第78話 泡沫に包まれた真実

「姐さん、なんで童話語りしないんです? 僕、結構好きなんすよ? 人魚姫」


「あら卯月……じゃなかった、天ちゃん。お仕事サボって海岸お散歩?」


「そう出来たらいいんですけどねぇ。組長が少し遅れるって事を伝えに来たんですよ。で? 童話語りの理由は?」


「そうねぇ……私達は始祖のエピソーダーだけど、真のエピソーダーではない。童話というものは知られるまでに多くの年数を重ねる必要があるの。噂話から母親から子への教訓。そして民話から世界が知る童話へと移り変わる。私は既に知られている童話を与えて貰ったにすぎない。いや、貸して貰ったというのがしっくりくるかも」


「えーっと? つまり?」


「うーん、本の所有者って誰かに貸しても変わらないでしょ? 私の本を天ちゃんに貸しても、天ちゃんの本にはならないでしょ?」


「まぁ、そうですね」


「だからいずれ私達は返す日が来る。まぁその日が来たらこの世界は終わり、元の世界に戻るわ。それがホントかウソか知らないけど。だから、純粋なエピソーダーは何者にも縛られない真のエピソーダーなのよ」


 その時、姐さん、水瀬マーシーさんはどんな顔をしていたのか。よく覚えていない。その数日後、幼いマリーナを置いて死んでしまった。


 浦島を目の前にして何故あの日のことを思い出したのかは分からない。だが、変なことを思い出したせいで浦島の機嫌を損ねてしまったようだ。陶器のように脆くなった顔は一部欠損しており、そこからは透明な液体が流れ続ける。これで顔が僕より整っていたら陶器の人形だと表現出来たのに……お気の毒様。


 心の中で微かを笑みを浮かべていると、浦島は手を招く。目が慣れてきたとはいえ真っ暗な空間ではほとんど見えていないに等しい。1歩も動かず、しまった刀に手を置くと浦島はため息をつきながらも指を鳴らす。すると、チョウチンアンコウ達が現れて薄い光で空間を照らした。アンコウ達の導きについて行く他ない僕はピシャリピシャリと音の鳴らしながら歩く。


「それにしても、まさかあなたがハト・・だったとは……少し大胆に行動しすぎなのでは?」


「こういうのはコソコソしてる方が怪しくみえるもんさ。人脈と顔は広ければ広いほどいいんだぜ」


 ふんっ、と浦島は鼻で笑う。こいつから聞ける情報はもうないな。内通者に関しては知らないようだし。まぁ、あの場所を知れただけでも及第点としよう。あとはこいつを殺して、とっととこの竜宮城から出ることにしよう。油断した浦島は僕に背を向けてどこかへと歩き続ける。持ってきていた銃を慎重に取り出し、ゆっくりと安全装置を外す。


 幸いにもビチャリビチャリという音が響いて浦島は振り向きもせずにどうでもいい話を振り始めた。距離は50センチ、30センチと近くなっていき、警戒心の欠片もないのかほぼゼロ距離まで近づいた。終わりだな。引き金に指を掛けたその時、鈍く光る何か鋭利な物が銃を弾き飛ばした。


 指から離れた事による痛みが走ったが、すぐにそんなものはどうでも良くなった。数センチ程度の水たまりから現れたのは、紛れもないあのお嬢だったのだから。


「卯月さんは手を出さないでください。魔女との契約は絶対なんです」


 赤く緩やかなカーブをした髪は水を弾き、弾かれた水は玉となってお嬢の髪を滑り落ちていく。薄い水色の瞳は強く、魔女と呼ぶに相応しい冷ややかなものが宿っていた。そして、赤と黒の混ぜられた着物で大部分は隠されていたが、首元には青い紋章が刻まれていた。痛くもないはずなのに、それは痛々しく淡く光っていた。それは、姐さんが死ぬ前と酷似していた。


「水瀬マリーナ……水鏡を使ったのですか」


「あれ水鏡っていうんだ。それにしても便利なもんだなぁ。竜宮城っていうのは……だってお姫様扱いされるもん」


 口角を異常なまでに上げ、細めた目と声で浦島を嘲笑う。それはとても愉しげで、悪役に相応しい笑顔であった。浦島はピシリピシリという音を立てて顔や体に亀裂が走る。神聖視している乙峰と積極性だけが取り柄みたいなお嬢はあまりにも違いすぎる。やつが怒るのも納得だ。ただ、お嬢の登場は予想外だったな。


「乙峰姫花、これ助けられそうにないんだけど? あいつの意思で竜宮城ここを消さなきゃ怨毒化は止まらない……その目は意地でも止めろってことか。しょうがないなぁ」


 後ろには誰もいない。それなのにお嬢は虚空に向かって話しかける。幻覚か? それとも本当に……


 ゾクリ


 何かわからないが、悪寒が走る。見られているような、睨みつけられているような……あるいは好奇の目で見られている。そんな気がした。感じた視線の先にはお嬢がいるだけで、他に誰もいなかった。まさか、本当に乙峰姫花がいるのか?


「力づくで、ですか……いいでしょう。あなたは人魚で水中の中でも生きることが可能です。ただ、そこの男は人間ですよ? 私の想像と命令一つで竜宮城は沈みますが?」


 亀井はクツクツと笑い、頬に手を当て腕を組む。正義感の強いお嬢の事だ、僕達が犠牲になる選択肢は取らないだろう。取れば確実な勝利だがな。まぁ、いざとなれば俺だけ残ってここを沈めるのもありだがな。お嬢はフンっと鼻で笑い、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「あーはいはい、沈めれるもんならどうぞご勝手に。あんたに海を操る能力があればの話だけどな」


 ニヤリと笑うお嬢は何かを知っているようだ。『浦島太郎』の能力が自身の海を創ることが出来るというものだ。それが出来ないなんてどういことだ?


「あんたは海亀だ。相手が竜宮城の敷地に入ると宮城へと運ぶことができる。強制的にな。それがあんたの能力だ。乙峰は教えてくれなかったけど、私達以外にいたんだろ?」


 亀井の顔は醜く歪む。それと同時に支えていた何かが弾け飛んだかのように、暗闇の部屋はカシャンという割れる音を立て、光が包み込む。突然の明転に目をくらませていると、何かが頬を撫でた。指ではない、濡れた布に近い不快な感触だ。そっと目を開けると、あまりにも荘厳で、おぞましくて、決して味わうことの無い非日常がそこには広がっていた。


「海の神の間に生まれし乙姫、珠のような肌と冷酷なる思考を持つ我らが姫」


「誰が神の子に逆らうか」


「誰が彼女を裏切るか」


「惜しい、惜しい、命は惜しい」


「母なる海は彼女のそのもの、母なる海は我らが故郷」


「付き従わぬ者は生物にあらず」


 不気味な歌が木霊する。周りにいるのは極彩色の魚達と二頭の白い鯨。彼らは意思がないのかただ永遠に空間をグルグルと回っていた。白い小石で出来た渦模様の床、揺らいだ湖面は鏡のようで見上げる僕達を映していた。その時、亀井の顔は青ざめてはガクガクと震えていた。


「私は、あのお方が嫌いだ。心の底から殺してやりたいと思っている。歪んだ愛なんかじゃない。あのお方からの寵愛が無ければ私達は生きていく場所がないんです……私は乙姫が望む人間を傷つかないように運ぶのが役目……私の先代は乙峰様、水瀬マリーナ。あなたにも聞こえるはずです、先代のエピソーダーの声が!!」


 亀井が腕を伸ばした時にはもう斬っていた。透明な液体が飛び散り、刀の感触は肉ではなく発泡スチロールのように軽く、中身の詰まっていないものだった。


「組長の子に触れるな。ギャンギャン騒ぐだけならその首とってもいいな?」


 お嬢を後ろに隠し、刀を向ける。奴の場所が知れただけでも良しとしよう。こいつにもう用はない。正気を失って叫び続ける亀井に近づこうとすると、隊服を強く引っ張られる。


「聞こえる、私にも聞こえるんだ……先代の、母の声が」


 困惑、恐怖、焦り、昔の事を思い出した小さな子供のように震えてはいるがその目は明らかに知りたいというものだった。


「乙峰様は怨毒化を促す薬物、ウラシマを私に飲ませた。乙峰珠也……というよりそれに変装していたアダムが創り出したウラシマを元に作っていた。私は、それの実験体だった。最初はエピソーダーの血が思うように集まらず、自身の血も混ぜていた。たまたま私はそれを飲まされ、怨毒ではなく『浦島太郎』というエピソードに選ばれた」


 亀井はポツポツと話し始める。なんら特殊な話でもない。珍しいが、稀にエピソードと適合してエピソーダーになった英雄ヴォートルも居たとの報告がある。また、エピソードが受け継がれていないにも関わらず、一つのエピソードから複数のエピソーダーが現れることもある。その事例が……戦死したイル・オデットと敵として対峙したロッドバルトだ。


「しかし、立場は乙峰様の方が上です。私はただの案内人。なにも逆らえなかった、乙峰様が死ぬその時までエピソードを独占することが出来ないと思っていました。だが……実際は死して尚、乙峰様はエピソードの中に含まれている。私の中で生き続けています。乙峰様からの寵愛がなければ私は生きていけない。乙峰様の亡骸を愛おし、丁重に扱ってきました。愛してなんていないのに……でも、私は乙峰様がいないとエピソードも使えないただの凡人。生きたい、生きたい! 私は死にたくない!」


 童話としての運命に抗う事の出来なかった者の悲痛な叫びであった。それは全エピソーダーがぶつかり、乗り越えることの出来ない現実に嘆く言葉であった。生きたくとも生きられない、死にたくても死ねない。逆らいたくても逆らえない。ただ、その与えられた設定と役に徹することしか出来ない。お嬢のようなメルヘンズなら尚更だ。これ以上、お嬢を脅かす訳には─────」



「乙峰は私にあんたを救ってくれと言ってきた。だから私は救う」


 芯の強い声だった。どんな荒波の中でも響くような強い声だ。


「最初こそ、彼女はあんたを利用していたが次第に怨毒となり、傷ついてヒトでなくなっていくあんたを見て心を痛めたんだろうな。彼女はクソがつくほどの人間だが、彼女はこれは望んでいない何一つとしてな」


「は? うそ、だ」


「乙峰に力はもう残っていない。無い鎖に縛られているだけなんだよ。残っていたら既に竜宮城なんて消してるはず。これは全てあんたが創ったんだ。彼女はもういない。受け入れろ」


 お嬢の視線が横に移動し、つられて移動すると白い花に包まれた綺麗な遺体があった。それは彼が創り出した乙峰姫花の遺体だった。


「乙峰、様」

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