第55話 受け継いだ遺志、芽生える憎悪
「おい! このクソ鳥! 引き返しやがれ!」
「落ち着けジェスター! 誰かが進まなくちゃならない、誰かがこの事を一刻も早く報告する必要がある。作戦は失敗し、アルマは死亡または怨毒となった。
鈴宮が俺の背中を叩く。その時、メルの記憶とハーメルンの笛吹き男という童話内容が流れ込んできた。メルから渡されたメモ帳は淡い黄色に光っていた。
その笛吹き男は動物を操り溺死させ、その報酬として貰うはずだった金貨を出さなかった村人達に腹を立てた。その夜、奇妙な笛を吹いて村の子供をどこかへと攫っていった。まるで踊るようにして……
『このままじゃ駄目だ……ごめんみんな、しばらくの間オイラに操られてて。ジェスター、仲間を呼ぶ気持ちで笛を吹いてごらん。オイラ達奴隷は意地汚く生きていくことになれてるからね』
右手の平が燃えるように熱くなり、ゆっくりと奇妙な笛を吹く男が描かれた黄色の紋章が刻まれ始めた。
「ジェスターさん、あんた……元の姿に戻って……」
浅田に指摘され、ようやく気付いた。自身の姿が気味の悪い白い仮面と傷だらけの体に戻っていた。
「やっぱり
「エピソードを受け継ぐ為の条件はエピソードを持つ者が直筆でその童話を書くこと。もちろん適正するか否かも重要だけど人が受け継がせたいという遺志が何よりも重要。だからその、メルは……」
鈴宮も浅田もその続きを話そうとはしなかった。メルは死んだ。俺に童話と遺志を渡して死んでしまった。
大した奴だよ、仲間を救う為に俺がエピソードを受け継ぐ未来まで見越していやがった。
「"エピソード──────ハーメルンの笛吹き男"」
ラッパのようにも見える、赤い模様の入った笛が何もなかったはずの右手の平から現れた。どう吹けばいいのかさっぱり分からないが、仲間を呼ぶ気持ちで肺が潰れる勢いで吹く。ある者には不快、ある者には悲哀、ある者には憤怒ともとれる奇妙な音色が響き渡る。
「あらあら、彼を弔ってるつもりなの?」
笛の音は途中で止まった。聞き覚えのある無機質な声に息が止まったんだ。振り返るとあるはずのない黒い翼を広げた水野を含め、改造人間が追ってきていた。あと少しでブルー地区に入るってところで……!
「まったく、しつこい女嫌われるで!」
「これも仕事だから。悪く思わないでちょうだい」
彼女の声は聞こえたものの、顔は見えなかった。何故なら、俺達と水野の間には真っ赤な炎が間に入ったからだ。
それは一瞬にして消えたものの、威嚇としては十分なものだった。
「あれは……第二部隊の隊長っすか!?」
浅田が指をさした方向には、赤のパーカーを着た真っ白な兎獣人が立っていた。まさか、地上からあれを放ったのか?
唖然と兎獣人を見つめていると、ポンポンと誰かに肩を叩かれる。最初は真ん中に座る鈴宮かと思ったが、どうも違う。ゆっくりと後ろを振り向くと一つに結ばれた黒い長髪の男がヘラヘラと笑っていた。
「どうもー、僕の名前は
「は?」
俺達三人の言葉は見事に揃い、その卯月という男は少年のように笑う。しかもその男、そこら辺に落ちていた鉄パイプを足場にして浮いているのだ。兎獣人も卯月の隣にやってきたが、同じように鉄コンが見えるコンクリートに乗っているだけで浮いていた。
同じエピソーダー、なのだろうか。
「なんなの! 今日はアダム様がお見えになられているのに……!! 手ぶらでなんて帰れないわ!」
水野は蛇のように細くなった瞳孔を俺達に向け、細い尻尾を大きくゆらゆらと動かす。喉なのか、尻尾なのか分からないが、シュウシュウという音を漏らしている。しかし、二人は臆することはなかった。卯月は不敵に笑い、兎獣人は酷く冷めた目で見下している。
「はぁ、私が来る必要なかったよねぇ。鉄だとよく燃えるから私手加減できないよ?」
妙に鼻のかかった声をした兎獣人はため息をついて卯月の肩に手を置く。
「あー、デリットちゃんならそうかもね。まっ、相手が無機物なら僕は有利だし。お話しは後で聞いてあげるからおねんねしようねー」
卯月はそう言って飛行していた水野や他の改造人間にいとも簡単に触れていく。撫でるようにして触れ終わった卯月に対し、改造人間共は戸惑っていた。それもそのはずエピソーダーであることは確実であるのに、なんの脅威も感じられない。
ぞわりと全身の毛が立つような感覚の波が襲った。心底楽しそうな笑みからは想像できないような狂気が見えてしまった。
「"エピソード──────天の羽衣"」
卯月の背後には、夜闇に溶けそうなほど薄くなびく桃色の帯が現れる。風も吹いていないのにそれはゆらゆらと揺れた。改造人間達は金属が割れる高く響く音を鳴らした後に地面へと食い込んでいった。まるで何かに押しつぶされているようなその様子に冷汗が流れた。
卯月達が地面に降り、俺達もその後を追った。ブルー地区の手前にある荒れ果てた郊外の地面に食い込む水野達はもがきながらも睨んでいる。肺が押しつぶされるのか呼吸も荒い。
そうか、今の状態なら俺の能力でこいつらを──────
「僕はね、重力が操れる。まぁ、一定の範囲しか無理なんだけどねぇ。生物は無理だし、浮くのにだって靴だけ浮かすとかなったら靴だけが浮いちゃうから使い勝手悪いんだよねぇ」
「はいはい卯月の兄さん、ちょっとすまんな」
煽り始めていた卯月をどけ、俺は再び笛の音色を聞かせる。最初は驚いていたが、徐々にその目は黒く淀んでいく。ついには物言わぬ屍のように成り果て、ムクリと彼らは起き上がる。卯月って男は察したのか能力を解いていたようだ。
「あそこにおる俺の仲間を救い出し、大神アルマとアダムの現在の状況を伝えにこい」
ぐるりと方向を変え、彼らは拠点へと戻っていく。ふらつきながらも去っていくその様子はまるで人形のようであった。
「ジェスター、そして鈴宮ヘレナだよねぇ? 鈴宮ヘレナの奪還は素晴らしいことだけど、大神アルマはどこにいるの? それにまだ潜入捜査中なんじゃ……」
「思い出した、あんた火山デリットやな? 緊急事態や。すぐストーリア本部に皆を集めてくれ。はよせなえらいことになるで!」
───────────……
ストーリア本部 会議室
集められたのは全部隊の隊長と副隊長。そして地区長とシェヘラザード。俺が改造人間のこの、日記のこと、アルマのこと、そしてアダムのこと全てを話す。会議室の空気は重くそして張り詰めていた。
「おい……アルマの現状はどうなんだよ」
黒の手袋にいくつものシワができるほどに拳を握り、青白い血管を浮かせたヘイトリッドが尋ねる。
「俺の仲間であったメルが死んだ。それはアダムにとって必要がなかったからやろうな。アダムはアルマの血を欲しがっとった、どちらにせよ今はなんも分からへん。何とも言えへんのや」
「おーおー、えらく淡々と言えるじゃねぇか。心までなくし──────」
そうヘイトリッドが怒りに任せめ暴言を吐き連ねるかと思った。しかし、ドンッという机を壊す勢いで強く殴った男がいた。ガタイの良い男は獣のように息を吐き、机から拳を離した。
「ヘイトリッド、短気なのは昔からの悪い所だぞ。ジェスターは仲間を失っている。八つ当たりは良くない」
「……わかってるよ、んなことよ。鬼平、お前も机に当たんなよ。わりぃな、更に空気を悪くさせて」
理性が勝ったのか二人は怒りを隠しながらも話を聞く姿勢となる。あぁ、怒りたくなる気持ちも分かるさ。メルは仲間を守ったが、俺は何を守ったんだ?
なにもだ。
握る拳からは温かい液体が流れ出る感覚があった。仮面をつけていて良かった。今の顔は人には見せられない。
「日記、それに
シェヘラザードが鈴宮に尋ねるが、鈴宮は首を振る。
「詳しくはなんとも……ただ、あの日記は怨毒を引き起こす作用がある可能性があります。しかし、メルヘンズが怨毒化したという報告はありません。だからこそアダムはその血を欲しがったのかもしれません」
「あの日記はそれほどエピソードに近く、強大な力を秘めた可能性があるということだね───────ストーリア全部隊」
シェヘラザードのその声に無意識に俺達は椅子から立っていた。閉じられていた細い目が開き、鋭く照らす金色の瞳がより俺達の背筋を伸ばした。
「明日の朝、大神アルマおよび
「ありません!」
揃った皆の声が響く。
「拠点には多くの能力者、改造人間がいる。各自、精鋭隊集めておけ。明日の朝……我々の未来が決まる。この長い物語に栞を挟むのではなく、終止符を!」
その時、シェヘラザードの声がアダムの声と重なった。
『──────この物語に栞をはさむのではなく、終止符を!』
アダムもよくこの言い回しを使っていた。姿は全く違うが、どことなく雰囲気も似ている気がする。アダムは偽名だが、俺の勘ではシェヘラザードもまた偽名だろう。
そういう所なんだ。あの二人はこの世界において異質……そんな気がした。
────────……
「残る日記はあと一つ。僕の
未だに神像に触ることのできないアダムが、黒くゴワついた毛皮を持つ狼に話しかける。悲鳴にも聞こえる喘鳴が続き、やがてぐったりとしたまま倒れる。
「メルヘンズは怨毒化しない……
黒フードに身を包んだ者達は獣のような雄叫びを上げる。ある者は怨毒に、ある者は狂人に……人の姿を捨てた英雄を見るアダムは舞台を見る観客同然であった。
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