第21話 邂逅

 アルマが走ったであろう道には尖った爪まで分かる狼の大きな足跡が残っている。俺の足がその足跡に埋まるほどの大きさだな、怒りで我を忘れてビースト化を解くつもりもない。あのままだと言葉も通じない巨大な狼になってしまう……!!


「あの訓練生は確か……無能力者のレオンだな」


「レオンと組んでいた奴は『ガラスの少女』というエピソードをもつイシュメリという女性と無能力者の愛羅あいらがチームだったぞ! もし、イシュメリが力の使いすぎて……」


「もし、使いすぎだったら最悪だな。どちらにせよ、イシュメリと愛羅は危険な状況だろう。もしくはレオンと同じようにもう……この世にはいないかもしれない。俺達の優先順位はまずアルマだ! あいつを殴ってでも怨毒から離すぞ! あとは教官とシェヘラザードにまかせるしかねぇ!」


 山の斜面を勢い良く駆け上がりながら桃瀬に伝える。桃瀬は苦虫を噛み潰したかのような表情をし、拳を握り締める。あいつのことだ、どうせアルマもあとの二人も助けたいと思っているんだろう。しかし、あの場に立つと必ず選択を迫られる。どちらもなんていう選択はないんだ。

 背中に隠していた金の装飾が施された剣を取り、木刀を捨てる。隣を走る桃瀬も鞘から刀を取り出して刀身を剥き出しにしていた。


 悲鳴も動物の声も聞こえない静かな森に、枯れ葉が舞って擦れる音と自身の心臓の音のみが聞こえているようだ。そんな異様な空気を壊す轟く咆哮が空気を震わせる。それは復讐に燃える狼の怒りの咆哮。それは同胞を失った悲しみにの咆哮。それは……人を捨てた獣の咆哮だった。


 目の前にいたのは銀の毛で覆われた尖った爪の足、逞しく太い銀の尾、触れるだけで皮膚が裂けそうな手の爪。今にも食われそうな捕食者の口に金の瞳がギラつく、アルマだった。

 そして、そんなアルマと対峙しているのは白い髪に黒い肌をした男が頭を抱えて唸っている。


「こんな、こんなはずじゃなかったんだ」


 怨毒となった男はブツブツと呟き、紫色の瞳で獣となったアルマを見つめる。男は白い髪にも黒い肌にも合わない青い髭をしていた。


「怨毒……貴様らだけは殺さなければいけない社会のゴミだ。両親を殺し、引き取られた大神夫妻も食い散らかした……おかげで私は本当の名も知らない! この私が食いちぎってやる」


「アルマ! 今の俺達じゃ無理だ! 止まりやがれこの駄犬!」


 叫ぶ俺の声も届いていないのかアルマは口を大きく開けて怨毒に大きな手を伸ばす。その瞬間、怨毒の周りに赤い液体が紐のように揺らめいた気がした。その紐はアルマの首や腕に絡まろうとし、俺の頬にも触れる。ぴりっと電気の走ったような痛みに襲われ、頬に触れてみると指先に血がついていた。触れただけなのに!? だとするとアルマの首が飛ぶ!


 俺はアルマの周りにあった赤い紐を剣で断ち切り、アルマの尻尾を後ろに引っ張る。気をつけながら切ったつもりだったが、俺の腕は数カ所切れていた。アルマは引っ張られたことと俺が血を流していることに驚いてビースト化を解いて、元の耳と尻尾だけの獣人に戻る。


「ヘ、ヘイトリッド……」


「この馬鹿が! 桃瀬! さっさと逃げるぞ!」


 桃瀬にそう言うと、桃瀬は手を伸ばして何かを叫んでいた。その時にはもう遅かったんだ。忘れていた、イシュメリというエピソーダーの事を……背後には全身がガラスで出来た女性が立っており、心臓部は青色に光っていた。そいつは俺の横腹めがけてガラスの塊をぶつける。腕でなんとか防ごうとするが、その塊は硬く、右腕と肋骨がピキピキとなってはいけない音が響いて近くにあった木まで吹き飛ばされる。


 呼吸が上手く出来ない、もしかすると肺に穴が空いた可能性もある。口から血もでてるし、他の内臓もやられているかもしれない。これは……逃げられないな。しかし、イシュメリは力の使いすぎて童話に飲み込まれるとは……エピソーダーだからといって怨毒にならない理由はない。イシュメリはあの怨毒に挑んだが、結果、あいつも怨毒化してしまった。レオンはそれに巻き込まれ腹に風穴を空けられ、愛羅ももう死んでいるだろう。


「イ、イシュメリ……怨毒化したのか! アルマ! ヘイトリッドを連れて逃げてくれ! 俺は時間稼ぎをする!」


「いえ、桃瀬がヘイトリッドを連れて逃げてください!」


 アルマは刀で紐を切りながら怨毒に向かって刀を振るが、怨毒化したイシュメリがアルマに掴みかかろうとする。寸前のところで桃瀬が刀でイシュメリの攻撃を防ぐ。


「イシュメリ! 俺達だ、桃瀬と大神だぞ!」


 桃瀬が叫ぶと、怨毒化したイシュメリは動きを止め、ガラスの涙を流し始めた。まだ意識はあるようだ。しかし、男は情緒不安定なのかケタケタと笑いだし、血だらけの手を自身の頬につける。


「金持ちの青ひげは刺激が欲しかった。だからとあるゲームをしていた。開けてはいけないという扉を自分の妻がいつ約束を破って開けてしまうのか……その部屋には多くの女の死体を吊し上げていた。妻にくるもの妻にくるものみーんな扉を開けて青ひげに殺される。お前たちだって──────見てしまった」


 男が立ち上がり、不敵な笑みを浮かべると赤茶色の髪をした血濡れの女性を持ち上げる。あれは……愛羅だ。無数の切り傷から血が流れ、髪色だけでしか本人だと認識出来ない。


「こんの……外道がっ!!」


 アルマは刀で紐を切り裂き、怨毒の首を狙うが紐によってアルマの体に多くの傷ができる。しかし、切り裂くごとに紐は細かくなって大神の周りにまとわりつく。切れば切るほど紐が増えて怨毒に近づくことができない。

 イシュメリは何かと葛藤しているのか青い心臓をトクントクンと振動させながら立っている。

 怨毒はニタリと笑い、紐を固めて剣に変える。それを知らないアルマは迷わず突っ込む。声を上げようとしたが激痛が走って声を出すどころか、立ち上がることすらままならない。


「アルマ!」


 桃瀬が刀で剣を受け止め、大神の首が飛ぶことはなかった。しかし男はずっと笑ったままで、血の気が引いていく感じがした。よく見ると剣から刀を伝って桃瀬の腕が凍りはじめている。桃瀬はぐっと痛みを逃がすように噛み締め、唇から血が出ているのが分かる。相当な痛みであるはずだ。


「アルマ! 今だ! 首を飛ばせ!」


 俺がそう叫ぶとアルマは紐で切り傷を負いながらも刀を男の首に当て、雄叫びを上げながら振り下ろす。胴体と離れた男の首は黒い炭のようにボロボロと崩れていき、胴体も首から順に黒くボロボロと崩れていく。その時、男の顔には涙のようなものが流れていた。


 桃瀬は紫色になった両腕を見て、息を荒くする。出血と腕の痛みにもう限界が来ているはずだ。アルマもずっと左足を引きずっているな、おそらく骨にヒビが入っているのだろう。もう俺達に怨毒となったイシュメリの相手なんかできる体力も残っていない……立ち上がれ、立ち上がれよ!!


 自分を奮起させるが、どうしても足に力が入らず頭も回らない。視界もぼやける回数が増えてきた。


「ご、めん。レオンを殺した。愛羅を……救えなかった」


 イシュメリは無表情のままガラスの涙を流し、ガラスの手でアルマが持っていた刀を自分の胸に当てる。アルマは豆鉄砲を食らった顔をし、刀を震わせる。イシュメリは青から赤い色の心臓を拍動させ、微笑む。


「殺して、意識があるうちに」


「は? そ、そんなのできません! まだ助かるかもしれません!」


 怨毒を恨んでいたアルマは弔う事を拒否する。桃瀬がアルマのそばにより、息を荒くさせながら伝える。


「アルマ、弔うしかない。彼女は今耐え難い苦痛の中、最期に意識を保っている。彼女は、と願っている……せめて、彼女を人のまま弔おうじゃないか」


 涙を流すアルマの腕を桃瀬は掴み、ぐっとイシュメリの赤い心臓に向かって突き刺す。彼女は最期に笑いながら砕け散った。足元には彼女だったガラスが散乱する。桃瀬とアルマは涙を流しながら刀を落とし、その場に座り込む。


 つくづく思う。神様ってのはクソ野郎だ。勝手に運命ってものを決めて、最期は人の手で葬るようにしている。神ってのはそんな偉いもんかね……


 仲間を三人も失った悲しみに打ちひしがれていると、奥の方から白い髪に黒い肌、紫色の瞳の三人目の怨毒がいるのが見えた。桃瀬達はまだ気づいていないが、その怨毒は口周りが赤く濡れており、手には何の肉塊が考えたくない赤いものが握られていた。もう、流石に耐えきれない。


 どうせ、何かを切り捨てるつもりでアルマを救いに来たんだ。とっくに覚悟はできている。


 俺は二人に聞こえるように声を張り上げる。


「鬼平! アルマ! 俺の目を見ろ!」


 二人は振り返って俺の瞳を見つめる。洗脳が解ける頃、お前たちは怒るんだろうな……ご立派な事だ。こんな俺に怒るなんて。


「絶対王政だ……"王様の言うことは"!」


 二人の瞳に俺の瞳にある赤黒い王冠の紋章が映し出され、二人は泣くのをやめて片膝を立てる。下手すれば俺もイシュメリと同じように怨毒になるかもしれないが、二人が助かるなら。


「───────絶対です、国王陛下」


「鬼平、アルマ。お前たちは訓練学校に戻れ。そして二度と戻ってくるな。何があってもだ!」


 鬼平とアルマは勢い良く山をかけ、その場から去っていく。残ったのは俺と死体だけ……喉が焼ける感覚、目から熱い血が流れる感覚、全てが不快で呼吸を早くする度に臓器が動く感覚さえしているように思えた。力の使いすぎってこんな感覚なんだな。


 目の前には悪魔のような顔をした怨毒が立っており、虫の息である俺の髪を雑に持ち上げる。もう髪を引っ張られても痛くはねぇ。


 あいつらの防壁となるなら……本望だ。


 ふと、自分の頬に涙が一筋流れた気がした。

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