スラム街の猫と少年③

 スラム街から拾われてきた僕達は何度も彼女に名前を尋ねた。しかし、彼女は名前なんて知らなくてもいい、の一点張りで仕方なく師匠と呼ぶことにした。


 そこからは鬼のように常識、マナー、教養、護身術……色々教わった。だから知識面では特に問題はなかった。ただ、成長するにつれて目つきの悪さ、腕や足の怪我が目立つようになって周りから怖がられるようになった。


 師匠はストーリアに所属しており、名前は知られていないが皆から慕われている。サインだって来るぐらいだ。社会見学として僕らがついていくこともあったけど、サインを強請る子供や大人が寄り付かなくなってしまった。


「じゃあ、お前が得意な猫被りはどうだ?

 語尾に、にゃあってつけとけば子供に逃げられないんじゃねぇのか?」


 シルトの一言により、僕は語尾に「にゃあ」とつける間抜けになったわけだ。僕が隣にいることで、シルトや師匠の株が下がることはなんとか避けたかったからちょうど良かったわけだけど。主人であるシルトに何故か逆らえず、シルトや師匠の前では間抜けな語尾をつけてた。

 その後は幸せに暮らしたよ。スラム街では絶対に叶わなかったであろう事もたくさんしてきたさ。でも、それは長くは続かなかった。


 数年後、師匠は怨毒との戦いに敗れてあっけなく散っていった。僕と同じエピソーダーであったはずの師匠はエピソードを使わなかった。エピソーダーでありながら、エピソードを使わずして死んだ師匠に、何も言えなかった。ごちゃついた感情の整理は追いつかず、ただただ血だらけの死体を眺めることしかできなかった。


 エピソーダーであることを知らないシルトが喪服を着て、淀んだ瞳で話しかけてきたんだ。


「あの人は……エピソードを持ってなかったから死んだ? 何か、俺達が出来ることはあったんじゃないか?」


「……エピソーダーじゃなかった。こういう仕事をしているんだ、仕方のないことさ。僕達できることはなかったよ。僕達はあまりにも非力で、幼すぎた」


 エピソーダーとなって初めて、嘘をついた。


 それからだ、それからシルトは変わった。セルバンテス家に強制的につれて来られて、シルトはエピソーダーとなった。義兄もシルトも互いに無関心で、両親もまた無関心だった。求めた者になれなかったからだろう。

 まぁ、その話は義兄に聞いてくれ。あの人も、家族に憧れてた人だから。


 その後のシルトは冷たく、感情の乏しい人間となった。訓練学校を卒業し、かつての仲間と会って少しは感情を取り戻していったけどショックが多すぎたようだ。そりゃ、僕も傷ついたけど、シルトが生きているのであればどうだって良かった。僕の主人はシルトだけだからね。


 でも、彼は師匠をあまりにも尊敬しすぎていた。失いたくない一心で女装もして口調も変えたんだろうね。まだ縋りたかったんだよ、僕も彼も親を持つのは初めてだったからね。


 彼が地位を目指すのであれば、椅子が空くように手配しよう。彼が金を望むのなら、赤い猫になろう。彼が強さを望むのなら、どんな武器でもどんなに苦しい特訓も付き合おう。

 ただ、これは心から彼が望めばの話。望んでいないのなら……僕が彼の心となり、二人で道を歩もう。


「あの後はエピソーダー惨殺事件があってかつての仲間は全員死んでしまった。『浦島太郎』のエピソードを持ってあいつも仲間だった。だからさ、心が限界だったんだろうね……シルトは一度だけ殺しを僕に命じたよ」


 花畑のど真ん中、冠をせっせか作る少年に語り続ける。聞いているのか、聞いていないのかよくわからないが、何故か話したくなった。だから、僕の半生を現在ベラベラと洩らしているわけだ。


「仲間を殺した敵の一人を捕まえる事ができたんだ。シルトは本気でそれを望んでいた。だから僕も本気で殺したんだ。既に怨毒化しつつあったから咎められないとおもったしね。でも、血濡れの僕を見て、彼なんて言ったと思う?」


 少年は一度だけこちらを見る。


「ごめんなさい……だったんだ。本当に優しいよね。敵にも、殺しを命じられた僕にも謝罪するんだもん。だから多くの人を守れるんだ。だけど、僕は不器用だからシルトを守れるかどうかも怪しい。ほんと、足して2で割ったらいいコンビだよね」


 少年は唇を尖らせ、花冠を作るのに集中している。


「そんなお優しい彼だから一度だけエピソードで未来を視たんだ。そしたらさ……この花畑を歩く君と僕、そして師匠ことホワイトさんが視えたんだ。シルトがいないから察したよね。まぁ、あの化け物の顔を見たときにはもうここにいたんだけどさ」


 顔はもうよく覚えていないが、とてもショックだったのは覚えている。今まで出会ってきた人の顔、声、態度、思い出、全て蘇って来たかと思えば殺した奴らの顔も蘇ってしまった。今じゃ靄がかかって分からないけど。


「シルト……君が呪いを解いてくれる日を楽しみにまってるよ。どうか、無理はしないで」


 なぜか少年は僕の手を握り、花冠を頭に乗せた。少年は満足そうな顔で笑い、いつまでも手を握りしめていた。隣にはホワイトさんが眉を下げながら笑みを浮かべて、手を握る。両手から感じられる暖かな温度と楽しげなこの空間に思わず笑みが溢れた。


 どうか、君がこの満開に咲き乱れる花畑のような笑顔を見せてくれますように。そう、僕は今日も願う。


 ────────────────……


「あら? カプリス、ちょっと楽しそう?」


 短くなった紺色の髪に、大きく開いた桃色の瞳でシルトはカプリスを見る。シルトはカプリスと手を握り、冬には似つかわない青い花々が咲き乱れる花畑を指差す。


「カプリス、こんなところに花畑なんてあったわ。散歩もたまにはいいものね。あ、制帽が落ちてきた」


 カプリスに被せていた自信の制帽を再度、被せ直す。カプリスの左隣に立って手を握っていたスノーがクスクスと笑う。


「二人とも過保護ねぇ。本当によく似ているわ」


「過保護? これがですか?」


「無自覚のところもよく似ているじゃない。ただ、セルバンテスさん。最近は頑張りすぎじゃないかしら?」


 その答えに対してシルトは答えなかった。シルトはピクリと眉を動かしたが、すぐに無表情に戻る。


「もう二度と失いたくありませんし、カプリスに恩返ししないといけませんから」


 そうシルトは苦しげに笑みを向ける。灰色の空によく似合うその表情に、スノーはため息をつく。

 カプリスは真っ直ぐ前を見つめたまま、ぶつぶつと何かをぼやいているが呼びかけには反応を示さない。しかし、反射的なものなのかシルトの手をゆっくりと強く握りしめていた。


「馬鹿ねぇ……そんなになっても私の心配するなんて。もう少し待ってちょうだい。あなたが花畑にも負けない笑顔ができるような世界にするから」

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