第79話 潜航せよ

「地上は息をしている気にならん。わらわにとってここは騒がし過ぎるのじゃ。あの人に従わぬと乙峰家は没落の一途を辿る。深海に引きこもりたいのぉ」


「乙峰様、深海に行ったことあるのですか?」


「あぁ、わらわの能力は海を創ることじゃ。深海には行ったことはないが、深海に竜宮城を創ることは可能……そうじゃ、亀井。おぬしは私の後にエピソーダーとなった後継者じゃ。もし、私が亡くなればこの能力はおぬしのものとなるじゃろう。その時は……深海にでも竜宮城を創ってくれ。わらわの亡骸を知るのはおぬしだけ、おぬしだけが悲しめば良い」


 乙峰は悲しげな表情ではなく、楽しげで安心したような笑顔を亀井に向ける。未来になんの不安はない、そういった表情であった。


「楽しみにまっておるからな?」


「……縁起でもないこと言わないでください。ですが、それがあなたの望みとあらば、この身が滅びようと叶えてみせましょう」


 ───────────……

 〜マリーナ視点〜


 泡沫が弾けた。呪いだ、鎖りだ、運命だと思っていたのはただの泡沫だ。知りたくない、理解したくない事実を全て泡沫に詰め込んだのだ。


 亀井はふっくらとした白肌を持つ乙峰の遺体に触れる。


「なるほど、私は認めていなかっただけなのですね。これは乙峰様が叶えて欲しいと言っていた夢を叶えていただけなのですね」


 涙も浮かべず、安心したような顔を浮かべる亀井はゆっくりとこちらを見やる。


「乙峰様は決して褒められるようなお方ではありませんでした。ヒトを騙し、薬漬けにし、家畜同然の扱いをして実験を繰り返していました。自分の利益のためだけに……ただ、私は乙峰様に拾われただけで今まで良くして頂いた。世界に恨まれる人間であろうと、私だけは傍にいないといけないのです」


 今まで彼を覆っていた靄が全て消えたかのように清々しい微笑みを浮かべていた。だが、もう遅い。肌は黒くなり始め、右目は紫色に変わり始めている。限度を超えた、いや限度なんてとっくに超えていたんだろう。ただ、守る約束も主も失った彼は抗う事をやめたんだ。


「……ここには、アダムことティモシーがよく来ていました。それとドミニクも」


 衝撃の発言に思わず肩が揺れる。竜宮城はもう鈍い音を立てて壊れ始めているというのに! なんでもっとそれを言ってくれなかった!


「地下で何かしていたようです。地下を創った記憶はありますが、あそこはただの地下牢。特に物も置いていないのに、何故やってくるのか私も謎でした」


「様子を見ようとは思わなかったの?」


「えぇ、まったく。覗くな、聞くな、振り返るな……これらを守れば実害はありませんから。最初は私を殺すために来たんでしょうが、急にヒトを攫って地下に入れろだなんて言うもんですから。逆らえばこの竜宮城ごと消されると思って大人しく従ってました。さて、出口はそこの海亀が教えてくれるでしょう」


 現れたのはヒト一人は乗れそうな大きな海亀であった。流し目でこちらを見つめ、そのまま泳いでいく。方向は……湖面のようになった天井?


「天井は水鏡で、向こう側は海となっています。出るのは容易ですが───────」


「いや、まだ出れない。ツクルとアヤメがいないんだもの」


「それとワイアットもな」


 ボソリと呟いた卯月さんに視線を向ける。向ける速度は脊髄反射並の速さであった自信がある。


「お嬢が帰ってこないもんで応援を呼んだ。睛ちゃんズも一緒だと思うぜ。そして困ったことに出口は上なのに三人は下にいる」


「なんでそれをもっと早くに言わなかった!? 海面まで誰が連れてくと思ってんだ!」


「ん? そりゃ、泳げるお嬢に決まってんじゃん。僕はカナヅチなんだから」


 ニヘラと笑って申し訳ないという態度すら見せない卯月さんを殴り飛ばしてやりたい。男二人に小児二人を抱えて上に上がるとか無理なんだけど。沈み始める竜宮城に三人も置いていける訳もなく、穴の空いた床が視界に映る。あそこから下に向かえば……


「安心してください。お仲間なら来ますよ。どうやら、地下牢に仕掛けられていたのは怨毒だったようです」


「何を言って────────」


 その瞬間、下から何かが上がってくる轟音が響く。恐る恐る、穴の空いた床を見てみると噴水のように押し上げてくる大量の海水と、赤く大きな鳥に跨ってこちらに逃げてくる三人がいた。


「あ、マリーナだ。なんか赤い」


「マリーナ、なんか赤い着物になってる。髪色も相まってうるさいね」


 ツクルとアヤメは焦ることなくヒトの姿を笑ってきやがる。子供は嫌いだ。

 ワイアットがおそらく創り出したと考えられる赤く煌びやかな怪鳥がどんどん近づいてくる。まさか、まさかまさか!! このまま床を壊してこっちにやってくるつもり!?


「ちょ、ワイアット! 絶対突っ込んで来るな!」


 響き渡るほどに叫んだ私だが、ワイアットは笑みも浮かべず、少し張った声で答えた。


「無理」


 いつだって彼の言葉はストレートで重みのあるものだったが、今回は特別重い気がした。怪鳥が赤い嘴を大きく開ける。その口腔内には青い炎が灯るのが見えた。


「下がれっ!!」


 腕を横に振り、近くにいた卯月さんと亀井をその場から離れさせる。その直後、青い火柱が登り、床はボロボロと炭のように崩れ落ちていく。あれに直撃してたら……いや、考えるのはよそう。とりあえず、これで人は揃ったから水鏡を通らないと。


「下、怨毒、追ってくる」


 怪鳥の姿は霧のようになって消え、ワイアットがここから離れるように指示する。ちらりと見えた海迫る床下には黒い塊がわらわらといた。あれ全部怨毒? なんでこんな量の怨毒がっ!


「水瀬さん、これを」


 焦っている時に亀井から渡されたのは一冊の本だった。タイトルは『浦島太郎』。これは、ただの本じゃない。エピソードだ。亀井の顔はもう黒く染まりつつあったが、どこか清々しそうなものであった。


「おとぎの後継者、その名に恥じぬ者を探してください。私はこの竜宮城と共に沈みます。さすがの怨毒も海底で生きることは不可能ですから。それでは皆様、良い人生を」


「待っ─────────」


 無数の小魚が視界を奪い、体が浮くような感覚に襲われる。小魚の隙間から見えたのは怨毒となり、呻き声をあげる亀井と朽ち果てつつある乙峰の死体だけだった。気づいた頃には体はもう硬い鱗と鋭い爪をした仰々しい人魚の姿に変わっていた。あまりにも静か。


 聞こえていたはずの魚が水を着る音も、崩壊する竜宮城の悲鳴も、亀井の呻き声もなにも聞こえなかった。周りには海上を目指す卯月さん達がいるだけであった。悲観的になるの後、まずは皆を上に連れていかないと。


 ツクルとアヤメを両腕に抱え、卯月さんとワイアットは適当にしがみついて貰う。尾鰭で水を蹴り、体をしならせながら海上へと目指す。もう辺りは夜になっているのか海は暗く、月の僅かな明かりが照らす。


「ゴホッゴホッ、ヒュ……ゴホッ」


 私以外の4人が海上で息を吸うなり咳き込む。顔だけ海の中に突っ込むと、既に竜宮城は消え、下には苦しそうにもがいては砂となって消えていく怨毒がそこにはいた。今までの事が夢だったのではないかと思うほどの何も無い光景。本当に浦島太郎になった気分だ。手元にあるのは玉手箱じゃなくて『浦島太郎』の本だけど。


「マリーナ、早く岸に連れてって。私たち泳げない」


「はいはい、そんな目で見ないでねー」


 ツクルとアヤメを抱えたまま岸へと泳ぐ。卯月さんとワイアットは私の腕に捕まったままだ。ブルー地区のエピソーダーがこうも金槌集団だなんて……というか男二人引っ張るのキツい!


 ヒィヒィいいながら引っ張り続け、ようやく岸に着くと既に待機していた第一部隊の隊員と鬼の形相をしたダディがいた。あの顔は、私が夜遊びした挙句、酔っ払ったおじさんと麻雀しかけた時の顔より怒ってるな。なんでそんなに怒ってるのか……それにしても隊員も物凄く驚いているような。


「マリーナ、知ってる?」


「なにが? ツクル」


「浦島太郎は玉手箱を開けておじいさんになった。その解釈は竜宮城と地上の世界で流れる時間はあまりにも違うからっていうのが有名。私達は浦島太郎なんだ」


 ツクルは顔色一つ変えなかったが、私の顔はより青くなっていただろう。つまり、私達は一日ほど行方不明となっていたということだろう。人魚だけど、汗をかいている気がする。


「マリーナ、卯月、ワイアット……後で私の部屋に来るように。もちろん、お前達が受け持つはずだった任務を肩代わりした隊員にもきっちり謝罪するように。私の忠告の後にな」


 忠告じゃなくて説教じゃないか! 他の隊員から服を手渡され、渋々と誰もいない岩陰に隠れる。しかし、不運なことはまだ続いた。


「ない、ないない! う、嘘だ……亀井から貰ってきた本がない!」


 海にでも落としてきてしまったかもしれない。今から泳いで取りに? いや、それこそダディの鉄拳が降り注ぐに違いない。頭を抱え、唸り続けていると岩場にある岩を破壊する音と共に嫌な雰囲気が漂う。背筋を這い寄るのは海水ではなく、自分から分泌される汗。体が震えるのは寒さではなく恐怖によるもの。ゆっくりと振り返るとそれはいた。


「マリーナ、そこで時間稼ぎしても意味が無いぞ。朝までコースから昼までコースに変えたいのなら別だがな」


「ひゃ、ひゃい」


 岩を握りつぶし、青筋を立てたダディの姿はまるで鬼。蛇に睨まれた蛙は恐ろしさ故に食われることに抵抗しない。今なら蛙の気持ちが分かるよ。無論、私達はみっちり朝までダディの叱責と肩代わりした隊員への謝罪で夜は更けていった。


 ──────────……


 ピアノの旋律が響く。セレナーデのように誰かを想い、頬を撫でるような甘いものではなかった。重く、悲しくのしかかるような低音とゆったりとした曲調が空間を支配する。


 誰もがその旋律を耳を傾ける。


 何故か。


 それは神の調律であるから。


 しかし、音はピタリと止んだ。演奏の主であるティモシーの顔は誰が見ても不機嫌といった顔であった。眉間に皺が寄り、唇が少し飛び出てため息をつく。そこにドミニクがやって来て、ティモシーの背中に自身の背を預けた。弟の接触により、ティモシーは驚いた顔をしていたが、すぐにアルカイックスマイルへと戻る。


「兄さんいつもそこで止まるよね。やっぱりサミュエル兄さんがいないから?」


「そうですね。本来ならば彼と連弾してドミニクが横で聴くのですが……どうにもここから先は弾く気になりません。どうやら飽きてしまったようです」


「……そりゃあ何百回と繰り返してるからね。でも、僕はその後が聴きたいよ。何百回でも」


 その言葉に返事はなく、目尻を下げたまま笑みを浮かべただけであった。そこに、一人の男がやってきた。


「ティモシー、持ってきたぜ。例のものをな」


「あぁ、浦島太郎のですか。あれの竜宮城は研究に持ってこいですし、始祖の怨毒はその初代のエピソーダーですから怨毒化がしやすいんですよ。そろそろ器の替え時と思っていたので有難いですね。穏便なやり方で童話を継承出来るのですから」


 男から受け取ったティモシーは笑みを浮かべる。そして本をパラパラと捲った後に、パンと本を閉じる。


「おめでとう。これで君も正式なメンバーだよ。天衣卯月・・・・くん」

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