第59話 愛しているわ

 幼少期、物心つく前から孤児院にいた。でも不幸せではなかった。鷹のような剛翼を持っていた私は空を飛んではみんなを笑わせていた。


 十二の時、オデット家の娘として迎えられた。冷めた目で二人は『白鳥の湖』と書かれた分厚くて重い本を寄こした。触れると頭の中で物語が勝手に始まり、一言一句記憶に植え付けられていった。そして私はエピソーダーとなり、白鳥には似合わない茶色の剛翼をもがれた。なぜ私がこんな目に合わなければならないのかと、現実を否認した。


 中学、愛してくれない親に怒りが爆発して不良集団の仲間となった。王立区から離れた中央区で色んな犯罪を犯してきたが、二人は金で事実を隠蔽した。しかし、私の事は何一つとして叱りはしなかった。心底腹がたった、私はお前たちの道具何か、と。あの二人をこの地区を呪った。


 孤児でも良いからどうにかしてこの生活から抜け出したいと願った。創造神からの返事はなく、絶望した。そんなときに、ジークと出会って自身がメルヘンズである確信をした。彼と出会ってしまったことへの罪悪感もあったが、この物語の結末を話すとジークは微笑んだ。

 愛しているから関係ない。君といられるなら……


「───────イ……イル……イル!!!」


 マリーナの呼びかけに落ちかけていた意識がようやく浮上した。目の前には私の胸に剣を突き刺そうとするロットバルトが立っており、寸前の所でなんとかかわす。壁はパラパラと欠片を落として大きく凹んでいた。


 立ち上がって水の剣を構えるも、ボタボタと血が滝のように落ちる。

 こうなることは分かっていた。どうやったってロットバルトには勝てない。マリーナも少年に押されて息が上がってきている。血が足りず震える手は嫌でも実力不足なのが分かってしまった。大神のようなフィジカルも、ヘイトリッドのような頭脳も、脳筋桃瀬のような馬鹿力も持ち合わせちゃいない。


「……あー、ちげぇだろ。私は諦めの悪さじゃ誰にも負けねぇ」


「何をブツブツと……ついには頭までイカれましたか。ご安心を、今すぐにでも首をはねて差し上げましょう」


 ロットバルトは心底楽しそうな声で剣を向ける。メルヘンズの力は使いたくなかった。あれを使えば長くは生きられないが、どうせ死ぬ命だ。


「二人まとめて地獄へ案内してやるよ」


 開きにくくなっていた両目を大きく開き、今まで隠し続けていた青白い紋章が浮かぶ。まさか首から下まであるこの紋章を使う日が来るとは……

 メルヘンズの多くは紋章が広範囲に及び、普段は一部分の紋章だけが光る。しかし、自身が持てる力を全解放する時のみ体にまで刻まれたエピソードの紋章が浮かぶ。その証として私の指先ですら青白く光っていた。


「マリーナ、さようなら」


「え、ちょ、イル──────」


「"夜の湖畔、水面みなもに映るは真の姿、穢れしその姿を禊祓い給え"」


 足元が大きく波打ち、下を見れば真の姿が見える水鏡が出来上がる。水鏡には翼のある私と敵である二人、そして私の周りには冷めた表情をした少年少女が無数に映っていた。気付いて二人は顔を上げるがもう遅い。私の後ろには水で出来た白鳥が群れを成し、それはこの迷路を埋め尽くすほどの水となる。


 酸素がなく、苦しげに溺れる彼らに大して私とマリーナは涼しげだ。それもそのはず、彼女は……陸を克服した人魚の一族なのだから。

 両足は青い魚の尾鰭に、耳は鰭となっていた。彼女は何かを叫んでこちらへと向かってくるが、私は微笑むだけにした。


 やがてここは湖となる。私達の最期の踊り場である湖に───────


 水流によって壁は剥がれ、地面は抉れ、英雄ヴォートルが潜んでいたのか赤い液体が目の前を通っていった。視界は徐々に開けていき、湖へと変わり始める。

 かなり削れてきたのか、ようやく光が差し込んできた。下を見れば闇のような湖の底、上を見れば揺れる水から差す僅かな光、左右には壁はなく開けていた。


 水位はさらに上がり、それにつられて私の体も水上へと上がっていく。


「プハッ……あぁ、くそ。自分の死に場所作っちまった」


 水上へと出ると、それは巨大な湖となっていた。ここはゴーストタウンの住宅街だろうか、壊れて湖の底に落ちていったものもあるが周りにはボロボロの家々が建ち並んでいた。岸辺には私の白鳥が助けたと思われるストーリアの人達がずぶ濡れの状態で唖然としていた。


「イル、こんな事したら体がもたないんじゃ……」


 隣には私の肩を持ったマリーナがいた。


「マリーナが私を水面まで引き上げてくれていたのね。なんでそんな事も気づかなかったのかしら」


「笑ってる場合じゃない! 血は止まってないし、息も上がってる。こんな馬鹿でかい湖まで作って!」


「あー、はいはい。でもこれで敵の戦力はガッツリ削れたはず。感覚でしか分かんなかったけど200ぐらいは死んでるわ。ストーリアの人は全員助けたから残るは教会近くにある拠点だけね」


 アダムの能力かどうかは定かじゃないけど、私達は知らない間に教会から離れた住宅街の下に来ていた。そういえば、一度だけ濃い霧に包まれた気がする……ジャック・ザ・リッパーも同じことをしていたな。だとすればあれは戦力の分散目的だったのか。おそらく教会近くにいるのは隊長、副隊長クラスの化物軍団。


「信じてますよ、セルバンテス隊長」


 小さく呟いたがマリーナには聞こえていなかったのか無言で岸辺に上げられる。もう体に力が入らない、目もかすんできた、まるで水の底でもいるかのような気分だ。周りには負傷した隊員や既に息絶えた隊員もいた。救護班も大変だろうな……


「イル! ここで待ってて! ぜってぇ助けるから!」


 人間の姿へと戻ったマリーナは走って救護班を呼びにいく。湖の周りには死を受け止めた水の白鳥が優雅に泳いでいた。

 そう、物語はここでは終わらない。運命は変えられないのだろうか、どうか彼だけでも生き残れないのか。


 そんな無理な願いが頭を巡っていると、首筋にチクリとした痛みが走った。力の入らない体で後ろを振り向くと、火傷で顔が爛れた男が立っていた。


「はぁ、はぁ……ただでは終わりません。必ず、この運命を私は変えてやる。主役が死んで悪役である私が生き残ってやる!!」


 ロットバルトだ。この醜くく、痛々しい顔をしているこの悪魔はロットバルトだ。

 冷たかった体は熱くなり、呼吸は早くなり、全身の筋肉がズキズキという鋭い痛みが襲う。震えが止まらない中、湖を覗くと私の背中には白い翼が生え、瞳が紫色に変わった自分がいた。


 怨毒だ。


「あぁっ!! アダム様のお力はまさに神! メルヘンズですらも怨毒となり、自滅の道を歩んでいる! 神の血は常人には猛毒!」


「……何を言っているのか理解できないけど、お前馬鹿だな。白鳥の湖の主役は私だけじゃない。ジークも同じ主役だ」


 ロットバルトの後ろには剣を大きく振り下ろすジークがいた。ロットバルトはなんとか避けるが、青筋を浮かべて瞳孔が開いた彼の気迫に情けなくも尻もちをついていた。


「俺の婚約者に手を出すな」


 レスキュー隊である彼も呼び出されていたらしく、橙色の防火服が目立つ。喉先に当てられたロットバルトは引きつりながらも笑みを浮かべる。


「主役の登場ってわけですか! だが、お前のようなあまちゃんはこうされると弱い!」


 苦し紛れにも、ロットバルトは私とよく似た顔へと変わる。まさかそれも能力なのだろうか。それと同時にジークの表情が曇り、剣先が僅かに揺れる。駄目だ、やられる!

 必死で体を動かそうとするが、這いずるのがやっとで到底辿りつけそうにはない。たった数メートルの距離にいるのに……!!


「ジーク!!」


 叫んだときにはジークの腹部には深々とナイフが刺さっていた。

 あぁ、やっぱり物語はこの道を選んでしまうの? 待ち受けるのは悲劇でしかないというの?

 口から吐き出される血を彼は拭いながら笑みを向ける。


「大丈夫だよイル。君を傷つける奴はもういない」


 よく見るとロットバルトの喉には剣が刺さっており、何度か痙攣していた。しかしその体は塵となり、風と共に去っていってしまった。ジークは私を優しく抱きしめ、冷え始めた体で必死に私を暖めようとしてくれる。私の体はというと、怨毒化が進んで白い翼は黒く、肌の一部も黒く染まっていた。


 力の加減を間違えれば彼を傷つけてしまうかもしれない。こんな醜い私を彼が拒絶するかもしれない。私のせいでこんな最低な結末を迎えている、私を酷く恨んでいるかも知らない。

 途端に涙は溢れ始めた。


「ジーク、ごめん……私のせいでっ!」


「今度は君が泣き虫なのかぁ。俺は幸せ者だなぁ。君は致命傷だし怨毒化し始めてるのに俺の心配して泣いてくれるなんて。大丈夫、俺は後悔してないよ」


「でもっ!」


「そういえばきちんと言ってなかったね──────イル、俺と結婚してくれますか?」


 光を失いつつある彼の瞳は私をしっかり捉えていた。最初で、最期のプロポーズなんて……ずるい人。好きや愛してるなんて耳にタコができるほど聞いてきたけど、その言葉は少しくすぐったくて満足してしまう魔法の言葉だ。


「もちろん、こちらこそよろしくお願いします」


 手を絡ませ、触れるだけの軽い口付けはすべてを満たしてくれた。座る事すら困難になった私達は湖の岸辺で倒れ込む。しかし、絡ませた手は絶対に解かなかった。


「子供は二人、一戸建てに住もうか」


「気が早いわね。子供も良いけど、私は何年かはジークと一緒に暮らしたいなぁ」


「それ、いいね。二人でご飯作って、手際の悪い俺を君が叱る」


「それでちょっとした喧嘩になると、ジークが泣きついてきて怒れなくなった私がジークに謝る」


 あったはずの未来を二人で語る。ジークは涙こそ流さなかったが、何度も私の名を呼ぶ。どのみちこの傷じゃ怨毒になる前に死ぬだろう。不幸中の幸いだ。


「仕方ないなぁ、寂しがりなジークの為に添い寝でもしてあげようではないか」


「じゃあ泣き虫なイルの為に悲しくならないように君が寝るまで起きてて上げるよ」


 微笑む彼はどんなものよりも美しかった。あぁ、私はなんて幸せものなのだろうか。熱い涙が頬を伝った後、私は瞼を閉じた。繋いだての温もりと彼の小さな鼓動を聞きながら。


愛しているわ、いつまでも。

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