第53話 反乱因子

 相も変わらず死体の処理をして、鼻も慣れてきた五日目の昼。二日目に見た男が突然現れた。開かないはずの鉄扉を開け、意味深な笑みを浮かべた青年。


「やぁやぁ、オイラはメル。久しぶりだね──────ジェスター」


 左右非対称な茶色の髪に桃色の瞳をしたメルは笛を片手にジェスターだけを見ていた。ジェスターの顔は曇り、身構えていた。


「ほんま、久しぶりやな……メルだけが生きとるって事は、やっぱり────」


「あぁ、とっくの前に殺されてるよ。合わなかったんだよ、この『ハーメルンの笛吹き男』がね。ただ、一人だけ人形となってからエピソーダーの才能が開花し、脱走した仲間がいるみたいだけどね」


 メルはそう悲しげに笑う。その話を聞いて私はテュランの存在がよぎった。人形となる前の記憶は確かに彼にはない。シルト達がどこまで知っていたかは分からないけど、身元までは判明していないだろう。なにせ他国の奴隷だ、分かるはずもない。


「そして、そこのお嬢さんは誰かな? ジェスターの正体は知っての事だと思うけど、ジェスターが人を信頼するような性格してないし」


 下から上までメルは穴が開くほど見て、眉間にシワを寄らせる。あぁ、そうか。彼に私が誰なのかという事は知らない……大神アルマだとバレれば彼が幹部達に報告する可能性も考えられる。下手な嘘もつけないな。


「私はカレン。兄のリチャードは中央区での襲撃で死亡し、私も死を待つ身だったの。兄の亡骸を抱いて悲しむ私をジェスターは見つけ、匿った。兄のいない世界なんて灰色なのよ? 心中すらできないのに……ジェスターは兄の形見を持ってここに来たかった、兄と過ごせるならそれで私は良い。利害が一致したんだよ」


 全力で狂人を演じるが、果たしてそれを真実だと受け取っているのかは分からない。メルは心底興味がないのか、生返事をするだけであった。あくまでも目的はジェスターということか。


 メルは鉄扉を閉め、ジェスターの顔をジロジロと見始めた。二人の関係を知らない私は蚊帳の外だ。


「そろそろ限界なんじゃない? ほら、奴らが扱う回想録メモワールって人間あったら誰でも合う分、副作用が酷い。組織から渡される鎮痛剤もそろそろ切れてきたんでしょ」


「なんや俺のことばっかり詮索しやがって。で? 要件はなんや」


 ジェスターは質問に一切答えることなく、メルを挑発するかのように笑う。メルの取り繕った笑みがゆっくりと消え、何かを覚悟したような顔つきへと変わる。


「ジェスター、オイラのエピソードを受け継いでくれないかな」


 少しの静寂、言葉の意味を私達は理解できなかった。何度も言葉を反芻するが浮かぶのは「不可能」という三文字だけ。回想録メモワールの譲渡方法は知らないけど、エピソードはそう簡単に譲渡はできない。それ以前に適合しなければ受け継ぐことなんてできない。ジェスターは眉間にしわを寄せて、一歩後ずさる。


「なんでそんなことしなあかんのや。大体な、俺はまだお前を信用してへんのや。生きる為とはいえ、お前は人を殺しすぎた」


「厳しいこと言うね。でも、あの時も今もそうするしかないんだよ……」


 メルの顔が曇る。何かを決断し、後悔している少年の表情はなんとも似合わないものであった。恐らく歳は十四辺りで、ジェスターは私と同年代か少し年上ぐらいだろう。この国は死に急ぐ若者が多いな。十四なんて遊びに専念してもいい時期なのに、こんな血生臭いところに入れられているだなんて……私が悔しい思いをしていると、メルが貼り付けた笑みを向ける。


「カレン? だっけ、君は優しいんだね。君が本当は何者かオイラは知らないけど、そんな中途半端な同情は求めてない。幸せな家庭、美味しいご飯、暖かい寝床があっても人は幸せになんかなれはしない。だって、幸せなんて誰も知らないんだから」


 メルは私に近づき、喉仏を指で押し始めた。避ければいいものの、彼の桃色の瞳は怒りで溢れていてどうにも体が動かなかった。貼り付けた笑みを浮かべながらも、怒りを確かに抱いた瞳は私を強く刺す。


「同情して少しは安心したでしょ?」


 何も言えなかった。安心していないと言えば嘘になるが、安心したとも言い切れない。

 ジェスターが間に割って入り、メルを冷たく睨む。


「ごめんね、ちょっといじめ過ぎたや。まぁ同情なんてされるほど、ここは甘くないんだよ。あと、受け継ぎに関しては単なる冗談だよ。『ハーメルンの笛吹き男』は回想録メモワールに近いから適応するかもって思ったんだ」


「受け継ぐ必要がどこにあるんや? それに、お前は俺達に何をしたいんや?」


「んー、まぁその必要性は後で説明するよ。実はね、オイラはある人に協力してるんだ。その人が二人をここに連れてきてほしいって言ってたから誘いに来たんだ。どうだい? お茶会に参加するつもりはあるかい?」


 メルは血みどろの壁に手を当て、少しずらす。すると壁だと思われていた部分が引き戸のように横へずれていき、蛍光灯が怪しく照らす廊下があった。血生臭いのかと思えば、何も臭わず、何かが歩く靴音だけが微かに聞こえてきた。まさか、こんな所に隠し扉があるなんて……


「監視カメラなら気にしないで。既に対処済みだから」


 メルはそう言って先の見えない廊下を歩き始めた。私達はただメルの後ろをついていった。三人が奏でる不規則な靴音が響き、直列出ないと通れない狭い廊下をただ歩く。閉鎖的なこの空間が息苦しく感じられ、何度か深く息を吸った。

 しばらく歩き続けると、向こうから私達とは違う靴音が聞こえてきた。それは私達が血眼で探していたあの人であった。


「案内ご苦労メル。さて、私の名前は知っているね?」


 暗い茶色の長髪を揺らし、目尻の下がった漆黒の瞳をした女性は私の顔をじっと見る。汚れのない白衣からは薬品と血の臭いがしていた。彼女の瞳に映った私は元の姿へと戻っていた。銀色の耳から聞こえる音、尻尾が床に着く感触が懐かしく感じられた。


「鈴宮、ヘレナ……」


「クフフ、大神アルマだね。そうか、君がそのエピソードを受け継いだか。どうやらメルヘンズの素質があるみたいだね。まぁ、それについては本人次第ってことかな。あぁ、あとその銀色の尻尾と耳はやはり狼、美しいものだね。君のような美しさと強靭さを兼ね備えた体があったら良かったのだが、私はどれだけ頑張っても機械の体だ。だが左足だけ材料がなくてね、今でも木で出来ているんだ。まぁ気に入っているからどうってことはないんだけどね」


 鈴宮は一切の息継ぎをせずに話を続けており、私は相槌もうてずに聞くしかできなかった。メルはため息をつくものの、助け舟は出すことなんてせず、マシンガンのように話し続ける鈴宮を見守っている。

 私やジェスター達が飽き始めていたその時、鈴宮のマシンガントークはそこで止まった。


「おや、また話し過ぎたようだね。すまない、メル以外にきちんと話せる生き物は久しぶりでね」


「そうですか……ってそうじゃなくて! なぜここにあなたは囚われているのですか? なぜ、私達を呼んだのです?」


「クフフ、全く忙しい人だ。私がここに囚われていた理由だが、朝陽夢がいたからだ。私がここに来ないと朝陽夢は壊され、あの庭も消されると言われて仕方なくだ。彼女と親しくしていた浅田快斗くんからシルトがきたことはもう既に聞いている。もちろん、君達が私を探していることも全てだ」


 鈴宮の後ろには青年が現れた。浅田快斗と言っていたが、報告された容姿でなければ身長も体格も違う。


「あんた達が見たのは間違いなく俺っすよ。あと死体も俺っす。朝陽さんが全てを話したあの日、英雄ヴォートルの下っ端だった俺は朝陽さんを壊して俺も死ぬ予定だったんす。だけど、鈴宮さんとメルさんが現れて俺の魂は人形に移動し、朝陽さんの魂は鈴宮さんに戻っていったんすよ。あ、もちろん合意の上で俺はこうなったんで」


 気怠げに説明する彼は人形の特徴である球関節を見せる。だとすると、あの浅田快斗の死体はただの抜け殻で朝陽夢の散らばった破片もただの部品でしかなかったことになる。


「私はここから出られない理由であった朝陽夢の魂はどうしても回収しておきたかった。彼女が死ぬと私も危うくなるからね。浅田快斗クンは若いからね、若者が死ぬなんてもったいない事してはいけないから人形に魂を入れたのさ。対価として視覚を失ってしまったが、幸いにも人形であるから機械の目を埋め込んでおいた」


「つまり、あれは全て偽装されたものであったということですか?」


「あぁ、そういうことだ。あの時から反乱因子である私達は静かに狼煙を上げていたのさ。探していた機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナについてようやく分かったし、ここにいる意味は無くなった」


 その時、全身の毛が逆立つ感覚が湧き上がってきた。いつまでも謎であったその神の名……英雄ヴォートルが最も欲しがるそれを私達は知りたかった。それは一体何なのか、何を秘めているのか、アダムはなぜ私達でも知り得ないそれを知っているのか。疑問は絶えない。

 鈴宮は口角を上げ、ついて来いとでも言いたげな顔をして廊下を再び歩き始めた。


 ──────────……


「なるほど、鈴宮ヘレナ。何か企んでいるとは思っていましたが、メルと手を組んでいたとは。浅田快斗が生きていたことには驚きましたが、それ以外は至って順調ですね」


 執務室にてその男は、背もたれに体重をかけて天井を見上げていた。焦げ茶色の短髪に、目尻の下がった淀んだ茶色の瞳をしたアダムは楽しげに笑う。耳につけた小型マイクからはアルマ達の声が流れていた。


「『赤ずきん』、『しっかり者のスズの兵隊』、『ハーメルンの笛吹き男』……どの童話もいいですね。ジェスターの伝記は所詮、粗悪品ですから消し去るのもありでしょう。さぁ、僕の右腕、君は誰の血を望む?」


 アダムは隣に立っていた金髪の長い髪に、赤い瞳をしたエリザベートは紅潮した頬を両手で押さえる。


「『赤ずきん』がいいわ。彼女の血は優秀なのよ? それに、私は若い女の子が好きなのよ」


「それはいいですね。さて、機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナの所で待っていましょうか。を呼び寄せるにはいい餌になるでしょう」


 アダムは黒のフードを深く被り、不敵な笑みを浮かべたまま執務室から出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る