第61話 終戦

「"エピソード─────ピーターパンとウェンディ"」


 そうエピソード名を言えば、持っていた短剣が白く光り始める。何度倒せばいいのか、何度……この国を守らなければならないのか。まったく、世話焼きの余にぴったりな国よ。


 目の前にいるのは涎をボタボタと落とし、いくつもある紫色の瞳をした巨大な鰐のような怨毒。足はまるで胎児のように分厚く、皮膚はブヨブヨとしており、黒一色で染められていた。何かを叫んでいるのだろうが、余にはもうそれがヒトの言葉としては認識できない。


「安心するとよい。覚めない良い夢をみせてやろう」


 何人その大きな口で人を飲み込み、何人その鋭利な牙で切り裂き、何十人がその足で踏みつぶされたのだろうか。


 もはや、怒りすら生まれない。


 低く、耳を劈くような咆哮が体の髄から痺れ始める。しかし、その咆哮も長くは続かなかった。突進してくる怨毒の皮膚に触れるだけの軽い傷をつける。怨毒はピタリと動きを止め、傷口から風船のように膨れ上がっては凄まじい破裂音が響き渡る。

 その時には体の半分以上が消え、生命活動が停止した巨大な肉塊があるだけであった。もう時期この肉塊もただの塵となるだろう。


「ロストボーイズもお主を迎え入れてくれるだろう」


 気付けば朝日が登っており、凄惨な姿へと変えたこの戦場があらわになる。転がるのはもはや英雄ヴォートルのものなのか、ストーリアのものなのか分からない死体が積まれている。焦土と化していたこのゴーストタウンの地面は血を吸って、赤いシミができ始めていた。姿も忘れた創造神によって一部の記憶は消されているが、あの戦争の情景はよく覚えている。


「童話戦争を彷彿させるような戦場だ。さて、余もシェヘラザードの場所に────」


 この世界に神は二人いた。一方は白き衣を纏った思慮深き人、一方は黒き衣を纏った冷厳なる人。

 これが、ティモシーとサミュエルについた異名である。


 そんな言葉が脳内に流れてくる……なんだ? これは、忘れていた記憶の欠片が埋まる感覚に吐き気がする。この世界に神が二人? どちらがティモシーでサミュエルか分からんが、絶対に逆らえない相手であったのは本能でわかる。

 どちらかが、余にエピソードを与え、どちらかが童話戦争を引き起こした……


「まて、あれは本当に童話戦争だったのか?」


 思い出されるのは上空から見下ろす一人の神と言葉を失い、ただ戦場を眺めていた一人の神。そして、かつて仲間であった者達が暴れ狂う化物となった戦場。あの場に、英雄ヴォートルはいなかった。いたのは『成れの果て』だけであった。


「ピーター!」


 聞き覚えのある声がし、振り返ると息を切らしたスノーがいた。彼女は戦闘向きでないことから今回の戦いは外れていたはずだが、なぜここに?


「ピーター、思い出したのですよ。あなたもそうでしょう? この世界には二人の神がいたこと、そして『成れの果て』との戦いをっ!!」


「お主もか、わざわざその事だけを伝えに来たとは思えんが……一体何があった?」


「アダムが逃げましたわ。しかもシェヘラザードはそれを阻止し、完全に戦意喪失。現在、例の手記があった場所には黒いベールに黒のシスター服を着た『成れの果て』が出ましたの」


 その時、明るくなり始めた空が赤紫色へと変わり、皮膚にドロドロとした何かが巻き付く感触さえしたがそこには何もなかった。重苦しい空気が肺を圧迫させて、自然と呼吸回数が増えた。

 赤紫色の空には、黒い翼を広げて空を飛ぶ四足歩行の何かが無数にいた。それらの首は泣く、手や足は尖ったヒトのようであった。


「スノー、お主はここから離れるがよい。あの気味の悪いなにかと『成れの果て』は余が倒す」


 スノーの返事を聞くよりも先に空を飛び、轟音のする方へと向かった。それにしても、どこもかしこも怨毒だらけだ。だが、どれも長くはないのか少し暴れると塵となって消えていく。


「嫌な予感がする……」


 その予感は的中してしまった。神像がある場所にいたのは、人間サイズの『成れの果て』だった。黒いベールのしたにある顔は見えないが、頭を動かす度に赤い液体を撒き散らし、シスター服を纏ったそれの腰部には白い帯のようなものが幾本も飛び出てはうねうねと動く。背部には自立して動く6本の手が生えており、本来あるべきはず腕の部分は顔よりも大きく尖った手があった。8本の腕を持ち、腰部からシスター服を突き破って動く帯は血に濡れていた。


「地獄絵図だ……ん? あそこにおるのは─────アルマ、か?」


 ありえない。怨毒化しないはずのアルマが、無表情のままヘイトリッドに斬りかかっている。それだけではない、重点的に第五部隊の者だけを狙って攻撃を繰り返している。そして、ジェスターの仲間であろう改造人間は怨毒と協力しながらあの場に残るすべての者を翻弄しているではないか。


「……ウェンディ、ティンク、ロストボーイズ、余がそちらに逝くには、ちと早いらしい」


 緑色の紋章が全身を覆い、言い表しようのない高揚感に包まれる。久方ぶりだ、この戦いへの高揚感は一生思い出すことはないと思っていたがな。


 地面に降り立ち、左手を出す。砂埃が舞うよりも先に、光の玉は前方にいる怨毒を消し飛ばす。全員が目を開ける頃には何十体かの怨毒は壁のシミとなり、『成れの果て』も巻き込まれたのか腕が一本無くなっていた。

 しかし、その腕はすぐに生え変わり元の姿へと戻っているではないか。


「そうだ、そうだったな。お主らは死を知らず、生を貪り、神にも人にも成れなかった半端者であったな」


莉雁ョオ譚・繧九?今宵来る

 縺九▽縺ヲ荳也阜繧かつて世界を

 邨ア縺ケ縺滉コ檎・槭′統べた二神が


 ソレは何を話しているのか分からないはずなのに、頭には言葉の意味が流れてきた。分からないのに分かってしまう、この感覚が気持ち悪く思わず顔を歪めてしまう。


逞エ繧瑚??′痴れ者が

 縺薙%縺ッ蠖シ縺ョ鬆伜悄ここは彼の領土

 逵溘?蜷阪r真の名を

 蜿悶j謌サ縺呎凾縺?取り戻す時だ


 その先も何かを発していたが、脳内で不気味な機械音が響くことはなく、ただ叫んでいるようにしか見えなかった。

 例外なその姿と驚異的な力に絶望しかけていたが、あの仕組まれた戦争に比べればどうってことはないのぉ。

 後ろでガチャガチャという部品が落ちる音と共にヘイトリッドが起き上がる。血を流し過ぎている……だが、ここでヘイトリッドを連れて逃げることなんて不可能だ。どこか安全な場所は─────


「花神、テュラン下がっていいぞ」


 あまりにも冷静な一言に、誰もが心を震わされた。花神とテュランは引き下がろうとせず、口を開けたその瞬間、ヘイトリッドは冷たく言い放つ。


「下がれ」


 能力を使っていないのに、二人は後ろに下がってはカボチャに乗って戦線を離脱した。追いかけるものがいると思い、身構えるも誰も追わなかった。いや、追えなかった。怨毒ですら、ヘイトリッドの気迫に圧されて一歩足りとも動かなくなっていた。


「さすが、ハンスさんだニャ」


 カプリスやシルト達が残った怨毒の首をはねていき、残ったのは『成れの果て』と怨毒化したアルマ、改造人間だけとなった。

 いまだ『成れの果て』は動く気配はなく、死体を漁っては近くにいるシェヘラザードに献上している。いったい何があったんだシェヘラザード……虚ろな目をするような男ではなかろうに!


「しまっ─────」


 シェヘラザードに気を取られていると、カプリスが『成れの果て』の帯に捕まっていた。身体能力の高い彼なら抜け出すことなど容易いはずだが、偶然か必然か黒いベールが少し捲れた。余や皆の視界にはその下は見えなかったが、カプリスだけは硬直して脱力してしまった。そのまま壁へと打ち付けられてしまった。


「カプリス!」


 シルトが駆け寄るが、カプリスは目の焦点が合わない。もはやこちらに興味はないのか、ずっと何かをブツブツと話している。生気を感じられない、生きてはいるが生きていない。顔を見ては行けなかったのか……!


 これ以上、離脱者が増える前になんとか殺しておきたいところだ。しかし、余の力をもってアレを葬れるだろうか。だが、やるしかない。


「お主ら、よく頑張った。あとはこのピーター・マシューに任せてくれ」


 腕を振れば光の輪がアルマと改造人間を捕獲し、腕を上げると光の輪は余の後ろへと下がる。暴れれば暴れるほどその輪はキツくなる仕掛けだが、誰一人として暴れることはなかった。


「"夢見る者、願う者、行きつく先は異なる世界。瞳に映るは無垢なる憎悪"」


 アレの周りには無数の白い手が蠢き、光の中へと連れ込もうと掴める部位にはすべて掴みにいく。あの先に何があるのかは余にもわからないが、どうだっていいことだ。あの領域では余こそが法律であり、それを犯すものは死刑に値する。


 光がこの場にいるすべての者を地の底か、はたまた空の彼方か異なる世界へと誘うようにして這い寄る。腕を撫で、頬を撫でるその仕草はまるで母親のように優しく、体を委ねてしまいそうなものだが委ねたら最後……この世界には存在できないだろう。


 地を揺する咆哮が響き渡り、帯のような物で地面を、6本もある背部の手で壁を抉りながら持ち堪えている。粘られると瞳が保ちそうもないからやめてほしいものだ。視界が赤くなり、鼻奥からも生暖かくドロリとした液体が出る感覚がして拭いてみると服が赤く染まっていた。限界が近い。


譎ゅ?貅?縺。縺時は満ちた


 それと同時に赤い空を浮遊していた化物達が一斉に天を仰ぎ、何かを呼んでいた。赤い空には似つかぬ青白い巨大な玉がこのあたり一帯を覆い、巨大な影を作っていく。うえを見上げて映るのはもう赤い空ではなく、青白い玉でもはやそれが空なのではと思うほどだ。


「ピーター! どうにかならないの!?」


 シルトが珍しく名前で呼ぶが、首を横に振ることしかできない。


 青白く蠢く玉。

 無数の化物。

 神にもヒトにも成れなかった『成れの果て』

 全ての演出か嘲笑にしか聞こえず、怒りすら湧いてこなかった。今まで、死は漠然としていた。しかし、今ではこれが「死」であるという明確になっている。やはり、余は戦場で死ぬのがお似合いか。


「……やめなさい」


 キィィンと金属のような音が頭の中で鳴る。声の主は屍のように動かなかったシェヘラザードであった。光のないその瞳には背筋が凍るが、少しの期待をしてしまった。


「この地はは我らが領土、何人なんぴとたりとも傷つけることは許さない。お前の物語はここで完結する」


 シェヘラザードが光に飲み込まれつつある『成れの果て』に触れると、ソレはバリバリと音を立てて避けていく。溢れる腐乱臭と血の臭いにえづいてしまい、皮膚が一枚一枚剥がれていく様子は直視できたものではなかった。やがて声を上げる間もなく出来上がったのは肉片の残る歪な骨と、辺りに散らばった血とそれ以外の何かであった。


 光の手はその亡骸ですら連れ込んでいき、大量の死体と血液だけが残った場所にシェヘラザードは立っていた。気づけば、空は元の青さへと戻っていた。


「ごめんね、ピーターさん」


 彼は最後にそう言い残し、余の視界は閉じてしまった。力の使い過ぎか、それともシェヘラザードの力によるものなのか……考えることすら厳しい……お主の、名は──────




 こうして、ゴーストタウンで起きた戦いは幕を閉じた。


 その後、アダムともにシェヘラザードの姿を見たものはいない。

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