第4話 英雄

「……頭が、痛い」


 目を開けるとぼやけた白い天井が見える。おそらく病院だろう。しかも個室。起き上がると気が遠のきそうな痛みが頭を駆け巡り、大人しく寝ていることにした。なぜ、こんなにも頭が痛いのだろうか。


「あ、ようやく目覚めたな? アルマが伸びてるせいで、昨夜の童話語りは俺が担当になったんだぞ? 裸の王様の話をするとみんなゲラゲラ笑うんだぜ? 第五部隊は二人しかいねぇんだ、しっかりしてくれよ」


 赤黒い髪につり上がった青い瞳。そしてわずかに臭う酒……ヘイトリッドだな?


「激痛により、記憶はあいまいですが、これだけは言わせてください」


「なんだ?」


 私はゆっくりと起き上がり、大きく息を吸う。そしてヘイトリッドの方を見てニッコリと微笑む。あることを言うために。


「酒を飲んでから来るな!! この飲んだくれが!」


 個室に響き渡る私の怒号はおそらく廊下にいた患者さんや看護師さんに聞かれていただろうな。叫んだことにより、頭痛が増した為またゆっくりと横になる。

 ヘイトリッドは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をし、無言で置いてあった椅子に腰掛ける。


「……は? 突然すぎやしないか?」


「おや、冷静になるまで時間がかかりましたね。酔いが回っている証拠なのでは? 童話語りの代わりだけでなく、見舞いも大変嬉しいですが、酒はあれほどやめておけと言いましたよね?」


「別にいいだろうが。どんだけ飲もうが食おうが俺の勝手だ」


「あなたが不摂生な日々を送り、その結果として長期入院をするとしましょう。その時、救える命はいくつ減ると思いますか?」


 私は横になるのをやめ、立ち上がってヘイトリッドを見下ろしながらそう言う。ヘイトリッドは目を大きく開け、舌打ちをして目をそらす。そして肩をわずかに震わせ、拳を固く握る。しまった、触れられたくない過去を掘り起こしてしまったのだろうか。


「お前に何が分かんだよ……」


 絞り出すような声を出したヘイトリッドはさらに震えている。私は見下ろすのではなく、しゃがみこんで彼の顔を伺う。


「ヘイトリッド、すみま─────」


「酒は俺の生命線なんだよっ! 真の酒飲みは体にガタが来る前に飲むのをやめて、調子が良くなるまで酒を溜め込むんだよ!」


 鬼気迫る顔で語られるが、全くもって心に響かない。もはやクズの主張にしか聞こえない。私はなぜ、こんな男を仲間として迎え入れたのだろうか……こんなクズで酒飲みなのに戦闘能力もあって、驚くほど器用。そして何でもそつなくこなす天才肌だったからだろうか。


「……ここまで来るといっそ清々しいですね。はぁ、もういいです。どうせ仕事をもってきたのでしょう? 一番面倒な報告書も早く終わらせたいので、仕事を寄こしてください」


 そう言って平気そうなふりをするが、今こうしている間もずっと彼女の顔と声が脳内を駆けめぐっているのだ。

 息も出来ぬほどの炎の海が青薔薇に代わり、中央には人間へと戻りつつあった怨毒の彼女。


『おか……さん、おとう、さん』


 だが、どうだろうか。神というものは恐ろしく平等で残酷だ、私だけが握る希望とやらは掴ませてはくれないようだ。


『我々は英雄ヴォートル。この世界を変える者だ』


 あの怪しげな黒ローブの男……自らを英雄だと名乗っていた。彼女を悪役になれなかった者と言い、我々エピソーダーと国を守ると決意した者達の組織……エピソーダーを童話戦争の火種とも言っていた。あいつらは何を知っている? それに、どこかで見たことがあるような。


『逃げ、て!──────メイジー』



「アルマ? 聞いているのか?」


「え? あ、すみません。何一つとして聞いていませんでした」


「お前……俺以上に清々しいほどの開き直り具合だな」


 ヘイトリッドは呆れたように苦笑する。今のは一体、なんだというのだろうか。焦りと悲しみが混ざった声が脳内に響いたが、メイジー、その誰かを指す名前は全身の毛が立つような衝撃が走った。今も尻尾の毛がわずかに逆立っている。


「あの工場は全焼。怨毒の灰すら遺らずして消滅。第四部隊に所属していた一人のエピソーダーと三人の無能力者が死亡。消防隊は尾真田副隊長によって軽傷者二名。そして、第五部隊隊長の大神アルマ……赤薔薇に囲まれ、後頭部を殴られ失神。俺はその場にはいなかったが、これがセルバンテス隊長から教えてもらった経緯だ」


「なるほど、犠牲者はでましたが民間人には被害は及んでいないようですね。怨毒となった彼女の遺族は見つかりましたか?」


「あぁ……彼女の死体は全て消滅したが、遺品だけは残っていたんだ。それが彼女は三年前に父親が怨毒化し、母親が亡くなった。以来、彼女は祖父母に引き取られ、あの工場で働いていたそうだ。工場長が怨毒化する彼女を見たそうだ」


「そう、ですか……」


 ただそれだけしか言えなかった。最後の救いを求める為に両親を呼んだのではなく、再会を喜んで両親に手を伸ばしたのかもしれない。良かった……とは言えないが、苦しみを忘れるほどの喜びに彼女は救われたのかもしれない。

 駄目だな、これは私のエゴだ。


「……いつまでも辛気臭い顔してんじゃねぇよ。いつもの仏頂面狼はどこに行ったんだ? 死を悲しむのも、上手くやれなかったという悔しさも、彼女はあれで良かったのだろうかという心配も、するなとは言わない。だが、いつまでも引きずるな──────これはお前が言ったことだ。俺より荒んでくせによくあんなこと言ったよな」


「ヘイトリッド……良い事言いますね。昔の私が」


 ヘイトリッドは浅くカクンと膝を曲げて苦笑している。私らしくない考えだったな、起こったこと全てを話さなければならない。怨毒の秘密を知っているかもしれない、謎の組織、英雄ヴォートルの事を話さなければならない。


 私はヘイトリッドに全てを話した。怨毒の様子の事、黒ローブの男、英雄ヴォートルという謎の組織。全てを話した。

 おそらく、病室の外で聞いているであろうシェヘラザードにも聞こえるように少し声量を上げて。


「なるほどな……怨毒化はなんとかして止めなきゃいけねぇ現象だ。最近は異常と言えるほど数も増し、凶暴さも増している。もう少し情報が欲しいところだな……それにしても謎だな、童話戦争の話なんて誰も詳しくは知らねぇはずだぞ? なにせ、始祖のエピソーダーが童話を焼き払うと同時に童話戦争を描いていた軍記物もやけてるからな」


「我々が知り得ない情報を持っているのは確かな事実です。童話戦争に至っては誰もしらないのですから、単なるエピソーダーというよりストーリアに嫌悪感を抱いているが故のでっち上げなのかもしれませんがね」


「どちらにせよ今はまだ警戒するしか出来ねぇな。にしても、創造神誕生祭に仕掛けるなんざ……宣戦布告でもしにきたのか? いい度胸してやがる」


 ヘイトリッドは拳を握り、怒りを抑えていた。彼も怨毒によって人生を狂わされた一人の青年だったな。私以上に腹立たしくもなるか……

 私はすんっと鼻を一度だけひくつかせると、嗅ぎなれたインクの匂いと古本の匂いが鼻を刺激する。やはり、シェヘラザードは病室の外で聞いている。彼が何を考えているのかなは分からないが、張り詰めるような空気感に一瞬だけなった気がしたんだ。何かを考えるかのように。


 ────────……


「ねぇねぇっ! あれで良かった? あれで良かった? ローズちゃんと狼さんを倒したよ?」


 桃色の髪を器用に編み込んだ背の低い少女が男の足元をぴょこぴょこと跳ね回る。男はそれの口を手で塞ぎ、少女を抱き上げる。男は優しく低い声で少女に話す。


「えぇ、ちゃんと手加減していました。今回はただの余興……あの怨毒は勿体無いとは思いますが、逸材はゴロゴロと転がっているものでふ。童話ならいくらでも作れます」


 男はそう暗い地下室で声を響かせる。薄暗い地下には男と同じ、黒ローブを着た者が数え切れないほど整列していた。


「悪役が悪だと誰が教えた? ストーリアだ。我々は英雄である。真実を明らかにし、この汚れきった世界を再び変えなければならない! この物語に栞をはさむのではなく、終止符を! エピソーダーは我々人類を脅かす異物である。今こそ彼らを殲滅し、再び我ら英雄が輝く未来をこの手に!」


 黒ローブの男が叫ぶと周りの黒ローブ達も拳を突き上げ、雄叫びを上げた。

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