第74話 深海からの誘い

「冬の海寒い」


「なのに海の男はあんなにも暑苦しい」


 ツクルとアヤメは互いに身を寄せあいながら、せかせかと働く漁師を見つめていた。つなぎと半袖のみの彼らを見ていると今が冬であることを忘れそうだ。水揚げされた魚よりも元気なんじゃないの?


「お? これは水瀬組の人達じゃねぇか! こんな港まで巡回なんてえらいもんだなぁ」


 筋肉ダルマという称号が似合いそうな漁師がこちらに近づいてきては私達に軽く挨拶をしにきた。


「おやっさん! いやぁ、ここら辺で色々と目撃情報があるんでね。聞いたところじゃ今年は漁獲量があんまりだとか……もしかして怨毒絡み?」


「いやいや卯月さん達のおかげで怨毒の数は減っているんですわ。ただなぁ、ここ最近妙なことに魚がめっきり減ってな。俺は見たことないが、ある漁師の話によると種類様々な魚が集まって、海の底に向かって泳いでは姿を消したなんて言われてんだ。どちらにしろ、俺たちにとっちゃぁ迷惑な話だ」


 漁師は逞しい腕を組んで唸っていた。それにしても卯月さんは世間話でもしに来たのだろうか。漁獲量なんて私達じゃどうすることも出来ないことだし……

 私も軽く挨拶をした後、4人で港付近を歩くことにした。人の少ないここは穏やかではあったがどこか寂れている気もした。


 人の声ばかりの中央区と比べ、ここはブルー地区の端。聞こえるのはカモメとさざなみの音だけだ。夏なら最高のロケーションだが、冬だからただただ寒いという感想しか出てこない。


「お嬢、顔は広い方が色々と動きやすいんだぜ?」


「卯月さん? 急に何?」


 卯月さんが優しげに微笑むと白い息が後ろへと伸びて言った。


「組長ももういい歳だ。僕も現役とはいえあの人がこの世界から身を引くような事があれば、僕も身を引く。そうなるとお嬢がブルー地区を背負っていく必要がある。お嬢は若く、正義感があるが精神的にも経験的にもまだまだ未熟だ。大神アルマのような冷静、イル・オデットのような器用さ、桃瀬くんのような力……」


「私にそんな人達のような強みはない……って言いたいのね。それは事実で、ダディ……水瀬創一が引退するのもまた事実。だけど、卯月さんまでが身を引くのは理解ができない」


 卯月さんよりも前に出て、睨むようにして目線を送る。


「そもそも、ダディがそんな身勝手許ないと思うけど?」


「あっははは!! そんな可愛い顔で怒られてもなぁ!」


 白い息がボワッと出たかと思えば、小刻みにまた笑い出すものだから白い息もそれに合わせて吐き出される。またこうやって話を逸らす。卯月さんの悪い癖だ。


 その時、ツクルとアヤメがピタリと足を止めて縦長の瞳孔で海を睨みつけた。


「二人とも、怨毒に近い何かがいる。能力は……海を作り出す能力。アヤメ、エピソードは何かわかる?」


「エピソードの名前は……『浦島太郎』」


 二人が指したのは海だった。見えるのは青く冷たい海だったが、目を凝らすと黒い魚影のような物が小さな渦を巻いているように見える。


「『浦島太郎』……? 確かシルト・セルバンテスが逃した英雄ヴォートルだな。もしそうなら少々厄介だな。潜れるわけでもないし」


「まぁ、普通の人ならそうだよね。卯月さん、ツクルとアヤメを見ておいて。私が見てくる」


 邪魔になりそうな重い隊服を脱ぎ、タンクトップに半パンという頭のおかしい格好となる。もちろん、卯月さんは危険だなんだと言われるが見ないことには始まらない。


「卯月さん」


「なんだ?」


「人魚舐めすぎ」


 裸足のまま海面の揺らめきに向かって飛び込んだ。その時、足の先から腰辺りまで鳥肌が立つようにして青い鱗が綺麗に並んで現れる。足の感覚はまるで一本足にでもなったようだったが、尾ビレが水を蹴るような感覚は懐かしいものだった。

 首には鮫のようなエラが出来ていて、瞳孔は恐らく縦長となった水色の瞳となっているだろう。腕にもうっすらと現れた鱗はザリザリとしており前腕から肘までは鋭利なヒレがあった。


「うーん、やっぱり童話語りではこの姿は見せられないな。リアルすぎて引かれる」


 改めて人魚の人外さを実感した後、渦の中心に向かって泳ぐ。やはり魚は種類もサイズも様々で、中には鮫も泳いでいた。漁獲量が減っていたのはこういうことなのか?


 中心に近づけば近づくほど、魚の数は増えていき渦をまいていく。もはや渦の中心に何があるのか見えない程にだ。氷より冷たい海中は体を蝕み、動きが鈍くなっていく。まずいな、ここまで冷たいだなんて想像していなかった。これ以上下がるようなら一度浮上して───────


 グンッ


 硬い何かが私の尾ひれを掴んだのか、体が下に引っ張られる。驚いて後ろを振り返ると見るもおぞましい化け物がこちらを見ていた。


 体の一部が白骨化しているのにも関わらず、気味の悪いことにそれはまだヒトの形を留めていた。今にも黒く染まりそうな皮膚をしており、白く染まった髪は海藻のように揺れている。私を掴んでいた手は完全に白骨化しており、筋肉もないくせに海の底へと私を引っ張る。


「まさか……浦島太郎!?」


 名前を呼んだその時、それはガパリと口を開けた。その奥から見えたのは白骨化した無数の魚と黒い髪の揺れる妙に艶かしい女が笑みを浮かべてた。それが誰なのか判断するよりも先に、骨となった魚が視界いっぱいに遮った。


「タキトッヤ」


 海の中でもはっきりと聞こえてきた。声ではなく音として体に響いてきた。それが何を意味しているのかは分からなかったが、ただ一つ分かったことがある。


 もうここはヤツの領地なのだ。


 ドボンドボンと海に何かが落ちる音がして、海面を見ると鎖のように繋がった骨が卯月さん、ツクル、アヤメを引き込んでいた。もう既に私達は彼のエピソードによって騙されていた。

 海面から顔を出すと、水のカーテンが私達が先程までいた道路を寸断し、海底へ向けて沈み始めていた。あいつのエピソードは海を創り出すだけでなく、息のできる海とできない海に分けて作り出すことが出来た。


 わざと渦を作り、私達の興味を引いたのだ。待っていたのか、私が海に飛び込むことを!


 ぐるりと後ろを振り返ると、先程見えた艶かしい黒髪の女が私の頬を両手で包んできた。


「ようこそ、竜宮城へ」


「お前は──────乙峰姫花!」


 視界は乙峰の微笑みと細かい泡で覆われ、体に一切力が入らなかった。尾ひれが足に、エラが閉じ、研ぎ澄まされた視覚も触覚も鈍く元に戻っていくような感覚がした。

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