99 雨が降る
「ああ、ふざけんなよ、あのおっさん……」
砂漠の中で、少年は大きなため息をついた。隣では相棒がちゅるりと長い舌を出して首を傾げている。がんばったな、と頭を撫でる。砂コブラと呼ばれる大きな蛇のようなモンスターだ。彼に乗ることができるのは、少年しかいない。
『いやあ、おつかれさん! 礼金はたっぷり弾むぜ』
と、耳元からおっさんの声が聞こえ続けるので、いい加減投げ捨ててやろうと思った。変なおっさんが、立ち入りを禁じられた区域に入ろうとしていたから、親切心と商売心が大半で案内してやろうかと声をかけた。大丈夫だ、と返答されたものの、やっぱり戻ってきて、首根っこを捕まえられた。
金は弾む。だから、仕事を頼みたい。もしかすると、この場所の大地がさらに沈むことになってしまうかもしれない。そのとき、住民の避難を任せたいと言う。
通信機と呼ばれる魔道具を手のひらの中に入れられて、何を言っているんだと思いながら、促されるままに頷いた。肌身離さず持っておくようにと言われた魔道具を持ったまま眠りこけていたらおっさんからの指示が飛んだ。こんないきなり、ふざけんなとどやしつけてやりたい。
疲れ切った体がまるで泥のようだった。もともと、禁止区域に近いものだから人が来ることはないけれど、それでも念の為だ。近くの村にも伝令を伝えた。誰も近づかないように、入らないようにと警戒し続けた中、おっさんの言う通りに大地は沈んだ。すると不思議なことに、また新たな土地が生まれた。砂ばかりの枯れ果てた土地であったはずだった。それがどうだ、今すぐに消えてしまいそうな、か細い芽ではあったけれど、たしかに生まれて、生きようとしている。
吐き出した息が、どういった感情のものだったのか。自分にだってわからない。ただ、枯れ果てた大地を見続けていたというのに。
「どうすんだよ、これから商売、あがったりじゃねえか……」
相棒の背に乗って、砂の上を滑るように。素早く移動できるのは少年だけだった。なのにどうしろと言うんだ、と言葉では責めているくせに、口の端は勝手に上がってしまう。どこからともなく、花の雨まで降っている。耳につけた通信機に、笑いながら叫んでやる。
「おい、おっさん! 金はとるぞ、たんまりな! 取った分、案内してやっからよ、見に来いよ、すげえことになってっから!」
***
風の壁を破壊した、あとはカーセイを叩くだけ、であったはずだった。あちらの方が一枚も二枚も上手だった。スノウはただ歯噛みした。勝てない、彼は負けてしまったのだ。
「……お前、もっと、なんとかならなかったのか!」
「これがあたしの精一杯。そりゃもう悔しくてたまんねえですわ」
へらりと笑うシャングラの首元を掴む。本当に心の底から思っている言葉なのかと殴り飛ばしてやろうかと思ったが、ずれた黒眼鏡の隙間から見える瞳は、恐ろしいほど鋭い。
「……で、どうしやすんで?」
「ここまで来て、おめおめと帰ることなどできるか。戻ったところで、他の国の連中との戦いになる。前にも、後ろにも進むことができないというのなら、この国を制圧する可能性に僕はかける」
「泥沼ですねぇ」
「上等だ」
吐き捨ててやった。
全ては国の民のために。飢えぬ国を作るため。世界は平等ではない。それならば奪うだけだ。覚悟を決めた。ふと、何かが空から降ってきた。ちらちらと桃の花弁が空を飛ぶ。一呼吸する間に、たっぷりと大雨のようにスノウの視界を染め上げる。
「なん……だ、これは!」 右も、左もわからない。兵も混乱している。ただ、シャングラだけが空を見上げた。「世界樹の、花弁……」 なんだそれは、と叫んだスノウの言葉を無視して、花弁をかき分け、通信兵に向かって、声を張り上げる。
ヘイルランドは、ソレイユとは異なる文化を歩んでいる。国を超えた、長距離での伝達を可能とするそれは、科学と呼ばれていた。「あんた! 今すぐ確認しなせえ、ヘイルランドにも、同じ花が降っているか!?」 返答は悲鳴のようだった。すぐさま大柄の機械を取り出し、ベルを鳴らす。時間はそうかからなかった。たしかに花は降っている。どこもかしこも、それこそ、ヘイルランドの国中に。
「……え、あの」
「どうした、他に何かあるんで?」
「雪が、いや、花が、いえ、その、ヘイルランドに降っていたはずの雪が、全部……花、いや、花びらに、変わって」
「なんだと!?」
スノウは兵士から機械を取り上げた。けれども向こう側は同じことを繰り返すばかりだ。ヘイルランドの雪は明けることなく降り続ける。彼の故郷は人が住むには辛すぎるはずの、極寒の国であるはずだ。それがどうだ、まるで世界樹が新たに息を吹き替えしたように、芽吹いている。ただ、スノウはわなないた。「で、どうするんで?」 肩をすくめているシャングラを片目で睨み、瞳を瞑った。受話器は投げ捨て、背後の兵士が受け取っている。
「……撤退だ」
「尻尾を巻いて?」
「そうだ、攻め込む必要がないというのなら、今すぐ尻尾を巻いて逃げ帰る。お前との協力もこれまでだ。好きにしろ」
「そんなまさか。関わった以上、最後までおともしますよ。あたしは案外、あんたを嫌いじゃないからね」
飄々としている。拳を握った。「……お前、目的はどうした」 彼らは互いに同じ目的のもとに手を組んでいたにすぎない。シャングラは、ははぁ、と肩をすくめる。
「機会はいつでもやってくるさ。ヴェジャーシャを叩きのめすのは、あたしは別に今じゃなくても構わない。あたしは最後に笑っているのがあたしなら、過程なんてどうでもいいんでさぁ」
へらへらする男に、スノウはただ舌を打つ。けれど、そんなことをしている場合ではない。これからヘイルランドには逆風が吹く。非道にも他国に不意打ちのように攻め入ったのだ。レイシャン、クラウディ国――その他の葉からの叱責は逃れられないだろう。すぐさまに守りを固めなければならない。
けれども、と小さな希望を胸に抱いた。彼は、人が苦しまぬ国を求めた。その微かな希望が、青年の胸の中に芽生えていた。
そのとき、多くの人々が空を見上げた。
降りしきる花に手を伸ばした。子供達が短い腕を伸ばして、きゃあきゃあと声を上げる。
一体どうしたと言うのだろう、と窓の外を、一人の女性が不思議そうに見つめていた。雲の隙間から、わずかに太陽を覗かせていた。クラウディ国でも、本当に、ときおりだけれど太陽が顔を出すことはあるけれど、それにしては随分変だな、と首を傾げた。それから、なにこれ、と悲鳴を出した。店先が、すっかり花で埋まっている。母さん、と家の中にいる母に声をかけた。掃除しなくちゃ、大変よ、と伝えて、何いってんだい、と返答がくる。
いや本当に、大変なんだから。
『はらぺこ亭』のドアがゆっくりと開かれた。箒をもって、ちりとりを抱えて、びっくりした。街中が花だらけだ。三年前、崩れてしまった街をふと思い出した。それが今、ピンクの花びらがどこからともなくあらわれて、街中を染め上げている。
「花びらは、もう落ちてこない……みたいだけど」
さて、と腰に手を当てて、ううん、と眉を曇らせた。これはどうしたらいいのだろうか。「あの子、すごく掃除が得意だったな……」 気づいたらどこまでもぴかぴかになっていた。まるでエル以外に、他の人がいるみたいな。今考えると、何かがいたような気がする、とはっきりと頷き、そんなわけないか、と肩をすくめた。現実から逃げるのはやめておく。
「さて、お掃除しましょうかね! これじゃあお客さんが来ないし。はらぺこ亭は、いつでもどこでもお腹が減ったどなたさんかをお招きしますよっと!」
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