第58話 彼女はもういない

 生暖かい血が飛び散っては顔につく感触、悲鳴を上げては命乞いをする敵、通ったあとには骸の山が積み重なる。驚くほどに冷静でしっくりきた。

 裸の王様も残酷だったに違いない。恐怖政治でなければ周りはイエスマンにはならなかった。誰も叱ってくれないからこそ、加減や程度を知らない。短気な俺にはぴったりなエピソードだ。


「チッ、アダムの野郎……やっと辿り着けたと思いきやこんな人形ばかりの巣に送りやがって」


 壊しても壊しても減らない人形兵。俺の能力は対人用だから意志のない人形には通用しない。考えたくはないが、内通者がいる可能性が高くなってきたな。


 飛びかかる人形達の首をはね、胸を刺し、頭の半分を斬り、足や手を切り離していくが数は減らない。動きが単調であるため、苦戦はしないが人形に紛れて英雄ヴォートルの下っ端がこちらを見ている。


「我が命はアダム様の為にッ!!」


 下っ端は決まってそう叫ぶ。俺に哀れだ、なんて感情があればよかったのになぁ。短剣を片手に突っ込んでくる下っ端の手首を切り落とし、情けない声を上げられる前に喉を刺す。その感触はまるで布に針を通すように柔らかく、わずかに上下に動いているのが剣先から伝わってくる。やがて呼吸もできずに意識を手放し、ただの物となる。


「なんでここにヘイトリッドがおるんや? あんた、特攻して拠点に行ったはずやろ?」


 墓地ばかりのこの場所に、仮面をつけたジェスターが何やら英雄ヴォートルの下っ端を引き連れてやって来る。


「ここは教会から離れた墓地やで? アダムがおるのは教会の墓地。どうやったらここにくるんや」


「アダムの野郎に飛ばされたんだよ。あいつ、複数の能力を持ってやがる……で? お前はなんでここにいるんだ? 後ろにいるのはお仲間か?」


「せや、俺の優先目的はかつての仲間だったこいつらを救う事や。残念なことに改造人間に変えられとるんやけどな……加勢はするで?」


 虚ろな目をしたジェスターの仲間である改造人間が人形や下っ端を倒していく。仲間だという割にはどこか冷たく、信頼関係があるようには俺の目には見えなかった。

 気づけば肉の山と人形の山が出来上がっていた。


「俺の仲間な、改造人間にされたときに記憶も抜け落ちとるらしいんや。牢屋で大人しく座っていたあいつらに呼びかけても反応せんかった。でも、メルの奴はずっとここに来てたみたいで笛を見るなりメルと呼び始めたんや。それでも飯を強請る犬のようやった。指示がなければ動かない人形や」


 ジェスターは俺が疑問に思っていたことをすべて話す。仮面で顔は分からないが、声色だけでも悲しさが伝わってきた。


「アダムがどんな能力をもってるか俺にも検討もつかへん。で、あんたの優先目的であったアルマはどうなったんや?」


「いや、アダムのところにはいなかった。怨毒化はしないならアダムのとこにいると思ったんだがな」


「アダムのとこってことは神像があったとこか。変やな……あそこでメルは死に、アルマは取り残された。血が必要なら確実に出血はしているはず。一人で動けるようには思えへん。おるとしたらあそこしかない」


「いや、あの場所にはアダムと巨大な、狼───────」


 その時、地響きのような駆ける音と獣の荒い息が聞こえてくる。人形の山を破壊し、体の一部が欠損した死体の山を貪り、曇天となった早朝に似合わぬ咆哮をする。嬉しくはない再開。悲しみなのか怒りなのか、はたまた恐怖なのか……訳のわからない感情が渦巻き、思わず震えてしまった。


「アルマ……」


「ア、ルマ……アルマアルマ、ダ、レ……? アカイ、アカイ、オウサマ?」


 黒々とした巨体に、血が染み付いて汚れた黒い尻尾、赤い液体が垂れた牙、獲物を狙う紫色の瞳孔が真っ直ぐと俺を捉える。死体を持っていたそれは死体を投げ捨て、巨石のような体を動かす。ゆっくりこちらにやって来る。


「なぁ、アルマ……ビースト化を解いてもいいんだぞ?」


「アル、マ、ダレ、ダレ? アカイ、アカイ」


「おいおい、忘れちまったのか? 桃太郎軍団の一員だぞ? しかも、お前は第五部隊隊長だろ?」


「ダイゴ、ブタイ……ダレ?」


「俺はヘイトリッドだ」


 剣を捨て、ジェスターの声にも耳を貸さず、巨大な狼の頬に触れる。思い出してくれるだろうという甘い期待はついには叶わなかった。


 グルルと、喉を鳴らしては牙を見せつける。シワが多く重なって鋭くなった目からは殺意しかなかった。左腕を巨大でゴツゴツとした手で握られる。ミシミシと機械は音を立てていき、部品が落ちていく。


「なぁ、帰ったら酒でも飲もうぜ。良いワインが入ったんだ。でもよぉ、そんな姿じゃシェヘラザードにも会えねぇし、第五部署に入れねぇなぁ」


「アカイ、アカイ、アキタアキタ」


 刹那、左腕は潰された。肘から下は何も無くなり右に体がはわずかに傾く。もう関心はないのか透明な粘液が引き伸ばされては垂れる口が開かれる。なんとも言えない鉄の臭いが鼻を刺激する。


 戻れないのか。


 何年か前の俺なら容赦なく殺せただろうな。


「──────俺はヘイトリッドで、お前はメイジー・シャルルだ」


「ヘイ、ト、リッド……ヘイ、トリッド、ヘイ、トリッド────────ヘイトリッド・ハンス?」


 ピタリと狼は止まり、俺から手を離す。何があったのか分からず首を傾げていると狼は尻尾を少し揺らせる。


「ヘイトリッド、アカイオウサマ。メイジー、アカイ。アカイアカイ、オナジ」


 そう言って目を細めて笑い始める。それはまるで子犬のようで、悪魔のようであった。大きな絶望が再び飲み込む、違う、あいつはこんなやつじゃない。入っているのは何も知らねぇガキじゃねぇか。

アルマの面影はそこにはなかった。


 アルマじゃない、メイジーじゃない。


「笑うなよ……怒れよ、いつものように酒の飲み過ぎだって、仕事をサボるなって、短気だって言えよ……言えよっ!!!」


 片腕で狼のゴワついた毛を握り、怒号を飛ばす。しかしそれは悲しげな声を出してはすり寄ってくる。


「オコル? オコル? ゴメン、ネ。ゴメンネ」


「……なんで、死んじまったんだよ……なんで怨毒になったんだよ」


「ナク、メイジー、カナシイ」


 すり寄せて伝う涙を拭く。なぁ、桃太郎軍団は不滅なんじゃねぇのか? 一緒に怨毒の謎を解明するんだろ? 約束、守れないのか?


「スキ、ヘイトリッド、スキ。ナク、イヤ」


「……生前に聞きたかったぜ。なぁ、ちょっとしたゲームをしようか。俺が、王様の言うことは? と言ったら絶対と言うんだ」


 そう言うと狼はブンブンと尻尾を振っては頷く。無理やりでも笑みを浮かべ、俺は震える口を開く。


「"王様の言うことは"」


「"絶対"」


 紫色の目は淀み、虚ろとなる。そこにあるのはただの入れ物。自らの意志で動かないそれに触れても、もう涙は出なかった。

 あるのは怒り。剣を再び持ち、覚悟を決める。ここに、もう用はない。弔うのは、全てが終わってからだ。誰にも殺させない、誰にも触れさせない。この入れ物を弔うころすのは俺だ。


「ヘイトリッド、ええ顔しとるで」


 皮肉とも取れるその言い方に腹も立たなかった。アルマの入れ物である狼を引き連れてアダムのところへと向かった。あの男を、必ず殺す。


いや、殺すだけでは済ませない。その体が、精神が砕けるまで惨殺してやる。




「亡国の王様って感じやな。さぁ、ついていくでー、赤い王様のあとを」


 ジェスターの後ろには虚ろな目をした改造人間達が歩いていく。首にかけられたドッグタグを見て、ジェスターがその名を呟いても誰一人として反応はしなかった。

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