98 言わせんな!
苦しかった。めちゃくちゃに苦しかった。エルドラドは、ヴェジャーシャは私を殺すつもりがないと言っていたけど、そんなの嘘じゃん? と思いたくなるほどである。
息ができない。しちゃだめだ、と思ったとき、一つのスキルを思い出した。能力の説明が【ちょっと、息を止めるのが上手になる、かもしれない】と、なっていたのはLv.1だったときの話だ。一瞬でLv.2に変化していたそのスキル、解説を見てみると、【苦しくても、めちゃんこがんばれるかも?】 だからなんで疑問形か。
勢いよく選択して、ほっぺをぱんぱんにして飛び込んだ。こっちに背中を向けたのが運のつき、というかこの素潜りスキル、まさか使用するときが来ると思わなかったというか、結局苦しいんかい! と突っ込みたい。とても苦しい。
すでにヴェダーからもらった魔道具の射程距離の範囲内に、枝はある。右手の腕輪を光らせればこっちのもの。これは、もう、勝った! と確信したのがだめだった。パチン、とヴェジャーシャは静かに指を鳴らす。私の右手から、魔道具が消えていた。
「え……」
すっかり呼吸は元通りになっていた。ヴェジャーシャが固有スキルを解除したんだろうけれど、そんなことよりも一番重要なものがなくなってしまっている。「……別に、衣服なら剥ぎ取ることができる」「衣服ゥーーーーー!!?」「違う。それは予定にない」 ツッコミは冷静である。
イッチ達は隙を見つけてはオラァ! と跳ねて飛び込んでくれているものの、指パッチンの一つで軌道をそらされる。イッチ達が動いているのではなく、周囲の空間を移動させているのだ。化け物か。
「……これがなければ、もう、何もできないだろう。そろそろ諦めてくれるだろうか」
最初に比べれば、随分饒舌になってきた。たしかにそうだ。私は何もできない。イッチ達が頑張ったところで、ヴェジャーシャの意識を少しばかりそらすことができるくらいだ。そう、私は何もできないけど。
「やだなあ」
ちょっとだけ、笑ってしまう。背中を見せたり、余裕ぶったり。「そういうラスボスっぽいことをしていると、足元なんてあっけなくすくわれるんだよ」 ちなみに、私にもともと余裕なんてないけどね、と笑ってしまう。「あとはもう、ちょっと意識をそらしてくれるだけで、大丈夫だったから」 にっこりする。全部もう、終わっている。
ヴェジャーシャは眉をひそめた。そして勢いよく振り返った。ロータスがいた。彼が、腰の剣を使って太い枝に剣をつきたて、引き抜いた。
メリメリと音をたてて、まがって、折れて、落下していく。すぐさまロータスは別の枝に飛び移り、類まれなる運動神経であっさり私のもとに戻ってくる。羨ましいことである。
「なんで……」
「そりゃ、世界樹は魔道具がないと切ることはできないけど」
ただの剣を人間が持っても、世界樹には傷一つつかなかっただろう。
自分のことではないし、これ以上はいちいち言う必要はないかな、と思ったため、答えは自分の中でのみ考えることにする。
ロータスはクラウディ国でのお相手キャラだ。キャラ達はそれぞれ、固有スキルを保有している。ヴェルベクトの街を破壊されたとき、本来彼は固有スキルを修得していたはずなのだけれど、あえてこの言い方をすると、私が“イベント”を台無しにしてしまったため、彼がスキルを修得することはなかった。
でもこれが三年前。三年経ったのだ。もとはもつはずの能力だ。その間に、ロータスが修得していないなんて、そんなわけない。
ロータスの固有スキルは、なんでも切れること。魔族としてではなく、ロータス個人としての固有スキルだ。ゲームじゃこのスキルのおかげで、彼はATKが信じられないくらいに高かった。でも、普段の戦いでは、スキルに頼らなくても十分すぎるほどに強かったから、使う必要なんてどこにもなかった。
ほとんど初めて使うスキルだから、ロータスは自分の腕をぐーぱーして首を傾げている。「……違和感ある?」「まあ、若干。手応えが気持ちわりぃ」 すぱっといっちゃう感じなのだろうか?
でもヴェダーの魔道具は、もちろん必要だった。あの魔道具がないと、どの枝を切ればいいのかわからなかったから。だから、私の仕事はロータスに、どの枝を切ればいいのか教えるところまでで、本当は終了していたのだ。あとは、どこかに飛ばされてしまった彼が戻ってくるのを待つ。もちろん、この間に切ることができていたらそれで十分だったけど。
ヴェジャーシャは呆然として、その場に立ち尽くしていた。
私から奪った魔道具を手の中からからんと落とす。これはこれで重要だし、なくしたらヴェダーの目からビームが出る気がするので慌てて回収した。
「さて、これで……どう変わったのかな」
地上の様子はわからないけれど、変化はあったのだろうか? これにて仕事は終了、というわけだけど、意識がとんで、すでに真っ白になってしまっているヴェジャーシャと向かい合う。もちろん、彼だって重要だ。十三年の時を繰り返させるなんて冗談ではないし、私達も意識がなくても繰り返しているということになる。今までの出会い全てがなくなるなんて、絶対に嫌だ。でも、ソレイユを犠牲にするのも、すごく嫌だ。
ずんずん進む。ヴェジャーシャの手を思いっきり握る。
「ヴェジャーシャ、一緒に考えよう」
「何を……」
「みんなが、幸せになる道を、考えよう!」
枝を切り落としました、はい終わり。そんなわけにはいかない。ヴェジャーシャは首を振った。硬い表情のまま、私を睨んだ。「別に、幸せになりたいわけでは」「権利はある! チャンスもある! うちのロータスの親友でもある!」 あん? とロータスが瞳を眇める。とりあえず、ロータスへの説明は後回しだ。
「人を多く殺した魔族に、そんな権利があるわけがない」
「それは、前の時間でしょ、あなたは今回誰も殺してない!」
「……なぜそう言い切れる」
「水膜球の中に入ってたから! カーセイの都は、人を殺した人は入ることができない!」
私が力いっぱい叫んだセリフに、ヴェジャーシャは瞳を見開いた。土サソリと戦った夜、ヴェジャーシャとマルクは、二人してカーセイの都の中にいた。そのときは戦いの影響で水膜球が破れていたから、そこから侵入したのかな、と思っていたけど、次の日ヴェダーに聞いたとき、夜になる前に修理が終わっていた、とはっきり言っていた。
だからそのとき、ああそうなんだ、と思った。
「誰も死んでない! 迷惑を、かけたのは間違い……ないけど、死んでない、殺してもない!」
「ばかな」
そんな問題があるか、とヴェジャーシャは吐き出すように告げた。そうだ、そのとおりだ。死んでいないからと言って、怪我をした人はいただろうし、別の時間で、彼は人を山程殺した。それを、巻き戻ったから罪なんてなにもない、はい終わり、なんて、おかしい――と、いうことを、ヴェジャーシャは私に説明した。わかってる、そんなことわかってる。
「それ、普通こっち側が主張する内容でしょ、言わせんなぁ!」
まるで夢のような中で、エルドラドが似たようなセリフを言っていたのに、こっちとなると色気がない。
「おかしいと思うんなら、それでいいよ。それなら迷惑をかけた分、努力しようよ! あなたはもう十分頑張ったし、頑張れる人なんだから、いくらでも、なんでもできるよ、いやこれってちょっとひどい意見かな!?」
言いながら、人に頑張るを押し付けるのは何か違うような気もする。疲れ切っている人に、もっと頑張れ、なんて本当は言っちゃいけない言葉だ。短慮だったと唇をぐっと噛んで、彼を見上げた。すると意外なことにも、ヴェジャーシャはぽかんとした顔をして、ぱちり、ぱちりと瞬いていた。可愛らしい表情をしていた。
「いや、どう、なんだろう……」
ロータスに、表情が大切だと説教をした人なのだから、きっと本当は可愛らしい顔をする人なのだろう。「どうだろ、わ、わからない……」と、言った私側もよくわからなくなってきて、二人で手を握ったままぽかんとした。
そのときだ、地面が揺れた。いや、世界樹そのものが揺れていた。すぐさまやってきたロータスにお腹を持ち上げられて、回収される。メキメキと、音がする。何かが壊れている音だ。きゃあっ、とイッチ達が飛びついて、みんなで周囲を見回した。「え……あ、あっ!!」 指をさした。ロータスも、ヴェジャーシャも、目をまんまるにしてその光景を見つめていた。
***
風の壁が、少しずつ消えていく。カーセイの都では、人々の不安も、ざわめきも大きくなる。限界だと気づいていた。ソキウスの肩で、瞳を瞑ったピアがぴろぴろと尻尾を揺らしている。
「エル、今お前、どうなってんだよ……!」
呟いただけのつもりの言葉も、勝手に大きくなってしまう。それだけ、焦っていた。水膜球の作り変えも、未だに終わってはいない。セイロウ達や、カーセイの数少ない兵達が住民を抑え込んでくれているものの、不満という爆弾が、今すぐにも弾けてしまいそうだ。
そのとき、はたりと風の壁が消えた。シャングラが全ての解析を完了し、ヴェダーの壁を打ち消した瞬間だったのだが、ソキウスはそんなことは知らない。ただ、恐ろしいほどの不安が胸を打った。ヘイルランドが攻め入ってくる。エルが世界樹を伐採し終わったのかどうかもわからない。でも、無抵抗にやられるわけにはいかない。
「……ギリギリまで、諦めちゃだめだ!」
戦わない戦いもある。けれど、逃げることもできない。それなら、カーセイに立ち入らせない。土サソリと戦ったときとおなじだ。気づけば、多くの市民達がソキウスと同じように周囲の塀に集まっている。武器なんて何もない。泥団子の代わりに、何でも投げた。椅子でも、机でも、箒でも、土でも、バケツだって。少しでも、時間を稼ぐ。
それでも、じわじわと彼らはやってくる。塀をのぼって、扉を突き破ろうとする。誰しもが大声を上げた。言葉なんて何もない。意味なんて何もない。ぐちゃぐちゃになって、汗を吹き出して、喉を嗄らした。意味もない言葉は、一つの形に変わっていく。負けるか。諦めるか。
街を、守れ。
一人の兵士が塀を越えた。女が悲鳴をあげて、へたり込んだ。そこに大きな椅子を持った男が兵士を背後から叩きつける。繰り返して、へとへとになって、もうだめだと崩れ落ちた。限界だった。――待たせた!!
男の声が、響き渡った。
カーセイの都中に薄く張られた水膜球が厚みを変えて膨れ上がる。吊り下がっていたカンテラが、ゆらゆら揺れる。壁に登っていたはずのヘイルランドの兵士達は、あっけなく弾き飛ばされた。作り変えは終了した。水膜球が、カーセイに悪意のあるもの全てを弾き飛ばすように変化したのだ。
気づいたら、また泣いていた。涙でぐずぐすになっていた。拳で目頭をぬぐうと、わずかに瞳を開けたピアが、ぺろりとソキウスの頬をなめる。ざらざらしていた。
――大地は、守られた。お前ら安心しろ、ヘイルランドのやつも、もうカーセイには手出しできん!
主塔の声だ。大地が守られた、ということは、エルもなんとかなった……のだろうか?
想像することしかできない。わっと響いた歓声とともに、カーセイの住民達は互いに抱き合い、喜んだ。そのときだ。
ひらひらと、何かが舞い落ちた。
ひとつが、空から。ふたつ。三つ、四つと増えていく。
気がついたのはソキウスだけではない。なんだろう、と子供が空を見上げて、大人達も同じように顔を上げる。花びらだ。誰が呟いたのかわからない。けれどもぽつりと、声が聞こえた。
「花びらの、雨が降ってる……」
***
切り落とした枝が、めきめきと音をたてて、地響きが響く。私はロータスに持ち上げられたまま、ぽかんと見つめていた。そのとき驚くほどのスピードで、折れた枝から、新たな枝が生まれ落ちた。ぐんぐんと空を登って、まっすぐに進んでいく。
「えっ、えっ、あ……」
ふと思い出した。ヴェダーとの会話だ。
――きちんと上手に断ち切ることができれば、切り取ったあとからも芽吹くものです。世界樹と私達は共存し合っているんです。
ロータスが切り落とした枝は、おそらく正しいものだった。しがらみを失った世界樹はどこまでも成長して花開く。ほたほたと雨が降った。いや、違う。花びらだ。花びらの大洪水が襲ってくる。地響きは止まらない。あまりにもいきなり形が変化したから、世界樹の本体がついていくことができないのだ。立っているはずの場所が斜めになったり、高くなったり、低くなったり。ロータスが私をひっぱってくれて、そのロータスをイッチ達が捕まえて、体を伸ばして別の枝に捕まっている。なんとか揺れには耐えられた、と思ったのだけれど、ヴェジャーシャは違った。あっけなく足を滑らせて、体が宙に浮いている。
彼は、こちらに手を伸ばした。
「ヴェジャーシャ……!!」
大丈夫だ。彼にはスキルがあるのだから。大丈夫だ。もし、落ちたとしても飛行スキルもある。だから、絶対。
そう思ったのに、ふと、ヴェジャーシャは全てを諦めたように伸ばした腕からだらりと力を失った。全部を諦めたような仕草だ。彼はそのまま死ぬつもりだ。ヴェジャーシャの目的は、繰り返しを終わらせること。それなら、目的は達成した。なんて言ったって、繰り返しを行っていた世界樹そのものの形が、変わってしまったのだから。
いけない、と言葉を叫ぶ前に、誰よりも早く動いたのはロータスだった。滑り落ちるヴェジャーシャの腕を受け止め、握りしめる。垂れ下がったまま、ロータスの腕一本で、ヴェジャーシャは支えられている。
「放して、ほしい」
願うような声だった。けれど、はっきりとロータスは答えた。「断る」
「お前が落ちるのは、一度でいい」
クラウディ国では、魔族を捕まえると、崖から突き落とす。どんなスキルを持っているかわからないから、能力を開花させる前に殺してしまう。ヴェジャーシャも、一度は落ちた。けれど、人よりも才能があったから、スキルを使用し、逃げることができた。
ロータスは、ずっと後悔を繰り返していた。見殺しにしたようなものだと思っていたのだろう。悔やんでいたことを知っている。
互いの間で、どういった感情があるのか、私には想像することしかできないし、どう考えても足りないものがある。だから、そのときの二人が、何を考えていたのか、私にはわからない。
ヴェジャーシャはぶるりと震えたように唇を噛み締めて、わずかに泣き出しそうな顔をした。ぷらりとロータスに支えられたまま、どうにか言葉を選ぼうとしてやめてを繰り返す。「……君には、繰り返す中で、何度か出会ったけれど」 やっと出てきた言葉をどう扱えばいいかもわからない、そんな様子だった。「こうして腕をひかれることは、なかったな」
ロータスは、きょとんと瞬いた。眉を上げて、考えて、ああ、と返答する。
「どうやら俺には、お前を引っ張る腕がなかったみてえだからな」
たくさんの、花が散って、こぼれて、風にのって、どこまでも飛び越えていく。
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