第66話 聖母の娘
睛ちゃんの話によると、もう一人の睛ちゃんとはぐれたのはゴーストタウン近くと言ってたけど……範囲が広すぎる。
怨毒に追われて死に物狂いで走っていたみたいだけど、なんでダリア様と一緒にいなかった?
「ねぇねぇ、お姉さんの名前はなんて言うの?」
緑色のクリクリとした目で尋ねるテュラン・ジャック。可愛い、けど中身は元々ジェスターさんの仲間だったらしい。詳しいことは分からないし、あまりにも暗すぎるから聞きたくもないけど。
「水瀬マリーナ。エピソードは『人魚姫』で水に浸かると人魚の姿になる。花神さんは知ってるよね? 人魚の末裔の話」
後ろを歩いていた鉄仮面のような花神さんに話をふる。確か、ブルー地区出身だったはず。花神さんはゆっくりとこの地区に伝わる人魚の話をし始めた。
「……その昔、始祖のエピソーダーが海の見えるこの地にやって来ました。彼女は人々に地を与え、富を与え、知恵を与えました。民は彼女に感謝をし続けました。しかし、彼女の名は語られませんでした」
あぁ、最初から話すパターンか。無理もない。ブルー地区はもちろん創造神も信仰しているが、それと同様に始祖エピソーダーとして語られた『人魚姫』も信仰している。このブルー地区で知らない人はいないほどに。
「彼女は人魚で、エピソードの影響で陸には上がれません。それでも彼女はヒトに恋をして子を育みました。しかし、陸に上がれない彼女は自身の子が陸を歩けないことに悲しみ、その身を捧げて自身の子に足を与えました。それ以降、人間と人魚の間に生まれた子供は陸も海も生きていける人魚の末裔となりました」
テュラン・ジャックは目を輝かせ、関心しているようだった。ワイアットは相変わらずヘッドフォンをつけて話を聞いていないようだ。
「凄いね! マリーナさんは本物の人魚姫だね!」
「あー……あんなもの憧れなんてないよ。その始祖のエピソーダーの話も嫌いなんだ。童話も伝記も事実とは異なるしね」
そう笑って見せるが、ワイアットだけは眉間にしわを寄らせる。テュラン・ジャックや花神さんのように流してくれればいいものの……耳がよすぎるのも問題だ。
ワイアットとテュラン・ジャックは知り合いなのか談笑しているが、私と花神は蚊帳の外。酔った男達を通り過ぎながら、ただひたすらにゴーストタウンとブルー地区に隔てられた門まで歩く。
舗装のされていない道、壊れかけた家、破れて薄くなった服を着回す住民。全てが怨毒がもたらした被害。私達が守れなかった彼らの未来だ。そして、どの地区でも頭を悩ませるのが─────
「おい! 止まりやがれこの低脳共めっ!!」
酒で頭も馬鹿になった男が銃を構える。花神さんとテュラン・ジャックは身構えるか……中央区ではまだ出回っていないようだ。私はため息をつき、焦ることなく男に近づく。
「おっちゃん、度胸も肝っ玉もねぇのに銃なんか構えんな。しかもそれ違法のやつだろ? 中身はあれか? 強くなれるお薬か?」
「んだとっ!?」
「まだウラシマが出回ってんのか……しかも、中毒症状も出てる。おっちゃん、私が誰か分かるか?」
網膜が充血し、瞳孔が散大した男は震えながら銃を構える。私は銃をゆっくりと握り、男と目と鼻の先まで距離を詰めた。すると、男は警戒から恐怖への顔の色を変えて口をパクパクさせる。
「み、みみみ、水瀬マリーナさん!?」
「正解。とりあえず、病院行こうか。ワイアット、他の隊員に連絡出来る?」
ワイアットは無言で頷き、小型マイクを通して現在の状況を話す。
ウラシマの使用者は倍以上だが違法銃を持っているのは7人目だ。それに怨毒をも倒せる殺傷能力が高い武器を所持している者も多い。ゴーストタウンの事件……いや、中央区の襲撃以降から一般人が怨毒を倒す件数が増え、それに巻き込まれて家や配偶者を亡くす人も増えている。
「やはり、市民の武器化が増えて周りへの被害が増えていますね。ストーリアへの不信、見えない敵に対する恐怖……そういったものからくるのでしょうか」
「花神さん知ってたんだ。そう、都会ではウラシマの流通が絶えないし、こういった貧困層には武器が出回っている。怨毒に怯え、貧困層を狙うギャングに怯え、残った家族や家を守るための手段ってわけ。巡回を増やしているけど、人員不足で十分に巡回出来ていないのが現状だ」
たまたま近くを巡回していたらしい隊員が男を連れて行くが、男は虚ろな目で途切れることなく笑い声を上げたり、意味不明な言葉を叫んでは号泣したりと、情緒不安定となっていた。何よりも怖いのが、それを見る住民はまたか、と言わんばかりの顔なのだ。
この悲惨な現状に慣れているんだ。
「貧困地域の現状は聞いてたけど、ここまでとは思わなかった……あのヒト助かる?」
「助からない、かもな。ああやって中毒症状で死んでいった者も多いし、断薬してもリバウンドする。そうして
自然と握った拳がより固くなる。隊員達も日々摩耗し、今までのように市民との友好的な関係は築きづらくなっている。こうなるのなら、ダディの言う通りシェヘラザードを信用すべきではなかった。
「創造神様、どうかお救い下さい」
生きる意味を見失い、汚れた彼らは怪しげな薬を片手に祈りを捧げる。それも木で作られた小さな創造神に。
「どういうことです? ゴーストタウンでの一件以降、シェヘラザードとアダムが神であったことは全国民が思い出したはず……それなのになぜ祈りが?」
「縋りたいんだよ。どうしようもない人生を誰かのせいにしたい、誰かに肩代わりしてもらいたい、誰かに救ってもらいたい。そんな願望からシェヘラザードこと、サミュエルを神と信じたくはないんだ」
イカれた宗教観だ。花神はそう言いたげな顔をして、通り過ぎようとする。私もそうすれば良かった。良かったのだが、いつまでも無いものに目を向けている彼らに心底腹が立った。
昔の自分を見ているようだ。信じ、裏切られ、聖母だと言われた
湧き上がる憎悪と怒りに身を任せ、彼らの前に経つ。情けない顔だ。憔悴しきった者、未来に絶望した者、今を生きることに怯える者。どれもこれも歪んだ顔であった。一体奴らが今の私たちに何をもたらしたというのだ。
拳や奥歯に力が入り、全身の血液が頭に集まってくるような感覚がした。
「神なぞ信じるな。自分の過ちにも気づけないお前たちが神に縋りつくな! 自分の道は自分で正せ、神は平等に人を救わない! 自分を守れるのは自分だけだ」
「マリーナさん、言い過ぎ。宗教観、ヒトそれぞれ」
ワイアットに肩を叩かれ、ようやく頭に上った血が全身へと流れ始めた。目の前にいた奴らは私なんて気にも止めず、未だに祈りを捧げていた。「この世は酷だ、あの世は楽だ、死神が我らを呼んでいる」 と、ブツブツと唱える者もいた。
翼はもう治っているのに、飛ぶことを諦めた鳥のように情けなく哀れに思えた。
「おやおや、若い衆が勢揃いじゃないか。それに、かの聖母の娘までいる。お偉いさん方がどうしてこんな所に?」
暗い茶色の長髪を揺らし、目尻の下がった漆黒の瞳をした女性がクフフと笑う。鈴宮ヘレナ、だったか? 白衣からは血と硝煙の臭いがしている。彼女はストーリアでいくつもの武器やサポートアイテムを作って怨毒の討伐の円滑化を促す重要な人物。ただ、彼女のせいで怨毒となった者も多く、改造人間の生みの親だ。
責めるつもりはないが、信用はない。
「鈴宮さん、なんで喧嘩ふっかけていくんすか……もうちょい生身のヒトと仲良くしてくださいっす」
灰色の短髪をした眼鏡の青年が鈴宮を制止する。こいつは……だれだ?
ワイアットの方を見るも、首を軽く横に振る。
「あー、すんませんね。俺、影が薄いんで名前なんか覚えられてないんすよ。浅田快斗、鈴宮さんの助手やってるっす」
そう言って差し出された手は肌触りは良かったものの、やはり冷たかった。球体人形、だけど紫色の瞳はカメラのように忙しなく動いていた。向こうからやってきたということはゴーストタウンにいたのか。もしかしたら睛ちゃんについてなにか知っているかもしれない。
「私達、睛という少女を探しにきているのです。ゴーストタウンでこんな子を見ていませんか?」
睛ちゃんから貰った写真を見せる。二人は写真を見ようと顔を寄せ、眉間に皺を寄せてはうーん、と唸る。やがて二人は顔を見合わせ、渋い顔をする。
「一度だけ、一度だけ見たことがある。全てを見透かすような左右の色が違うその少女は、今もゴーストタウンに住み着いている」
「は? 少女を一人あの危険地帯に放置!?」
「……異様なんだ。子供には出せない殺気と高い身体能力で近づく者全てを殺していた。と言っても転がるのは怨毒の遺灰だったがな。怪物だよ、あれは。私達は近づけなかった。近づけば、首が消し飛ぶところだったからね」
たらりと流れる冷や汗、一瞬だけ止まる呼吸、慌ただしく響く拍動。鈴宮の表情も青ざめており、この睛という子がどれほど異質な存在であるかがヒシヒシと伝わってきた。
「だが、君達が探しに行くというのなら案内しよう。あの子がいる場所にはアダム……いや、ティモシーについてなにか得られる可能性がある場所なんだ」
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