第3話 赤薔薇の姫

 童話戦争が終戦し、血の大地が緑で覆われ、人々の怨嗟が笑い声に変わり、人も国も豊かになりつつあった。

 しかし、全世界である病が突然流行り始めた。その病は肌を炭のように黒く、髪を老婆のように白く、瞳は毒のように禍々しい濃い紫の色へと変わる。人語を訳さず、エピソーダー同等の異能力が開花し、自身の命が尽きるまで暴れ狂う。


 そんな、人を化物に変える病の名を──『怨毒』


 発症の原因は未だに不明で、日々怨毒の数は増え続け、全世界の人口が減っている。ただ死を待つだけであった人々にある一つの希望が立ち上がった。それは、かつて消えたとされた始祖のエピソーダーの子孫……新世代のエピソーダー達であった。

 何十年もの月日が経ち、怨毒を討伐し、怨毒の研究する組織がこの夢のネバーランドでも設立された。その組織の名を『ストーリア』


 ────────……


 匂うのは焼死体特有の鼻にくる匂い、そして鉄の焼ける匂い。赤々と燃えるその建物の中から炭のように黒い肌でありながら、その肌の一部分は裂けており、裂け目からは赤い光が怪しく揺らめいていた。夜に透けそうな程の白い髪は炎の風と共に揺れ動く。瞳は毒々しい紫色をしており、とても静かだった。


 消化活動を行う消防隊と、その消防隊から注意をそらすための新米のエピソーダー達がいた。あれは……すべてシルトが率いる第三部隊の者だな。よく見れば能力者以外の者もいるじゃないか。いくら特殊武器を使っているにしろ少し厳しいのでは?


「第五部隊隊長、大神アルマです。状況は?」


「第三部隊副隊長、尾真田おまだカプリスにゃ。ご苦労様だにゃ。今暴れてる人で最後だけど……どうも自我があるみたいなのにゃ。保護しようにもあの炎の渦じゃ難しいにゃ」


 灰色の猫耳をした猫獣人のカプリスに尋ねる。右目は紫、左目は黄色という瞳で炎を巻く怨毒を見つめる。怨毒は炎をドレスのように身に纏い、赤く燃える炎を薔薇のような形状にしドレスに飾り付けていく。なんとも悪趣味なドレスだな。


「赤く、赤く、もっと赤く。緑でも青でもピンクでも駄目……赤に塗ろう。でないと──────首をはねられる」


 怨毒は淡白にそう呟いた。鬼気迫った様子も、焦った声もなく、読み聞かせでもしているような声と態度だった。

 その時、怨毒の足元にあった炎が小さく揺らぎ、私を含め周りにいたエピソーダー達の喉には血よりも赤い小さな薔薇を象った光が、照らしていた。


「しゃがめっ!!」


 気づいた私がそう叫び、一部の者がしゃがみこんだ。だが、何人かは喉から赤い薔薇のような炎が吹き出して喉焼き切られてしまった。その瞬間だけ、スロー再生のように見えてしまい、脳内で何度かループされる。

 シルトが作り出した氷壁のおかげで私を含めたほんの一部の隊員はなんとか助かった。礼を言う隊員と悔しそうな顔をするシルト。能力を解放する呪文も唱えなかったが為に、彼の両腕には霜がついていた。


「シルト、今は悔やむより怨毒の保護です」


「……えぇ、わかってるわ。"エピソード──────雪の女王"」


 シルトがそう言うと、彼の桃色の右目に雪の結晶の白い紋章が浮かび上がる。今回はまだ理性を保っているようで良かった。また暴れられても困るからな。


「尾真田副隊長。負傷者の救助と消防隊をここから離してください。おそらく水で鎮火するより、壊して鎮火した方が早いでしょう」


「了解にゃ。あとは頼みましたにゃ」


 カプリスが持ち前のスピードで倒れた隊員を救助し、消防隊に離れるように声を張り上げた。私は被った赤ずきんを深く被り、背負っていた二本の剣を抜く。早めに終わらせよう。


「"エピソード──────赤ずきん"」


 右手の甲に赤いずきんの少女と狼が向かい合う紋章が浮かぶ。

 私は渦巻く炎に向かって走り、その奥に待ち構える怨毒を目指すが、炎がまるで手のように自在に動かせるのか私を捕らえようと、軌道を変えた炎が襲う。


「赤く塗ろう。首をはねられないように」


 消え入りそうな声が聞こえ、狼の耳がピクリと動く。喉が微かに熱く感じた。


「ッ!?」


 喉を焼き切られた隊員の姿を思い出し、走るのをやめてしゃがむと、薔薇型の炎が頭上で吹き出したがそれはすぐに枯れてしまった。危ない……あと少し遅ければ喉を焼かれていた。酸素も薄くなってきた、ここにいるだけで肺が焼けそうだ。私のエピソードでこの炎を何とかできるかもしれないが、こうも凶暴だと近付きたくても近付けない。

 賭けるか。


「薔薇を赤く塗らなければいけない、でないと首をはねられる……おかしいですね。ここにあるのは全てですね」


 食いつくことを祈り、声を少し張り上げる。ついには汗も出なくなった……流石に焦るな。


 すると、炎は徐々に落ち着きを取り戻し始め、炎の勢いがかなり弱まった。ボロボロに黒くなった工場があらわとなり、もうじき倒壊することが容易に分かる。怨毒に近付くため、歩くと足元にガラスが落ちていた。ちょうどいい、これを使おう。


「青い……薔薇?」


 食いついた!


「えぇ、そうです。あなたは赤、赤、と言っていますが……これは青です。そして、あなたが出しているのは炎ではなく、ただの花びらです。ほら、これを見てください。花びらでしょう?」


 見せたのはさっき拾ったガラス。青くも花びらにも見えない。


「ただのガラス……青くもない」


「いいえ、これは青い薔薇の花びらです。よく、見てください」


 すると、ガラスは数枚の青薔薇の花びらに姿を変えた。これで落ち着いてくれるだろう。私の能力は物体を別のものに見せること。ただし、相手がそれを青薔薇だと信じればどんな物でも青薔薇になる。信じればの話しだが、今回はうまくいったようだ。


「青薔薇……だめ、だめよ……首をはねられてしまう!」


 渦巻いていた炎が青薔薇の花びらにいっせいに変わり、工場全体の炎が花びらに変わってなんとも幻想的な光景に変わる。怨毒が着ていたドレスも赤から薔薇付きの青いドレスへと変わる。喉を焼く程の乾いた空気と炎がなくなり、ようやく呼吸ができる。

 私は、青薔薇の花びらを踏みながら泣き崩れる怨毒の前に立つ。声を聞いてもらう為、私はしゃがむ。銀色の尻尾には数え切れない程の青い花びらが纏わり付く。剣は……必要無かったな。


「安心してください。私は狼です。人を食らい、いたいけな少女でさえも騙し食う狼です。あなたの首を狙う女王にも噛みついて見せましょう」


 ギラついた歯を見せながらそう言うと、怨毒はこちらを見る。怨毒……いや、彼女というべきか、今回の怨毒はどの例にもないほど自我があった。もしかしたら怨毒化を食いとめる何かが彼女にはあるのかもしれない。

 よく見ると、彼女の白髪が頭頂部から茶髪に戻り始め、インクのように黒い肌は徐々に肌色に戻り始めている。


 私が差し出した手のひらに、彼女は自身の手のひらを乗せようとしている。震えてはいるが、明らかに自分の意思だ。


 希望が見えた。彼女に何か秘密がある……それさえ分かれば、もう殺さなくても良くなるんじゃ──────だが、そんな淡い希望は打ち砕かれるもの。


 冷たい銃声音が響き、彼女の手が大きく揺れる。そして、彼女は手を差し出したまま赤い液体を吐き出し、体全体に赤薔薇の形をした何かが覆っていった。


「おか……さん、おとう、さん」


 喋るのも困難になった彼女は最期にそう言い残し、足先から順に無数の赤薔薇の花びらへとへと変わっていき、最後には彼女がいた場所だけが赤薔薇の花びらが散らばっていた。

 射線は斜め上からだった、わずかにではあるが、火薬の匂いはする……一体誰が? 内部の者か? それとも外部か?


 剣をもう一度抜き、匂いがする方向へ走り出そうとした。


 しかし、どうにも足が動かなかった。


 それもそうだろう……だって、火薬の匂いをさせた犯人がわざわざこちらまでやってきたからだ。


「黒い、ローブ?」


 そいつは青薔薇の絨毯に気にもせず、散らしながらこちらへと歩いてきた。顔も見えない程に深く被った黒いローブは異質な雰囲気を纏わせ、剣が届く所まで無言で歩いてきた。高身長で細身ではあるものの、肩幅がしっかりしているところを見るに、おそらく男性なのだろう。それか男性型の機械人形。


「あなたですね? 彼女を射殺した犯人」


「君のせいで彼女は悪役になれなかった……とてもとても残念です」


 黒いローブは低い声で話す。しかし、そこには気持ちが何一つとしてこもっていなかった。


「ストーリア……かつて童話戦争の火種となり、罪なき人々を惨殺した殺人の集団組織。現に今だって殺人を繰り返しています」


「殺人ではありません。一種の弔いです。あなた、誰ですか? いえ、どこの組織のものですか?」


「我々は英雄ヴォートル。この世界を変える者です」


 黒いローブの男がそう言い、指を鳴らす。すると、能力を解いていないのに周りの青薔薇の花びらはもとの火種となり、また工場が赤々と燃え始めた。

 この能力は私の意思で解かないともとに戻らないはずなのに……!?


「また会いましょう」


 男はローブを翻し、火の中へと去っていく。私もそれを追う為に足を踏み出した瞬間、首に強い衝撃が走る。

 意識が遠のき、持っていた剣も落としてしまった。あ、これは……駄目、かもしれな──────

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