第35話 メルヘンズ

「いい? オデット、あなたの実力はあの怨毒で計らせてもらう。私の目に止まるように頑張りなさい」


「っ、はい!」


 どこまでも凍てつく氷の瞳にようやく私が映った。王立区ではなかった人を選定するその瞳に思わず身震いしてしまう。ここは家柄でも財産でも肩書でも決められない……この部隊に所属できる条件は芯のある清い心があるかどうかだけ。何としても受からないと。


「"エピソード───────白鳥の湖"」


 背中に紋章がある為、わずかに熱を帯びたがすぐに冷めて背後から水が気泡とともに循環する音が聞こえてきた。その正体は光の屈折で淡い青色の白鳥だ。水で象られた白鳥に私は乗り移る。触れても濡れないこの感覚が未だに慣れない。


「これまた大きな白鳥だにゃ……シルト、僕は避難誘導をしてくるにゃ。あとはよろしく」


 尾真田さんはセルバンテスさんの作った大鷹から飛び降りると、そのまま屋根に音もたたすことも無く着地する。まるで一つの羽が優しく触れるかのような着地は美しく、常人離れした実力に恐怖すら覚えた。


 やはり、獣人族は好きにはなれない。


 そんな分厚すぎる壁に絶望している暇もなく、怨毒はこちらに気づいて凄まじい力で瓦礫を投擲しはじめる。無論、そんな原始的な攻撃が当たるはずもなく、ただ瓦礫をばら撒いているだけだ。知能はないが、その華奢な身とは不釣り合いな力が備わっている。


「なんとも哀れ、このイル・オデットが水とともにその穢れを流しますわ」


 手元には水で作られた弓矢が表れる。少しの力で引くだけで常人の何倍……いや何十倍もの力が加わるように工夫してきた。放たれたら、ひとたまりもないだろう。殺気を感じ取った怨毒がこちらに向かって瓦礫を投げつける。だが、それよりも早く瓦礫をも打ち破って水の矢が放たれた。飛び散った瓦礫が地面に落ちるよりも先に、怨毒の頭を貫いた。


 飛び散った瓦礫、頭に穴の空いた怨毒。遅れてやってきた風の音、降る雪すらも停止したかのように思えた。この静寂が生む無の空間は、とても心地よく水が緩やかに循環する音が体の内から聞こえてくる。そんな気がした。


「オデット、あなたの実力は大したものだけど厄介なのに当たったわね。仕留めそこねているわ」


 セルバンテスさんが奥歯を噛みしめるような声で話す。その視線の先には倒したはずの怨毒が黒い砂へと形を変えていた。しかし砂は崩れ落ちるのではなく、塊となって様々な形へと変えていく。丸や四角へと変えていく中で確かに生き物の形をしていたのは見えたが、果たしてそれが実在するものなのか、はたまた架空の生物なのか判断はつかなかった。


「怨毒の中でもエピソーダーと同等の力を持つ変異型がいるのよ。昔はただ暴れ回るだけの獣だったけど、最近はこの型ばかり……しかも今回のはその中でも更に最悪、中央区を襲った狼型の怨毒と同じね」


「あれが!? でも、何で急に……」


「エピソーダーにもいるでしょ? 私やオデットのように童話に魅入られたメルヘンズと呼ばれる者が。それと同じで怨毒になる者も毒に対する耐性をもち、知能を得た者もいる。そしてそれはメルヘンズに匹敵するわ」


 セルバンテスさんは顔を歪める。メルヘンズ……そう、エピソーダーの中でもエピソードを唱えることなく能力が使える稀有な存在。だけど、メルヘンズということは人生、性格、力までもがリンクしている事が多く、メルヘンズとなった者は童話と同じ死に方をすると言われいる。


 皮肉なことにもこの怨毒も力尽きるか私達に倒されるかの運命しか残っていない。そんな所も似るなんて……


「でも、相手がメルヘンズに匹敵する強者だったとして、引く理由はありませんわ。にげるなんて私の美徳に反しますもの」


「……逃げも必要、と教えたい所だけど今ここで逃げれば確実に被害が及ぶ。オデット、ここでなんとか食い止めるわよ!」


 そういっているうちにも怨毒は不定形のまま宙を泳ぎ、私達の目の前で長方形の黒い塊となる。弓をひいて狙いを定めようとしたその刹那。


「えっ」


 乗っていた水の白鳥が傾いた。スローモーションのように体が宙に浮いて、落ちていく感覚はあるのに体は動かない。ようやく動かせても白鳥の状態しか見えない。状態は最悪。

 左翼は何者かにやられたのか断面がみえており、形を保てなくなった白鳥はゆっくりとただの水へと戻っていく。


 まさか怨毒が? いや、だとすれば真っ先に私を狙うだろう。十分な知能があれば二人相手に勝てるという根拠のない自信で私達を楽しみながら殺すという選択は消える。相手の力量も分からないやつではないはずだ。

 そもそも、どれほど早いのかわからないが左翼を一瞬にして切ることはできないはずだ。僅かにでも相手が動けば白鳥が感知するようにしている。しかし白鳥は感知できなかった。


「まさかっ!」


 スローモーションのような視界からようやく脳が慣れてきたのかもとの視界へと戻り、地面と熱いキスをする距離が縮まっていく。


「こんな重労働させんなよ!」


 水で出来た蜘蛛の巣を屋根と家の間に発現させ、ど真ん中に落ちる。何度か蜘蛛の巣は弾みはしたが、地面とキスなんて悲痛な思いはせずに済んだ。頭上には黒砂と化した怨毒と鷹に乗ったセルバンテスさんが何度も衝突しているのが見えた。

 まさか落ちてしまうなんて……そもそも犯人は誰だ? 地面に降りて少しの怒りと大きな焦りを感じながら見上げているとどこからか拍手が響く。


「なるほどなるほど。あなたがイル・オデット……オデット家の娘ですね」


 胸辺りまでの白髪に黒い右眼帯、三十、いや四十代前半のヒトがそこに立っていた。男性なのか女性なのか判別のつけ難い中世的な声をしたヒトはゆっくりと瓦礫を踏みながら近づく。ここで動けば良かった。ただ一歩、一歩だけでも動かせば良かったのに、硬直した体は震えるばかりで動かない。


「あんたは誰なの?」


「さぁ? とりあえずジャック・ザ・リッパーとでも呼んでください。あぁ、呼びづらいのなら気軽にジャックでもいいですよ」


「一般市民……なわけないですわね。英雄ヴォートルの一味かしら?」


「いずれはそうなるつもりです。今回は採用試験です。二つの採用条件うち、1つはクリアしましたが、まだあなたを殺すという条件はクリアしていないので……」


 ジャックの足元からは靄が立ち込め、視界が白に染まって姿を捉える事が困難となる。これが報告された回想録メモワールと呼ばれる能力だろうか。


「私の狙いはあなた一人……ブギーマン、そちらの彼は任せましたよ」


 靄の中そうジャックが言うと、僅かに見えていた怨毒がセルバンテスの取り囲んで巨大な球状の何かに姿を変える。セルバンテスさんの助けもなし、靄が濃くて姿が見えず、相手は能力不明の英雄ヴォートル……どうしたって私の運気は最低。もはやそういう星の下で生まれたとしか考えられないほどに。


「おやおや、よそ見ですか? まぁ、私としてはそうして頂けるとありがたいですけどね」


 背後からそんな声が聞こえ、後ろを振り向くと風を切る音ともになにかが私の頬を掠めた。遅れて流れ始めた血でようやく攻撃されたことを認識した。背筋が、いや全身が冷えていく感覚が走って身震いしてしまう。


「採用条件ねぇ……だったらこっちもあんたを踏み台にして差し上げますわ。光栄に思いなさい」


 水の大蛇を作り出し、飛んでくる何かを弾き返す。その間に私は近くまで来ないと見えない水の糸を張り巡らせた。


「口の聞き方がなっていない淑女ですね。だから売春婦とぼんぼんのお嬢様は嫌いなんですよ」


 とても冷めた声で言い放った言葉は私の抑えていた怒りを逆撫でした。いつだってそうだ、人は中身で決まるだなんて誰が言い出した? 結局、見ているのは肩書きと個人が持つ権力のみ。なにも知らない赤の他人はそれを見て羨ましがるか、クソの集団だと勝手に決めつけやがる。


「だから……てめぇらみたいなガチョウは嫌いなんだよ。その気道が詰まったような声を出すな、不快だ」


 そのとき張り巡らしていた一本の糸から振動が走る。右手の小指からだった、ということは右斜め後方かっ!


 大蛇で攻撃を受け、張り巡らせた糸を瓦礫からジャックに巻きつける。水の糸は生き物のように自在に動く為、私の意思一つで縛る事も切ることも可能だ。水の糸に縛られて身動きの出来ないジャックは身じろぎも出来ず、不敵な笑みを浮かべる。私も彼に近づき、靄で見えにくいジャックの顔を見ようとする。


「おやおや、今度は下品極まりない下女に成り下がった訳ですか!」


「成り下がった? 使えないのはその喉だけじゃなく、頭も使えないようだ。 ここ、使ってみなよ意外と便利だからなっ!」


 私は自分の頭を指差しながらそう言うと、ジャックはすんっと冷えきった顔になる。だが、その間にも大蛇は瓦礫を伝ってセルバンテスさんのいる宙へと向かっている。これでなんとかしなるだろう。あと少しもすれば尾真田さんが─────────


「勝ってもいないのに勝利を確信し、他の事に気を取られる。だからいつまでたっても青二才のままなんですよ」


 ジャックの怒気の篭った声が聞こえると同時に視界がグラリと大きく揺れる。水の崩れる音が体内部から聞こえ、耳が聞こえづらくなり始める。これは赤い液体、なのだろうか。赤い玉が飛び散っては地面を濡らしていった。

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