70 お掃除してもいいですか?

 

「えーっと……お掃除しても、いいですか? 一応、ノックはしたんですけど」

「もちろん。返事がなければ、入ることができる扉には入ってもいい、と伝えたのは私ですから」


 たとえ返事がなかったとしても、私が入ってはいけない扉は鍵がかかっている。この先見の鏡――世界樹の葉があった空間は、今は私の胸元にある許可証を使って、呪文を呟けば誰でも入ることができる。とても大切な場所だけど、大切な場所だからこそ、誰しもが接することができてほしいという主塔の考えからだ。


 返答をもらって、安心した。普段は幻術スキルで姿を隠しているイッチ達だけど、ヴェダーはもう彼らのことを知っているから隠れている必要はない。イエーーーイ! と飛び出したイッチ達は、(すでにもうしているけれど)好き勝手できるというものである。


 ――やるぜ!

 ――やったるぜ!

 ――やりまくったるんよーーーー!!!


 ぼいんぼいんが激しい。

 周囲の壁という壁をぎゅるぎゅるイッチ達が掃除している間に、私はヴェダーのもとに歩いた。


「あの……なんかその、すみません、ちょっとうるさくします」

「いえ、気になさらないでください。ありがたいです。私もなるべく掃除をするようにと声をかけているつもりなのですが、いつも気づけば埃だらけで……。それにしても、スライムが人の言うことをきくというのは随分珍しいですね。あなたが魔族という特性だからですか?」

「えっ、いやー、うーん、そんなことは」


 初めはテイマースキルで結んだ縁だったけど、今は純粋な友人関係だと思っている。だからイッチ達に、私といることを強制しているわけじゃないので、『ごめんけどそろそろ次のお掃除場所を探すから、じゃあね!』と言われて去ってしまう可能性はあるし、もしそうなっても、今までありがとうと精一杯に伝えるつもりだ。と、思っていたら、エルと一緒にお掃除するのが楽しいのよ~~! と、視界の端でぼよぼよ主張している姿が見えて、うへへとなった。


「ソレイユでは、すでにスライムはほとんど生息していませんからね。珍しい光景です」

「前にも言ってましたね。スライムって、比較的どこにでもいるイメージなので、意外です」

「スライムは、神の使いといわれていますから。水と神は同義です。水がいなければ、スライムの姿も消えていくのでしょう。ここ数年、気候の変動がさらに顕著となり、ソレイユでの水不足は深刻です。ときおり降るスコールを水球膜に溜め込んでなんとかやりきっていましたが、そろそろ限界も近い」


 聖女の召喚は、四つの国のどこで起こってもおかしくなかった。ソレイユでもきっと協議中だったに違いなくて、クラウディに先を越されてしまったのだろう。ヴェダーは説明しつつも、しゃんしゃんと錫杖を動かして世界樹を見上げていた。


「……あの、なにを?」

「お仕事中です」


 しゃんっ! と今度は大きく音を鳴らして、地面に先をついた。すると、ぐんっと枝の一部が伸びて、その反対の枝がみるみるうちに枯れて落ちる。「えっ、うわあ」「剪定中ですよ。育つ見込みのない枝は切り捨てています」 そういえば、初めてヴェダーとここで出会ったときも、仕事をして待っていた、と言っていた。そのときも同じことをしていたのだろうか。


 落ちてしまった世界樹の枝は少しずつ細く痩けていき、いつの間にか消えてしまった。やっぱり普通の木とは違うのだということを、改めて認識した。「これも魔道具を使った作業ですが、私にしかすることができませんので」 大変だなあ、と思う彼の両腕には腕輪がついている。右と左、まったく違うデザインで錫杖を動かすたびにちらちらと右手の腕輪の模様が変わっていく。


(ヴェダーの固有スキル、魔道具を上手に使うことができる、というスキルを使わなきゃ使えない魔道具かあ)


 こりゃ体がいくつあっても足りない。なんていったって、彼しかできないお仕事だからだ。切り取った枝のあとを見るとなんとも寂しい。私の考えがわかってなのだろうか。「大丈夫ですよ、きちんと上手に断ち切ることができれば、切り取ったあとからも芽吹くものです。世界樹と私達は共存し合っているんです」


 世界樹の根があるからこそ魔道具を使用することができて、枝を使って文を飛ばすこともできる。この国、いや、全ての葉は世界樹に支えられている。


「そういえば、クラウディ国で結子……さんが、儀式が終わっていないから枝を使うことができないって言ってましたけど、ソレイユではそういうのはないんですか?」

「ありますよ。私も主塔も、すでに終えています」


 なんと。

 このとき、白状すべきかと葛藤した。でも多分、ヴェダーはすでに知っているはずである。ここで知らぬ、気づかぬのふりをするよりも、さっさと懺悔した方がいいだろうと判断して、うぐぐと唸った。「すみません、私この間思いっきり使いました」「もちろん知っていますよ」 ですよねえ、という感じである。だって、使うと把握できるからここで待ってたって言ってたし。


「ですから、もう使っちゃだめですよ。開閉に毎度水が必要なドアを気にしない人間は、あなたとイッチさん方くらいですけど。次からきちんと入り口を使ってくださいね」


 イエッサーである。神様に睨まれたいわけじゃない。

 頭の上ではすでに天井部分――は、切り取られているから、実際は一番上という意味だけど――までたどりついたらしいイッチ達が、ぎゅんぎゅん下りるぜと大回転ジェットコースターを行っている。世界樹の間でウェイウェイする神の使いのスライム達。不敬極まりないのではと不安で仕方がない。


 それより、と私とヴェダーは顔を見合わせた。ヴェダーは忙しい男だ。だから、顔を合わせることはあまりないのだけれど、万一クラウディから返事が来たら教えてくれると約束してくれた。その彼が、何も言ってこない、ということはやっぱり、そういうことだろう。ヴェダーは肩をすくめた。世界樹の枝に文を結ぶと、一瞬のうちに届けてくれるから、どこからかヤギが迷い込んでいない限り、郵便事故が起きている可能性は少ない。


「すみません、ヤギ型のモンスターって存在しますか?」

「え? いますね」


 いるのか……。

 いやいるからなんだというのか。自分でちょっとよくわからなくなってきた。


「ブッチですか」

「ブッチでしょう」


 つまりはおシカトをしていらっしゃる。

 なんてこった。魔道の塔はソレイユの代表なのだから、こっちを無視するということは外交問題に発展する。一体、クラウディはどうなってしまっているのだろう。思わず溜め息をついてしまったとき、一本の枝が静かに光り輝いた。「えっ、うわわわわ」「……来ました」 あんまりにも眩しくて瞳を閉じて、開いたときには先程までなかった紙が結び付けられていた。灰色の紙はクラウディ国の印だ。


 ヴェダーが、錫杖を振るうと、枝は静かに私達の眼前に下りてきた。「失礼」 そっとヴェダーは文をといた。文字を追って、端正な顔をしかめた後に、また最初から読み直しているようだった。そんなに信じられないような内容が書かれていたのだろうか。


「……まとめますと」


 私の視線を気にしてくれたらしく、ヴェダーはゆっくりと言葉を落とした。


「まずは、返答が遅れたことに対する謝罪。そして、理由としては、国内で聖女を捜索していた、とのことです。クラウディ国は聖女の存在を把握していないので、あくまでも噂にすぎないと」

「え、ええ、それは……」


 ちょっと無茶がある。私のことを聖女の名前を出して捜していたんだし、いやあれは未来のことになるのか、とややこしいなと頭をひねった。「さて」 ヴェダーはするりと瞳を細めた。


「果たして、これをどう捉えるべきなのか……」

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