69 魔道の塔の日々

 

 教官、と呼ばれたロータスは、正直彼自身もあまり慣れない顔をしていた。眉と眉の間に思いっきり力を入れて、いつも以上にギンッと眼光を激しくさせて、慣れた私でさえもひえっとなったけど、それはひどく一瞬だった。彼はもともと面倒見がいいし、慕われれば仕方ねえなと手をひっぱってくれる。

 多分ちょっと照れたんだろう。


 教官と呼んだ側の生徒の男の子は、運のいいことにロータスの表情の変化を気づくことはなく、にこにこ顔で手を振っている。ロータスは溜め息をついて、ひらっと片手を振り返した。それで、ちょっと笑った。思わず私も一緒ににひひ……としてしまう。ロータスが笑っている顔は可愛くてすごく好きだ。見ているとこっちまで嬉しくなる。でも彼が私に顔を向けたときに合わせるように、さっとごまかして視線を逸らして口笛を吹いた。


 ――それはさておき、教官とは一体どういうことなのか。


 なんと、ロータスは文字通り、この魔道の塔で教官役としてのお仕事をもらってしまったのだ。

 タダで部屋を使わせてもらうのはさすがにちょっと、ということで当初はロータスも私とイッチ達の仕事を手伝おうとしていたのだけど、それにストップをかけたのはヴェダーだった。


 なにしろ誤解というかなんというか、VSバトルをした彼らである。ロータスの異常なほどの身体能力をヴェダーは知っているし、魔道の塔は、実は文化系と思いつつ、体育会系の要素も多く含んでいた。そりゃそうだ、メインとなる街全体をカバーする魔道具――水球膜というらしい――の管理、取り扱いも大事なお仕事で、学生達に伝えるべき内容だ。


 命綱をつけているとはいえ、塔よりも高い場所に上って一日中する調整作業は体力がなければやっていられない、というわけで、体力向上指南役の爆誕というわけである。ロータスはもともと騎士団に所属していたからそういった場に抵抗はなく、案外すんなり教官役として生徒達と一緒に走り込みやスクワットを行っている。


「好きな人の普段と違う姿を見ることは、なんとときめくことか……」


 私と一緒にいるロータスも好きだけど、私以外と一緒にいるロータスも好きである。思い返して、うひひと自分のほっぺに両手を当てていると、「独り言が、でけぇんだよ……」と聞かれていた。まあ真隣にいるものね。恥ずかしくなんて、もちろんある。


「まあ、まあまあ、まあ……あっ、ソキウスだ」


 丁度窓の外でわいわいみんなと会話しながら通り過ぎていく姿が見えた。こうして塔の中を掃除していると、ときおりソキウスの姿を見かける。いつも重たそうな何かを抱えていて、今日は周囲には同じ年頃の男達もいる。ソキウスはすっかり街でよく見る、黒ローブの集団の一員となっていて、こっちも私の知らない姿だ。


「うう、村じゃ私に鼻フックをされてたのに、すっかり立派になって……」

「……お前は一体何をしていたんだ?」


 村じゃ子供の数がそもそも少なくて、遊び相手はお互いくらいなものだった。だから喧嘩相手も自分達しかいなかったのだ。

 知らないうちに、みんな自分の道を歩いていく。そしてこうして私がしみじみしている間も、イッチはギュルギュルに激しいアクセルジャンプを行い、『ヒュウッ! さすがイッチさん、俺達にできないことをしてくれるうゥ!』『そこにシビれる憧れるゥ!』とニィとサンにヒュウヒュウされていた。やめなさいよ。


 もはや私は魔道の塔の学生達から、その場に立っているだけで私を起点として輝きが増していくなんか謎の存在扱いをされることとなり、万物創生のような気分でおシャカポーズで日々を生きた。何をやっているのか。




 さてさて、室内で自由に掃除をしていいのは、廊下のみとのことだ。あとは塔の外壁も問題ないらしいけど、まだそこまで手を伸ばしていない。しかしイッチ達の手が届く日は、そう遠くはないだろう。

 コンッ、と一度ノックする。

 室内の掃除をしていいかどうか確認する合図だ。返事がなければ好きにしていいと言われているので、よいしょと許可証を取り出して、くぼみに埋める。ゆっくりと扉が開いた。昼間にこの場所に入るのは初めてだ。ちち、と小鳥の声が聞こえたと思ったら、ばさばさと翼を広げて目の前で飛び上がった。


「うわっ……」


 びっくりして、後ずさった。イッチ達が私の後ろからにゅっと顔を覗かせて、ほうほうと頷きながら様子を見ている。天井はない。一本の大きな木が立っていた。暖かい光の中でざわざわと葉っぱがこすれていた。世界樹の葉だ。


「エルですか」


 振り返ると同時に、一つにくくった長いヴェダーの髪が揺れた。錫杖が、しゃんっと一つ、音を立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る