第70話 神の弟

 ダリアはまるで置物のように動かなかった。それが気に食わなかったのか、ジェスターが操っていた茨がダリアの顔を掠めた。布は千切れ、継ぎ接ぎだらけの『醜い』という部類に入る顔が晒される。


「お前、本当は誰なんだ? 報告書の書き方が少し違う。2年前までは主観的なものより客観的な書き方が圧倒的に多かったが、それ以降は主観的な書き方が多くなっている。その顔の傷も別の理由があるんじゃないのか?」


「……はぁ、何年か頑張って来たつもりなんだけどなぁ。ここまで疑われては何を言っても信じてくれなさそうだから、正体だけは明かすとするよ」


 ダリアは両手で顔を覆う。次に両手を顔から話した時には全くの別人がいた。黒髪に金の瞳、そして中性的な顔立ちをした存在感のある人間……あの金の瞳はサミュエル、ティモシーと同じだ! 組長の言う通り、創造神は二人兄弟ではなく三兄弟だったか。こいつが、ドミニク!


「やっぱり、ジェスターどころか水瀬創一や天衣卯月にもバレてたか。そ、ボクの名前はドミニク、三兄弟の末っ子だよ。ジェスター、君が怒るのも分かるけど何も君の仲間を薬漬けにしたのはボクじゃない。本当のダリアがやったのさ」


「本当のダリア?」


「そうだよ。まぁ、もちろん死んでるけどね。あとさ、せっかく話すと言っているのに茨で首を締めるのやめてくれない? 殺すなら殺すでいいけど、兄さんは許さないだろうけど」


 茨の棘がゆっくりとドミニクの首を締めていく。チラリとジェスターを見やるが、どうやら止める気はないようだ。こいつを殺して元凶が出てくるのなら殺ってもいいって感じか? 仮面の下からはボタボタと血が垂れてるのに気にも止めていない程だ、説得しても無駄か。


 その間にもドミニクの首からは血が流れ始め、粗い呼吸音が微かに聞こえ始める。僕達の本来の目的はダリアの正体を暴き、ドミニクを拘束する事。殺されるとまずい……


「ダリア様?」


 やってきたのは孤児院にいた子供達と相変わらず顔色にひとつ変えない睛ちゃんだった。ドミニクは名を呼ばれ、目を大きく開けて驚いていたがすぐに元の気だるそうな顔に戻る。だけど、ほんの少し優しそうに見えるのは気のせいか?


「いつも、ここには来ちゃ駄目だって言ったよね。ボクは創造神じゃないんだから、いつだって君達を救えるという自信はないんだ」


 ドミニクが茨を撫でるように触れると、いつの間にか茨は消え去っていた。瞬きよりも早く消し去った? 孤児院を覆うほどのあの大量の茨を? しかもジェスターが操っていたものだというのに。ドミニク、なにが創造神じゃないだ、十分に化け物みたいな力を持ってるぜ。


「長男ティモシーは物語を書き換えることを得意。次男サミュエルは物語を創る事が得意。三男ドミニクは物語をより刺激的なものにし、本にする事を得意とする。だからボクは茨を本に閉じ込めたのさ。ついでに書かれてた変な文字も消しておいたよ」


 見せてきたのは確かに茨の描かれた紙だった。白黒ではあったが明暗がハッキリと分かれていながらあまりにもリアルで素直に上手いと思ってしまった。ドミニクは平然とした顔でそれを破り捨てると、一瞬の間に茨の壁がまた孤児院を囲っていた。物体を閉じ込めることも、元に戻すことも可能なのか?


「子供達は未来への投資だよ。いずれこの国は君達、ストーリアだけでは怨毒とそれ以外の怪物を倒すことが出来ないようになる。ボクはそれを何度も見てきたし、何度も味わってきた」


「お前、何言って……」


 ジェスターが会話を遮ろうとすると、いつの間にか子供達が音も立てず彼の周りを囲っていた。たった数十メートル、それだけの距離だがあまりにも早すぎる……!

 この子供達、なにかおかしい。普通じゃない。それぞれの目に宿るドス黒いなにかは人殺しの目と何一つ変わらないものだった。


「ダリアは子供を薬漬けにし、ただ指示に従うだけの人形にした。それが君の仲間だ。この子達もそうなっていた。ウラシマも微量ながらに含まれていたからこの子達も、君の仲間も身体能力が超人的なものになっている」


 ドミニクはゆっくりと子供達に歩み寄り、白く透き通るような手で頭を撫でる。撫でられた子供達の目からドス黒い人殺しのなにかは消え去り、子供らしい明るい瞳となっていた。


「依存性が高いから代わりとして無害で甘い飴を与えているんだ」


「リーラ達はもう、もとのように戻れないのか? 最近、ようやく話し始めたはいいもののブルーノとグレイは話すどころか顔色一つ動かさねぇんだぞ!!」


 ジェスターが血反吐を垂れ流しながら、胸ぐらを掴む。


「薬漬けの時間も長期的で改造されているんだ。無理もない。ボクにはもうどうにも出来ない。敵討ちの相手もいない、そんな血を流してまで殺そうとしたのにね。心中察するよ」


 変わらぬ冷たい表情で思ってもいないようなこと言うもんだから、ジェスターの怒りは頂点にまで昇っているだろうな。だが、あの吐血のせいで頂点にまで昇る血はないようだ。胸ぐらを掴みながら震える様子はまるで小鹿。死のうが死ぬまいが僕にとっては関係のない事だけど、目の前で死なれるのは勘弁───────


「ガハッ……」


 その時、目の前に広がったのは飛び散った血とそれに染まった赤い茨。そして腹部を数箇所茨によって貫かれたジェスターだった。ドミニクがやったのか? いや、そんな素振りは全く見せなかった!


「ジェスター!」


 そう叫び、近寄ろうとするが茨は意思をもった生き物のように僕の足元を張ってくる。どういうことだ、さっきまでは何も仕掛けて来なかったのに!


「なぜ動き出したか……君達、大事なことを忘れているんじゃないの?」


「は?」


 ドミニクは子供達を部屋の中に入れ、怨毒の肩に手を置いた。


「茨は誰であろうと拒絶する。彼女の力と情緒が不安定にならないようボクは蝶よりも花よりも大事にしてきた。それを目の前で血反吐を撒き散らしながら怒号を飛ばすんだ。ボクにはなにも出来ない」


 茨は僕達を捉えようと蛇のように這い、槍のように飛び、視界を赤と緑で覆う。

 結局、こうなるのか。中立だなんだと言っていたから戦闘は避けられると思ったが……仕方ない。


「"エピソード──────天の羽衣"」


 僕は無機物に重力を与えることができる。まぁ、植物は有機物もあれば無機物も含まれている。それでも僕の中では無機物扱いとなっているため、こうなる。


 向かってきた茨は全て地面に食い込む。


「こうなると、アスファルトの上で焼かれるミミズみたいだな。ざんねーん、相手が僕で悪かったね」


 さすがにこの量をやるのは骨が折れるけど、仕方ない。ジェスターのお仲間が茨から守っていたからあれ以上の怪我はないが、出血が酷いな。それにしても今日は災難な日だなジェスター……少し同情するぜ。

 組長の方を見ると、足元には茨の残骸が散らばって少しだけ山となっている。凄まじいな、いつ抜いたのかも分からない刀で無数の茨を粉微塵にするなんて。


「惜しい、実に惜しいよ。ボクは前から狙ってたんだよ。ジェスターの持つ────回想録メモワールに。どうせ死ぬならボクが貰っても誰も文句は言わないよね」


「ドミニク!? お前、いつの間に!」


 怨毒のそばにいたドミニクはジェスターの髪を掴み、ようやく微笑み見せた。ダラダラと流れる血で自分の顔が汚れようと気にも止めないドミニク。そしてジェスターの胸に手を当てたその時、1冊の少し汚れた本の角が見えた気がした。胸部は触れると水面のように波打ち、ドプリという効果音が良く似合う。何度見ても、何度目をこすっても見えるのは本の角だ。


「喜びなよ。これで晴れて君もストーリアの仲間だ」


 口角を少し上げたやつの顔はやはりあの邪悪な兄弟そっくりだ。ジェスターの所までは距離がある、誰もあそこまでは届かない。重力を解放するか? いや、だとしても間に合わない。本はもう半分まで出てきてしまっている!


「……結局お前も外道の血筋が流れてるって訳だ」


 ジェスターの面が外れかけたその時、タイミング良く意識を取り戻した。ドミニクの腕を掴むと、やつの頭上には改造人間である仲間達が既に囲っていた。


「ダリアの野郎には頭にキてる。だがな、俺を利用し、俺の仲間を実験台にし、挙句の果てに物言わぬ人形にしたお前ら兄弟は一度地獄を味わいやがれ」


 ジェスターが取り出したのは仕込んでいたナイフだった。ゼロ距離だ、普通は刺さるだろう。普通はな、そう普通は。


 だが、こいつは神の兄弟だ。


 ナイフは元からなにも無かったかのように姿を消し、ドミニクは無表情のままジェスターの髪から手を離す。飽きた子供のような態度をとってはため息をつく。


「それは残念だ。君は回想録メモワールとエピソードを何度も使用しているから寿命もそう長くはない……不安定な状態を続ければいずれば怨毒になるか、姿を保てず蝋人形のように溶けるのが君の運命。短い人生をごゆっくり」


 ドミニクがそう笑う。背筋に冷や汗が伝うように狂気的で冷たいものだった。金の瞳で絡みつくような視線を向け、一本一本が細い黒い髪が微風で揺れる。他の二人とは違った狂気を感じる。やっぱり、兄弟の末っ子は甘やかされているから"自分は何をしたって兄さん達には許される"なんていう思考回路してるのか?


「そうそう、早く水瀬マリーナの所に行きなよ。あそこ、怨毒のコロニーみたいになってるし、もう一人の睛ちゃんが素直に応じるとは思えないしねぇ。それじゃ、君達には帰って貰うよ」


 ドミニクが言うと塊のようになった茨が僕達の体を包み、叫び声を上げるより先に森の外へと追い出されていた。睛ちゃんもそばにいたが子供達はいなかった。後ろにあるのは不気味な雰囲気を醸し出す森と、森の奥へと戻っていく茨だけであった。


「……ジェスターを病院へ運んでこい。私と卯月、睛は私の娘の場所へと戻るぞ。話を整理するのも考えるのもその後だ」


 組長が少し焦ったような声を出したが、それはすぐにいつもの冷静なものへと戻った。仕方ない、行くしかないみたいだ。本当はもう少しドミニクやダリア、睛ちゃんにも探りは入れたいところだが、仕方がない。

 もう一仕事するか。



 ────────────……


「ドミニク、睛についてなにか分かったことはありますか?」


「あ、ティモシー兄さん。いつから見てたのさ」


 怨毒の髪を梳かしていたドミニクに対し、どこからともなく音も立てずにティモシーは現れた。


「うーん、最初からですね」


「悪趣味だね。はぁ、睛については分からなかった。ダリアが何を吹き込んだのかは分からないけど、あの屋敷を守ってるみたいだよ。屋敷、行かなくていいの?」


「別に困るようなものでもないですからね。ただ、三兄弟の思い出があるだけですから」


 ティモシーがそう貼り付けた笑みを浮かべる。ドミニクの手は一瞬だけ止まり、悲しげな顔を浮かべたがすぐに無へと変わる。


「ティモシー兄さんやサミュエル兄さんが創った訳じゃないんだね。睛って」


「記憶にはありませんね。睛もですが、ダリアがなにか睛に仕掛けた事が気がかりなのですよ。あの男、忠誠と信仰を誓っておきながら裏切りを働こうとしていましたからね。ドミニク、引き続きこの孤児院を頼みますよ」


「分かったよティモシー兄さん」

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