第38話 秘密の庭と機械人形
突然足を掴まれ、硬直する私の体に反して這いずるそれはうめき声を上げながら近づく。
怨毒? いや、怨毒特有の白髪に黒い肌は見られない。だったらこれは……
「お腹、空いた」
「……は?」
それは禁書室に響き渡るほどの腹の虫が盛大に鳴った。それはそれはそれはまるで慟哭のようで思わず引いてしまう。腹が減った?
手元にある食べ物は……なにもない。なんの汗か分からないが顔や皮膚に流れる中、腹の虫を刺すような舌打ちが背後から聞こえてきた。
「朝陽さん、昨日言ったはずッスよ。飯食って家帰れって……それなのにあんたは」
私と話していた時とは打って変わって、荒い口調のバイトくんが鬼の形相で立っていた。その手にはおそらく手作りであろう星柄の可愛らしい弁当箱があった。
「その声は、浅田快斗くんだね!? お腹空いた!」
「んなの見たら分かるッスよ。さっさと食べて第三部隊の隊長さんのお話を聞いてください」
朝陽は弁当箱を奪うようにして受け取り、一心不乱に貪り始める。本当にこの人は大丈夫なのだろうか……黒い三つ編みはほとんど崩れかけ、一房の白い髪には枝毛が無数にあるのを確認できる。赤いフレームの眼鏡は傾いているだけでなく、くすんでいる。目の下の隈はもはやパンダ並み。女の子なら、いえ、ヒトならば少しは身なりを気にして欲しいものね。ちゃんとすれば可愛いのに。
「あ、あなたがセルバンテスさんですね? そろそろ来ると思いましたよ」
「食べるの早いわね……なんで私が来ることを知っていたのかしら?」
吸い込んだのかと疑いたくなるほどのスピードで食べ終えた朝陽。驚異的な早食いも気になるけれども、何故私がここにやってくることを知っていたのかしら。連絡がついたのはこの図書の管理者であるシェヘラザードことヘラちゃんとそこのバイトくんだけ。もしかして、ストーリアに属さないエピソーダーなのかしら?
「誤解してそうなので先にいいますが、私はエピソーダーではなくただの司書です。本は全てが載っています。もちろん、あなたの運命そしてこの物語の結末でさえも」
「あなた、なにも────────」
「というのは嘘です!」
朝陽は清々しいほどの笑みを向け、隣にいたバイトくんはため息をついている。一方、私は疑問符しか浮かばない。
「私は機械人形の朝陽夢。この図書館の司書です。あなたがここに来ることはシェヘラザード様から聞いていました。さぁさぁ、狭い禁書室ですがゆっくりしていってください」
朝陽は本棚から青の本と赤の本を押す。するとカビでも生えてそうな壁がゴゴゴと音を鳴らしながら横にずれていく。壁が動いている様子を唖然と眺めていると、光が隙間から差し込み、目の前の光景が薄汚い壁から蝶が舞う庭園へと変わっていた。
「ここは秘密の庭園です。私が作られた百年ほど前からあった屋敷の一部です。今でこそ巨大な図書館となっていますが、もとは鈴宮家の屋敷だったのです」
「鈴宮って……鈴宮ヘレナのことかしら? テュランちゃん、中央区を襲った狼型怨毒を作ったとされているエピソーダーのことよね?」
朝陽は悲しげに目を伏せ、庭園にあった花々に手を添える。
「ヘレナ様は鈴宮家の娘です。私は先代に言われたとおり、ヘレナ様に仕えていましたが人々を救うためにこの屋敷を出ていきました。それももう五十年も前の話……ヘレナ様は自身のエピソードで肉体を人形へと変え、半永久的に老いも死にもしない体となりました。その後、この屋敷に住まうものは私だけとなりました」
朝陽はガラス張りの天井を見上げ、なにかを思い出しながら悲しげで憂いを帯びた表情となる。
鈴宮の両親は病死だったはず。そのまた先代も病死で呪われた一家とも呼ばれていた、なんて噂を聞いたことがある。鈴宮ヘレナ自身も年齢は不詳で種族名も半人間と訳の分からない事を書いていたのはこういうことだったのか。
「人形へとなったのはおそらく呪いと呼ばれた遺伝病から逃れる為でしょう。それなのにヘレナ様は……」
「
「……私は信じていますよ。あなた方がヘレナ様を救ってくれる事を」
涙の出ない黒色の瞳が揺れているかのように私は見えた。正直、救えるという自信はない。その体を救うことができても、彼女の心は救われるのだろうか。中央区を襲った怨毒も、テュランちゃんが苦しみながらも生きているという現実を知り、耐えられるのだろうか。こういう自信のないとき、死と隣合わせのヒトは決まってこう言う。
「最善を尽くすわ」
そう言うと朝陽は少し安心したのか柔らかく微笑んでいた。都合のいい言葉にも縋りたくなるほどに不安で心配なんだろう。
一方、バイトくんは平然とした顔で白いテーブルの上に二人分のティーカップを置いてアップルティーを注いでいた。肝が座りすぎているな……
「お二人さん、どーぞごゆっくり。俺は受付にいるッス。あと朝陽さん、今度は摂食可能な機械人形であることを忘れないで欲しいッス。人間とほとんど同じなんすから」
「ありがとう浅田くん。さて、セルバンテスさん。聞きたいことがあると言っていましたが、なんでしょうか」
バイトくんは受付へと戻ったのを確認した私は本題を先に話す。ジャック・ザ・リッパーのこと、
「うーん、やはり焚書されてるだけあってほとんど残っていませんね」
「まぁ、そうよね」
埃を被った本を私も読むが、どれもそれらしい文献はない。中にはページが破られたり燃えたりしている部分がある本も見つかった。朝陽は本を閉じ、よく通る声で話す。
「ただ、どの物語にも作者がいるようにそのジャック・ザ・リッパーという物語とその作者は存在していると思うのです」
「つまり?」
「エピソードは童話をもとに、
朝陽はそう言い、焼け焦げたページに手を添える。伝記、初めて聞く言葉だ。もし、ジャックが存在した人物だということはその物語を書いた作者はジャックということになる。しかし、私達は作者が不明な童話を扱うエピソーダー。
「童話とは作者の創造物に過ぎません。しかし、ジャック・ザ・リッパーという存在が実在していればそれは創造物ではなく現実となります。彼らの言い分としてはエピソーダーとは創造物の力を借りた作者も存在しない曖昧な存在より、過去に存在していた英雄の後継者で我々こそ真の人間である。ということでしょう」
「なるほど、つまりは私達エピソーダーを童話のように架空の存在であると? 舐められたものですね。だけど変ね。恨みの対象はエピソーダーだけでなく、一般市民にも手を出している。死にかけの体に怨毒化を促す薬を打ったり、死体にエピソーダーの血とその薬を打ったりしてね」
そう、気がかりなのはそこなのだ。私達が恨めしいのなら本部を叩けばいい話。事実、本部を襲撃に来たが何人かが行方不明となり、エピソーダー達の個人情報が消えていた。重大と言えば重大だが、殺したほうがストーリアとしても痛手で怨毒が現れても対処できない可能性が高い。
「ふむ、もしくはこの国、または世界が恨みの対象なのでは?」
「まさか! 確かに驚異的な組織ではあるけど、世界を敵に回すほどの人員は……まって、もしかしてだけどその伝記というのは童話よりも多い、とかあり得るのかしら」
「数はわかりません。ただ、私が先代から聞いた話では童話は焚書され、伝記は持ち去られた……と言われていました。また、伝記はエピソードとは違い、能力を得られる条件が異なるとも言っていました」
その瞬間、呼吸が止まった。ガラス越しに空を映す庭園に光が差し込まなくなり、上を見ると今にも降り出しそうな灰色の空に覆われていた。庭園に咲いている花も元気がないように見えた。いや、そう見えているのは私だけだろう。
もし、
私達がこう考えている間にあのクソ共が増えつづけている。そう考えるだけで怒りと恐怖でどうにかなりそうだ。見えぬようにとキツく握った拳は生暖かい液体が流れ、怒りをこらえる為に噛み締めた唇からは鉄の味がした。
「……誰であろうと、私の地区を汚す事は許されない。朝陽さん、創造神について知っている事はあるかしら? あれはもはや私達の神ではない」
「私だからいいですけど、他の方の前でそのような反骨精神を剥き出しにするのは────」
「私はね、あのホワイト地区を作り変える為に身を捧げてきたの。そんな我が子同然の地区に昔からある創造神を祀るという因習に穢され続けていたという事実に耐えられないの。全てを飲み込んで白に見せるより、真実を導く白がいい。時代もヒトも変わった……ならば現実に隠された真実を晒して国も変わるべきよ」
久々に出た本音と共に、庭園の草木に白い霜が降りていた。温かいはずのアップルティーもこの空間も足元から冷えていく感覚にようやく気づいて溢れ出た力を収める。
私は雪の女王。
「傲慢、強欲、冷血……さすがはメルヘンズです。わかりました。私が知る限りの創造神を教えます。真実を導くのは読み手のあなたです」
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