第42話 わがまま姫の手の上

「俺の条件はたった一つ。たった一つ飲むだけで英雄ヴォートルの幹部、メモワールの事をゲットできるんや。こんなん破格やで?」


「セールスならお引き取り願おうかしら。そもそも、敵か味方かわからないあんたなんかの要求を飲むはずがないじゃない。平等な取引をしたいのなら───────」


 その時、ジェスターは軽くボールでも投げるようにナイフを投げてきた。反射で思わずキャッチしてしまうが、特にこれといった仕掛けは無く、足元に落とそうと右手を開こうとした。


 しかし、ナイフが落ちる音はせず、右手の感覚がなくなっていることに遅れて気づいた。ジェスターの右手には「JOKE」という文字が紫色に怪しく光り、私の右手にもいつの間にか「JOKE」という文字がついていた。


「俺はジョセフ・グリマルディ。なんていうおっさんの能力があるねん。まぁ、他の人に比べれば有名やないし、こうして他人の部位を操るにはJOKEという文字をつけなあかへん。まぁ、そんなことせんでもできるけど自分の命優先やからなぁ」


 ケタケタと笑う彼にカプリスが飛びかかろうとするが、浦島の毒魚やおおよそ海には存在していない空想の生き物までもが近くまで寄る。もはやここは深海だな。


「エピソードが人を選ぶように、メモワールも人を選ぶ。せやけど、後者のほうがなんぼも条件がぬるい。その代わり副作用が強いねん。ほんま困ったもんやで」


 ジェスターは右手を握りしめ、勢い良く自身の大腿に向かって振りおろす。それと同時に私の右手も振り下ろされる。しかし、ナイフが刺さる直前にジェスターは動きを止めてまたもケタケタと笑い始めた。


「あんた、えらい肝っ玉してんなぁ。自分が怪我することになんの躊躇もない。十六年前になんかあったんか?」


「……何もないわけないでしょう。あと、人のことばかり詮索するのは紳士的ではないわね。仮面ぐらいはずしたらどうなの? 私は顔で決めるような男じゃないから安心しなさい」


「当たり前や、俺は道化師やからな。シルト、あんたは処分対象なのが惜しいなぁ。狼の嬢ちゃんでも知らなかった鈴宮ヘレナの事や朝日夢の事もあんたは知ってた。どこでそんな情報得たんや?」


 ピリピリした緊張感のある空気がしばらく続いていると、スノーさんが私からナイフを取り上げる。ジェスターもそれを予想していなかったのか「あっ」というなんとも間抜けな声が出ていた。


「寂しいですねぇ。私も会話に入れてくださらない? ジェスターさん、あなたの条件はなんですの?」


「ストーリアには心臓に毛はえてる奴しかおらんのか。普通、刺されると思って硬直するやろが。はぁ……条件は一つ、三億を俺に寄越すこと。寄越してくれたらいくらでも俺が知ってる事話したる」


 スノーさんは驚いた顔をしていたが、すぐにフッと花が舞うような微笑みを向ける。


「えぇ、もちろん渡しますわ」


「ちょっとスノーさん!? それはいくら何でも駄目な気がするにゃ!?」


 カプリスがそう言うも、スノーさんは悪戯を仕掛けた少女のような笑みを向ける。カプリスと私は途端に何も喋れなくなる。立場が上ということもあるが、とんでもないプレッシャーに押しつぶされる気がしたのだ。顔は笑っているのにその目はどこまでの冷たい。まるで死人だ。


「あー、えらい決断力やな。なんや裏がありそうやけど、俺はこの事は連中に話すつもりもあらへん。そもそも話せば俺がお陀仏やしな。しょうみ、俺は金さえ手に入ればそれでええからな。んじゃ、取引成立ってことで」


 スノーさんとジェスターは緩く握手をするが、私としてはなんとも理解ができない光景だった。


「自分が英雄ヴォートル側じゃなくて良かったですね。本来なら即連絡するところですが、自分は乙峰様がいればそれでいいので」


「あんたの乙姫さんは現在行方不明や。アダムの旦那も詳しくは教えてくれへんから俺もなんにも知らん。てか、あんたはずっとこの気色悪い地下におったんやろ? なんか知ってんちゃうの」


 どうやらジェスターは私達が来ると分かっていたからここに来ただけで、乙峰家のことはよくわかっていないようだった。浦島は何を言っているんだ、とでも言いたげな顔で衝撃な事実を口にする。


「乙峰様はここにいますが? 良ければ案内しましょうか? ただし、英雄ヴォートルもストーリアも今後一切この乙峰様の敷地に踏み入れないでください。ジェスター、貴様をここに入れたのはそれが条件ですしね」


「はいはいせやったな。単独行動がバレれば俺の信用ガタ落ちやから話すつもりはあらへんよ。頂くもんは頂いたやろうし連中にとっちゃここは、ただの廃坑に過ぎひんやろうな」


 ジェスターは両手を軽く挙げて、降伏したようなポーズをとる。私達ストーリアとしてまだここは調べなければいけない箇所がある。たった一度行っただけでは探りきれない箇所ももちろんあるだろうから、この条件を飲むのは流石に厳しいものがある。


「まぁ、そんな事で良いなら喜んで条件を飲むわ」


「え、は!?」


「あら? セルバンテスさん、何か意見でも?」


 ここで初めてスノーさんから花が舞うような笑みは消えた。冷たいなんていう次元の笑みじゃない、殺意が滲み出ている。

 そうだ、この人は知識欲に飢える異常者で決してこちら側の人間でもない。以前、なぜそんなにも知識に飢えているのか聞いたことがある。その時はこう答えていた。


「知らないというのは気持ちが悪いことよ? 動物の身体構造、毒薬や劇薬の効果、人体の構造……とても知りたいわ。でも、ヒトを殺すのは非合理的でしょ? だからそろそろ死体解剖の資格まで取ろうと考えているのよ」


 そんなふうに話していた。法を犯さない異常者でありながら、莫大な知識者であるから地区長になっただけで、根本的にこの人は違う。


「知りたいという欲求を邪魔されるの、わたくし反吐が出そうな程に嫌いなんです。敵も味方も関係ないんですよ、わたくしがしたいように動くだけです」


「本当に、狂ってるニャ……究極の我儘ニャ」


 カプリスはボソリと呟き、スノーさんを見つめる。スノーさんは花の舞う暖かな笑みをする子供に戻った。


「我儘でもいいんです。私の知識を求めた行動が結果的に正義に変わっているんですから。過程よりも結果が大好きな国民の目には素晴らしい地区長としか映っていないんですし」


 あぁ、あなたはまたそうやってヒトを騙していく。顔の整った美女が一種のセイロンを並べれば、一般人なんて簡単にそれに納得して賛同する。自分の顔が武器と知った女こそ恐ろしい。


「ではこちらです」


 ─────────……


 大量の深海魚と共にやってきたのは地上へと出る階段であった。浦島曰く、この辺りは乙峰家の言いなりらしく、すぐ近くにある山も乙峰家に買収されたものらしい。階段を登りきって見えてきたのは頑丈な鉄扉。


 開くと陽の光……ではなく、LEDライトの白い光だった。床や天井、壁は全て木材で作られた小さな別荘らしく、窓の外から見えるのは青々と茂る森だった。見るかぎり、研究所というよりただの小屋のようだ。


「乙峰様、お客人ですよ。あなたは喜ばないかもしれませんが、少しすれば出ていきますから」


 現在も能力を使い続けている浦島が深海魚と共に天蓋付きの白のベッドに近づく。天蓋でよく見えなかったため、半透明の天蓋をめくると────────あまりにも白すぎる骸があった。


「ッ!?」


 後ろに下がると浦島は頬を赤く染め、自慢げに語り始めた。スノーさんも、ジェスターも、カプリスも誰もその光景に言葉が出てこなかった。


「乙峰姫花様です。とてもお美しいでしょう? あぁ、自分はこのような主を持てて幸せです……」


 頭蓋骨には銃の弾程の穴が開いている骸だった。バラバラにならないようにと、ボルトで関節を繋ぎ、白いそれには肉片一つついていなかった。


「最初は髄液と血液が流れっぱなしで汚れていたのですが、肉体を溶かすと綺麗な骸骨となりました。知っていますよ? もうこれが乙峰様でないことも……それでも、好きなんですよ。全てを失った自分に愛をくれたのは彼女だけ……例えそれが自分を利用するために与えた愛だとしても、自分にはその愛を知らないから満足なんです」


 骨となった彼女を愛おしげに触れては身震いをしている浦島は狂気的で悲劇的であった。ジェスターは乙峰の変装したことに気が引けたのか、変装に使っていた扇子を枕元に置いた。


「あー、それアダムの旦那に渡された扇子や。まさかもう既に殺してるなんて思わへんかったな……」


「あぁ、やっぱり。良かったですね乙峰様。あなたが愛用していた扇子が戻ってきましたよ」


 浦島は完全に一人の世界に入ったのか、一人で何かを話していた。返答もないのに何度も何度も質問をし、私達がいることを忘れているようだった。


「今は何を聞いても駄目ニャ。早速、この周りを探した方が良さげにゃ。ここにある本は……どれも研究日誌みたいニャ、それも何世代も前からの」


 カプリスが見せたのは八十年前の研究日誌であった。黄ばんでいるせいで読み解くには時間がかかりそうだったが、確かに乙峰家の家紋が描かれていた。


「なら、ウラシマ関連の事やこの国の歴史、そして機械仕掛けのデウス・エクス・マキナについて書かれているものを探しましょう。ジェスターさん? あなたも協力してくださる?」


「えぇ、えらい友達感覚で話してくれてるけど俺は一応向こう側の人間やで?」


「四人いるなら四人で探したほうが早いでしょう?」


 スノーさんの無邪気な笑みに負けたジェスターは渋々協力し始めた。


 このとき、私達は目の前のことにいっぱいで何者かにつけられていることに気づけなかった。

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