スラム街の猫と少年②

 最近は警報がよく鳴る。怨毒の発生率も年々上昇し、殺人も増えてきた。スラム街は相変わらずカビ臭くて最悪な場所だけど、今日はいつもより殺伐としている気がする。


「カプリス聞いたか? 身売りの方で怨毒が出たみたいだぜ。しかもヒト型」


「あぁ、聞いたよシルト。僕、まだ怨毒とか見たことないからなぁ……」


「なんだ? ビビってんのか? 安心しろ、俺もビビってる」


 何をそんな自慢げに語れるのだろうか。親指を立てて笑う彼を軽く小突く。本当はすぐにでも離れるつもりだったのに、この男……よくここまで生きてきたなというほど危なっかしい。

 高い建物から飛び降りて、着地は任せた、とか言って僕が受け止めることもあった。銃を持った連中相手に素手で挑んだり、盗みも下手くそでよくバレる。本当にスラム街出身かと何度も聞いたよ。でも、そんな彼に何故か惹かれてこのチームは出来上がったのだろう。


 この間は仲間全員に服やら武器やらを渡してきた。僕はサンダルじゃ動きにくいし、かっこ悪いからと言って黒革のブーツを貰ってしまった。いつかシルトにお返ししなければならなくなったわけだ……


 いつものように大通りを歩いていると、前方から何かが走ってきた。ヒト、なんだろうけど死に物狂いで走るその姿は獣のようで狂気的なものだった。それは硬直した僕の肩を掴んで、血だらけの顔を上げる。


「これを、これを持っておけ! ドミニクには渡すな!」


 それだけ言い残してそいつは走り去ってしまう。手元にはベトベトのホコリがついた本がある。文字は……読めない。勉強なんてしたことのない僕らはただ首を傾げるだけであった。


「カプリス、お前これ読めるか?」


「僕が読めると思ってんの? でも、絵的にはブカブカのブーツを履いた猫が登場するのだけはわかる」


「うーん、売るかぁ? こんだけ分厚ければ誰かしら貰うだろう」


 たかが本に興味を示さない僕達は冷めた目で本を見る。血だらけのヒトなんてよく見るけど、あそこまで焦ってるのは初めて見たな。早く売りに出したいところだけど、渡すなって言われたしな……


「なぁ、これって売りに出した方がいい?」


「いや? どっちでもいいんじゃねぇの? カ

 プリスが欲しいと思ったなら持っておけよ」


「うーん、じゃあそうするわ。あ、シルト、闇市で最近は儲かってる店あるんだけど、ぼったくりだって噂。どうする? お仕置きしにいく?」


 笑いながらそう言うと、シルトは口角を上げて笑う。


「よし! 今日もパトロールしようぜ!」


「了解、僕は本を置いてからそっちに行く。バレんなよ?」


「楽勝楽勝!」


 こういうときに笑うシルトは全く信用ならない。仲間にシルトの見張り役をするように頼んだとき、シルトの怒号が聞こえた気がしたけど僕はすでにアジトへと歩きだしていたから知らないふりをしておこう。


 やはり、今日は何かあるのかもしれない。一段と喧騒にまみれており、どこを歩くにも人とぶつかる。挙げ句の果てには喧嘩を売られる羽目になったが、無視すれば済むこと。警報もよく鳴るし、喧嘩も多い……それに本を持った血まみれの人とも出会った。


「おまけに曇り空……嫌な予感がする」


 足早にアジトへと向かおうとすると、異様な臭いを発する女性とすれ違った。

 血の臭いだけじゃない、生ゴミや泥水が合わさった腐乱臭。鼻が効く僕らにとってはあまりにも激臭で、その場を動けなかった。


 胃をひっくり返したのかと疑いたくなるような吐き気、目は震えて一点を見つめることが出来ず、呼吸は早くなる。周りもそうなのか、うずくまって嘔吐している。立ち上がろうにも足が震えて立てず、背後からは悲鳴が聞こえ始めた。


「死ぬまで踊りましょう。たとえ家族が死の床についても、約束を破ることになっても。真っ赤な真っ赤な靴で踊りましょう。それが天使から与えられた罰だから」


 まるで音読でもしているかのように淡々とした声が近づく。グチャリ、グチャリと何かを踏み潰しながら歩いてくるそれの臭いはよりキツくなる。


 まさか、怨毒!?


 重い体をなんとか起こし、震えながらも後ろを振り返るとそれはいた。汚れた白い服は赤に染まりつつあり、履いている靴は血よりも赤く……皮膚は炭のように黒い、髪は透けそうなほどに白かった。長い白髪をゆらりゆらりと揺らしては、こちらに向かって歩いてくる。


「踊りましょう踊りましょう。足を落としてなおも」


 その時、大きな紫色の瞳に僕が写った。これはだめだ、死ぬ。

 気づけば、本を抱いたまま走り出していて、呼吸を意識して走っていなかったため、何度もえずいてしまう。しかし、そんなことなんて気にしていられない。足が痛かろうが、そこに死体があろうが走り続けた。


 怨毒は奇声を上げながら追いかけてくる。どこまで走っても、どこを走ってもそれは追いかけてくる。涙は出るし、喉は空気が張り付くし、足はもう感覚がない。

 こんな所で、こんな所で僕は死ぬ?


 ズザザ、と砂埃をまき散らしながら転げる。擦りむいて流れ出た血も、気にしてなんていられない。這いよる恐怖で血まで凍りつく。

 そうか、お前が僕の死に場所か──────


「カプリスに近づくんじゃねぇ!!」


 シルトの声と同時、乾いた銃声音が響いた。怨毒は撃たれた胸部を押さえては金切り声を上げていた。溢れ出るのは赤黒い液体で、その液体は飛び散って僕の頬にもかかる。生暖かいのかと思えば、冷水のように冷たくて思わず喉がヒュッと鳴る。


「おい! しっかりしろ!」


 肩を揺さぶられてようやく正気に戻った。あぁ、シルトだ。汗だくになった彼は心底心配しているのか声が震えている。

 だが、後ろには斧の形へと変化した腕を振り上げる怨毒がいた。駄目だ、ここでシルトを失うわけにはいかない。あいつには僕がいないと駄目で、僕もあいつがいないと駄目なんだ。二人でなんとか生きれる方法を……!


「……シルト、耳塞いで」


 シルトの手から奪い取った拳銃を取り上げ、やつの頭に向かって引き金を引く。弾は見事に当たるが、怨毒の猛進は止まらない。

 僕はシルトを抱え、死体の山を駆けた。僕一人だと諦めていた、だけど守るべき者がいるから今こうして走れている。


「シルト、来てくれてありがとう」


「当たり前だ。来なけれりゃ、お前死ぬつもりだったろ。お前の死に場所は俺が決めてやる」


 シルトはこんな時でもいつもと変わらない笑顔を向ける。しかし、耳もいい僕には聞き取れたよ。震えている声が。


 僕は彼の為に生きなければならない。



 その時、持っていた本が白い光を放った。視界が真っ白となったが、そこには猫獣人らしき影が一つ浮かんでいた。


『主人を守れ』


 低い声でそう話した影は消え、視界も白から心配するシルトに戻る。しかし、頭の中では『長靴をはいた猫』という題名の話が音読され続けており今にも吐きそうだ。

 ただ、怨毒が斧となった腕を振り上げて僕の頭に向かって振り下ろしている……ような静止画が視えた。


「切り落とそう、切り落とそう」


 そう呟く怨毒は静止画通りの行動をとる。まて、まさかあの静止画は少し先の未来なのか?

 難なく避けることが出来たが、武器となる拳銃を撃つ時間はなくて寸前の所で避けることしかできない。ただ、視界の端に仲間のトニーが拳銃を構えているのが見えた。しかし銃弾がそれて、シルトの頬を掠める。


「トニー! 逃げろっ!」


 怨毒の狙いがトニーに向かぬよう、シルトは僕を抱えて屋根から飛び降りた。いや、待て待て! 結構な高さがあるぞ!

 突然の浮遊感に冷や汗は流れ始め、シルトの方を見るとその冷や汗はピタリと止まった。なんで、なんでそんな傷ついた顔してるんだよ。


 その時、また怨毒が飛び降りて追いかけてくるような静止画が視えた。やっぱりこれは未来なのか? でも、この先は一方通行で道は一つしかない、どうする? 戻っても仲間に撃たれる可能性も怨毒に殺される可能性もある。どちらを選ぶのが最善なんだ!?

 着地は成功するが、逃げ場がなくてシルトと僕はずっと手を握っていた。クソ、どうすれば……!


「坊主達、よぉく頑張ったわね」


 凛とした声が降りかかる。目の前には剣を持った白い軍服の女性が立っていた。一切の混じりけのない黒髪を揺らし、淀んだ赤い瞳で微笑む。


「さぁて、私の地区で好き勝手暴れないでちょうだい」


 女性は冷めきった顔で怨毒の首を斬り落とす。冷水のように冷たい液体が流れ、怨毒の体は塵となって消えていく。瞬殺だった。あまりにもあっけなく散っていった塵はスラム街に溶けていき、息の上がった僕らは酸素の足りない脳をひたすらに回転させていた。


 女性はこちらを見ては微笑み、僕達の手を取る。


「坊主達、私の弟子にならな? そこの子猫くんはエピソードに目覚めたらしいし、紺色の君もなにかしらのエピソードに選ばれそうね」


「は!? いや、俺には仲間が……」


「行けよ」


 断りを入れようとしたシルトを遮ったのは仲間達だった。皆、顔は険しく、震える手で拳銃を構える。本来ならば僕が殴り飛ばしているんだろうけど、動かなかった。驚いて、怒りで、などではない、僕自身の意志で動かなかった。


「正直、その善人ぶりが一番嫌いだった。ここじゃ弱者は弱者のままで、足の引っ張り合いは美徳として考えられてねぇんだよ。偽善者が、反吐が出るぜ」


「は、はぁ? お前ら……なんで────」


 それに追い打ちをかけるかのように女性が口を開く。


「残念だけど、全員は連れていけない。私の弟子となるのは見込みのある者だけ。命は一つ、戦場で無残にも散る命がないようにするためにも、無能はいらないのよ」


 最もな事実にシルトは歯を食いしばった。僕らは皆、リーダーであるシルトにここから抜け出してほしいと願っている。彼はこんな薄汚れた場所では輝けない。情に厚いシルトの事だ、仲間をここで見捨てることはできないと思っているが、今回のようにシルトを守るために動いた仲間が傷つくのも見たくはないとも思っているはず。


 お優しいことだ。僕なら迷わず彼女の手を取るけどね。真っ白な軍服を見るに、エピソーダーであることには間違いないから怪しむ必要もない。


「返事はすぐにとは言わないわ。気が向いた時に──────」


「いや……行くよ」


 シルトの凛とした声に、僕と女性は大きく目を開けた。意外だな、彼なら断ってこの街に留まるかと思ったけど。まさか、僕の助言なしで動くなんてな。

 シルトは仲間達の肩を掴み、桃色の瞳で強く見つめた。


「だから、お前らも這い上がって来いよ」


「当たり前だシルト。あと数年もしたら同じ訓練学校に行ってやる」


 そう笑い合っていた彼らは涙ぐんでいた。なるほど、僕が視た静止画はこれだったのか。抱き合って涙ぐんで……それを後方で見守る僕。


「子猫くんは、彼の心になってあげなさい。君は妙に大人びていて、今私のことも警戒はしている。そして、自分ではなく彼をどう守ろうか考えているわね?」


 女性は自慢げに微笑み、返事もしない僕を見つめる。返事がないことは肯定とみなされる、それでも僕は口を開けない。今開いて話せば墓穴になるだろう。


「嫌な人……僕の名前はカプリス。彼はシルト」


 名前を教えると満足そうに微笑むだけで、何もしてこなかった。嫌な奴、妙に鼻につくし……でも、この人にはシルトと同じように名前を呼んでほしいと思ってしまった僕もいる。


「じゃあ、シルトとカプリスは私の所にいらっしゃい」


 そう名前も教えてくれない彼女は鼻につくような笑みを向けてきた。

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