第2.5章 番外編

スラム街の猫と少年➀

 スラム街の荒くれ者、そんなあだ名がついた彼の名前はシルト。年齢は13歳で、年の近い少年の名をよく聞くようになった。


「いやぁ、君が劇場に来るだけで観客は大興奮! 年齢的に厳しいが、また警察の目をかいくぐって来てほしいほどだよ」


 下着を履き替えている途中にオーナーはやってくる。片目に片腕という身体的にも倫理的にも足りない人だとつくづく思う。

 半透明な服着せて、踊らせて……僕も大概だけど、周りも狂ってる。


「じゃあ、気が向いたらまた来るよ」


 服を着直し、茶色の尻尾で彼の腕に触れる。猫は気まぐれで、ミステリアス、そして妙に艶めかしいイメージがあるようで、猫獣人である僕もそれに沿って行動している。肉を好み、一人で狩りをし、獲物を半殺しにすることに愉しさを覚える生き物とは誰も思わない。


 普通ならば浮いて見えるこの僕でさえ、この街のおかげで街の一部として存在することができる。だからこそ、僕はこの街から抜け出せない。


 それなのに……


「お前さぁ、猫のくせに猫被ってんのな」


「は? んだよテメェ」


 札を数えていると例のシルトが絡んできた。殴り合いの喧嘩でもしたのか返り血がべったりとついている。彼は眉間にしわを寄せることなく、屈託のない笑顔を向ける。


「そうだよ! 猫なんだから媚びるんじゃなくて、威嚇しとけよ」


「……何? そんなに僕が今まで守ってたイメージを崩してぇの? 猫は猫。猫獣人であろうが同じなんだよ。お前みたいなクソガキが見下すんじゃねぇ」


「んだとクソ猫……ぱっと見同じ歳だろうが」


「生まれてきた年数を言ってんじゃねぇんだよ。中身の年齢は言ってんだよ三下が」


 舌戦がヒートアップしてきた頃には野次馬共が集まっており、中には可愛い僕を求める常連客も混ざっていた。これ以上はイメージを損ねる事になる……腹は立つが、さっさと帰ることにするか。


「お前と言い合いしてたら日が暮れる。だから僕はもう帰るね」


「は? おい待てやゴラァッ!」


 追いかけては来るものの、獣人族の脚力には勝てないらしく距離は離れていった。スラム街のトタン屋根から屋根を走り、闇市を通り過ぎる。犯罪者、怪我人、子供、老人、色んな人とぶつかりながら彼が追ってこれない場所まで走った。


「はぁ、はぁ、ここまで来れば追っては来ないだろう。ここは……あぁ、身売り場か」


 目の前には値段が書かれた札を首からぶら下げ、裕福そうな者達に群がる同族。人間、獣人、機械人形……いろんな種族が自分を売っては金を得る。

 この体が五体満足でなくなったとき、僕もあれらと同じ末路を辿ることとなる。いつああなるのか、それまでに死ぬのか……一歩先が闇であるこの場所では死に場所なんて選ぶ事はできない。


「猫の獣人か、これは上物だな」


 いやらしい手つきで尻尾や尻を触ったのは、羽振りの良さそうな若い男だった。身に着けた物は全てが輝いており、靴もピカピカに磨かれている。あぁ、そういう目的の奴か……盛りのついた猿が。


「それは嬉しいね。でも、僕は身売りしに来たわけじゃないんだ。お兄さんごめんね」


「あぁ、そんなの見たら分かるさ。金ならいくらでも出そう。家に来い、俺を愉しませるだけで衣食住が整うぞ?」


 絶対に言うと思った。その自信に満ち溢れた顔を何度も見てきた。猫獣人は可愛らしく、扱いやすいと思われている。


「それに、君は劇場にいる猫だろ? 踊りは得意だろ?」


 この猿もまた、僕の名前を呼ばない。どうだっていいのだ。奴らが求めるのは劇場にいる僕。


「うーん、とても魅力的だけどレンタルなら別にいいよ」


 男の腕を握り、尾を揺らす。演じてやるさ、仕方ないから遊んであげる。でも、絶対に昼間にも会うような仲になんかなってやるか。金も地位もないガキに大金出して喜んでる時点でテメェの負なんだよ、クソ猿が。


 ニヤリと笑う男に手を引かれて、歩いていると急に手が離れると同時に、ガシャンと何かが壊れる音がした。ふと、そちらに目をやると身売りの者が簡易的に建てていた屋台が壊れていた。屋台からはうめき声を上げる男がくたばっている。


「オイ、クソ猫……まだ話は終わってねぇぞ」


 息を切らし、低い声で話していたのは巻いたはずのシルトだった。いやいや、かなり距離は外したはずなのに、なんでこんな所まで?


「あとよぉ、お前だな? 大金出しては奴隷にしてオークションに出してるってのは」


 シルトは殴り飛ばした男の胸ぐらを掴み、何度も殴る。すると、男の意識は戻ったのか情けない声を上げ始めた。


「ひっ、ひぃぃ! か、金なら出すから……やめてくれ!」


「あ? 金じゃなくてテメェの体で支払えや。借りた金はまだ返してねぇんだよなぁ? お前のたーいせつなオトモダチが迎えに来てくれたぞ?」


 シルトの背後には黒い服を着た、いかにもそっち系の人が立っていた。その後、男は黒服の男に引きずられていったが、シルトはそれについていくことはなく、何故か僕の後をつけてくる。今夜の寝床探してるだけなのに、なんでついてくるんだ? いや、確かにシルトが来てくれなきゃオークションに出品されていたわけだけどさぁ。


「なぁ、なんでついてくるんだ?」


 僕の問いに対し、シルトは首を傾げる。


「なんとなく?」


「なんとなくって……あと、お礼なら言わないからな」


「別に助けた訳じゃねぇ。お前追いかけてたらたまたまターゲットがいたんだよ。頼まれてた者が見つかって報酬ももらったんだから、俺がお礼を言いたいぐらいだわ」


「……変な奴」


 どこか毒気が抜ける笑顔を見せるこいつに悪態をつく気すら失せた。


「なぁ、お前はなんて名前なんだ? 俺はシルト!」


 そう、その笑顔が腹立たしい。こんな灰色の街でよくも笑えたものだよ。しかも、名前を聞いてくるなんて……


「お前の悪名ぐらい耳に入ってるわ。僕の名前を知ってどうするつもりさ。名前なんてただの固有名詞に過ぎない。猫でも猫獣人とでも呼びなよ」


「え、お前……拗らせてんなぁ」


「拗らせてないわっ!! 名前を教えても、もう会わないんだから別に教えなくたっていいじゃないか」


 ズンズンと歩く僕の後ろをついてくる彼はさらに笑顔となる。行ったい何を企んでるというのだろうか。裏の読めない笑顔に思わず頬をが引きつる。


「じゃあ俺の仲間になれよ! いつでも名前を呼んでやる!」


「は? 嫌だ」


「俺の仲間になると、劇場で稼ぐより金になるぜ? 犯罪は……まぁ、かるーく犯すがこの街じゃ何も言われないさ。だからよ、俺とこいよ。レンタルならいいんだろ?」


 嫌な奴だ。ぞんざいな態度をとっても、こいつは自信ありげに笑うだけ。初めにあったときみたいにキレてくれればやりやすいものなのに……いいだろう。少しだけレンタルさせてやろうじゃないか。


「僕は高いよ?」


「安心しろ、お前を買えるだけの額はある」


 この時、僕はシルトの仲間となって一番名前を呼ばれる存在となった。

「カプリス」と呼ぶシルトの顔はどこまでも純粋で、自然と人として惹かれるようになっていった。それと同時に、憎たらしいとも思った。僕は素直な性格じゃない、猫は気分屋だからね。


 茶色の耳や尾が似合うと言われれば、灰色に染めて、相棒と呼ばれれば利害関係と言い、頼られたり指示がない限り僕は動かなかった。だから、彼が襲われても彼からの命令がない限り動かなかった。


「カプリス……俺が嫌いか?」


 さすがの彼も不安に思ったのか、弱々しい声で尋ねてきた。


「好きとか嫌いとかじゃねぇ。ただ、生きていく為の関係性ってだけだ」


 鼻で笑うように放った素直じゃない言葉を聞いてなお、彼はまた笑う。見透かされてる気分だよ。


「流石は俺の相棒だな!」


「……相棒になったつもりはない」


「ツンデレだなぁ」


「ツンデレでもねぇわっ!」


 シルトと大笑いしながらスラム街を歩く。そんなくだらなくて、他愛もない日々が続いて若いうちに死ぬのだと思ってた。

 あの日……スラム街に怨毒が現れたあの日、僕達の人生は一変した。

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