第29話 狼親子

 町はなんとも痛ましい状況だった。瓦礫と血の臭いが混じり、つい鼻を押さえてしまいそうになる。逃げ遅れた住民は瓦礫に潰されるか、怨毒に食われてただの肉塊となっている。ウラシマを使って身を滅ぼした黒フードの連中はその力に耐えきれず、穴という穴から血を垂れ流して転がっている。

 もはや道路と呼ぶには程遠い瓦礫の道を私が乗ったトラックが進んでいく。


 窓を見れば死体、死体、死体。まさか都心を狙うだなんて……ストーリア本部に部外者が入る事はできない。シェヘラザードが守りを固めているから普通は入れないが、今回はたまたまシェヘラザードが本部にいない珍しい日だ。これを知る者はほとんどいない。こんなドンピシャで当ててくるという事は……内通者がいるということだ。


 アオオオーン!!


 低く轟く咆哮が近くで響いた。方向は、左からだ。それに、あの遠吠えの仕方は……俺の縄張りだと言わんばかりのものだった。


「どうせこのトラックは廃車。だったら特攻として使おうか」


 アクセルペダルを踏む力を緩め、ハンドルを左に大きく切る。スピードはもとから出ていたため、緩くしてもそこまでは変わらないがこれだと……ギリギリだな。車体が大きいし、少し長いから持ってかれないようにしないと。

 ギャリギャリとタイヤが瓦礫を踏みながら曲がると、スピードが早すぎたせいか片側のタイヤが浮く。体が右へ右へと傾いてしまい、ハンドルを握る手に力が入る。ギリギリだが、いける!


 その時、宙に浮いたタイヤが地面につき、車体が縦に揺れる。私の首は縦にも横にも揺れたせいか、鞭打ちような痛みが走る。だが、目標はもう見えている。あとは突っ込むだけだ。

 黒い体毛に覆われたその狼型の怨毒は背中に一筋の白い毛が生えていた。片手で鬼平の刀を防ぎ、もう片方では亀裂の入ったテュランが握られている。ヘイトリッドは気絶しているのか地面に横たわっている。


「鬼平!」


 私がそう叫ぶと、鬼平はこちらに気付く。猛スピードでトラックを走らせている為、なんとなく鬼平は察したのか刀で防ぐのをやめてテュランを握る腕に斬りかかる。発達した筋肉が邪魔をして切断まではいかなかったものの、皮膚を斬られたことに驚き、テュランを手放す。


 グッとアクセルペダルを踏んだあと、車から転がりながらも飛び降りる。

 案の定、怨毒は向かってきた。動くものならお構いなしの獣か。


「"エピソード──────赤ずきん"」


 トラックはたちまち銀色の鎖へと姿を変え、するりと怨毒の手や体を拘束する。私……というよりシャルル家の血が混じっているから、私の手の内もわかっていると思っていたが、どうやら違うようだ。先に幻影を見せたから信じ込みやすくなった可能性もある。だが……


 想像以上だな。心臓が大きく波打ち、ビースト化を望んでいないのに爪は長くなり、呼吸は荒くなる。おまけに喉が焼けただれたかのような激痛が走る。


「駄犬には鎖を、人に害なす獣には火を。昔から決まっていることです。しばらく寝ていただきます」


 怨毒を拘束していた鎖は赤く燃える火の玉へと変わり、怨毒の皮膚を焼いていく。そこへトラックから拝借した手榴弾を投げ入れた。凄まじい轟音が地面を揺らし、衝撃波を作り出す。怨毒はグラグラと揺れ、焼け焦げる臭いをさせたままその場で倒れる。


「消えない!? それにあの怨毒が流している赤い液体は、血!? 怨毒の魂が還る時、残るのは灰が殆どだというのに」


「やはりそこが気になるよな! 俺はアルマのように鼻が効くわけじゃないが、あの怨毒。アルマを見て、酷く目を泳がせていたぞ!」


 鬼平がテュランを抱きながら話す。かすり傷ばかりで大きな傷はなさそうだが、体力の限界も近いのか呼吸は荒く、汗が頬を伝っている。シャルル家の血が混ざっているからだろうか。本能で動く獣にもどこかに理性があるというのだろうか。


「……思い出した」


 テュランが光の失われつつある瞳を揺らせながら話す。


「僕がこうなる前の魂とやらは怨毒だった。しかもウラシマの実験体のね。そしてあの怨毒も同じ、ウラシマによって怨毒にさせられた被検体の……一号だ。前に報告書を拝借したときに見たんだ。死人の魂、というより記憶を入れ込むには当人の血か親族の血が必要なんだ。入れ物はなんだっていい。それこそ死体の一部でもね。骨格さえできれば残りは肉付けをすればいいだけだから」


 つまり、怨毒が遺した灰や骨に記憶という核を埋め込めば、あとは形を作ればいいだけということか。必要なのは親族の血……今回使ったのは私の血で、あの姿は十六年前の狼型の怨毒とよく似ている。


「あぁ、この世で最も会いたかった人と私は戦わねばならないのですか」


 あれは灰となり、腐りかけた頭しか遺っていなかった父だ。あの墓には母の遺体も眠っていた。魂は一つかもしれないが、あの怨毒は両親の体を一つの体にするために縫い合わされた両親だ。


「アルマ」


「鬼平。私は昔を思い出しましたよ。あなたもヘイトリッドも優しい人ですから知っていながらも、知らないふりをしていたんですよね? もちろん、とても悲しい再会ですが……私はメイジー・シャルルではなく大神アルマです。両親だからといって手は抜きません。もう、後悔はしたくありませんから」


 その時、怪我だらけの手を私の肩に置いた者がいた。振り返ると、髪をかきあげ、血を拭って笑みを浮かべるヘイトリッドがいた。


「ようやく踏ん切りがつきやがったか。お前は俺が初任務で少女の怨毒に剣を向けることに躊躇したときに言ったはメイジー・シャルルとしての自戒の言葉だろ?」


『死を悲しむのも、上手くやれなかったという悔しさも、彼女はあれで良かったのだろうかという心配も、するなとは言いません。ですが、いつまでも引きずらないように』


 あぁ、たしかに。今思えば、あの時にはすでに自覚していたのかもしれない。


「"エピソード──────裸の王様"」


 ヘイトリッドは上裸から黒い軍服に穴の空いた赤いマントと王冠をつけた姿に変わり、テュランの顔を見る。


「お前は強いよな。自分の死よりも、俺達の死に怯えている。ジェスターの言うとおり、お前の魂を還したのが俺だったしたら……二度もお前が苦しむ必要はない。エピソードを使ってここから逃げろ。"王様の言うことは"」


「"絶対です、国王陛下"」


 テュランは奥歯を噛みしめる仕草をし、すぐにパンプキンの上に乗って第二部隊がいるであろう場所へ移動する。


「さて、このままだと援軍には期待できねぇなぁ。アルマのエピソードは使えるとして、俺は無理だな。鬼平の馬鹿力でも通用しなかった。どうする?」


「……ウラシマは一時的に能力を底上げするものです。辺りに倒れている黒フード同様に長くは生きられません。それに、おそらく核となった頭を狙えば弔う事ができるはずです」


「む! これはかなり大変だな! だが、俺達なら大丈夫だ!」


 一体どこから出てくるのだと問いたくなる自信だな。だが、それでこそ鬼平。本当に彼は誰よりも折れず、純粋な正義をもっている。


 怨毒は目が覚め、ゆっくりと立ち上がり天に向かって咆哮する。悲しみ、苦しみ……そんな咆哮に声が聞こえた気がした。獣人族にしか伝わらない言語で。


「お父さん、お母さん……会えて良かったです」


 転がっていた瓦礫をいくつもの猟銃に変え、宙に浮かばせる。両親の形見である赤い頭巾を深く被り、剣を抜く。


 最終決戦だ。

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