96 戦い

 

 ロータスがヴェジャーシャを実際に見るのは、随分久しぶりのことだ。

 私はロータスにおぶわれたままだから、彼の表情はわからない。けれど、ロータスが息を飲み込んだことには気づいた。当たり前だ。十三年の長過ぎる時間だ。心情を想像しても想像しても足りなくて、ただ、彼の肩をぎゅっと握った。


 それでも多分、ロータスは冷静だった。


「……エル、どの枝を切り落とせばいいのか、わかるか」


 まず確認したことはそれだ。マルクがいる以上、世界樹の頂上にヴェジャーシャがいることはわかっていたはずなのに、ロータスに話しかけられるまで、一瞬息を忘れていた。「えっ、あっ」 慌てて周囲を見回した。右手の腕輪に集中して確認する。ゆっくり瞳を閉じた。鞄に入れているままの地図を頭の中で思い描く。


「……あそこ」


 一本の枝が、ゆっくりと空に伸びている。柔らかい葉っぱだった。不思議なことにも緑の葉っぱ、少し枯れてしまった葉っぱ、茶色に色づいて、今すぐにでも、はらりとこぼれて、落ちてしまいそうな葉っぱと全てが入り混じっていてたくさんの人が集まるソレイユという国そのものを思い出した。あれだな、とロータスは頷く。


 こうして私達が会話をしている間も、ヴェジャーシャはちらりともこちらを見ていない。けれど、さすがのイッチ達も警戒をあらわにしていて、私はちらりと彼らを見たあと、ゆっくりと息を吐き出して、ロータスに下ろしてくれるように告げた。


 木の上にゆっくりと足をつける。

 靴越しからでも、じんわりとした温かさを感じた。深呼吸でもしたくなるような感覚で、何かぽかぽかしたものが体の中に入り込んでくる。


(本当に、今、世界の中心にいるんだ……)


 たくさんの何かが流れ込んでくるみたいだ。思わず自分の足元を見つめた。でもすぐに首を振る。枝を切り落として、ソレイユの大地を落とす。とにかく、それが目的なのだから、あちらがこっちを気にしないのならありがたい。そろっそろっと進んだ。そろそろそろ。


 ヴェジャーシャは平たい木の幹の中心部にいるから、どこをどう通ろうとしても必ず見つかってしまう。いや、すでにもうあちらは気づいているに違いなくて、それを知らないふりをしてくれることを前提に、えっちらおっちらこそこそ歩いている、というのはなんだか変だ。


(っていうか、ここまで来たら、もう、気にする必要もなくない?)


 ささっと走って、えいやっと枝を切って逃亡したらいいのだ。というか、「ろ、ロータスどうしよう、帰り方、考えてない……!」 こそこそ話をするため、彼の服をひっぱってかがんでもらう。耳にそっと告げると、「なんとかなるだろ」 実は彼は私よりもいきあたりばったり力が強い。多分、人よりも不安が少ない。


 じゃあ、そういうことで、と走り出そうとしたとき、ヴェジャーシャは、こっちを見ていた。

 ぴーひょろろろ……

 鳥なんて飛んでいるはずもないのに、一瞬幻聴が聞こえた。


「ど、どうするロータス……!?」

「どうするもこうするもあるか」


 私と顔を合わせるため、ヤンキー座りになっているロータスが似合っていないのか似合っているのか絶妙すぎて怖い。私達をじっと見つめたままぴくりとも動かないヴェジャーシャに恐怖を感じつつも、まず反応したのはロータスだ。「よう」「ロータス、眉間の皺ァ……!!」 久しぶりの幼馴染の再会なのだから、ちょっとは朗らかな顔をしてほしい。そうじゃなければ重たい空気に私とイッチ達が耐えられない。

 よっこいせ、とロータスは立ち上がった。


「お前、随分変わったな」


 距離はまだまだあるけれど、少し声をはれば聞こえる距離だ。ヴェジャーシャよりも、ロータスの方が少しだけ背が高い。それからしっかりとした体つきで、ソレイユに来て、以前よりも日に焼けた。対して、ヴェジャーシャは髪の色と同じく、肌の色まで真っ白で、見ていて心配になるくらいだ。そのくせ、瞳だけは赤くて目立つのに、マルクとも、ピアとも、今まで出会った魔族の誰とも違う色をしていて、どろりと重たい泥のような瞳だった。


 見ているのに、見ていない。

 彼はいつもそうだった。ヴェルベクトの街で出会ったときも、夜にいくつものカンテラを揺らす、カーセイの都で、出会ったときも。静かに、ロータスは拳を握りしめた。多分、ひどく驚いていた。


「……人は、表情が大切だっつって、俺に説教したやつは、どこのどいつだよ」


 少しばかり、聞き覚えがある言葉だ。どこでだろう。そうだ、親友に言われた言葉だと言っていた。いつも眉間に皺が寄っていて、見ように寄っては怖くて逃げてしまいたくなるような雰囲気なのに、彼はひどく、にっかりと笑う。きっと、ロータスの心の中で静かに沈み込んでいた言葉だったのだろう。


 溜め息をついて、そっぽを向いたロータスは気づいていないかもしれないけれど、ロータスの言葉で、やっとこさヴェジャーシャはぴくりと、少しだけ反応した。本当にゆっくりとした動きだけれど、じわりと瞳を動かして、瞬きをした。今気がついた。恐ろしいことに、今のいままでヴェジャーシャは瞬きすらもせずに、ただじっとその場に立っていたのだ。


「ろ、ロータス」

「エル、行くぞ」


 怖くなってロータスの手をひっぱった。でもロータスはそのまま顔を背けて、目的地まで向かおうとした。「行くな」 じん、と言葉が響いた。ヴェジャーシャだ。「何もしないでくれ、もう少しで終わるんだ」 何が、というのだろう。


 ――全ては僕達が終わらせる


 以前に、マルクが、そう言っていた。


 ロータスはまったくもって、彼の話を聞かなかった。そう、私達の目的はヴェジャーシャではなく、世界樹なのだから。行動としては正しいものだと思う。進んだ。と、同時に、ヴェジャーシャはゆっくりと右腕を動かして、ぱちりと一つ、指を鳴らした。ロータスが消えた。


「えっ……」


 不安になって、私はロータスの服の裾を握っていたはずなのに、すっかり宙を掴んでいて、空振った。振り返った。誰もいない。イッチ達も困惑して、ぴょこぴょこ周囲を回っている。「ろ……」 大きな、切り株のようなその場所をぐるりと見回した。「ロー、タス……?」


 ヴェジャーシャは指を鳴らしたままの体勢で、少しばかり首を傾げて私を見ていた。

 どっと嫌な汗が流れた。心臓がばくばくと音を鳴らす。息ができない。もう一度、ゆっくりとヴェジャーシャは指を鳴らそうとする。「待って!!!」 叫んだ私の声に、彼はぴたりと動きを止めた。


 固有スキルだ。

 私の幻術スキルのように、魔族には誰しもが一つ、特別な能力を持っている。マルクはテイマースキルの上位スキル、ピアはハウリング。ヴェジャーシャは――未来予知。(ちがう……) それだけじゃ、今の状況は説明がつかない。


「ロータスは、どこ……」


 さあ、と彼は答えた。「生きているの」 この問いにも、さあ、と首を傾げる。ぶるりと、唇が震えた。

 こんなの、反則技だ。相手の能力がわからない。目的もわからない。ヴェジャーシャがあと一つ、指を鳴らすだけで、私は終わってしまう。


 こちらの言葉に、そのまま待ってくれているのは、ただの余裕の表れだ。魔族の王であるというのならば、誰よりも強力な固有スキルを持っているに決まっている。口から勝手に荒い息が出る。決して長い時間ではなかった。けれど、自分の心臓の音ばかりが大きくて、考えすらも回らない。わからない。


 ううう、と足元で誰かが唸っている声が聞こえた。サンだった。サンは体をぶるぶると震わせて、キッと体全体でヴェジャーシャを睨んだ。


 ――このやろ、よくもロータスをぉ!


 そして真っ直ぐに、ヴェジャーシャに向かって跳ねた。


「サン、だめ!!!!」


 伸ばした手のひらはあっけなく通り過ぎた。イッチもニィも間に合わない。ぱちん、とヴェジャーシャは指を打つ。ひどく時間が緩慢だった。ゆっくりと、サンの体の水が波打つ。悲鳴を上げた。けれど――たゆんっ、と音を立てて、サンの体はヴェジャーシャにぶつかって、跳ねて、細いヴェジャーシャはそのまま尻もちをついた。何が起こったのか、わからなかった。


 このやろ、このやろ、とぽよんぽよんと頭やらお尻やらでアタックし続けるサンは、むしろ悪者のようである。「サン、戻っておいで!!!!」 でもでも、とサンはしている。「戻っておいでったら!!!」 イッチとニィも同じことを叫んでいたから、しぶしぶ、と言った様子で、サンは戻ってきた。


 その体を慌ててすくい上げて、抱きしめた。『エル、あいつロータス、どっかにやったんだよ!』 これはもう許されぬ! と怒って叫ぶ彼をぎゅうぎゅうに抱っこして、頬ずりして、口から長い息が出た。これは安堵の息だ。「気持ちはわかるよ、すごくわかる。でも、一人はだめだよ」 サンまでいなくなってしまったらと思うと、怖かった。


 サンが消えて、イッチも消えて、ニィもいなくなってしまう。想像するとぞっとする。私の様子に、サンはしょんぼりとしつつも頷いた。わかってくれたならいい。サンを下ろして、変わらず座り込んだままのヴェジャーシャを見た。彼は人だ。


 何か、わかったような気がした。そうだ、ヴェジャーシャは人だ。魔族である前に、人だった。それは私が一番わかっていることだったのに。どれだけ強力な力を持っていようと、ただの人なのだから攻略法はあるし、人智を越えた存在ではない。


 私はずっと、彼の固有スキルは未来予知だと思っていたから、深くまで考えることはしなかったけれど、その能力が違うことは、すでに歴然としている。だったら、別の能力を持っている。ただそれだけの話だ。今までの中に、必ずヒントはある。


 一瞬の間に、私の頭の中は目まぐるしく動いた。もともと、少しずつの違和感があった。それを一つひとつ、つなぎ合わせていく。


(始めに、出会ったのはヴェルベクトの礼拝堂で、気がついたらそこにいた……)


 ひどく驚いたことを覚えている。次は土サソリとの戦いが終わってから。この土サソリは、マルクが操っているものだった。私は魔族が操るモンスターを魔物と呼ぶのだと思っていた。それは間違いではないけれど、魔物に変える能力も、固有スキルの一つだった。つまり、不思議に思う現象全てには理由がある。魔族なのだから、という説明一つでは済まされない。


 いきなり目の前に表れたヴェジャーシャを見て、イッチ達はどう言っていたのだろう。

 ばらばらになっていたピースが、少しずつはめ込まれていく。


「ヴェジャーシャ、あなたの固有スキルは……」


 間違いない。これで、全ての説明がつく。そうじゃなければおかしい。


「瞬間移動」


 ぴくりと、彼の片眉が反応する。やっぱりそうだ。

 いきなり表れたヴェジャーシャに対して、イッチ達は瞬間移動のスペシャリスト、と呼んでいたけれど、奇しくも正解を言い当てていたというわけだ。彼はいつも気づいたら表れて、消えている。あとは思い出したくもないことだけれど、ヴェルベクトの街を壊した魔物は、空から表れた。魔物が、まさか何もない場所から生まれるわけはなく、ヴェジャーシャが移動させたのだ。

 ロータスも消されたのではない、どこか別の場所に移動してしまっただけだ。


(それなら、ロータスなら、絶対大丈夫……!)


 彼は飛行スキルを持っている。どこに飛ばされたかわからないけど、対応できる能力がある。文字取り“消されてしまった”というのなら絶望しかなかったけど、ただ物理的に移動させるだけなら、何の問題もない。


 ――土サソリと戦ったときの夜、足元には乾いた泥がたんまりあったというのに、消えてしまった彼ら二人の足跡が、なかった。おかしいと思っていたのだ。マルクが定期的にエルマと会っていることの説明がつく。


 彼の能力は、自分と、自分以外のものをどこかに移動させること。

 それなら、なぜサンにその力が使えなかったのは、想像になるけれど、水に対して能力の制限がかかっているのかもしれない。スライムの体の大半が水分で、彼らは神様の使いなのだから、無理やり能力を使うことはできない。本人達の承認が必要なのだ。


(そっか……!)


 そこで初めて、ヴェジャーシャは表情を歪めた。ち、と舌を打って、指を鳴らす。頭の中で警告音が鳴っている。ステータス画面だ。


【能力の承認を行いますか? YES・NO】


 もちろん、選択はNO一択だ。


「お断りに決まってる……!」


 視界の端でステータス画面を操作して、ボタンを叩く。ぱしん、と何かが弾け飛んだ。やっぱりそうだ。

 ヴェジャーシャは、イッチ達の姿が見えていた。つまりそれは私の固有スキルが、彼に効かなかったということだ。けれど、ヴェジャーシャはマルクを連れて移動していた。単純に、魔族同士では固有スキルが使えない、ということではなく、かけられる側の承認が必要なのだ。


 ロータスは魔族としての固有スキルは持っていない。人と、魔族と間の存在だ。だから、抵抗する術がない。でも私は違う。もし、この事実に気づかなければ、わけもわからず受け入れてしまっていたかもしれないけれど、私にはステータス画面がある。はっきりとした表示があるのだから、弾き飛ばすのも簡単だ。


「みんな、固有スキルは弾ける! 受け入れちゃだめだよ!」


 勢い余って突撃していたサンはなんとかその場のノリでいってしまったのかもしれないけれど、イッチとニィにも伝えなければいけない。彼らは一様にはっとした顔をして、体全体を踏ん張った。ぶるるんっとゼリーみたいな体が震える。私と同じくスキルを弾き飛ばしたのだろう。


(いける)


 一呼吸ののちに、ぬんっと自分の視界が高くなる。ヴェジャーシャは少しばかり、ぱちりと瞬いて私を見ていた。幻術スキルが使えなくなったわけじゃない。自分自身なら、いくらでもかけることができる。長くなった手足と髪。髪はちょっとばかり邪魔になるけど、こちらの方がずっと素早く動くことができる。


「それじゃあ――いくよう!」


 わっ、とイッチ達三匹も飛び出した。




 一体どれくらいの時間が経過したのか。イッチ達がヴェジャーシャを邪魔するように右に、左にぶつかるように突撃する。その度にヴェジャーシャは指を打つ。どこからか移動した壁を目の前に出現させて、ぶべしとひっくり返ったところで、私の頭の上に檻を落とす。


「うんぎゃ!」


 察知、聞き耳、組み合わせたスキルで反応して、すぐさま釣りスキルに変更する。戻ってきたイッチの手をひっぱって、イッチはニィの手を持って、最後のサンが檻の端っこを握りしめて、スライム三匹の一本釣りだ。


「えいやあ!」


 真っ直ぐに私に落ちてきた檻を弾き飛ばしてヴェジャーシャに投げ飛ばしても、彼が指を鳴らすと消えてしまう。向かい合ってわかった。ヴェジャーシャの固有スキルは、シンプルながらに強い。質量の制限、不明、距離、不明。動作は指を鳴らすというただ一つ。もしかしたらこれすらもブラフかもしれない。


 前に進むことができない。進んだとしても、押し返される。なぜ、ヴェジャーシャが私達と敵対しているのか。目的すらも不明だ。いや、見ようによっては、彼は世界樹を守っている。枝の一本を切り落とす。それすらも、彼の中では許されない。


「……なんで?」


 ちょっと枝を一本切るぐらいじゃないですか! なんてことはさすがに言えない。そのちょっとでも、下手をすると神様を怒らせる所業なことはわかっている。魔族という言葉からか、神様と敵対するもの、というイメージは、勝手な私の想像なのだろう。だいたい、魔族という別称も勝手に他の人たちがつけた“蔑称”だ。


 ふと、ヴェジャーシャと会話をしたい、そう思った。

 私はただ想像するばかりで、彼のことを何も知らない。長い十三年の空白があるから、ロータスだって彼を知らない。


「あなたは神様の味方だから? 世界樹を守っているの?」


 ぱちり、と音を鳴らそうとした姿勢のまま、ヴェジャーシャは動きを止めた。泥のような瞳だと思った彼の目が、ゆっくりと変わって、私を見る。


「違う」


 苛立っている。短い口調でも、それがわかった。でもそれ以上はわからない。何が違うというのか。世界樹を守っているわけじゃないのか。じゃあなんて、私達の邪魔をするのか。


 ――全ては僕達が終わらせる


「……一体、何を終わらせるの?」


 ヴェジャーシャは、親指と人差し指を強くこすり合わせた。淡白な口調と変わって、彼の右腕は怒りをあらわにするように、小刻みに痙攣していて、やっと鳴らした音は、先程と少し違う。ばちん、と重たい響きをしていた。


「この、繰り返しを」


 どこかで聞いたことがある言葉だ。でも、どこなのかわからない。視界が消えた。視力を奪われた。違う、そんなわけない。私は承認していない。なら――光源を、移動した。「イッチ……ニィ、サン!?」 彼らは近くにいる、気配を感じる。なのに、声が聞こえない。音がない。ヴェジャーシャの能力は、ただものや人を移動させる、そんなシンプルなものじゃない。私の幻術スキルは、思い込みを力に変える。スキルを組み合わせて使用するという使い勝手があまりよくないという側面もあるけれど、ただ幻術として姿を変化させるためのものじゃない。


 ヴェジャーシャの能力の本質は、彼がないと認識したもの全てを移動させる。私自身を移動させることができないのなら、私以外の全てを移動すればいい。嘘だ、と吐き出した自分の声すらも聞こえない。


 見えるのは、自分の体一つ。こわごわと歩いた。でも何も先に進んでいない。なんていったって、地面がないのだ。覚悟を決めて、走った。もちろん何も進まない。へたりこんだ。


(……繰り返しって?)


 突破口なんて、ない。その現実から逃げるためか、とりとめのない思考ばかりがやってきて、そんなことを考えている場合じゃないのに、と首を振った。けれど、真っ暗な闇の中、自分をごまかさないと意識すらも失ってしまいそうだった。


(ヴェジャーシャは、なんで未来を知っていたんだろう……)


 彼の固有スキルが未来予知でなかったのなら、先々を知っていた理由がわからない。私のような転生者でなく、結子のように転移者でもなく。立ち上がった。それからまた、まっすぐに進んだ。でもどこまでも終わりがない。やっぱりまた沈み込んだ。


 どこまで行っても、どこまで行っても、なにもない。ただ純粋に、恐怖という感情が湧き上がった。怖い。ヴェジャーシャは、時間すらもどこかに消してしまったのかもしれない。音も、光も、何もない場所で、次第に自分自身すらも消えていくような感覚がある。“承認”してはいけない。私自身が、ヴェジャーシャの能力を受け入れようとしている。唇を噛んだ。顔を上げて、嫌だと叫んだ。でも何も聞こえない。多分、泣いていた。暗闇の中だ。わからない。怖い。消えてしまいたい。怖い。


「……ぐずぐずぐずぐず、見てると腹が立つわね」


 コツコツと、足音が聞こえる。顔を上げた。見覚えのある、きれいな女性が私を見下ろしてた。金髪の髪で、真っ赤な瞳で、きりっとつり上がった顔はよく見ているはずなのに、記憶と全然違う。


「エルドラド、いいえ、今はエルだったっけ? あんた、私とは思えないくらい、ほんと、弱っちいやつね」


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