白鳥の恋

 世の中、クソしかいない。

 それもそうか、だってクソな親から産まれるんだもん。


「マリーナ、こいつら本当に男?」


 気絶させた男達から巻き上げた金を数えながら聞いた。赤い髪をかきあげて、男の顔を踏みつける。


「まぁ、粗末なモノつけてるけど男なんじゃない? 女二人に複数で襲ってくるほど情けねぇ奴らだけどさ」


 マリーナは男の上に座って大笑いする。

 家出をしてまる一ヶ月……中央区からブルー地区にきてマリーナの家に転がり込んだわけだが、いつまでもこうしちゃいられねぇなぁ。

 狭い路地裏で、二人して煙草を吸いながらため息をつく。決して悪いため息ではない、先程まで興奮状態であった体が、煙草の影響なのかリラックス状態に変わったからだろうな。


「イル・オデット様」


 私の名前を呼ぶ声が近付いてくる。おそらく執事だろう。毎度毎度、よく来るものだ。まぁ、それも仕事のうちなのだろう。


「家には帰らねぇかんな。翼を切り落とした連中なんかと一切関わりたくねぇ」


「分かりました。そう伝えておきます」


 執事は淡々とそう告げると、路地裏から出ていってしまう。引き止めもしないあたり、私という人間に興味はなく、私がもつエピソードの方が大切なのだろう。王立区はやっぱりクソだ。養子をとってはエピソードを継がせ、名家としての尊厳を維持する。血筋よりも大切なのはエピソードだということ。


 上を見上げれば綺麗な夜空であるはずなのに、煙草の煙でくすんで見えた。


「イルー、帰ろうぜ。さすがに日をまたいだら怒られるぞ」


「……マリーナは先に帰っていいよ。私は適当にぶらついてくる」


 マリーナは首を傾げながらも、路地裏から出ていく。あいつ、なんだかんだで親大好きだからなぁ。私とは大違いだ。

 乾いた笑いが思わずこぼれたが、それは反響することなく消えていった。


 路地裏を抜けると提灯が並ぶ繁華街が顔を出す。相変わらず騒がしいな、酒は飲むし、賭け事もしてる。それなのに平和なのは何故だろうか。私もなにか賭けようかと思ったが……


「やーめた」


 なんだかそんな気分じゃない。適当に歩いて、眠くなったら帰るか。怒られるだろうけど。提灯が並ぶ通りを抜け、子供の騒ぐ声がする住宅街を抜け、静かで不気味な雰囲気ただよう神社を抜け、やってきたのは何故か湖であった。


 湖畔に映るのは欠けることなく満ちた月と、幾千もの星々。風もなければ音もない湖畔はまるで鏡のようで、思わずため息が出てしまうほど美しかった。

 ただ、そこに私が映ると全てが汚く見えてしまう。


「"エピソード───────白鳥の湖"」


 無意識的に呟くと、透明な水が大きな水の翼へと変えて私の背中に現れる。まぁ、飛べはしないけど翼があるのはやっぱりいいな。

 だけど、偽物の翼を見ても虚しくなるだけだな。


 ドサッ───


 能力を解こうとしたその時、背後で何かが落ちる音が聞こえた。驚いて後ろを振り返ると、心臓が高鳴る音と絶望が同時にやってきた。相反する二つの感情に吐き気がしたが、目を離すことはできなかった。


「き、君は……」


 薄水色の髪に、透き通った青い瞳、優しげな声。そいつは目を離すことなく、頬を赤らめたまま固まっていた。最悪だ、最悪だ!


「あんたっ! 名前はなんだ!」


「え、僕は、ジークフリート」


 あぁ、最悪だ。私はこんなにも優しそうな人の人生を奪ってしまった。出会いたくなかった。しかも、能力を解いてない状態を見られてしまった。私の本来の姿を見せてしまった。


「ご、ごめんなさい! ヒトの声が聞こえて……あ、あの、凄く綺麗で憂いをおびたその姿に見惚れてしまっていました」


 これでもかと顔を赤くさせ、その場に男はうずくまる。ここで殴りでもすれば離れてくれるだろうか、ここで罵倒すれば離れてくれるだろうか、ここで無視すれば離れてくれるだろうか。考えれば考えるほど、いつもの自分とは思えないほど、非暴力的な解決策を探っていた。


「……あっそ」


 出たのはなんとも可愛らしくない言葉。私は男を見ずに、通り過ぎようとすると指先を軽く掴まれた。男の指は風呂上がりよりも熱かった。


「ま、また会いたい、です……僕、明日も待ってましゅ」


 噛んだことに気づいていないのか、男は震える声と目でじっと私を見つめてくる。これだから童話は嫌なんだ!

 出会ってすぐに恋? まだ数日しか会ってない人間に命をかけてまで守ろうとする馬鹿な男? そんなの非現実的だろうが。

 そんなの……そんなの……


「イル・オデット。明日は……気が向いたら行く」


「イル……! いい名前ですね! 待ってます!」


 尻尾を振った犬にしか見えないこの男の要求を飲んでしまった自分を殴りたい。殴り飛ばしたい。もはや一人で湖の底に沈みたい。


 その日、マリーナの家に帰ってきたはいいものの全くと言っていいほど寝れなかった。緊張、不安、罪悪感、その中に喜びがあったが気のせいだと割り切ろうとしていた。

 蝉の煩い声を聞きながら、ひたすら外を眺めていた。心を無にしなければ。


「イル、その顔どうしたんだ? キモいぞ」


「おっし、喧嘩なら買うぞ。女子相手にキモいは酷いだろ」


「いやいや、乙女の顔になってる。恋か?」


「恋じゃねぇ!」


 ニヤついた顔のマリーナを一発殴りたい気分だ。マリーナは恋だ、恋だと騒ぎ立て続けてふと思い出した。マリーナには私がメルヘンズであることは知っていても、その内容は教えていなかったな。童話語りをするのは大切だと教えられてきたけど、語りたくはない。まるで自分の未来を語って、晒している気分になる。


 白鳥の湖には二つのエンディングがある。王子と姫が幸せに暮らすハッピーエンド、二人とも心中するというバッドエンド。少なくとも、私は幸せな結末には至らないだろうな。


「イル、行ってこいよ! 恋して女は強くなるんだよ!」


「はぁ? 少女漫画の読みすぎだろ。恋したら弱点が増えるだけだ」


「いいじゃん。命張れる覚悟がより強くなるんだからよ」


 何も知らないマリーナはそう笑う。そのまま背中を押され、気づけば昨日の夜に来ていた湖まで歩いていた。

 夜の静けさはそこにはなく、鳥の声と蝉の声が合唱する騒がしい湖へと変わっていた。しかと蒸し暑いときた、もう帰ってしまおうか。


 踵を返したその時、ギュッと手首を掴まれた。少し汗ばんだ手に驚きながらも、後ろを振り返ると頬を赤く染めたあいつがいた。


「来てくれたんですね! 僕も今来たとこなんです!」


 嘘だ。ダラダラと汗を流し、手は明らかに熱を吸収しており、少し赤く染まっている。馬鹿な人。絶対私が来るよりも前に来てたじゃん。

 私はエピソードで水の帯を作り、そいつの首に巻く。


「……倒れられたら困る」


「ふふ、そうですね」


 腹が立つことに、そいつは遅れた私を恨むどころか微笑みかけてくる。能天気なのか、馬鹿なのか……それともお人好しなのか。


「イルって、呼んでもいいですか?」


「敬語はいらねぇ」


「ほんと!? それは良かった。少しは、警戒が解けたのかな?」


 首を傾げて困ったように笑う彼はまるで犬だ。こんな傷だらけで、翼のない私に向けるべき顔じゃない。


「イルさ、エピソーダーだったんだね。祖母が童話語りが好きで、先代の人だけど録音してたんだ。『白鳥の湖』」


「え、そう……なんだ」


「うん。最初は、同情してたんだけど今は違う。二人とも、本気で愛していたから二人からすればハッピーエンドなんだなって。そう、君と出会ってから思ったんだ」


 照れくさそうに笑う彼。なんでそんな考えができるのか。頭がお花畑なのだろうか。


「……たかが愛に命を賭けれんの? 出会って数日。お互いに性別と名前ぐらいしか知らない仲で命差し出せるの?」


 ほとんど初対面の相手にこの言い方。最低だ、素直じゃない自分に辟易する。それなのに、この男は驚いた顔は見せるも真剣な表情で私の手を握る。


「差し出せるよ。だって……一目惚れした人なんだから。好きだからこそ君の事をもっと知りたいと思ったんだ」


 揺れることのないその瞳で私を見つめるも、ほんのりと耳は赤く染まっていた。変な人。答えになってないんだよ。でも……しっくりきてしまったのはなぜだろうか。


「あなたが好きになった人は、メルヘンズで……メルヘンズの多くはバッドエンドとして人生を終える。物語は変えられない。今ならまだ引き返せるかもしれない」


 そう伝えるも、彼は照れ臭そうに笑う。


「愛しているから関係ないよ」


 馬鹿な人。殺害予告されたも同然なのに。いいのだろうか、こんなにも優しくて暖かい彼を死なせてもいいのだろうか。溢れそうな涙をなんとかこらえ、肩を軽く小突く。


「公開告白までしやがって……付き合うしかなくなるじゃんか」


「えっ!? あ、そっか! いや、あの……最初はお友達からでいい、ですか?」


「は? なんで。せっかく返事したのにか?」


「いやぁ、最初から付き合うと心臓がもたないというか……」


 そういう彼の顔は真っ赤で、握った手は汗ばんでいる。本当に犬みたいな人だ。


「意気地なし」


 ボソリと呟くと、ジークはわかりやすくショックを受けた顔になる。一人で湖を散歩しようと私のあとをジークが追ってくる。緊張して何を話したか覚えていないが、最後まで手は握っていた。



 ─────────……


 血と水で濡れた青白い二人の遺体をマリーナは見ていた。繋がれた手は硬直して外れそうもなく、幸せそうに微笑み合っているその表情も硬直したままであった。誰がどう見ても死んでいる二人に対し、マリーナは話しかける。


「幸せそうに眠ってるなぁ。私さ、二人の子供見てさ、可愛い可愛いって何度も言ってはイルにしつこいって怒られるの。そんで、家に呼んでジークフリートと皆で酒飲んで騒いでたら、子供が起きてまたイルが怒るの。それで皆大笑いする……そんな未来が見えたのになぁ」


 大粒の涙を流しながらマリーナは二人を見る。


「おやすみ、相棒」

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