第72話 父としての言葉

「マーシー、なぜ海を求めた? 大きな水溜まりとさほど変わらないじゃないか」


「そうねぇ、特に意味なんてなかったのかもしれない。ただ海をみたいと思ったのよ」


「ふんっ。くだらん」


「あら、くだらないのが人間なのよ。まさかエピソードの影響で不老不死になるだなんて思わなかったけど、あなた達と出会えたしこの地区も潤い始めた。日々美しくなっていくこの世界は見ていて飽きない」


「ではなぜ、こうなる前の世界を教えてくれない? 創造神とはなんだ? 童話戦争とは?」


「知りたがりねぇ。悲しいことにこの事実を覚えているのはもう私しかいない。始祖のエピソーダーはもう何世代も渡って童話を受け継がせている。でも、あれは私達にはどうすることも出来ないのよ。神が創ったのなら神が終わらすべきものなの。真の歴史を見たいのなら、遺跡に行くといいわ。あなたが海蛇ならね」


「……泳げるのと潜れるのは別物だ」



───────────……


母の声と知らない声だけが聞こえた。霧のかかった意識の中にそれだけが響いていた。遺跡、真の歴史……何が何だかさっぱりだ。でも、受け継いだエピソードを通して伝えてくるということは……


「マリーナ、いつまで寝てる」


「たかが手の平の傷だけで丸一日寝るなんて寝すぎ」


睛ちゃん達の声が両隣から聞こえてくる。なんなのだろうか、この子供らしくない可愛らしくない言い方。出来ることなら目を開けたくない……この子達に振り回される気がする! ギュッと目を瞑るが、起きていることがバレてドスドスと軽いながらも腹部を殴ってきやがった。この子達、全然可愛くない!!


「このガキがァっ!! 腹を殴るなっ!」


「あ、起きた」


「起きた」


相変わらず読めない表情をした睛ちゃん達が立っていた。本当に10歳児なのかと疑いたくなるほどの冷たい目をしていて、思わずぞわりと鳥肌が立った。自室にある時計を見ると朝の10時を示していた。ね、寝坊……いや、今日は土曜日。ダディに叱られはしない。季節は冬へと移り変わり、思わず身震いした。


「睛ちゃん、二人を区別するためにも名前決めようか」


「え? 私達は二人で睛だけど」


コテンと首を傾げ、あたかも私が間違っているかのような反応をとられる。


「愛称だよ愛称。髪が長い方の睛ちゃんはツクル、短い方がアヤメとかどう?」


「安直すぎる」


二人とも声を揃えて文句を口にした。子供の心理は分からない。大きなため息をついて、これから飛び交ってくるだろ罵詈雑言に備えていると、不思議な事に二人はそれ以上口にしなかった。


「え、その無言は早く次の案を出せってこと?」


「違う。別に愛称ならなんでもいい。私達にとって名前はただの固有名詞。なにも気にしない」


「変わった子だねぇ……私の母のことも知ってるし、とんでも身体能力や頭脳はあるし。本当にあなた達何者?」


その問いに対して、ツクルとアヤメは顔を見合わせて首を傾げた。こういう所は子供っぽいのになぁ。


「知らない。記憶が欠落してるから。でもダリアは何かに気づいたみたい。それを知られたくないからなのか、記録の一部をあの屋敷に隠したとも言っていた。そんなことより、水瀬創一さんが呼んでる」


ツクルちゃんとアヤメちゃんが顔を向けた方向には、鬼にでも取り憑かれたかのような形相をしているダディではなく水瀬創一さんがいた。軽率な行動、未だに直らない荒い口調、今まで放置となっていた書類の山……心当たりがありすぎて覚悟が出来ない。


二人は何かを察したのか、私の部屋から出ていった。しかし、その時ちらりと振り向いた二人の顔は微かに笑っていた。他人が叱られるというのに笑うなんて……! 最初のミステリアスな雰囲気はどこにいったんだ! これじゃただの悪ガキじゃないか!


「マリーナ、子供相手になんて顔をしているんだ」


水瀬創一さんもまた睨んでくるが、同じことを言い返す勇気も覚悟もない私は正座のまま頷くしか無かった。

閉じられた襖、しんと静まり返る室内。寝起きで髪も整えていない娘を前にして静かな怒りを見せる父。そんな時間が永遠にも感じられ、冷や汗は滝のように流れていく。


「……なぜ、あんな無茶をした。下手すればその手は動かなくなっていたかもしれないんだぞ」


低い声ではあったが、いつも冷静な水瀬創一さんの口調が少し強くなっていた。怒っている? いや、これは心配している?

どうやら、水瀬創一ではなくダディとして心配しながら怒っているようだ。


「ダ、ダディが心配になるのも分かるよ? で、でも体が勝手に……」


「勝手に? 違うだろ。己の身を犠牲にして何が得られるんだ! 私は心配しているのだ、マリーナが──────」


「母さんのようになるんじゃないかって?」


そう言うとダディの眉間にしわが寄る。そうか、ダディですら私が母のようになると思っているのか。


「あの悲惨な母の最後を見て私が同じ事をすると思ってるの?」


「お前はマーシーによく似ている。姿もだが、童話に影響されている所もだ」


「死ぬ運命が決まってるって言いたいの? だったら20歳になるまで生きてない。人魚姫は15歳で人生の幕を閉じた。この時点で私はメルヘンズじゃないって事だよ」


「イル・オデットもそうだった。だが、結果はどうだ? メルヘンズは例外なく同じ運命を辿る」


「彼女の名前をださないで」


「彼女の人生を否定するのか」


「違う」


「彼女は童話の人生を全うした」


「……さっきからなんなの? 私に人魚姫のような自己犠牲の精神を抱いて欲しいのか、欲しくないのかどっちなの? 」


長い長い言い合いの果て、ダディがなにも喋らなくなった。ダディの言い分も分からなくもないんだよ。メルヘンズは運命に抗えば抗うほど悲惨な結末を辿ると言われている。嘘か本当かは知らないけど。


運命を受け入れ、苦しまずに死んで欲しい気持ちと、抗って生きて欲しいという気持ちがダディにはあるのだろう。でも、時が経つにつれて私は母の姿や性格に似始めている。髪だって昔は黒かったのに、今じゃ黒の要素なんてない真っ赤な髪だ。

ふと、横に置かれていた姿見をちらりと見ると、まるで母がそこにいるかのようであった。これじゃまるで生き写しだ。


「……ダディ。ここにいる以上、私は生傷の絶えない日々を送ると思う。だって、私はこの運命に抗うって決めたから」


しんと静まり返った部屋に、私の声だけが響いた気がした。ダディが少し俯くと、普段は付けていない赤い魚が描かれたピアスがカランという音を立てて揺れる。あれは、母とお揃いにしていたピアスか。珍しいこともあるものだとピアスを見つめていると、未だにそれが小さく震えているのが分かった。


「私は、何百人の命よりもお前の未来を優先したい。隊長だろうが、地区長だろうが私はマリーナの父親だ。娘を、守りたいんだ。私よりも先立つお前を……見たくはない」


初めて語られた父親としての本音に胸が痛む。この運命に苦しめられているのは私じゃない……ダディなんだ。でも、でも……


「ごめん、それでも私は苦しい道を選ぶ。母のことはやっぱり苦手だよ。でも、母が見てきた真実には向き合っていきたい。この闘いを終わらせたい。このブルー地区を昔のように明るい地区に戻したいから」


ダディは眉間にしわを寄せ、どこか苦しそうにも見えたがすぐに表情は変わった。悲しげではあったが、私の頭に置いた手は優しかった。20歳にもなってこれは恥ずかしいが、断る理由もないし動かないでいるか。


「母さんによく似ている。だが、その頑固は性格は私そっくりだ」


「そりゃそうだよ。だってダディの遺伝子ばっちり受け継いでるからね」


ダディはふっと微笑みを浮かべて部屋から静かに出ていった。

着替えてなまった体を動かそうかと立ち上がった時、足に鋭い痛みが走る。それは痺れるというものではなく、内部から裂かれるような、焼かれるような鋭い痛み。声にもならず、足を押さえるしかなかった。


「な、んで! へ? これって……」


両足に鱗のようなラインの入った青い紋章が光っていた。まさか、紋章が足まで?

着ていた服を脱ぎ、姿見の前に立って絶望した。


「っ……くそったれが」


鎖骨から下は全て青い紋章が刻まれていた。限界が近いということなのだろうか。私は、母のように泡となってしまうのだろうか。

分かっていたはず、知っていたはずの未来が無性に怖くなった。吸っても吸っても息は肺には留まらず、頭にも回らない。


しばらくしてようやく落ち着いてきたものの、指先は未だに震えていた。母もこんな気持ちのまま死んで行ったのだろうか……


─────────……


真っ白な病室、真っ白なベッド、そこにチューブに繋がれた真っ白な仮面を付けた男が窓の外を眺めていた。


コンコンコン


ノック音と共に入ってきたのは赤髪の男、ヘイトリッド・ハンスと白兎の火山デリットであった。


「よぉ、ジェスター。体の具合はどうだ?」


「ぼちぼちやな。なんや? もう聴取に来たんかいな」


「よく分かったな。まぁ、なんだ、お前のことだから遠回しに聞いても意味ないだろ? だから、お前が知ってる全ての事を話せ」


ヘイトリッドがそう言うと、仮面の下でジェスターは小さく笑い声をあげた。


「ええけど、あんたらそれでええんか?」


ジェスターは首を少し傾け、仮面の下で笑う。


「昔話ならいくらでもしたるけど、神話なら俺も知らん。知りたいなら……水瀬マリーナに聞くとええで。あの子は始祖のエピソーダーと繋がりが最も深い。ピーター・マシューなんかよりもな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る