第60話 兄弟

「あー、メルヘンズですか。あの馬鹿みたいに広い迷路を創らせていたエピソーダーごと湖の底に沈んだわけですか。ま、いいでしょう。戦力は分散し、必要な人材はこちらから呼び寄せればいい話です」


 アダムの顔は歪む。舌打ちをしたあと、報告にきた黒ローブの男の両頬を片手で掴む。涙がポロポロとながれて震える男に対し、アダムは張り付けた笑みを浮かべる。


「困ったものですよ、僕達はまだ全盛期のような力をつけれていない。元々、ただのドラッグだったウラシマを持ち帰ってわざわざ怨毒化するようにした時は地獄でした。乙峰家の息子を演じ、頃合いをみて乙峰珠也を演じました。あの時の僕の苦労を見習うべきですよ」


 突然語り始めたアダムに男は困惑の表情を浮かべる。アダムは銃を取り出し、男の腹部に一発放つ。無慈悲な銃声が鳴り響くと同時に、男はガタガタと震えて、絶えることのない喘鳴が続いた。やがてだらんと虚脱した男の体は膨れ上がり、人ならざるものへと姿を変える。


 ブヨブヨとした厚みのある黒い皮膚、いくつもある紫色の瞳、胎児のように分厚く短い足がムカデのように生え、口からはぬらぬらとした液体が溢れる。ワニと酷似しているが、目や足といった人間であった部分も残っており、化物というのに相応しい姿となる。体長は数メートルにも及び、化物は長く太い尾をゆらゆらと動かしながらこの場から離れていく。

 ここは墓地にできた深い穴だというのに、化物は胎児のような手で壁をよじ登ってストーリアの隊員達を喰っていく。


「さて、ようやく来ましたね。シェヘラザード」


 巨大な怨毒を見送った後、アダムは一つしかない鉄扉を見つめる。鉄扉から現れたのは帰り血一つも浴びていないシェヘラザードだった。薄緑色の髪を揺らし、金の瞳でアダムを睨みつける。


「アダム、僕は君を昔から知っている。しかし、その記憶は生きてきた25年間の記憶の中にはいない。まるで前世から知っているような奇妙な感覚だ」


「あぁ、それもそのはずです。あの童話戦争後、君は歴史を改変しただけでなく自身の記憶も消しましたからね。僕がこうして記憶を残し、何百年という生きているのも『神』であるからです」


「何を訳のわからないことを……」


「分からない? ではこの機械仕掛けの神のデウス・エクス・マキナに触れてみては? あれは君の日記……いや手記というほうが近いですね。知りたいんでしょう? 自分とは一体何なのか、なぜ会ったこともなかった僕を知っているのか」


 シェヘラザードの顔は困惑、敵意、焦り、そして安堵が混ざっていた。アダムはその顔をみて薄く笑ってはシェヘラザードの手を握る。


「誰も知らない怨毒が生まれた理由、真の歴史、神である兄弟が辿った破滅への道。全てを思い出すときです」


 その光景は仲睦まじい兄弟のようであった。兄に手を引かれる弟は困惑しながらも神像の目の前に立つ。異様な雰囲気を放つ神像を前にシェヘラザードは息が荒くなる。しかし、途端に呼吸は止まり、アダムを睨む。


「何を企んでいる」


「弟の覚醒。それ以外は今は望んでいませんよ」


 シェヘラザードは神像から離れ、赤い炎を纏った虎を創り出す。さらにシェヘラザードが右手を伸ばすと、アダムの四肢と首には鎖が巻き付きゆっくりと締めていく。アダムはそんな状況を楽しんでおり、口角は上がっていた。


「不思議だと思いませんか? 『千夜一夜物語』、自身が創造した能力が得られるなんていう神にも等しいその能力。明らかにただのエピソーダーではありませんよね?」


「アダムも言っていたじゃないか。『千夜一夜物語』を持つ僕は厄介だと。僕はエピソーダーで、いくつものエピソードを扱える」


 アダムは何かに焦っているシェヘラザードに対し、裂けそうな程に口角を上げる。たちまち鎖は炎によって溶かされ、アダムが手を伸ばすとシェヘラザードと同じく鎖がどこからか現れると、炎の虎を消し去った。

 同じ能力、同じ威力、エピソーダーでは絶対にあり得ない現象が起こっていた。


「驚いていますね。怨毒はエピソーダーの血を拒絶して起こる副反応ですが、稀に共鳴してエピソーダーと変わらない怨毒が生まれます。それが『白鳥の湖』に登場するロットバルトです。しかし、同じ人物に共鳴することはありません。主人公に共鳴する者は一人、悪役に共鳴するのも一人……」


「だからこそおかしいんだ。共鳴する役が違うのなら、得られる能力も違う。だけど……アダム、なぜ君は僕と同じ能力が使える」


「簡単なことです。君と僕は『グリム兄弟』を受け継いだ創作の神だからですよ。まぁ、グリム兄弟というのはかつて僕達が目指し、憧れた存在から付けた二つ名みたいなものですが」


 アダムは懐かしそうに笑うが、シェヘラザードの顔は以前として曇ったままであった。一向に神像に触れないシェヘラザードに対し、アダムは苛立ってきたのか笑みが消えていく。


「こうして兄弟喧嘩をするのもいいですが、僕としても人員が減るのは痛手です。なので──────選んでください」


 パチンと指を鳴らすと、アダムの背後には見知った顔のエピソーダー達がいた。

 ヘイトリッド、花神、テュランの三人の第五部隊。その側には第三部隊のシルト、カプリスがいた。そして怨毒となったアルマと心を失くした改造人間の仲間を連れたジェスターがそこにはいた。皆、酷く困惑した表情でアダムとシェヘラザードを見る。


「どうします? あの神像に触れるだけで彼らの命は救われるますよ? まぁ、断れば幹部達を前線に出して骸の山を作り、ここにいるエピソーダーは壁のシミになりますがね」


 楽しげにアダムが笑っていると、表情筋が一切動かないヘイトリッドがアダムの首を捉えた。誰もが思った、アダムの首は飛んだと……しかし、そこには首どころかかすり傷一つもついていないアダムが立っていた。ヘイトリッドの剣はカタカタと震えるが、数センチも進まずに静止していた。


「こらこら、君は人質なんですから大人しく隅っこで震えていなさい」


 アダムの深海よりも冷たく、慈悲のない瞳をみたヘイトリッドはヒュッと喉が鳴った。しかし、ヘイトリッドは睨み続けて敵意を剥き出しにする。アダムは仮面のような笑顔をしたままヘイトリッドの首をなぞると、深緑色の刺々しい茨がヘイトリッドの首を締めていく。棘が刺さり、流れ落ちる赤い液体が茨を赤く染めていく。アダムはさらにつま先でトントンと地面を軽く叩くと、人よりも太い茨がこの場にいる全員を拘束する。


 拘束されなかったシェヘラザードは茨を燃やそうとするが、アダムの手を見てシェヘラザードは動きを止めた。


「賢い判断です。同じ能力を持っているのなら、わかりますよね? この右手を下げれば彼らの首は飛びます。それが嫌なら神像に触れることです」


「なるほど──────君は僕達を甘く見ているみたいだね」


 シェヘラザードがいつものように目を細めて笑みを浮かべる。アダムが首を傾げていると、空気がビリッと張り付くような殺気が放たれていることにアダムは気付く。後ろを振り向くと片腕で茨を断ち切ったヘイトリッドがアダムの右前腕を切り落とす。思わず後ろに退いた時、三メートル程度の髑髏しゃれこうべが現れ、骨の手でアダムを潰そうとするが寸前のところで避けていく。


 氷の壁ができ、退路を塞がれると巨大なかぼちゃから青い炎に変わった火の玉がアダムを包み込む。炎の中から聞こえたのは慟哭でも、怒声でも、断末魔でもなかった。

 ゆらゆらと燃え続ける炎の中、浮かび上がるシルエットは五体満足の体。聞こえてくるのは悪魔のような嗤い声であった。


「良かったですよ、炎の中から感じられたあなた方の確信した勝利からの絶望! 神は死にませんよ……では、次はこちらのターンですね」


 アダムは裂けそうな程に口角を上げると、歪んだ空間からヒトの形を成さない怨毒が何かの液体を出しながら何体も這い出て来る。立ち込める腐乱臭が吐き気を催し、耳を劈くような絶叫とどこまでも冷たい紫色の瞳孔に足がすくむ。絶望などという言葉では生ぬるい光景に誰一人として声は出なかった。


 黒い皮膚が垂れ下がって今にも溶け落ちそうな怨毒、人間の腕が幾本も生え蜘蛛のような形となった怨毒、人間に限りなく近いものもいたが顔が二つに割れるとそこから黒くうねうねとした触手が蠢いていた。


「大昔の資料によると、このような人ならざるものが行進している光景を見て『百鬼夜行』と名付けたのです」


 アダムの背後には黒い皮膚を持つ紫色の瞳の怨毒達が立っていた。


「よく似ていると思いませんか?」


 少年のような無垢な笑顔がなによりも不気味でシェヘラザード達の顔は青くなる。

 怨毒達は一斉に襲うが、シェヘラザードの前にアダムが立つ。肉を断ち切る音、潰れる音、氷が砕ける音、悲鳴、絶叫……おぞましい音が鳴り続ける中でアダムは気にも止めていない。


「僕は優しい兄ですから、選択肢を与えていましたがその必要はもうありませんね。あぁ、触れるだけで救えた命は転がっていたのに……」


 残念です、と耳打ちするとアダムは姿を消した。その時、シェヘラザードの姿も同時に皆の視界から消えていた。ぞわりとした湿り気のある淀んだ空気が全員に纏わりつき、戦意を削ぐ。怨毒ですらもピタリと動きを止めてはシェヘラザードを見て、悲鳴ともとれる咆哮が耳を劈く。


 アダムとシェヘラザードは神像の近くに立っていた。意図せず神像に近付いただけでなく、神像の手に触れていた。

 白い光が放たれ、シェヘラザードをアダムを包み込む。後光がさしているかのような神秘的な光景に誰もが思った。いや、思い出した。


 この世界に神は二人いた。一方は白き衣を纏った思慮深き人、一方は黒き衣を纏った冷厳なる人。


 シェヘラザードの手にはボロボロで色褪せた手記があった。アダムがそれに触れようと手を伸ばすも、見えない壁により手は弾かれてしまう。電気のような激しく鋭い刺激が走ったせいで、アダムの手は震えていた。

 シェヘラザードの顔は再会への喜びと絶望、明確な殺意、そして抗うことを許されないという巨悪に畏怖の念を抱いていた。


「に、いさん……」


「ようやく思い出したみたいですね。どうです? 何度目かの人の生は楽しかったですか?」


 震えるシェヘラザードの頬を包み込んだアダムは、優しい兄を演じていた。

 怨毒を凍らせて氷像にしていたシルトが、シェヘラザードの異変に気づく。シルトは氷柱が宙に浮かばせて、進路の邪魔になる怨毒の脳天を貫いては凍らせていく。


「あんた達邪魔っ!!」


 無数の怨毒はシルトを覆うようにして襲うが、たちまち氷像へと変わり果てる。その氷像は髑髏しゃれこうべやテュランが破壊し、シルトはアダムと距離を縮めていく。


 握られた短剣、アダムの胸部を捉えた。確実に心臓を貫ける距離。しかし──────


「……あ、あんた……何してるか分かってるの!?」


 荒らげた声の先にいたのはアダムではなく、短剣を素手で握るシェヘラザードであった。その顔は暗く、苦虫を噛み潰したかのようである。短剣をつ立って流れ出る血はシルトの手を濡らしていく。


「ごめん……兄さんには手を出さないで」


 その一言に誰もが失望した。怨毒を使って街を破壊し、英雄ヴォートルなる組織を創設して多くの罪なき命が葬られた。諸悪の根源ともいえるアダムを庇い、味方であるストーリアに敵意を向けている事実に、失望した。


 兄であるアダムはシェヘラザードの頭を愛おしげに撫でてはシルトの短剣を取り上げる。すると横から怨毒がシルトにのしかかり、整った顔に大きな傷がつく。慌てたカプリスが怨毒の首を飛ばすが、シルトの額からはダラダラと血が流れ出ていた。


「美しい兄弟愛でしょう? さて、これで僕ののぞみは叶いました。君がぼくとついてくるのもよし、このままストーリアに残るのもよし……好きな方を選んでください。では、僕はこれで失礼します」


 アダムは四つの羽を持ち、飛び出そうな程に大きな目を持つ鳥型の怨毒の脚を掴む。そのまま飛びさるかと思えば、アダムは何か思い出したかのように立ち止まる。


「あぁ、これは僕からのプレゼントです」


 アダムの言葉と同時に怨毒に変わったアルマが大きな牙を剥き出しにし、低く唸る。すると姿はアルマへと変わる。しかし、その瞳は紫色で淀んでいた。握られた剣が明らかな殺意を物語っており、無言で片腕のヘイトリッドと衝突する。そしてジェスターの周りにいた改造人間は怨毒からジェスター達へと標的を変え、襲う。


 アダムを追うことすら叶わなくなった彼らはかつて仲間であった者と、怨毒と死闘を繰り広げるほかなかった。

 その間に上空をアダムは飛んでいた。小さく見えるエピソーダー達と怨毒を見ては鼻で笑い、手に持った小さな手記を見つめる。栗色の髪が風で揺れる中、小型の通信機で誰かと連絡を取り合った。


「やぁ、僕だよ。全盛期の僕に比べれば劣ってはいるけど、力は取り戻せましたよ。あぁ、計画通りに『成れの果て』をそちらに向かわせてくれますか? えぇ、ゴーストタウンごと消し去ってください」


 涼しい顔をするアダムに対し、地下奥深くでは何かが蠢いていた。

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