第52話 進化への代償
その晩、二人でベッドで寝るなんてことはなく、床に毛布を敷いてジェスターは眠ることとなった。まぁ、それはいいとして……拠点に侵入できたこと、サンソンのこと、そして進化した人類という改造人間のことをその昔に使われていた『日本語』というもので書いた。暗号となったそれは、ゴワつく灰色の毛皮が名を表しているドブネズミが加えてどこかへと向かってしまったのだ。ワイアットという特殊なエピソードを持つ男に届くのだそうだ。
「はぁ、なんとか一日は過ごせましたが問題は今日からですね。この建物内にいる者達が動き始めています」
時刻は午前6時……起床時間なのだろう。ここに寝泊まりしている者は改造人間が多いのだろうか。いや、少ないはずだ。今まで
「えらい熟考してんなぁ。どうせ改造人間が何人いるかって考えとんのやろ? そんなはように考えんでも、外出れば一発やろ。それより、なんであの組織があそこまで統率が取れとるんかってことを考えなあかんで」
「確かにそうですが、鈴宮ヘレナの居場所を知る必要もあります。あの人の情報は少ないので、探し出すのは至難の業でしょう」
「ふーん、せやったらシルトはんやシェヘラザードは知っとったんや?」
「シルトは顔が広く、シェヘラザード様は知識人ですから。それに、地区長である者は昔から知識に長けています。まるで先代からそう伝えられてきたかのように……まぁ、それはいいんですよ。さっさと出ますよ。さっきからドアを開ける音が聴こえるんですよ」
ジェスターは重い腰を上げて扉前に立つ、そのときにはもうリチャードを演じていた。相変わらずこの切り替えには驚かされるし、身構えてしまう。いつだって裏切れる立場であるジェスターを信用はできない。
行こうか、とリチャードのように振る舞うジェスターを見て彼に敵意がないことなんて分かっていた。だが、いずれ私は彼を殺さなければならないだろう。
外に出ると、多くの黒フードを着た
「おはよう諸君。本日は幹部の方々がお見えになっている。拍手で迎えるように」
顔の半分が機械に覆われた男が話す。するとたちまち拍手が巻き起こり、幹部と呼ばれる者達がこちらにやって来た。横でジェスターが分かるように解説をする。
「金髪の女がエリザベート、血に関する能力を持つ。黒髪の男が
幹部はこんなにも多いのか。エリザベート、那須与一、ジャンヌ・ダルク、ローズ……この場にはいないがサンソンもまた幹部の一員。そしてあのジャック・ザ・リッパーも能力を持つ者。
「幹部以外にも能力者は多くいるんだよ。それにジャンヌにいたってはもう一人顔の似た人形がいるそうだ。確か、リアンって呼ばれてたな。エピソーダーらしい」
ジェスターが拍手しながら教えてくれた。あぁ、これはまた厄介な……もし、エピソーダーよりもこちらの方が能力者を生み出しやすいとしたら? 嫌な予感がする。
「えぇー、今日はリアンとアダムさんはいませんが、新人も入ったことなので歓迎の会を開きたいと思います」
ジャンヌは青く輝く強い瞳で私達見る。周りの
ジャンヌの背後からは奇妙な服を着た男が現れる。どことなくジェスターと雰囲気が似ているような……
「リチャード、あれは……」
「メルだ……俺と同じ奴隷仲間だったんだが、なんでそっち側にいるんだ」
その時、ジェスターの顔がわずかに揺らいだ。リチャードの顔であるから表情が分かるが、仮面の下でもこんな顔をしていたのだろうか。
「やぁやぁ諸君、オイラはメル。オイラは笛が得意でね、きっと君たちも気にいると思うよ」
メルと呼ばれた男はラッパに似た笛を取り出す。その時、ジェスターは私に棘のついた指輪をはめる。その棘は握ってしまえば刺さってしまいそうだった。
「笛の音が聞こえている間、握っておけ。その後俺も刺せ」
ジェスターは小声でそう伝えた。なんの事か分からず、首を傾げてしまいそうだったが私はメルをじっと見つめていた。そして笛の優しい音色が聞こえたとき、右手を強く握りしめた。走る痛み、流れ出る血とその匂い。この中で私だけが苦痛な思いをしていた。笛の音色が聞いている者の目は狂気であった。
大きく開いた瞳孔、開いた口から出たのは笛とる共鳴する声。そこには中身なんてなく、肉と皮と骨だけの抜け殻のようであった。私も周りにいる奴らの真似をしながら強く、さらに強く握る。皮膚が裂ける感触に思わず声が漏れそうだったが、ただ耐えた。笛の音が頭を揺らす感覚に目眩が襲われる。
気づけば笛の音は止み、メルは満足げに笑っていた。しかし、私が一瞬だけ心の緩みが出てしまった。肩の力が抜けたその瞬間、メルと目がかち合った。淀み無く輝く桃色の瞳がしっかりと私を捉え、嫌な汗が流れ始める。しかし目を逸らしてはいけない。
「メル、どうかしましたか?」
「いや、ジャンヌ。何でもないよ」
ジャンヌに不審がられたメルは首を振る。気づいていない? いや、あの状況で目が合っただけならまだしも、目が一瞬でも泳いだのを見たはず……なぜ私を庇ったのか。
疑問に思っていると、今度はメルが喉の調子を整え始めた。
「諸君らはなんだ?」
そう尋ねると、一斉に周りの者は声を上げた。
「英雄が返り咲く為の消耗品です!」
「諸君らは誰に忠誠を誓う?」
「我らが創造神! アダム様です!」
周りの者は洗脳されたのか、拳を高らかに上げて叫ぶ。私もその真似をするが、狂気的なその光景に全身の毛が逆立つような恐怖が這いよってきた。私は叫んでいる間に、ジェスターの手の平を棘付きの指輪で刺す。横目でも見れないため、叫んだままだが手を軽く突かれた。目は覚めたようだ。しかし、なんだあのメルという男の能力は……!!
「よし、これでオイラの仕事は終わりだね。あとは頼んだよジャンヌ」
「もう帰るのですか? あなたの務め、忘れていませんよね?」
「……忘れるわけないじゃん」
歓声が鳴り止んだ時に、ふとそんな会話が聞こえた。奇妙な関係だ。メルがこの場から去ると周りの者の洗脳は溶けたのか人らしさが戻っていた。一時的な効果なのだろうか、それとも意図的に解いたのか。どちらにせよ脅威となる力であることには変わりない。
ジャンヌ、ではなく半分が機械で出来た男が私達の名を呼んだ。
「リチャード、カレン。お前たちの持ち場はこっちだ」
私達は言われるがままにその後ろを付いていくしかなかった。しばらく薄暗く、血生臭い廊下を歩かされていると大きく頑丈な鉄扉があった。しかもかなり下ってきた為、助けも呼べない地下室だ。
男は鉄扉を開ける。その時、血と排泄物、薬品、様々な臭いが鼻を刺激する。思わず声を漏らすと男は鼻で笑い、刺激臭のする室内へと入っていく。
「ここは進化した人類を作るための場所だ。残念なことに進化する時に命を落とす者もいる。これは昨日の状態そのままに残っていて、新人に掃除させることとなっている。死体は解体してゴミ袋に入れておけ。明日までには片付けておいてくれ」
そう言って男は私達をこの血生臭い部屋に閉じ込めた。手術台には大量の血と白く硬直した死体があり、床には血や切り落とした腕、内蔵などが散らばっていた。よく死体を見ると大腸、小腸が飛び出ていた。
「ここで精神的強さを見るのかもね……それにしても臭いし、エグい」
「お兄様、やるしかないよ。とりあえず死体を切り分けよう」
私達はそう演技を続けた。カメラがある為、変なことは話せなかった。メルの事を本当は聞き出したかったが、ただ黙々と作業を続けた。骨を断つ感覚が麻痺し始めた辺りからは記憶になかった。気づけば部屋に戻ってきていた。それほど、衝撃的な光景だった。
そんな日が二日間続いた。調査も出来ず、ただ死体を処理する毎日……確実にジェスターか私のどちらかが疑わているのは明確だった。
そんな五日目の昼、いつも通り掃除をしているとあの男が現れた。
「やぁやぁ、オイラはメル。久しぶりだね───────ジェスター」
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