17 街の名前
がつん、と頭に石がぶつかった。年に一度の、楽しいお祭りのはずなのに、ふいにやってきた痛みに驚いて、目の前をくらくらさせていた。少し年上の幼馴染と片手をつないで、広場に集まった屋台を見て回っていた。村で作ったオレンジをただ切って、爪楊枝にさして並べていただけなのに、おいしいなあ、とついさっきまで食べて笑っていた。
あとは小さなネックレスを買った。私の村のすぐ近くの森に落ちているぴかぴかした小石で、別になんてこともないものだったけれど、村の特産品のオレンジとそっくりな色だからお祭りで一緒に並べられることが多かった。
そこいらで落ちている石だとみんな知っていたけれど、少しでも楽しくさせたくて、手が器用な人は紐を編み込み、石を包む。そして店に並べるのだ。大人には二束三文、子供にはちょっと高いお値段のそれを、幼馴染と二人並んで見つめて、買ってみようか、と顔を合わせた。俺がちょっと、多くだしてやるから。だってエルより大人だからな。けらけら笑っていた彼の顔が、恐怖で引きつったのは一瞬だ。
じんじんと頭が痛い。擦ると、指先に微かに血が滲んでいた。私が私として記憶を思い出す、ほんの少し前のことだ。一瞬にして変わった人々に、エルの幼い心が震えていた。その指先と一緒に。
怖かったろうに。
まるで他人事のように考えながら目を覚ますと、窓からは明るい光とともに鳥の鳴き声が聞こえている。だんご状態に集まっていたイッチ達が寝ぼけているのかもごもごしている。「……ふがっ」 あまりの寝相の酷さによだれを垂らしながらもちょっとひいた。
嫌な夢を見た。
ベッドからゆっくりと起きて、寝癖を手ぐしで直した。エルドラドは、村人たちの変化にひどく傷つき、そして恨んだ。私が私の記憶を思い出さなければ、どうなっていただろう。いやわかりきっていた。ボンキュッボンなボディコン最恐魔女の出来上がりである。恐ろしい。
買ったネックレスは実のところ、未だに私の胸元で揺れていた。子供のお小遣いで買ったものだから、売ったところで大したこともなく、捨てるにも捨てづらいだけだ。それにしても、なぜあんな夢を見たのか。頭の端っこで、ぴこぴこと察知スキルが光っている。
「んん……」
私はぴょこりと窓の外に顔を出した。すると下には見覚えのある頭が見える。彼もこちらに気がついたのか、「おう、エル!」「ロータスさん……」 迎えに行く、とは言っていたけれど、何時からか聞き忘れていた。どうしたものか、と察知スキルを入れっぱなしにしておいたのだ。ぴこぴこ聞こえるアラームが、悪夢を見せたに違いない。あまり気持ちのいい起こされ方ではなかった。
「あの、ロータスさん、ちょっと待っててください、すぐ行きます!!」
「あー、早く来すぎた。気にすんなー!」
とは言われても、悠長に人を待たせるのはそわそわするし、準備だってあまりない。お借りしているストラさんの子供服に急いで着替えて、私の周囲をぐるぐるするイッチ達に、「今日は自由行動! でもあんまり外には行っちゃだめ!」と伝えておいた。私からあんまり離れると幻術スキルも効かなくなってしまうけれど、彼らはスライムとしては実はやり手なのだと気づいたのだ。伊達にここまで無傷でやってきたつわものではない。
おっけい、と言いたげにぴょこぴょこ跳ねる三匹に見送られ、私は玄関で待つロータスの元に向かった。見るといつもと服が違う。彼もお休みなのだろうか。最初に森の中で出会ったときと同じような、ただの冒険者みたいな格好で扉から飛び出した私をびっくりするように瞳をきゅっと大きくさせた。
「ごめんなさい、おはようございます!」
「いや待ってねえ待ってねえ」
ぺこりと頭を下げると、ロータスも私に合わせて腰をおろした。身長差があると会話も大変だ。「あの、それで今日は」 結局なんの用事なのだろう、ということを聞いていない。恐る恐る見上げたときだ。ぐぐり、と私の腹に潜むモンスターが激しく暴れた。くッ……と唇を噛んだ。最近はまかないとして美味しいご飯が出るため、これも成長のためとたんまり胃に溜め込んでいた弊害として朝ごはんがなければ暴れだす。
難しい顔をしていたロータスなのに、私の腹の音を聞いた瞬間、「うはっ」と笑った。一瞬だけの顔だったのに、やっぱり笑うと可愛らしい。
「とりあえず飯にするか。こっちに来いよ」
***
正直にいうと、私はロータスのことがわからない。
なぜなら大変申し訳ない話なのだけれど、推しキャラではなかった。本人を前にしてこんなことを思うのはどうかと思うけれど、ゲームでのロータスは正直なことを言うとちょっと暗くて、ミステリアスすぎたから、昔の私とは趣味が違った。
もちろんそこがいい! というファンも多かったけれど、私としてはもうちょっと元気な方が……というあくまでも個人的な気持ちとともに、例のごとく、私もエルドラドの幻術スキルで寝返ったロータスにボコボコにされるという洗礼を受け、なんとかやり直しエルドラドを倒したものの、複雑な気持ちを抱えたまま彼と迎えたエンドはただのノーマルエンドだった。
そのときのロータスは冷静に結子を元の世界に送り返した。グッドバイ。
好きなキャラの設定なら、もっと色々と覚えているけど、ハッピーエンドすらもクリアしていないのだ。ゲームのことなんて忘れてしまいそうなほど、彼はただの男の人で何を考えているかもわからない。
びくついて、ロータスの背中を追った。このまま教会に突き出されたらどうしよう、と心臓の奥の方ではどきどきしていたのに、まったくそんなことはなく、彼はすいすいと街を歩いた。まあ、そんなつもりだったなら初めから『はらぺこ』に連れては行かないと思うから、あくまでも可能性だ。
路地を通って石畳の街を歩いた。アーチのような煉瓦の建物をくぐり抜け、いくつも道を変えて進んでいく。細い路地の間ではたくさんの洗濯物が干されていて、はためいていた。天気が悪いこの国だから、少しでも早く洗濯物が乾くように風通しのいい場所を選んで干すのだ。時折人とぶつかって、あわあわした。坂を登るように茶色い三角屋根がいくつも並び、まるで遠く彼方まで街が続いているように見える。
「ほら」
「えっ、あ」
渡されたのは柔らかいパンの中に串にさした大きなお肉をその場で削ぎ落としたものが挟まれていた。ほんのちょっと、レタスも飛び出していて、呆然としていたところに片手を揺らされた。慌てて受け取り、口にふくんだ。おいしい。もごつきながら慌てた。
「お、おふぁねを」
「ガキからたかる趣味はねー」
ロータスも並んで一緒に朝ごはんを食べた。まだ朝の、ひんやりした空気が頬をなでた。すぐそこには井戸がある。街の人間なら好きに使っていいから、水を引き上げ、ロータスが持っていた手持ちのコップで水を飲んだ。冷たくて美味しい。
「お前、街のこと全然知らねえだろ?」
少しずつ、人が街にあふれてくる。例えば仕事に行く途中だったりとか、行商人だったりとか、お買い物に行く最中だったりとか。
「今日は非番だからな。好きなとこに連れて行ってやるよ」
つまり、街を案内する、と彼は言っている。知っていたけれど、親とはぐれた街の子供だと言った嘘は、とっくの昔にバレていた。「え、あ……」 うつむいた。そして、はは、と笑った。でも多分、親がいない、ということは信じてもらえていた。
「ほら、見てみろ。まあ、空がどんよりしてるのはいつものことだが。これがヴォルベクトの街だな」
まっすぐに空が続いていた。どこまでも白い雲がその先まで続いている。遠くに、とても大きなお城が見えた。真っ直ぐに吹き下ろされた風が私の頬をなでた。大きく私の髪を揺らしたのは一瞬だ。
――――街の名前さえも、わかっていなかった。
そう気づいたとき、ふと奇妙な恥ずかしさに襲われた。手に持っているパンはおいしくて沢山の人が行き交っている。鐘の音に合わせるように、たくさんの窓が開いていく。どこからか聞こえる音楽は、以前見た音楽隊だ。いつの間にか、その場は“街”になっていた。
「えっと、あの……」
もしここにいるのが、ただのエルドラドだった彼女なら。魔族なんて関係ない、村から出たこともない、ちょっと周囲よりも可愛らしい容貌を持つ程度で、ただの普通の女の子である彼女なら、喜んで手を打ったのだろうか。少なくとも、ここはゲームの世界なんかじゃない。当たり前のことを、今更ながらに噛み締めた。
「ロータス兄ちゃん!!」
「うおあ!」
スイッチを入れっぱなしにしたままの察知スキルが、ぴこんっ! となったとき、ロータスは少年に激突された。私と同じくらいのサイズである。彼は汚れた頬をへへっと笑わせて、「いやあ、隙だらけだなあ。それで騎士団なんてやっていけるの?」「余計なお世話だ!」 一人が来ると、ロータスの周りにわらわらと子どもたちが集まってくる。そして彼が一喝すると、わあ、と散り散りに消えていった。
どれもお世辞にも綺麗な服を着ているとは言えない子どもたちばかりだったけれど、ぱっと見は怖くて子供に好かれそうにないロータスにもよく懐いている様子だった。
すっかり消えてしまった少年少女達にため息をつきながらも、ロータスはちらりと私を見た。
「それにしてもエル、お前、もうちょっと子供らしくしてもいいんじゃねえか?」
あいつらほどってわけじゃねえけど。と顎をひっかく姿に、首を傾げた。「ロータスさん、だとかいっつも敬語だ。もうちょっとくずしてもいいもんじゃねえの」 子供だろ、と言われた言葉に、ちょっと困った。私だって、エルドラドだったときは、もっと違う言葉遣いだった。
「で、でも」
「ロータスでいいよ。ほれ、色々見て回るぞ。時間は有限だかんな。がんがん行くぞ」
「え、う、うん。うん! ありがとう、ロータス!」
「おし来い!」
ひょいとなんともなしに繋がれた片手は、私が子供だからだ。彼は私を子供だと思うから甘やかすし、親がいない可哀想な子供だと思っている。事実、そうなのかもしれないけれど、様々な隠し事や、過去の気持ちが入り混じって何か苦い、砂を噛んでいるような気持ちになった。なのにロータスと手をつないで、たくさん街の中を歩くと楽しくてたまらなくなった。たくさん笑った。でも気づいてしまった。
この腕は、これからなくなってしまう腕なんだ。
ぎゅっと強く握ってくれる腕は、これから先の戦いの中で、なくなってしまう。彼の左目も同じだった。(なんだか、嫌だな) そんなこと、思ったって仕方のないことだけど。嫌だな、と思うと、ただロータスから遠くに逃げ出したかった。身勝手な考えだけれど、私にはどうしようもないことだから、考えたところで仕方がない。
彼のこの、明るい笑い声でさえも、なくなってしまうものだ。ゲームでの彼は今よりずっと言葉も少なくて、ただ様々なものを恨んでいた。こんなにしっかりと生きているように見えるロータスだってそうなのだ。私は魔族で、人よりもずっと生きづらい。だから、力をつけなければいけない。これから先、一人で生きていくための力を。
とても、とても怖かった。だから私はその日、一つの実績を解除した。
――――新たな能力を、獲得したのだ。
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