夢幻
天井も壁も床も、全てがコンクリートで出来たこんな牢獄で最期を見届けなきゃならないとはな。
鎖に繋がれ、俺を見ては唸り続けるそれはヒトの皮を被ったバケモノだ……なんて思えたら良かったのになぁ。
「なぁ、アルマ。戻れねぇのか?」
「ヘイトリッド……」
「分かってるよ鬼平。だけどよ、元の姿に戻られたら期待しちまうじゃんか」
目の前にいるのは黒い肌も鋭い紫色の瞳もしていないアルマだ。姿は本当にアルマだが、中身が違う。呼びかけにも答えず、ただ唸るばかり。鎖を外せば、その歯で俺達を野犬のように噛みちぎるんだろうな。
鬼平も眉間にシワを寄せ、奥歯を噛み締めている。
「安心しろ。お前の無念は俺が晴らす。今はただ……眠っててくれ」
銃口をアルマに向ける。引き金に指をかけたその時、鬼平の手がそれを遮った。
「ヘイトリッド、あれを見ろ」
少し震えた声で鬼平が指をさす。そこには体全体を覆う赤ずきんの紋章が拍動するかのように点滅し始める。
「"エピソード─────赤ずきん"」
「まずい! 鬼平! 戦闘態勢を────」
暴れられると考えていた俺はすぐに剣を抜くが、戦意は一瞬にして消え去った。嘘だろ? こんなの、ありかよ……
目の前に広がるのは冬には似合わない春の陽気に包まれた花畑。雲ひとつない晴天に、柔らかな笑みを浮かべる、アルマが立っていた。違う。これは虚像だ、怨毒が作りあげた幻に違いない。だが、あれは……アルマだ。
「アルマ?」
鬼平がハクハクと口を動かしながら近付いていく。近付いてくる鬼平を見たアルマは呆れたように笑い、優しく肩を叩く。
「なんて顔してるんですか。しっかりしてくださいよ、鬼平」
「アルマか? ちゃんと意識はあるのか? アルマなんだよな?」
「うるさいですね。私以外に何があるというのですか。ヘイトリッドもなんです? そんな化けて出たみたいな顔して」
これは、夢か幻なのだろうか。持っていた銃を離し、アルマへと駆け寄る。エピソードを使ったことは分かっているが、故人と会話が可能となって喜ばない人間がどこにいるだろうか。
「アルマ……なんであんなしょうもねぇ死に方─────」
「ヘイトリッド、鬼平。場所を変えて話しましょう」
言葉を遮ったアルマの顔は普段じゃ考えられないほど落ち着いたものだった。そして、その姿は僅かに透けているように見えたのは気のせいだと信じたい。
他愛もない話をしながら歩き続けると、美しい水平線が広がる浜辺に着いていた。流木もゴミも一つないこの浜辺にはサラサラと滑るような砂と俺達しかいない。聞こえてくるさざ波は心地よく、何かが締められるような気分だ。
「いいですか? 私は今からとてもらしくないことを言います。笑ったら書類の刑に処します」
アルマはそう言うと、波の近くまで歩く。
「たった二十年の人生、満足とはいきませんでしたが不満のない人生でした。もとより、獣人の一生は短いものですしね。二人に出会えて私はとても楽しかったですよ」
アルマは膝下まで浸かっても歩みを止めず、水平線に向かっていく。
「鬼平はあまり根を詰めすぎないでください。ヘイトリッドは頼ってください、テュランや花神はまだまだ経験不足ですがきっとあなたの助けになります。それとジェスター、彼とその友人もよろしくお願いします」
「アルマ、そっちは沖にでてしまうぞ!」
鬼平の声に悲しい顔を浮かべるが、腰まで浸かっても歩みを止めない。
「ついてこない方がいいですよ。これが
駄目だ、ここで手を伸ばさないとあいつは!
「もし、来世というものがあるのならはしゃぎたかったものですね。私達は少し、いえ、こんな世界に生きてしまったからこそ、大人びてしまったのでしょう。傷つけることも、傷つくことも慣れてしまった」
ついにアルマは胸下まで浸かってしまった。俺達は叫びながら追いかけるも、打ち寄せる波のせいで進めない。
「……撃て、ヘイトリッド」
冷たく突き刺さるような声をアルマが発する。俺の手には銃が握られていた。
「そんなの、撃てるわけないだろ!」
「アルマ! 戻ってこい! 今ならまだ間に合う!」
俺達が声を荒らげても止まることはなく、ただただ涙を流しながら笑っているだけであった。
「そう……じゃあこうするしかないですね」
すると、アルマの体は怨毒であった時の大きな狼へと変わり、鋭利な牙の生え揃った大口を開けて飛びかかってきた。
驚きと、一瞬の焦りで引き金を引いてしまった。消えていく幻の中、アルマは満足そうに笑っては海の中へと沈んでいくのが見えた。
視界が暗転し、次に目を覚ましたのはコンクリートに囲まれた牢獄と黒い灰が少しの山を作っていた。そこには持っていたはずの銃が落ちており、俺の手にはアルマのドッグタグがあった。
「ヘイトリッド、今のは……」
「アルマが最期に見せた……幻、か?」
お互いの顔を見合わせると、海水にでも濡れたかのように、涙で濡れていた。あいつ、最期まで狼を演じやがった。俺が後悔しないようにと、自分で引き金を引いたんだ。自害を選びやがったんだ。どこまであいつは───
「……馬鹿なんだよ」
その日、桃太郎軍団の一人が戦死した。満足そうな顔をして沈んでいった。二十歳にしては礼儀正しく、欲がなく、大人びた奴だった。それでも、誰よりも心身ともに成長した奴だった。そんなバカ真面目な忠犬みたいなあいつが好きだった俺も大バカ野郎なのだろう。
あの日、涙が海水だというのならば沈んでいったあいつはどれほど泣いていたのだろうか。
─────────……
「なぁなぁ、なんで俺を第五部隊に呼んだんや?」
相変わらず腹の立つ仮面を付けたジェスターが首を傾げる。その後ろにいた数人のお仲間さんも首を傾げる。まるで親鴨を真似する小鴨のように。
「バカ真面目の忠犬に命令されたからだ。そうじゃなきゃお前なんか神聖な第五部署に入れるか」
「その神聖な第五部署とやらに、どうして酒が隠されているんでしょうか?」
隠していたラム酒をドンと俺の机に置き、鋭く睨みつけてくる花神は般若同然だ。ここにも居たな……バカ真面目の乙女が。
「お酒は部屋で飲んでよー、肝臓潰すよ? あとジェスターは早く第一部署に行ってきて! 吐血した後の介抱がどれだけ面倒か分かってるの?」
「そんなテュランはん、怒らんでや。俺だって早く行きたいんやで?
泣く動作をするジェスターに対してテュランは呆れたようにため息をつく。というか、吐血してるのに業務をこなすこいつが怖ぇよ。
「俺が頼み込んでも多分無理だろうな。ブルー地区は規制が厳しくなってるからな。
花神とテュランは返事をするが、ジェスターはどこか不満なのか唇を尖らせている。一つも可愛くないな。
「まだ監視される身なんかい。ま、ええけど、ヘイトリッドはんはあんま気負い過ぎんなや? 未練タラタラなんバレバレや」
小声で話しかけてきては、俺の心を言い当てて来るのがさらに腹が立つ。お前にだけは見透かされたくなかった。
「お前こそヒトの心に土足で入ってくるのも大概にしとけよ? 感傷に浸るぐらいの時間はくれ」
「……分かった」
真剣な声を出したと思いきや、テュランと花神の肩に触れてはいつものようにおちゃらけた態度となる。妙に物分りがいいのも腹が立つ。だが、そこに救われた。
引き出しにはアルマが遺したメモ帳があり、後半部分には『赤ずきん』の童話が達筆な字で書かれていた。誰かに引き継いで貰う為だったのだろう。
「すまねぇな。俺は自己中で馬鹿な王様だからよ」
ベランダに出てはメモ帳に火を付け、パチパチと小さくなるメモ帳をただ見つめていた。
「誰も受け継いで欲しくないんだ。こんな悲しい狼の結末を」
首にかけた自分とアルマのドッグタグがいつもより重く感じられた。
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