第81話 人魚伝説
重々しい雰囲気を漂わせる襖を開けると、分厚く白い巨塔となった報告書が散らばっていた。ちらりと書類を見るも、文字の羅列で目眩がする。どうやら例の屋敷だけの報告ではなさそうだ……組長でありながら地区長だからな。まだ私にはその役目は重すぎるからダディには長生きして欲しいものだ。
「リアン・キノさんだな? 本部からはわざわざ足を運ばせてわるかったな。本来ならば私から出向くはずだが……なにぶん多忙な身でしてな」
「いえいえ! 大丈夫ですよ! 私なんてただの事務職員なのでお気を使わないで下さい」
ダディが軽く頭を下げるのに対し、キノさんは慌てふためく。
「これが報告書だ」
ダディが手渡したのは図鑑よりも分厚い報告書だった。キーノさんはギョッとしながらもペラペラと捲る。今どき、文書なんて送り合えるというのに、こういった機密情報の含まれた報告書は手渡しをしなければならない。
キーノさん、事務職員って言ってたけどこうやって機密情報を受け取りに来る人なんだからかなり上の立場なんじゃ……
「……はい! 確認しました! 屋敷の事も報告しておきますね!」
「あぁ、頼む。それと、本部直々の依頼とは……よほど厄介なものなのだろう?」
ダディの顔は厳しくなり、キノさんの表情も真剣なものとなる。これは……私は空気になってるな。仕方ない、私は給仕に回るか。
「組長、キノ様、お部屋の準備が出来ておりますので、どうぞこちらへ」
そう言うと二人は立ち上がって私の後ろをついてくる。本来ならば屋敷の者が行うが、私だって依頼の話とか色々聞きたい。私の立場なんてただの隊員だから給仕をしててもまぁ問題はないだろう。ダディの圧を背後から感じるけどね。
冷や汗を流しながらも客間へと案内し、お茶を出す。ここから見える庭の景色は美しく、定期的に聴こえてくる
「依頼というのは人魚伝説についてのものなのです」
「人魚伝説……? 聞き覚えがないな」
「マーシー。この伝説はマーシー様が深く関与しているのです。マーシー様は昔の事をお話になるお方ではなかったのですが、とある伝承がストーリアの本部にある倉庫に眠っていたのです。ダディでも知らないのなら私に知るわけがない。初めて聞く言葉に疑問符を浮かべていると、キノさんが私の方を振り向いてはじっと見つめてくる。
おそらく、シェヘラザード様知っていたと考えられます」
「人魚伝説……それはどういった内容で?」
「人魚は力をもたなかった。しかし彼女の言葉に耳を傾け、道を正す者は多く、彼女は信頼という力を得た。彼女が成し遂げが偉業の一つ、それは村を侵食する異形の退治。深くは語られていませんが、書物によると二冊のエピソードが現れたと書かれています」
「エピソード……我々はそれの回収、と?」
ダディの言葉にキノさんは頷く。それにしても、母はそんな事までしていたのか……偉業の一つという言い方、まだまだその偉業とやらはありそうだな。
「そうです。怨毒は複数のエピソーダーが混じり合うことによって起こる病。いや、ここまでくると病とはもう呼べませんが……エピソードを敵側に回収されるとより強力な怨毒が生み出されかねません。何としてもストーリアがそのエピソードを保管しなければなりません」
「エピソードを確保すれば、戦力となるエピソーダーが誕生する……ストーリア本部も中々厳しいものだ。嘘か真か分からない話にも手を出し、何とかして戦力を確保したい。そういう魂胆か」
キノさんは木の関節をカタリと静かに鳴らし、ダディを見つめる。その時、睨んでいるようにも見えたが、私の気のせいだろうか。キノさんは貼り付けたような笑みを浮かべて話を進める。
「話が早くて大変嬉しいです! ですが、この依頼は水瀬マリーナさんにお願いしたいのです」
「……え? 私?」
キノさんは立ち上がって私の手を握り、上目遣いのままこちらを見つめる。うるうる、というより、うりゅうりゅといった表現が合っているかもしれない。無垢な少女に見つめられている気がして断れる雰囲気ではなくなってきた。
「マーシー様が主軸となっている伝説ですので、同じ血の流れる水瀬マリーナさんにしか頼めないのです。もしかすると、マーシー様のお声が導くかもしれません!」
「なぜ、その事を──────」
母の声が聞こえる事を知っているのは今のところ鈴宮ヘレナしかいない。それなのになぜ知っているのか。途端にわずかに抱いていた不信感が大きくなり、華奢で可愛らしい人形のキノさんが大きく恐ろしいものに見えてしまう。キノさんの瞳は造形だと一瞬で分かるほどに不自然な光を抱いていた。
「とにかく、依頼を受けて下さるのでしたら今日にでも出発して欲しいです! 王立区に!」
「お、王立区!? なんでそんな場所まで……」
「伝説ではまだ五つの地区に別れる前の国が舞台となっていて、マーシー様が退治した場所がちょうど王立区にあるウィンドミルという町です。王立区、唯一の田舎町です」
その瞬間、ダディの顔が険しくなる。それもそのはず、あそこは美しい名を持つ迫害の村。王立区というだけで気品とプライドの塊で出来上がった気難しい奴らの集まり。そして血統よりもエピソードの後継を重要視した権力家系は他とは異質で私も深く関わったことはない。イルだってあの地区出身だ。どれほど腐っているのか知っている。
「ウィンドミル、あそこはヨハネス・セルバンテスとシルト・セルバンテスの出身地か……最近は良い噂は聞かない、娘だけに任せておけない。私も行こう」
ダディがそう言うと、すぐさまリノさんが口を挟んだ。強く、そしてはっきりと。
「いえ、そういう訳にはいきません。地区の最高指導者、第一部隊の組長である水瀬創一様が動くとなるとブルー地区が手薄となります。それは
「どういう事だ? まさか、その人魚伝説とやらは───────」
「……この話は
キノさんの不自然な造形の瞳が鋭く光る。私は周りほど寛容ではなく、よく頭に血が上るタイプだ。これは挑戦状と受け取っても良いのだろうか。適材適所というにはあまりにも雑だ。
「少し時間を─────」
「受けます。その依頼」
ダディの言葉よりも早く口を挟む。喧嘩っ早いのは本当に悪い癖だ。
「血縁以前に私は人魚姫の後継者。先代を知ることは自分を知ること。私はその伝説を知る後継者にならなければなりません」
その言葉にキノさんは満足そうに笑うが、ダディの顔は心配だ、という文字が浮き出ているかのような表情をしている。
水瀬マリーナはいつまでも父の肩を借りて生きている情けない女じゃない。そんな私の怒りの言葉に気づいているからあんな顔をするのだろう。正直、信じられない部分もあるが向こうに先手打たれるよりはマシだろう。
「……分かった。依頼を受けよう。マリーナ、しっかりやるように」
「御意」
──────────……
あの後、最初に行く王立区にあるウィンドミルについての軽い説明をキノさんが行い、思っていたよりも事は淡々と進んでいった。
行くのはいい。ワイアットもいるから、色んな意味で安心だが、困ったことにハウンドとは面識がない。
「ハウンド、確か無能力者の獣人だったような……」
ボヤボヤっとしたイメージが浮かぶ。茶色の耳をした犬の獣人だった気がする。何かにつけて私の後ろにいて、顔を見て話すことはなかったな。確かワイアットと同期だったな。しまったな、キノさんかダディにもう少し聞くべきだった。
眉間に皺を寄せながらも、ハウンドがいる隊舎まで歩いていると、何やら楽しげな声色が聞こえてきた。
「そうですかそうですか! マリーナさんは意外と子供思いなんですね! 流石はマリーナさんです!」
「マリーナの話ばっかり」
「マリーナの忠犬みたい」
妙に早い口調の女性と、ツクルとアヤメの声だな。声的に隊舎の入口で話しているようだ。腰辺りまでの生垣で隊舎を仕切る真っ白な隊舎。汚れでもしたら目立って仕方がない外観だ。声はどんどんと近くなり、その声の主が例のハウンドであることが分かった。
茶色の耳と肩までの髪の長さ、ブンブンと振り落としそうな程に揺らした長い茶色の尻尾。間違いなく犬の獣人、ハウンドだ。
「マリーナさんは人魚姫でありながら魔女でもあります! 自身を代償に物を創り出し、相手と契約することによって物や力を引き出せたり……流石マリーナさんとしか言えない能力です! そして、あの勇気と武を備えた姿はまさに戦場を駆ける乙女!」
ハウンドは私に背を向けていて気づいていないようだ。糖尿病になりそうなほどに褒めている相手は後ろにいるというのに……ツクルとアヤメの視線は突き刺さるように痛い。
「あー、盛り上がってきたところ申し訳ないんだけど。ハウンドさん、キノさんから話は聞いてる?」
「へっ?」
機械のように後ろを振り向くハウンドの顔は豆鉄砲を食らった鳩……いや、犬か。目を泳がせていたが、みるみるうちに顔は青くなっていく。
「……土に還ります」
「いや、還るのはもう何十年か後にして?」
ツクルとアヤメの視線は突き刺さるものから冷ややかなものとなる。キノさん、なんて気まずいヒトと組ませてきたんだ。これじゃ会話も成り立たないぞ?
まだ始まってもいない先のことに頭が痛くなってきた。
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