第28話 記憶と向き合う

「ジェスター……この窓から見える視点は一体誰の目線なんですか?」


「なんや? まだ寝てたかったんか。この視点はな、ジェスターや。あんたは能力さえ分かっていればどうってことないけど、その獣人特有の身体能力が邪魔なんや。ま、あの桃瀬ってやつも獣人……もしくはそれ以上の身体能力があるけど、大丈夫やろ」

 ジェスターは自身の左手の甲に触れながら答える。本当に、とんでもない奴だよ。テュランが足と腕を持って行かれ、逃げることすらままならない様子をわざと見せつけるのだから。

 動かない手足に力を入れるが、込めた力はすり抜けるかのように抜けていく。


「にしても、ほんま地獄やで。俺はな、どっちが勝とうと興味ないねん。なにしろ、俺の回想録メモワールはジョセフ・グリマルディ、遥か昔に存在した英国に名を残した俳優。最期は悲劇そのものだった……だが、彼も俺とおんなじなんや。誰かを楽しませる舞台で演じるのが役目なんや」


「その舞台がこれですか。なんとも役者……いえ、道化師はとんでもなく虚しい存在なんですね。死体の山に登って演じるのがそんなに楽しいのですか?」


「言うてくれるやん。人殺しは確かに嫌や。せやけどな? 生きていくには金が必要で、金を得るには少し手を汚す必要がある。国同士の喧嘩で負けた奴は自分を守るために存在を消し、敵であった国に移り住む他ない。泥水を啜り、空腹に喘ぎ、他者を愛する前に自身を愛することに手一杯。そんな敗北者に残されたのは、たった一つの希望と手を差し伸べてくれた神のみ。勘違いすんなや? 俺は狂信者じゃない。結果よりも過程を重視したいだけなんや。他の奴らは俺みたいに甘くはないで」


 低く、怒気を帯びた声でジェスターが窓の外を眺める。こちらに警戒していないのか背中を向け、しきりに左手の甲を見る。

 ビースト化……これ以上使えば体の一部が獣になるかもしれない。が、しかし、ここから抜け出すにはそれしか方法はないだろう。本部はシェヘラザードとピーター・マシューさんがいるはず。ならば、私は民を守るのが先だろう。


「どこまでいっても屑な人ですね。そしてとても合理的です。勝算のある方につくのは蝙蝠こうもりとしては正しいのかもしれません。ですが、所詮はどっちつかずの蝙蝠です。そんな馬鹿者は食われるのがオチですよ」


 一部分だけビースト化しようとしたが、どうも力加減ができない。冷静でいるつもりだったが、テュランやヘイトリッド、花神が傷つく光景に悔しく、怒りを覚えていた。抑えていたつもり……で終わっていたらしい。ゴワついた手でナイフを握り、すくっと立ち上がる。やはり、彼は私と似たような能力持ちか。


「こう見ると、ほんまにバケモノ同然やな。やっぱり、似たような能力同士やから気づくのも早いな」


「あなたの左手の甲と私の左手の甲は同じJOKEと書かれています。おそらく、JOKEと同じ場所に書くことによって、相手に幻影を見せる事が可能なんですよね? よって、あなたもまた幻影で、私は何かに閉じ込められている。違いますか?」


「ほぼ正解や。俺もぬいぐるみ兵も毒ガスもぜーんぶ幻影。せやけど、ここから見える景色は真実や。ようやく、お目覚めの時間みたいやな。ま、十分時間は稼げたしアダムの旦那も用事をすましたやろ。また会おうなぁ」


 ジェスターは優雅に手を振り、仮面を口元まで外して聞こえやすい声で私の名を呼ぶ。


「メイジー・シャルル」


 血が僅かに出る程度にナイフを手の甲に刺し、JOKEという文字を消す。辺りは音も立てずに崩れ始める。幻影の欠片はトランプカードとなって散り、視界を赤と黒の記号が埋め尽くされる中、一枚のスペードのエースが血で汚れた手の甲に落ちてきた。理由もないのに銀色の毛がゆっくりと立ちがある気がした。


 忘れていた記憶じゃない。閉じ込めた記憶なんだ。メイジー・シャルルは大神アルマになるために捨てた、過去の私だ。


 ────────…


「……アルマ、アルマ!」


 呼ばれ慣れた私の名が聞こえ、重すぎる瞼を開ける。焦点が合わず、ぼやけてグラグラと揺れている。数秒経つと、私の名を呼んだ者の姿がわかった。


「ピーター・マシューさん?」


 少しくすんだ橙色の髪に黒い目。その目には大きなダイヤの形をした瞳孔があり、星空のような瞳にも見える。耳は人よりも尖っており、異質な雰囲気を醸し出している。何十年と変わらぬその青年の姿は私よりも若く見えた。


「うむ、余はピーター・マシューだ。しかし、アルマも大変だったなぁ。まさかあのジェスターとかいう道化師に捕まるなんて……ここがどこか分かるか?」


「ここは、ストーリア本部でしょうか?」


「意識はしっかりしているようだ。死への恐怖心を知らないバケモノがストーリア本部を襲ってきたが、シルト達の活躍もあってなんとか倒せた。シェヘラザードの奴はまだ戻っておらんがな」


 ストーリア本部の美しい内観は戦いの跡が壁や床、天井にも残っていた。血の臭いも充満している。してやられたわけか。避難シェルターにも入れず、治療を受けられない市民や怪我を負ったストーリア所属の隊員が床で救護を待っていた。

 そうだ、テュラン達はどこなのだろうか。


「花神はつい先程病院へ運ばれた。なにせ出血が酷いそうじゃ。ヘイトリッド達は……まだあの怨毒と闘っておる」


「そんな!! 私、行ってきます。このままだと彼らは死んでしまいます!」


「余もそうしたいが、ここを離れるわけにはいかない。アルマ、お前さんも怪我人。自分の目を見てみろ。ビースト化を使いすぎだ」


 手渡された鏡には、狼の如く鋭い眼光をした自分がいた。もう、手遅れなのかもしれない。ここまで来るともう戻れる事はないだろう。ビースト化を短期間で何度も行うと体が獣に戻り始め、最後には理性を無くす。怨毒同様に治す方法はないのだ。

 しかし、それでも行かなければならない。もう十六年前のように目の前で誰かが死んでほしくない。ようやく見つけた仲間なのだ。引き金を引けず、父を苦しませ、母を見殺しにした。だから私は……


「行きます。メイジー・シャルルは十六年も前に父が怨毒化し、逃げることすらしなかった私を庇って母は父に殺されました。その時の父の遠吠えはとてもかなしげだったのです。あの怨毒は十六年前とよく似ています。メイジー・シャルルは後悔し、大神アルマとなっても後悔しています。もう、誰も悲しませない、殺させない、後悔させたくはないのです」


「……思い出していたか。本当は人手があったほうがありたがたい。が、アルマが行くのなら仕方がない。真のヒーローというものは自己犠牲の精神ではない、自分も相手も救ってこそのヒーローじゃ。必ず戻ってこい」


 マシューさんが強い瞳で私を見る。深く頷くと何かを重ねたのか悲しげでありながら懐かしそうに笑みを浮かべる。

 私は近くにあった廃車寸前のトラックに乗り、テュラン達のもとへと急ぐ。


 そんなアルマをピーターは悲しげに見つめていた。


「全くもって、エピソーダーというものは虚しい存在じゃな。エピソーダーとなった者は皆何かを守りながら死んでいく。唯一の形見が娘とその童話とはな……彼女の死が赤ずきんのようにならぬ事を祈るだけじゃ。それが数日、数カ月、数十年先の未来だとしても」

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