第44話 夕日がよく見える街

 僕が見ているのは夕陽に照らされ、ギラギラと輝く美しい氷の柱。氷は透明で触れない限りはガラスと錯覚するほどに透き通り、中には多くの怨毒が封じ込められている。叫喚はしていないものの、地獄絵図ではあった。崩壊した都市に巨大な氷壁や柱が一瞬にして作られ、空気さえも凍りそうなほどの冷気が漂う。


「壊れた町、禍々しい氷壁と柱! あぁ、なんて美しい……あちら側のシルトはなぜこの景色を嫌うのか分かりかねないわ。さて、ここの掃除も終わったみたいだし、壊さないといけないわね」


 ようやく最後となった怨毒の入った柱は、シルトが手を叩くと同時にキラキラと乱反射する塵となる。シルトの瞳は桃色から緑色に変わり、僕の顔をじっと見る。


「猫ちゃんも昔に比べれば丸くなったものね。この力を長時間使うのは何年ぶりかしら? 最後に猫ちゃんを見たのは、まだセルバンテス家の執事していたときだったかしら?」


「そうだね。できれば早くもとに戻って欲しいけどね」


「つれないわね……私もシルトよ? 性格、思考が反転し、能力があちら側のシルトより強いのよ? 私の方が価値があると思わない?」


「僕が慕うのはシルトだけ。さっさと戻れ─────"歪んだ鏡は涙で流れ、瞳に映るは清きもの"」


 そう言いながらシルトの目を覆う。その時、ボソリとこうつぶやいていたのが聞こえた。


「君はそうやって私からもシルトからも目を逸らす。ヒトも変わらないものね」


 シルトの目からは一粒の涙が流れて、元のシルトへと戻る。桃色の瞳を一度だけ開けたあと、なんの言葉を発することもできずに膝から崩れ落ちた。触れた手や頬は氷以上に冷たく、冷えた鉄にでも触れたようだった。顔は青白く、白い模様がが頬まで現れている。まるで氷像だ。


「流石に町にいた怨毒七体と、あとから現れた二体の大型怨毒。そして捕まえることのできなかったジャックという英雄ヴォートルの殺し屋……流石にハードな仕事でしたね」


「スノーさん、お疲れ様です。こっちはなんとか収まりましたが、シルトが限界です」


 スノーさんはこれといった大きな怪我こそしていないが、強制的に連れ回されたジェスターは何度もため息をついてはスノーさんと距離を置く。非戦闘員だと本人は言っているが、十分に活躍できるほどの力を持っている。何度かシェヘラザードが誘ったらしいけど、振り続けたと聞いている。


「メルヘンズの力は強大ゆえにリスクが高いですからねぇ。まぁ、ここまではウィル・フランメくんの能力通り……早めに部隊も呼んでいたんですが、セルバンテスさんが伸びる方が早かったみたいです」


 スノーさんは顎に手を乗せて首を傾げるが、もう片方の手は距離をとるジェスターの服をしっかりと掴んでいた。

 発言の意図が読めずに僕も同じように首を傾げるが、ただただ沈黙が流れるだけであった。ビースト化で僕も足に力は入らないけど、近くの病院に駆け込むことはできる……はず。とりあえず、何かで暖めないと……!


「はぁ、私さぁ今日は非番だったから出たくなかったんだよねぇ。私、シルト苦手だし」


 焦げ臭い赤の隊服が目の前にいた。驚いて顔を上げると、雲にも負けないほど真っ白な短い髪。血よりも、赤くルビーのように輝く大きな目をした兎の耳をした女が立っていた。


「第二部隊の火山デリット隊長!?」


 火山さんは赤フレームの眼鏡を上げ、ため息をついてからシルトの体に触れる。想像していたよりも冷たかったのか、三回程瞬きをしたが、すぐに不満そうな顔へと戻る。

 すると、シルトの体は徐々に暖かさが戻り始めた。凍傷寸前であった指先は黒に近い紫からもとの肌色へと戻り、呼吸数も正常へと戻る。


「んー、右目の紋章は……大丈夫そうだね。酷使すると失明するよって言ってるのにさぁ。この男はそれをちっとも聞かない。シェヘラザードもこの騒ぎを聞きつけてるから、また謹慎処分かもねぇ。じゃないとまたこいつ暴れるよね? 次、長時間それ使ったら戻れなくなるからね。失明か、私みたいに紋章がでっかくなるかの二択だからね?」


「……っ、寝起きに説教なんて望んでねぇよ。助かったのは事実だから感謝だけはしておくわ」


 いつの間にか意識を取り戻したシルトが、霜のついた体をゆっくりと起こす。まだ寝てればよかったのに、シルトはまた壊れた町を見て心にヒビが入るのだろう。誰よりもこのホワイト地区を護る決意が強く、あの忌々しいスラム街にまで気にかけては寄付をしている程にこの地区に貢献している。


「ちょっとカプリス。その手をどけなさい」


「え?」


 無意識的にシルトの目を覆っていたらしい。覆っている部分は僅かに冷たい。


「私はね、セルバンテス家のシルトじゃないのよ? だ、から────」


 僕の手を退けて起き上がろうとしたその瞬間、カクンと腰が抜けた人のように倒れた。本人も何が起こったのか理解できず、黒いコンクリートの欠片が転がる道に倒れたままだ。まだ完全に回復していないにも関わらず起き上がろうとしたからだ。


「はいはい、さっさと病院に行くにゃ。スノーさんはジェスターをよろしくお願いします。そして、火山さんもありがとうございました」


「スノーさんに呼ばれたから来ただけ。他の部隊はとっくに帰してるし、郊外にいた怨毒も倒してきたから安心してね。あと、浦島? って人から手紙貰ったんだけど……あれ友人?」


 思わず体が硬直し、毛が逆立つのがわかった。自身の怒りでそうなったんじゃない、本能的に体が自衛したんだ。チラリと僕がそうなった原因であるシルトを見やる。

 その時、心臓が止まった気すらした。冷たく据わった目は光なんてものはなく、淀んでいた。純粋な殺意が剥き出しとなった人間ほど恐ろしいものはない……やっぱり、君は昔から変わらない。


「"今日は夕日がよく見える日ですよ。またのお越しお待ちしております"」


 シルトはもぎ取った手紙を読み上げ、西の方角を見る。それは大型怨毒が建物を破壊した跡で、夕日を隠すような障害物は何一つなかった。


 ゆっくり、ゆっくりと溶けていく夕日をただ見つめながら歯を食いしばる。ドロドロと雨を高温で焼いているようにも見えるその夕日は酷く美しく、吐き気がした。今この瞬間に、何人ものヒトが瓦礫の下に埋まっているのだろうか。この夕日を見ながら、溢れる血を押さえるヒトは何人いるのか。家族を亡くし、夕日によって照らされた涙はいくつ地面に落ちているのか。


 脳裏をよぎるのは"敗北"の二文字。富も名声も武力も手に入れたスラム街の星であった僕達はどこまでいっても救えないガラクタだ。この地区を救うのに、僕達二人の命ではまだ足りないのだろうか。僕がシルトに差し出せるものは他に何があるのだろうか。無力な自分が本当に憎い。


「完全にやられてもうたな。シルトの心をねじ伏せる為に乙峰家を目立たせて誘導したあと、既に準備していた怨毒を解き放った。ほんでジャックを使ってエピソーダーの血を採る。中央区だけでなくホワイト地区の襲撃もあったんや、ストーリアに対する不満は爆発するんやろうな」


 ジェスターはそう言い、生き残った住民の方を見る。住民は中年の男性で、腕には包帯が巻かれている。目や鼻は赤くなっており、涙の跡が大切な誰かを亡くした事を物語っていた。男は指をさすなり、声を荒らげる。周りにいる住民達を味方につけるために。


「お前らが悪いんだっ!! お前らの仕事は怨毒を殺し、この地区を守ることだろうが! そんな事もできずに、なんでのうのうと生きてやがるんだっ! 謝罪しろ! 命を持って謝罪しろ! お前らに生きる資格はない!」


 そうだそうだという共感の声、ありもしない噂とシルトを責める声。様々な声があったが、あまりにも多すぎて聞き取れない。分かることはバッシングの嵐だという事実。守れなかったのも、敵の策にはまったのも事実がゆえに僕達は何も言えない。

 辞めろと言う声、謝罪しろという声が重なって頭が揺れる程のノイズとなる。


「……ストーリアの信頼は奈落に落ちたわけですね。火山さん、尾真田さんは今から中央区のストーリア本部に行きますよ。二週間後にあった会議が急遽、今日に変わるだけです。ジェスター、あなたも連れていきますよ?」


「へーへー、狼の嬢ちゃんに殺されんように身構えとかなあかへんな」


「セルバンテスさんはオデットさんと一緒に病院にいてくださいね? 心も体も限界なヒトは会議に来る資格なんてありませんから」


 スノーさんはバッシングなんて聞こえていないような素振りする。シルトは眉を下げて困ったような苦しげな顔をしたまま、スノーさんを見つめてほ目を背けていた。


「行きなさいカプリス。スノーさんの言う通りだわ。私はここに残る」


 物憂げな瞳をしたシルトは無理立ち上がり、空からやってきたオデットの白鳥へと乗り移る。逃げるのかという住民達の声が届かぬよう、オデットは天高く飛び、病院のある方向へと向かっていった。


「結局あいつらは逃げるんだよ! そんなに自分の命が大事なのか!」


 ねぇ、シルト。僕もこのホワイト地区は好きだよ?


「臆病者め! そんな奴にホワイト地区は任せられないわっ!」


 でもさ……


「モデルなんていう甘えた副業してるからだっ! お前らは怨毒に備えろよ!」


 シルトの事を悪く言う奴は許してはおけない。やっぱりこの地区は、根本からおかしいんだ。


「……でも、ここで手を出せば君は怒るんだろうなぁ」


 やるせない気持ちは拳に閉じ込め、スノーさん達の後ろを歩く。怒号を飛ばす住人と後片付けを進める部下に背を向けて歩くのは、申し訳ないとらしくない感情を持ってしまった。


 ─────────……


「そろそろかな。さて、ここの居場所が割れて一つ目の機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナが破壊されるのが先か、機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナを僕が手にするのが先か……楽しみだ」


 アダムは土の中に埋もれていた神像を見ながらそう呟いた。その神像はアダムとよく似ており、共鳴するかのように胸元が怪しく光っていたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る