第50話 潜入捜査

 今から3日前、12月17日─────


「趣味の悪い黒いローブですね。できれば着たくありませんでしたよ」


 どんな色にでも染まらない黒一色のローブを着てみたものの、明らかに安物だ。胡散臭い宗教で買わされる信仰グッズの方が何億倍も価値がある。


「文句言いなやぁ、黒のローブは創造神に対する反骨心。乙峰家から金はふんだくったが、増えすぎた人員に行き渡るほどの金はない。ウラシマのさらなる改良に忙しいらしいしなぁ」


 なんとも言えない地味な男の顔に変装したジェスターが笑う。相変わらず変装の能力は凄まじいものだ。

 それにしても、敵の拠点はゴーストタウンだとは……ホワイト地区とブルー地区の間には大きな街がある。もともとその街はブルー地区の区域だったが、十六年前の事件で危険区域とされた。以降、あの街は人だけがいなくなったゴーストタウンとなった。


「このゴーストタウンは一つの拠点にすぎへん。本拠地は夢の国ネバーランドと隣国との間にある遺跡って噂もあるんや」


「私もその噂は聞いたことはありますよ。ただあの遺跡はわかっていないことも多く、色んな噂が飛び交っているので信用はできませんね。あと、もう少し離れてください」


 英雄ヴォートルの潜入員に選ばれてしまった私とジェスターは今、グリフォンに乗ってそのゴーストタウンへと向かっていた。


「それにしても、ええ感じに変装出来たな。俺が嬢ちゃんのことよう知らんくてよかったな」


「本当は私の能力も分かってるでしょうに……まぁ、あなたの軽薄さと詐欺師のような性格があったからこそ変装は出来ています」


「なんや褒められたら照れるで」


「褒めてません。落としますよ?」


 冷たくそう言うと、ジェスターは笑うだけで全く反省の色は見えない。事実、彼は私の能力の仕組みなんて最初から知っていて、一言でも「嘘だ」なんて正体を見破るような言葉を話せば能力なんて解除されてしまう。だがしかし、彼は自身すらも騙す哀れな道化師。だから私はギリギリのラインで変装ができている。

 彼を落として困るのは私の方か。


「それにしても、よくオーケー出してくれたな。俺らが着とるこれ……死体から奪った服と死体の顔見て再現した顔。俺らは死人を蘇らせてしもたんや。神すら恐れるこの行為をあんたはシェヘラザードに言われると素直に了承。俺のときは今にでも食い殺しそうやったのに」


「またその話ですか。シェヘラザード様が間違えた事は一度だってありません。私はあの人に忠誠を誓っていますから、君主の頼みを断る狼なんていませんよ。それに、もう長くない寿命ですから私より長生きする人が死地に来る必要はありません……私は親殺しの大罪人ですよ? 地獄なんて真水に等しいでしょう」


 我ながらになんて醜い感情だろうか。人を殺した私に罪を咎める権利なんてこれっぽちもない。そしてこの男はそれを知ってて言っているのが実に不快だ。


「残り少ない寿命なら想い人に気持ちぐらい伝えたらどうなんや?」


「……伝えればできる後悔もあるんですよ。そろそろ着きますから、ちゃんと役になりきってくださいね? お兄様」


 私がそう言うと、後ろから明らかに嫌そうな声で返事をする。彼と私がなりきる人物はまさかの兄妹で、はたからみれば共依存の異質な二人だったそうだ。英雄ヴォートルに入ったばかりの新人を最初から最後狙っていたジェスターにとって彼らは格好の餌食だったそうだ。


 さらに聞くところによると、こいつは英雄ヴォートルの内情を詳しく知る為に様々な下っ端を殺しては成りすまし、中央区での狼型の怨毒に殺された、またはエピソーダーに殺されたということにして、誰か分からないようにズタズタにした死体を捨てていたそうだ。どうりで雇われただけなのによく知っているものだ。


 後ろでグリフォンの尻尾を触ったり、もともと狼の耳があった私の頭部を指でつついてくるジェスター。どうにもこの男の匂いは嫌いだ。中身も薄いくせに匂いまで薄いだなんて……ため息をつくとグリフォンが小さく一鳴きした。視界に写ったのは、カビでも生えているのかと思うほどくすんだ街だった。建物は崩壊した状態のままで、いくつかの建物は巨大な何かが通ったであろう道がそのまま残っている。


「相変わらず汚い街やなぁ。あ、拠点の場所は街の真ん中にあるドデカイ教会や。あそこやったら誰も調べへんし、地下には部屋がぎょうさんある」


 ジェスターは鼻を押さえて指を指す。その方向には白いはずの外壁が黒く劣化している部分や、何者かの血が飛び散ってシミになっている部分もあった。確かに、あそこには誰も行きたくないだろうな。なにせ、上空からでも分かるほどに……割れた頭蓋骨や何かしらの骨が散らばっているのだから。


「せめて埋めてほしいものですね」


「あれじゃゆっくり眠れもせんやろな。最初はたまげたもんやけど、気づけば白い花同然でなんとも思わへんわ」


 独特なイントネーションではあったが、そこに抑揚はなかった。一人殺せば二人も三人も同じ。不快感はあれど、どこかで割り切っているんだろう。


 教会近くに私達は降り、グリフォンは天高く空をかけていった。それにしても妙だ。十六年も前の被害者達の亡骸が転がっているなら、原型を留めていないはずだ。しかし、ここに転がっているのは一部の損傷はあれど、比較的綺麗な状態であった。


「……カレン、改造人間の事は覚えているかな? サソリのような尻尾を持っていた奴のことだよ」


 すっかりカレンの兄であるリチャードの役に入ったジェスターは頭蓋骨を足で踏む。割れないはずの頭蓋骨は風化していることもあってパキャリという不快な音を立てて割れてしまう。ジェスター、あなたが非情で妹想いの兄を演じるなら私も妹として演じてやろうじゃないか。


「もちろん知っている。お兄様。ここに転がってる骨はなんなの?」


「改造人間の実験に死んだ者、ウラシマの影響で怨毒化した者、回想録メモワールを持つ幹部らに逆らって殺された者……中にはジェスターとかいう男が守っていた一部の奴隷もいるそうだよ」


 ジェスターの顔はリチャードという男になりきっていたが、その地味な顔がわずかに曇っていたのを私は見てしまった。なぜ三億という多額の金がいるのか、なぜこの組織に入ったのか、彼は一言も話さなかったのに……


「お兄様は物知りね。ジェスターって何者なの?」


「あの男は隣国にいる奴隷オークションに売られていた奴だよ。仲間と共に国を出て旅をしていた所をまた奴隷オークションの奴らに捕まった。そんな時にアダム様が逃げ延びたジェスターに名を与え、力も与えた。"仲間を助けたくば力を貸せ"と言ったらしい。金が手に入れば売人から買うことが出来るけど、そのお金を得るにはこの組織で働く必要があった」


「……なぜ今そんなこと話すの?」


 ここで初めて、彼は人らしい笑みを浮かべた。偽りのない悲しい笑みを。


「保険だよ。優しい狼なら引き受けてくれるだろうと思ったんだよ」


 その顔は助けを求める者で、幾度となく私はそれを見て助け、見捨ててきた。今回も見捨てることができたら良かったのに。善として生きる私にそれを話すなんてずるいこともするもんだ。私は小さな声で呟いた。


「知りたくなかったよ。道化師の過去なんて」


 知らなければ私はお前を切り捨てる事が出来たというのに……ジェスターは満足そうに笑い、を踏みながら教会へと向かう。

 その時、背後から重くのしかかるプレッシャーがビリビリと伝わってきた。後ろを振り返ると禍々しい大斧を片手に握る恰幅の良い男が立っていた。うねる灰色の髪に光を宿していない黒い瞳は据わっていた。


 ジェスターは私に近づき、あくまでも妹を守る兄の役割を演じた。


「あなたは……シャルル=アンリ・サンソンかな? 僕はリチャード、彼女は妹のカレンだ。最近、この英雄ヴォートルに誘われて入ってきた新参者だ」


 ジェスターがそう説明するが、男の瞳は変わることなく一点のみを見つめていた。しばらくの無言が続き、喉でも拍動を感じられるほど心臓はうるさかった。

 すると突然、男は大斧を構えて私の首を狙って大きく振りかぶっていた。咄嗟に体を反らしたものの、赤茶色の髪は一部切れてしまった。遅れてやってきた風圧で巻き上がった砂埃が視界を狭めた。


「新人ならまず俺と戦え。使えないと判断すれば実験体に、多少動けるのなら前線で動いてもらおう」


「おや? 名だたる幹部の一人なのに殺さないんだね」


 ジェスターの言葉に男はピクリと眉を動かし、明らかに不機嫌そうな顔となる。


「俺は殺せと言われれば殺すだけだ。安心しろ、元医者だから多少の傷はただの勲章になるぞ」


 男は再び大斧を構える。まずエピソードは使えない。使えば潜入捜査が水の泡となって、更なる被害へと繋がる。かと言って殺しも駄目だ。彼を傷つけず、余裕が無いながらもなんとか勝ちましたという演出をしなければならない。私達は常に可を取り続ける平凡を演じる必要がある。


「困ったなぁ、女の子にとって傷なんて一生ものなのに」


 私は黒フードの中に隠していた剣を取り出し、ジェスターは黒フードの中に隠していた短剣を取り出す。男は口元を緩ませて黒フードの中から汚れた銀の王冠を取り出す。王冠を自身の頭に乗せ、大斧を持ちながら両腕を伸ばす。


「俺からこの銀の王冠を取ってみろ」


 男は私達の首ばかり狙って大斧を何度も何度も振る。かなりの重量があるはずなのに休む気配するない。近付こうにも大斧の勢いが止まらない限り背後に回る事すら叶わないだろう。


 何度も何度も避けては後ろにばかり下がっているせいで、骸骨が邪魔をして体が後ろへと倒れる。視界の隅にはぎらつく大斧がいたのは見えていた。剣で受けようとはしてみるが、勢いの強すぎる大斧は剣を折って私を吹き飛ばした。頭を打ち付けたのか、気づけば建物の壁に衝突していた。腕は痺れるし、視界は揺れる。


「カレン! 全く、容赦ないね」


「俺は男だろうが女だろうが、奴隷だろうが王だろうが平等に扱う。さて、少しは役に立つことを証明してみろ!」


 ジェスターは避けてばかりで仕掛けることができていない。戦闘においてジェスターは私よりも弱い、ならば意識を一瞬でも私に向ける事が出来れば奪える隙が生まれる。少しだけ能力を使わせてもらうか。私は折れた剣を握る。


「"エピソード──────赤ずきん"」


 剣はたちまち元の姿へと戻る。


「避けてばかりだと首が飛ぶぞ」


 男はジェスターの首を切る勢いで大斧が近づいていた。ジェスターも私と同様に骸骨で後ろへと下がることが出来ずに避けられない状況となっていた。


 ──────ガキィンという鉄のぶつかる音が鳴り響いた。


「お兄様に傷付けることも一生ものなの。それと、乱暴な男は嫌われるよ」


「どこから剣を!? 警戒すべきなのは君の方だったか」


 ジェスターはすぐにその場から逃げ、機会伺っていた。私は避けるのをやめ、大斧と剣が響かせる不快音を何度も鳴らす。通常の剣じゃとっくに折れているが、すっかりこれを剣と認識している男のおかげで折れない剣に変わっていた。


「くどい!」


 男は横に振り回すのをやめ、今度は地面へとつよく打ち付けるように斧を振り下ろした。地面が揺れ、体勢が崩れそうになるが構わず剣を振り下ろす。私の剣は確実に男の脳天を捉えていた、もはや常人には避けられないだろうと思っていた。しかし、私の腕はこれ以上進むことはなかった。どれだけ力を入れても動かない。

 ただ剣がわずかに震えるだけだった。


「速いな。情報通り、戦闘に長けてはいるようだな」


「皮肉にしか聞こえないのはなんでだろうね? 身体能力どうなってんのよ」


 男はこの一瞬の間で、不可避だと思われた剣を白刃取りで受け止めてしまったのだ。それも顔色一つ変えることなく。


 ───────だが、勝ちは勝ちだ。


「妹ばかり構っているなんて少し妬けてしまうよ。どうやら勝負は僕らの勝ちのようだ」


 男の後ろには銀の王冠をクルクルと回し、楽しげな顔をしたジェスターが立っていた。男は目を丸くさせ、その後はどこか安心したかのような顔をして私の剣から手を離した。


「リチャードにカレン。君達を歓迎しよう。アダム様に忠義を誓い、共にこの世界を我ら英雄だけの世界に変えよう」

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