている。「あ、ああこれ? ちょっと待ってね。ロータス、私の鞄から瓶をとってくれる?」 ポーチの中にはイッチ達が出してくれる水を溜めるための瓶がいくつか常備している。今後はこの水が先々の展開を教えてくれるので、大事にしなければいけない。


 頷いたロータスと協力して、こぼさないようにとそっと葉を傾けようとしたときだ。ふつり、と静かに手元の水が泡立った。まだ何かあるのだろうか。驚いて瞬くと、周囲の景色に飲み込まれた。(……えっ!?) 声が出ない。自分の視点も、ぐんと高くなって、はためくような風の中で、広がる曇天の中、私は立っていた。


 崩れ落ちたガラクタの上に、一人の男が座っていた。銀色の長い髪が、ゆっくりと風の中になびいている。彼は以前見たときと同じく、全てを諦めたような瞳をしていた。ヴェルベクトの教会にて出会った、赤い瞳の魔族だ。


 男は静かにその場に座り込んでいた。生気のない顔つきで、どこか遠くを見ている。「嫌だわ」 口が勝手に言葉をつむいだ。そんなことを言うつもりなんてないのにと驚いた。心の中から憎々しい感情が溢れてくる。高いヒールを、ガツリと思いっきりガラクタの上に叩きつけた。そんな私の仕草を知っていても、男はなんの驚きもなく平坦な瞳で、ゆっくりと私を見上げた。嫌な顔だ。


「――虫唾が走る。反吐が出る」


 こんな風に人に感情を叩きつけることなんて、今までにあっただろうか。荒れ狂うような重苦しくて、激しい感情が胸の中で暴れている。私なのに、私じゃない。怖かった。


 でも、どれだけ言葉を叩きつけられても、男はただ、感情のない瞳で私を見上げているだけだ。その瞳の中には私の姿が映っていた。エルドラド。ゲームの悪役、最恐魔女で、キャラデザだけは人気だけど、物語では嫌われ役の彼女。彼女は大人の姿で、怒りに任せるように苛烈な炎を燃やしている。エネルギーの塊のような女性だ。怖い、と心の中の瞳を閉じた。



 すると、私は真っ暗な闇の中で、ぽつんと立っていた。右も左も、何も見えない。叫んだ。自分の声だって聞こえない。


「エル!」と肩を叩かれたとき、手元に載せていた葉っぱからぴちゃりと水が跳ねてしまった。「う、うわ、わ!」 まさかこぼしてしまうわけにもいかず、あわあわと高く掲げて、息を吸い込んで、吐き出した。ここは魔道の塔だ。クラウディ国なわけがないし、目の前にあの銀髪の男がいるわけもない。


「さっきの、銀色の髪の男、魔族だったよね……?」


 どうやら私に声をかけたのはソキウスのようだ。ソキウスにも同じ光景が見えたのだろうか、と思ったけれど、彼はじっと私の手元を見つめていた。どうやら私以外の人達には、さっきの結子と同じように水の中に光景が映っていたらしい。


 立っていた場所がいきなり変わってしまったような感覚だから、なんだか頭がぐるぐるする。先見の鏡は、ヒロインである結子の未来のみを知ることができる魔道具だと思っていたけれど、もしかするとこれは使用者の未来を知ることができるのかもしれない。ゲームでは、結子以外が使用することはなかったからわからなかったけど。


「あれって、私の、未来……? いやでも私、虫唾なんて難しい言葉知っているかな……知ってはいるんだけど、日常会話として使うにはあまり脳みそにインプットされてないっていうか、確実にパッとは出てこないというか」

「……言ってて虚しくないか?」


 疑問は口にしてしまうタイプなのである。先程の、結子のものを見ていたときと感覚が違うといったことや、映っていた魔族は、一度だけ会ったことがあること。多分、おそらく逃げなければいけない相手だということをヴェダーやソキウスを含めて解説をしていると、ロータスはただ眉間の皺を深くさせて、おかしな表情をしていた。


 おかしな表情というか、ロータスが怖い顔をしているのはいつものことだし、一見怒っているように見えても、実は本人は今日の晩ごはんを考えているくらい思考との食い違いがあることは知っている。でも、このときは違った。本当に、怖い顔をしていた。


 怒っているというわけじゃない。なのにぶるりとするような感覚は、威圧感といえばいいのだろうか。自分でも抑えようのない感情を必死に押し留めているように見えた。


「……エル、さっきの男は、お前がクラウディの教会で会った魔族なんだな。見間違い、ということはねぇな」

「えっ、う、うん。そうだよ」


 三年前だけど、あの男の瞳は覚えている。それにしても、念押しするように確認するだなんて珍しい。どうしたんだろう、と彼を見上げると、ロータスはじっと自分の拳を見つめていた。そして、私達の視線に気づいて、わずかに葛藤したように視線をそらして、瞳を閉じた。


 でも、ごまかしたところで仕方がないと思ったのだろうか。


「俺は、こいつを知っている」


 告げられた言葉を飲み込むことができなくて、幾秒か後で、「……えっ」と小さな声が出てしまった。

 ロータスは続けた。


「こいつの名前はヴェジャーシャ。周りにはヴェジャと呼ばれていた。死んだと思っていた、俺の幼馴染だ。間違い、ねぇよ」

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